インターネット新教会

インターネット新教会は誰でもいつでも訪れて主を礼拝することが出来ます。 この世の金銭の献金は一切不要ですが、主のものである善と真理は十分の一とは言わず凡てを主に返してください。 自分が語り行ったどんな真理も善い事も自分が語り行ったと思わず、自分を通して主が為されたことを承認して主を見上げ主に帰してください。 聖餐として、聖言とスヴェーデンボリによって明かされた聖言の内意から日々の心の糧を得てそれを日常生活で活用してください。 洗礼として、なぜ悔い改めるのか、何を悔い改めるのか、どのように悔い改めるのかということを知り、また日々悔い改める習慣を持ってください。 悪から離れて用を為すために、隣人に悪を為すことを恐れて、憎しみ、復讐心、姦淫、欲心、自尊心、不平、愚痴等を遠ざけ、また隣人に役立つことを喜んで自分の役割、仕事、使命等を誠実に果たしてください。 偽善を避け主を義とするために、そのことは自分がそのようにしているのではなく、自分を通して主が為されておられることを承認して、主を見上げ、主を義として、主によって善い実を結んでください。

7-806原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-806原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

806. 'Ab omni quod in arida': quod significet illos in quibus nihil talis vitae amplius et quod 'mortua sunt' significet exspiravisse inde nunc sequitur: et quia omnis vita amoris et fidei exstincta fuit, hic dicitur 'arida.' Arida est ubi non aqua, hoc est, ubi nihil spirituale amplius, minus caeleste; persuasio falsi omne spirituale et caeleste exstinguit et quasi suffocat; sicut unusquisque scire potest a multa experientia, si attendat; qui semel opiniones captarunt, tametsi falsissimas, inhaerent iis tam obstinate ut ne quidem audire velint aliquid quod contrariatur; ita nusquam patiuntur se instrui, si vel ante oculos eorum ponatur verum; adhuc magis dum opinionem falsi ex sanctitate quadam colunt; tales sunt qui omne verum respuunt, et quod admittunt, pervertunt, et sic infundunt phantasiis: hi sunt qui per 'aridam' hic significantur, super qua nec aqua, nec gramen, ut apud Ezechielem,
Ponam fluvios aridam, et vendam terram in manum malorum et desolabo terram et plenitudinem ejus, xxx 12;
'ponere fluvios aridam' pro quod non amplius quid spirituale: et apud Jeremiam,
Facta est terra vestra in aridam, xliv 22;
'arida' pro terra desolata et vastata, ut amplius nihil veri et boni.
 

806. 'Ab:~から、~により、omni:凡ての、全体の、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、arida'::乾いた土地、quod:こと、それ、そのこと、significet:意味する、illos:彼らを、in:~の中、~において、quibus:その者達から、nihil:無、何も~ない、talis:このような、次のような、vitae:生命、amplius:この後、もはや、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、'mortua sunt':死んだ、significet:意味する、exspiravisse:消滅したこと、inde:それ故、そこから、nunc:今や、すぐに、sequitur::続く、続いてくる et:また、そして、quia:なぜなら、ので、omnis:凡ての、全体の、vita:生命、amoris:愛の、et:~と、および、fidei:信仰、exstincta:消された、絶滅された、fuit,:あった、hic:ここに、この場に、dicitur:言われる、'arida.':乾いた土地、Arida:乾いた土地、est:ある、ubi:そこで、その場所、non:否、aqua,:水、hoc est,:即ち、ubi:そこで、その場所、nihil:無、何も~ない、spirituale:霊的な、amplius,:この後、もはや、minus:なお更、まして、caeleste;:天的な、persuasio:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、omne:凡ての、全体の、spirituale:霊的な、et:~と、および、caeleste:天的な、exstinguit:消す、絶滅する、et:~と、および、quasi:ぼ、言わば、suffocat;:窒息させる、絞殺する、sicut:~の如く、~のように、unusquisque:各々の、誰でも、scire:知ること、potest:出来る、可能である、a:~から、~により、multa:多数の、多くの、experientia,:観察、経験、si:もし~なら、たとえ~でも、attendat;:注意する、注目する、qui:その者達、semel:一度、一回、opiniones:諸々の信念、諸々の見解、captarunt,:作り上げた、会得した、tametsi:例え~でも、それでも、falsissimas,:最も間違った信念、inhaerent:固執する、執着する、iis:それらに、tam:tam~ut~、~以下ほど、それほど、obstinate:頑強に、ut ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、audire:聞くこと、velint:欲する、aliquid:何か、若干の、quod:こと、それ、そのこと、contrariatur;:反対する、抵抗する、ita:このように、従って、nusquam:どこにもない、決して~ない、patiuntur se:許す、させておく、instrui,:教えられること、si:もし~なら、たとえ~でも、vel:或いは、~か或るいは~か、ante:~の前で、~より前に、oculos:目、eorum:それらの、彼らの、ponatur:置かれる、verum;:真理、adhuc:その後、後で、magis:もっと、更に、dum:その時、もし~ならば、opinionem:信念、見解、falsi:間違った原理(信念)の、ex:~から、~により、sanctitate:神聖さ、敬虔、quadam:ある種の、一種の、colunt;:尊重する、尊ぶ、tales:このような、次のような、sunt:ある、qui:その者達、omne:凡ての、全体の、verum:真理、respuunt,:退ける、投げ捨てる、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、admittunt,:聞き入れる、引き入れる、pervertunt,:ひっくり返す、曲解する、歪める、et:また、そして、sic:そのように、こうして、infundunt:注ぐ、注ぎ込む、phantasiis::空想、幻想、hi:この者達、sunt:ある、qui:その者達、per:~を通して、~によって、'aridam':乾いた土地、hic:ここに、この場に、significantur,:意味される、super:~の上で、~の上に、qua:それから、そのことから、nec:否、aqua,:水、nec:否、gramen,:草、草木、植物、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
Ponam:置く、定める、(接続法一人称単数現在)fluvios:諸々の川、諸々の流れ、aridam,:乾いた、ひからびた、et:また、そして、vendam:売る、(接続法一人称単数現在)terram:地、地上、in:~の中へ、~に、manum:手、malorum:悪い者達の、et:また、そして、desolabo:見捨てる、荒らす、(一人称単数未来)terram:地、地上、et:~と、および、plenitudinem:充満、全部、満ちていること、ejus,:それの、彼の、xxx 12; 'ponere:定めること、fluvios:諸々の川、諸々の流れ、aridam':乾いた、ひからびた、pro:~として、~のために、quod:こと、それ、そのこと、non:否、amplius:この後、もはや、quid:何か?、どんな?、spirituale::霊的な、et:また、そして、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Facta est:為された、terra:地、地上、vestra:あなた達の、in:~の中へ、~へ、aridam,:乾いた、ひからびた、xliv 22; 'arida':乾いた、ひからびた、pro:~として、~のために、terra:地、地上、desolata:見捨てられた、荒された、et:~と、および、vastata,:荒された、浄化された、ut:~のように、~として、amplius:この後、もはや、nihil:無、何も~ない、veri:真理、et:~と、および、boni.:善、
 

806.「乾いた土地に(居た)凡てのものにより」が、その者達の中にもはや生命が何もないような者達を意味すること、また「彼らが死んだ」が、(彼らが)消滅したことを意味することは、すぐに続く(箇所)から(知られよう)。また凡ての愛と信仰の生命が絶滅されたので、ここに「乾いた土地」が言われている。
乾いた土地は、そこに水がない(場所で)ある。即ちそこにもはや霊的なもの、まして天的なものがない(場所である)。間違った原理の信念(確信)は、凡ての霊的なものと天的なものを絶滅し、また言わば窒息させる。誰でももし、注意するなら多くの観察から知ることが出来るように、一度、(何かの)諸々の信念を会得した者達は、例え(それが)最も間違った信念であっても、(それに)反対する何かの(意見を)聞くことを決して欲しないほど、それに頑強に固執する。このように例え、彼らの目の前に真理が置かれたとしても、決して教えられることを許さない。その後、もし間違った信念の見解を或る種の神聖さから尊ぶならもっと(頑強に固執する)。このような者達は、凡ての真理を退け、そして彼らが聞き入れる(ものは)曲解し、またそのように幻想に注ぎ込む。この者達はその上に水も草もない「乾いた土地」によって意味される。例えば、エゼキエル(書)において、
「私は諸々の川を乾いたものに定めよう(為そう)。また地を悪い者達の手に売り、そして地とそこに満ちているものを見捨てるであろう。」30.12、「諸々の川を乾いたものに定める(為す)こと」は、もはや霊的なものが何もないこととして(記述されている)。エレミヤ(書)において、
「あなた達の地は乾いたものに為された。」44.22、「乾いたもの」は、もはや真理と善の何もない見捨てられ、また荒された地として(記述されている)。

7-711~712意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-711~712意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

711.「箱舟に入ること」が準備されることであることは、第6章18節で言われたが、そこでの意味は信仰の真理である理解のものに関して準備されたことである。ここでは救われるための仁愛の善である意志のものに関しての準備である。人間は準備されたもの、即ち真理と善からよく教えられたものがなければ、決して再生されることは出来ない。まして試練に耐えることは出来ない。なぜならその時、悪の霊達が彼の許にその間違った信念と悪を引き起こすからである。もし、真理と善がそこにあって、主によりそれらへ転じられ、またそれらによって追い散らされるのでなければ、彼は試練に屈する。真理と善は残りのものであり、それらはこのような用のために主により保管されている。
 
 
712.「それというのは、私はあなたをこの世代の中で正しい者と認めたからである」は、善を持つことを意味し、それによって彼が再生することが出来たことは、前の章(第6章)9節に言われ、また示された。そこで「正しい者」は仁愛の善を意味し、また「健全な者」は仁愛の真理を意味する。そこでは理解のものについて述べられているので「世代(複数形)」で記述されているが、ここでは意志のものについて述べられているので「世代(単数形)」で記述されている。というのは、意志は理解のものを本来包含するが、理解は意志のものを包含しないからである。

7-804~805原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-804~805原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

804. Additur 'omnis homo,' quo significatur quod illa fuerint in homine isto; est clausula communis quae comprehendit praecedentia; tales clausulae passim adjiciuntur.
 

804. Additur:加えて言われる、'omnis:凡ての、全体の、homo,':人間、quo:そのために、それによって、significatur:意味される、quod:こと、それ、そのこと、illa:それらが、fuerint:あった、in:~の中、~において、homine:人間から、isto;:それから、est:ある、clausula:最後の節、結び、communis:全般的な、普通の、quae:それは、そのことは、comprehendit:まとめる、含む、praecedentia;:先行しているもの、tales:このような、次のような、clausulae:最後の節、結び、passim:至る所で、しばしば、adjiciuntur.:付け加えられる、
 

804.「凡ての人間」も加えて言われおり、これによってそれらのものがその人間の中にあったことが意味される。この(言葉)は普通の結び(の言葉で)あり、それが先行しているものを含む。このような結び(の言葉)はしばしば付け加えられる。
 

805. 'Omne cui flatus spiritus vitarum in naribus ejus': quod significent illos qui ab Antiquissima Ecclesia, quibus flatus vitarum in naribus, hoc est, vita amoris et fidei inde, fuerat, constat ab illis quae prius, n. 96, 97, dicta sunt. Vita ab antiquissimis significata fuit per 'flatum in naribus,' seu per respirationem, quae est vita corporis correspondens spiritualibus; sicut motus cordis est vita corporis correspondens caelestibus: hic quia agitur de antediluvianis, in quibus fuit a parentibus hereditario semen ex caelesti, sed exstinctum seu suffocatum, hic dicitur 'omne cui flatus spiritus vitarum in naribus ejus': [2] in his verbis quoque altius quid reconditum latet, de quo prius, n. 97, quod nempe Antiquissimae Ecclesiae homo respirationem internam habuerit, ita concordem et similem cum respiratione angelorum, de qua, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus; quae respiratio variata fuit secundum omnes status interni hominis; sed successu temporis in posteris mutata usque ad primam hanc posteritatem, in qua omne angelicum periit; tunc nec amplius cum caelo angelico respirare potuerunt; quae causa genuina exstinctionis eorum fuit, inde nunc dicitur quod 'exspiraverint' et quod 'mortui sint, quibus flatus spiritus vitarum in naribus.' Post haec tempora cessavit respiratio interna, et cum illa communicatio cum caelo, ita perceptio caelestis, et successit externa; et quia sic communicatio cum caelo cessavit, homines Antiquae seu novae Ecclesiae non amplius potuerunt caelestes homines esse, sicut antiquissimi, sed spirituales sed de his, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus.
 

805. 'Omne:凡ての、全体の、cui:その者に、flatus:息、呼吸、spiritus:霊、息、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus:鼻、鼻孔、ejus'::それの、彼の、quod:こと、それ、そのこと、significent:意味する、illos:彼らを、qui:その者達、ab:~から、~により、Antiquissima:最古代、Ecclesia,:教会、quibus:その者達、flatus:息、呼吸、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus,:鼻、鼻孔、hoc est,:即ち、vita:生命、amoris:愛の、et:~と、および、fidei:信仰、inde,:それ故、そこから、fuerat,:あった、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius,:以前に、前に、n.:番号、96, 97, dicta sunt.:言われた、
Vita:生命、ab:~から、~により、antiquissimis:最古代、significata:意味された、fuit:あった、per:~を通して、~によって、'flatum:息、呼吸、in:~の中、~において、naribus,':鼻、鼻孔、seu:即ち、或いは、per:~を通して、~によって、respirationem,:呼吸、quae:それらは、そのことらは、est:ある、vita:生命、corporis:体、身体、correspondens:相応するもの、spiritualibus;:霊的な、sicut:~の如く、~のように、motus:運動、動き、cordis:心、心臓、est:ある、vita:生命、corporis:体、身体、correspondens:相応するもの、caelestibus::天的な、hic:ここに、この場に、quia:なぜなら、ので、agitur:述べられる、取り扱われる、de:~について、antediluvianis,:洪水前、in:~の中、~において、quibus:それらから、そのことらから、fuit:あった、a:~から、~により、parentibus:両親達、先祖達、hereditario:遺伝の、相続の、semen:種子、種、ex:~から、~により、caelesti,:天的な、sed:しかし、exstinctum:消された、絶滅された、seu:即ち、或いは、suffocatum,:窒息させられた、hic:ここに、この場に、dicitur:言われる、'omne:凡ての、全体の、cui:その者に、flatus:息、呼吸、spiritus:霊、息、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus:鼻、鼻孔、ejus'::それの、彼の、
[2] in:~の中、~において、his:これらから、verbis:言葉、語、quoque:~もまた、同じく、altius:より高い、より深い、quid:何か?、どんな?、reconditum:隠された、深遠な、latet,:隠れている、知られずにいる、de:~について、quo:それから、そのことから、prius,:以前に、前に、n.:番号、97, quod:こと、それ、そのこと、nempe:正確には、即ち、Antiquissimae:最古代、Ecclesiae:教会、homo:人間、respirationem:呼吸、internam:内部の、内なる、habuerit,:持った、所有した、ita:このように、従って、concordem:一致する、調和した、et:また、そして、similem:同様な、等しい、cum:~と一緒に、~と、respiratione:呼吸、angelorum,:天使達の、de:~について、qua,:それから、そのことから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus;:次の、後に続く、quae:それは、そのことは、respiratio:呼吸、variata:種々の、様々の、fuit:あった、secundum:~に従って、~に沿って、omnes:凡ての、全体の、status:状態、性質、interni:内部の、内なる、hominis;:人間の、sed:しかし、successu:推移、経過、temporis:時代、時、in:~の中、~において、posteris:子孫達、末裔達、mutata:変えられた、変化された、usque ad:~に至るまで、primam:冒頭の、最初の、hanc:これを、posteritatem,:子孫、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、omne:凡ての、全体の、angelicum:天使的な、periit;:死んだ、滅びた、tunc:その時、やがて、nec:否、amplius:この後、もはや、cum:~と一緒に、~ともに、caelo:天界から、angelico:天使的な、respirare:呼吸すること、potuerunt;:出来た、可能であった、quae:それは、そのことは、causa:原因、理由、genuina:正しい、本来の、exstinctionis:消滅、絶滅、eorum:それらの、彼らの、fuit,:あった、inde:それ故、そこから、nunc:今、現在、dicitur:言われる、quod:こと、それ、そのこと、'exspiraverint':死んだ、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、'mortui sint,:死んだ、quibus:その者達に、flatus:息、呼吸、spiritus:霊、息、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus. ':鼻、鼻孔、
Post:~の後に、~の後ろに、haec:これらを、tempora:時代、時、cessavit:終わった、止まった、respiratio:呼吸、interna,:内部の、内なる、et:また、そして、cum:~と一緒に、~と、illa:それから、communicatio:伝達、連絡、cum:~と一緒に、~と、caelo,:天界から、ita:このように、従って、perceptio:理解、認識、caelestis,:天的な、et:また、そして、successit:後に続いた、引き続いて起った、externa;:外部の、外なる、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、sic:そのように、こうして、communicatio:伝達、連絡、cum:~と一緒に、~と、caelo:天界から、cessavit,:終わった、止まった、homines:人間達は、Antiquae:古代、seu:即ち、或いは、novae:新しい、Ecclesiae:教会、non:否、amplius:この後、もはや、potuerunt:出来た、可能であった、caelestes:天的な、homines:人間達は、esse,:あること、存在すること、sicut:~の如く、~のように、antiquissimi,:最古代、sed:しかし、spirituales:霊的な、sed:しかし、de:~について、his,:彼らから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus.:次の、後に続く、
 

805.「その鼻に生命の息の呼吸があった凡てのもの」が、最古代教会から(居た)者達を意味し、その者達の「鼻に生命の息の呼吸が(あった)」、即ち愛とそこからの信仰の生命があったことは、前の96,97番に言われたことから知られよう。
生命は、最古代人達により「鼻の中の息」によって意味された。即ち身体の生命である心臓の運動が天的なものに相応する如く、身体の生命の呼吸によって霊的なものに相応するもの(が意味された)。ここでは、先祖達からの天的な種があったが、しかし絶滅された、即ち窒息させられた洪水前の者達について述べられているので、ここで「その鼻に生命の息の呼吸があった凡てのもの」が言われている。
[2]これらの言葉の中にもまた、より深い深遠な何かが隠れている。このことについては、前の97番に、即ち最古代教会の人間は内なる呼吸を持った(ことが示された)。このように天使達の呼吸と一致し、また同様な(呼吸を持った)。このことについては、主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。この呼吸は人間の内なる凡ての状態に従って種々のものがあったが、しかし時代の推移と共に、この(節の)冒頭の子孫に至るまでの子孫達の中で変えられ、この(節の冒頭の子孫に)おいて天使的な凡ての(呼吸が)滅びた。その時もはや、彼らは天使的な天界と共に呼吸することが出来なくなった。これが彼らの絶滅の本来の原因であり、このことから今、「彼らが死んだ」ことが言われ、また「鼻に生命の息の呼吸が(あった)者達は死んだ」ことが(言われる)。
これらの時代の後に内なる呼吸が終わり、またそれと一緒に天界との連絡(も終わった)。従って天的な認識(も終わり)、また引き続いて外なる(呼吸が)続いた。そしてこのように天界との連絡が止まったので、古代の人間達、即ち新しい教会の(人間達は)、この後、最古代人達の如く天的な人間達であることが出来なかった。しかし霊的な(人間に為された)。彼らについては主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。

6-710意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-710意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

710.それ故、「あなたとあなたの家の凡ての者は箱舟に入れ」は、意志のものを意味することが知られよう。
前章においては、理解のものについて、異なって記述されていた。即ち「あなたはあなたとあなたの息子達、またあなたの妻とあなたの息子達の妻達と一緒に箱舟に入らなければならない。」第6章28節、
「家」が意志を意味し、また意志のものを意味することは、聖言の至る所から知られよう。例えば、エレミヤ書において、
「彼らの家は、畑と妻達と一緒に他の者達に引き渡されるであろう。」6.12、ここでは、「家」も「畑」もまた「妻達」も意志のものに関係する。同書において、
「あなた達は家を建てて住め、また庭園に植えてその実を食べよ、」29.5,28、ここで「家を建てることと住むこと」は、意志のものであり、「庭園に植えること」は理解のものである。他の箇所も同様である。また「エホバの家」は、たびたび教会として記述され、そこで最も重要なものは愛である。「ユダの家」は天的な教会として、「イスラエルの家」は霊的な教会として、記述されている。なぜなら、「家」は教会であるからである。それ故、教会の人間の心の中に意志のものと理解のもの、即ち仁愛と信仰のものがあり、それが「家」である。

7-803原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-803原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

803. 'Quoad avem, et quoad bestiam, et quoad feram, et quoad omne reptile reptans super terra': quod significent persuasiones eorum, quibus 'aves' affectiones falsi, 'bestia' cupiditates, 'fera' voluptates, 'reptile reptans' corporea et terrestria, constare potest ex illis quae prius de significatione avium et bestiarum ostensa sunt; de avibus, n. 40, et supra ad vers. 14, 15, hujus capitis; de bestiis etiam ibi, tum n. 45, 46, 142, 143, 246. 'Aves' quia intellectualia, rationalia et scientifica significant, (x)etiam significant contraria, ut perversa rationalia, falsa, et affectiones falsi. Persuasiones antediluvianorum hic plene describuntur, nempe quod in illis affectiones falsi, cupiditates, voluptates, corporea et terrestria; omnia haec insunt persuasionibus, quod homo nescit, putans principium falsi seu persuasionem falsi esse modo simplex quoddam aut unum commune quoddam, sed multum fallitur, prorsus aliter se res habet; unaquaevis affectio hominis trahit suam existentiam et naturam ex ejus intellectualibus et simul ex ejus voluntariis, ita ut totus homo quoad omnia sua intellectualia et omnia sua voluntaria sit unaquavis ejus affectione, immo in affectionis ejus singularissimis seu minimus; [2] quod constare mihi potuit manifeste a pluribus experientiis, ut memorem solum id, quod spiritus in altera vita ex modo unica idea cogitationis ejus cognosci possit qualis est, immo angeli a Domino habent, ut cum modo inspiciunt in aliquem, norunt ilico qualis est, nec fallit quicquam; inde constat quod unaquaevis hominis idea, et quod unaquaevis affectio, immo unumquodvis minimum ejus affectionis, sit imago ejus et effigies ejus, hoc est, quod eis insit aliquid proxime et remote ab omni ejus intellectuali et ab omni ejus voluntario. Ita nunc descriptae sunt antediluvianorum dirae persuasiones, quod in iis fuerint affectiones falsi, tum affectiones mali seu cupiditates, ut et voluptates, demum corporea et terrestria; omnia haec insunt talibus persuasionibus, et non solum persuasionibus in communi, sed etiam persuasionum singularissimis seu minimus, in quibus corporea et terrestria dominantur: si sciret homo quantum uni principio falsi ac uni persuasioni falsi insit, horresceret; est quaedam imago inferni: sed si ex innocentia aut ex ignorantia, falsa ibi facile discutiuntur.
 

803. 'Quoad:~に関して、~に関する限り、avem,:鳥、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、bestiam,:動物、獣、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、feram,:野獣、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、omne:凡ての、全体の、reptile:這うもの、reptans:這っている、super:~の上で、~の上に、terra'::地、地上、quod:こと、それ、そのこと、significent:意味する、persuasiones:確信、信念、eorum,:それらの、彼らの、quibus:その者達、'aves':鳥、affectiones:諸々の情愛、falsi,:間違った原理(信念)の、'bestia':動物、獣、cupiditates,:諸々の欲望、fera':野獣、voluptates,:快楽、喜び、'reptile:這うもの、reptans':這っている、corporea:地的な、形体的な、et:~と、および、terrestria,:現世の、地上の、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、de:~について、significatione:意味、avium:鳥、et:~と、および、bestiarum:動物、獣、ostensa sunt;:示された、de:~について、avibus,:諸々の鳥、n.:番号、40, et:また、そして、supra:上に、上部に、ad:~に、~へ、vers.:節、14, 15, hujus:この、capitis;:章、de:~について、bestiis:動物、獣、etiam:~もまた、さらに、ibi,:そこに、そこで、tum:その上、さらに、n.:番号、45, 46, 142, 143, 246. 'Aves':鳥、quia:なぜなら、ので、intellectualia,:理解の、rationalia:理性的な、et:~と、および、scientifica:事実に基づく、科学的な、significant,:意味する、(x) etiam:~もまた、さらに、significant:意味する、contraria,:反対、相反、ut perversa:歪められた、誤らされた、rationalia,:理性的な、falsa,:間違った原理(信念)の、et:また、そして、affectiones:諸々の情愛、falsi.:間違った原理(信念)の、
Persuasiones:諸々の確信、諸々の信念、antediluvianorum:洪水前の、hic:ここに、この場に、plene:完全に、十分に、describuntur,:記述される、述べられる、nempe:正確には、即ち、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、illis:彼らから、affectiones:諸々の情愛、falsi,:間違った原理(信念)の、cupiditates,:諸々の欲望、voluptates,:快楽、喜び、corporea:地的な、形体的な、et:~と、および、terrestria;:現世の、地上の、omnia:凡ての、全体の、haec:これらは、insunt:内在する、宿る、persuasionibus,:諸々の確信、諸々の信念、quod:こと、それ、そのこと、homo:人間、nescit,:知らない、気付かない、putans:信じている、思っている、principium:原理、要素、falsi:間違った原理(信念)の、seu:即ち、或いは、persuasionem:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、esse:あること、存在すること、modo:だけ、単に、simplex:単純な、単一な、quoddam:ある種の、何らかの、aut:即ち、或いは、unum:1、commune:全般的な、quoddam,:ある種の、何らかの、sed:しかし、やはり、multum:多数の、多くの、fallitur,:欺かれている、間違えている、prorsus:全く、完全に、aliter:他の方法で、異なって、se:それ自身を、res:事柄、物事、habet;:持つ、知っている、unaquaevis:各々の、affectio:情愛、hominis:人間の、trahit:得る、獲得する、suam:それ自身を、existentiam:存在、存在の事実、et:~と、および、naturam:本質、性質、ex:~から、~により、ejus:それの、彼の、intellectualibus:理解の、et:~と、および、simul:一緒に、同時に、ex:~から、~により、ejus:それの、彼の、voluntariis,:意志の、ita ut:以下のように、そのように、totus:全体の、凡ての、homo:人間、quoad:~に関して、~に関する限り、omnia:凡ての、全体の、sua:それら自身を、intellectualia:理解の、et:~と、および、omnia:凡ての、全体の、sua:それら自身を、voluntaria:意志の、sit:ある、unaquavis:各々の、ejus:それの、彼の、affectione,:情愛、immo:というよりは、それどころか、in:~の中、~において、affectionis:諸々の情愛、ejus:それの、彼の、singularissimis:最も別々の、最も個別の、seu:即ち、或いは、minimus;:最小の、
[2] quod:こと、それ、そのこと、constare:知られること、明らかであること、mihi:私に、potuit:出来た、可能であった、manifeste:明瞭に、明らかに、a:~から、~により、pluribus:より多くの、多数の、experientiis,:観察、経験、ut:~のために、こと、~するように、memorem:述べる、話す、(接続法一人称単数現在)solum:だけ、一つの、id,:それを、quod:こと、それ、そのこと、spiritus:霊、in:~の中、~において、altera vita:他生、ex:~から、~により、modo:だけ、単に、unica:唯一のもの、idea:考え、原型、cogitationis:思考、ejus:それの、彼の、cognosci:知られること、認められること、possit:出来る、可能である、qualis:どのような、どんな種類の、est,:ある、immo:というよりは、それどころか、angeli:天使達、a:~から、~により、Domino:主から、habent,:持つ、ut:~のように、例えば、cum:その時、その場合、modo:だけ、単に、inspiciunt:眺める、見入る、in:~の中へ、~に、aliquem,:誰かを、norunt:知る、ilico:その場で、直ちに、qualis:どのような、どんな種類の、est,:ある、nec:否、fallit:誤り、間違い、quicquam;:何か、何でも、inde:それ故、そこから、constat:知られる、明らかである、quod:こと、それ、そのこと、unaquaevis:各々の、hominis:人間の、idea,:考え、原型、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、unaquaevis:各々の、affectio,:情愛、immo:というよりは、それどころか、unumquodvis:各々の、minimum:最小、ejus:それの、彼の、affectionis,:情愛、sit:ある、imago:像、似姿、ejus:それの、彼の、et:~と、および、effigies:似姿、像、ejus,:それの、彼の、hoc est,:即ち、quod:こと、それ、そのこと、eis:彼らに、それらに、insit:内在する、宿る、aliquid:何か、若干の、proxime:最も近く、最近、et:~と、および、remote:遠くに、ab:~から、~により、omni:凡ての、全体の、ejus:それの、彼の、intellectuali:理解の、et:~と、および、ab:~から、~により、omni:凡ての、全体の、ejus:それの、彼の、voluntario.:意志の、
Ita:このように、従って、nunc:今、現在、descriptae sunt:記述された、antediluvianorum:洪水前の、dirae:恐ろしい、恐るべき、persuasiones,:諸々の確信、諸々の信念、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、iis:彼らから、fuerint:あった、affectiones:諸々の情愛、falsi,:間違った原理(信念)の、tum:その上、さらに、affectiones:諸々の情愛、mali:悪の、seu:即ち、或いは、cupiditates,:諸々の欲望、ut et:そのようにまた、voluptates,:快楽、喜び、demum:最後に、ついに、corporea:地的な、形体的な、et:~と、および、terrestria;:現世の、地上の、omnia:凡ての、全体の、haec:これらは、insunt:内在する、宿る、talibus:このような、次のような、persuasionibus,:確信、信念、et:また、そして、non:否、solum:だけ、のみ、persuasionibus:確信、信念、in:~の中、~において、communi,:全般的な、sed:しかし、etiam:~もまた、さらに、persuasionum:確信、信念、singularissimis:最も別々の、最も個別の、seu:即ち、或いは、minimus,:最小の、in:~の中、~において、quibus:それらから、そのことらから、corporea:地的な、形体的な、et:~と、および、terrestria:現世の、地上の、dominantur::支配する、si:もし~なら、たとえ~でも、sciret:知った、homo:人間、quantum:どれほどの量、何と多くのもの、uni:1、ncipio:原理、要素、falsi:間違った原理(信念)の、ac:そして、なお加えて、uni:1、persuasioni:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、insit,:内在する、宿る、horresceret;:身震いする、恐れる、est:ある、quaedam:ある種の、一種の、imago:像、似姿、inferni::地獄の、sed:しかし、si:もし~なら、たとえ~でも、ex:~から、~により、innocentia:無垢、無邪気、aut:即ち、或いは、ex:~から、~により、ignorantia,:無知、未熟、falsa:間違った原理(信念)、ibi:そこに、その時、facile:容易に、たやすく、discutiuntur.:追い散らされる、追い払われる、
 

803.「鳥に関して、また獣に関して、また野獣に関して、また地の上に這っている凡ての這うものに関して」が、彼らの信念を意味すること、(また)彼らに「鳥」が、間違った信念への情愛(を意味し)、「獣」が、諸々の欲望(を意味し)、「野獣」が、快楽(を意味し)、「這っている這うもの」が、形体的なものと現世的なもの(を意味する)ことは、前に鳥と獣について示されたことから知られることが出来よう。諸々の鳥については40番と、この章の14,15節(に示された)。獣についてもまたそこで示され、更に45,46,142,143,246番(に示された)。
「鳥」は理解のもの、理性的なもの、および科学的なものを意味するので、歪められた理性的なもの、間違った信念のような反対のものもまた意味する。
洪水前の者達の諸々の信念(確信)が、ここ(の節)に十分記述されている。即ち、彼らの中の間違った原理への諸々の情愛、諸々の欲望、快楽、形体的なものと現世的なもの(が十分記述されている)。これらの凡てのものは諸々の信念(確信)に内在する(が)、人間は知らない。間違った信念の原理を信じている者、即ち間違った信念の確信が、単にある種の単一なものであることを(信じている者)、或いは(間違った信念の確信が)ある種の一つの全般的なもの(であることを信じている者は)、やはり多くの(点で)欺かれており、そのことを全く異なって知っている。人間の各々の情愛は、その存在と本質を彼の理解の(もの)と一緒に彼の意志の(もの)から得る。凡ての人間は、その凡ての理解の(もの)と、その凡ての意志の(もの)に関してこのように(得る)。というよりは、彼の諸々の情愛の中の最も個別のもの、即ち最小のものも(そのように得る)。
[2]このことは私に多くの観察から明瞭に知られることが出来た。その一つを述べよう。他生の霊は、単にただ一つのその思考の原型から、彼(その霊)がどのような者であるか知られることが出来るのである。それどころか、主により天使達は、誰かを見入るだけで彼がどのような者であるか直ちに知り、何も間違わない。それ故、人間の各々の考え、また各々の情愛、それどころか彼(人間)の情愛の各々の最小のものは、彼(人間)の像と似姿であることが知られよう。即ちそれらに彼(人間)の凡ての理解のものと彼(人間)の凡ての意志のものが近くても遠くても何でも内在する(ことが知られよう)。
今、このように洪水前の者達の恐るべき諸々の信念(である)、彼らの中の間違った原理への諸々の情愛、更に悪い諸々の情愛、即ち諸々の欲望、そのようにまた快楽、最後に形体的なものと現世的なものが記述された。このような信念にこれらの凡てのものが内在し、また全般的な信念だけでなく、最も個別の信念、即ち最小の(信念にも内在する)。それらの中で形体的なものと現世的なものが支配する。もし人間が、一つの間違った信念の原理、また一つの間違った原理の信念にどれほど多くのものが内在するか知ったなら身震いするであろう。それは或る種の地獄の像であるが、しかしもし、無垢、即ち未熟による間違った信念(である)なら、その時は容易に追い払われる。

7-709意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-709意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

709.今は仁愛について取扱われているので「エホバ」と言われている。前章の9節から終わりまではエホバは言われておらず、神と言われている。その理由は、そこではノアの準備、即ちノアと呼ばれる教会の人間の信仰の理解に関する準備について取り扱われているからである。これに対してここでは愛の意志に関する準備について取り扱われているからである。理解のものについて、即ち信仰の真理について取り扱われる時、「神」が言われ、意志のものについて、即ち愛の善について取り扱われる時、「エホバ」が言われる。というのは、理解のもの、即ち信仰のものは教会を構成しておらず、意志のものである愛のものが構成しているからである。エホバは愛と仁愛の中に居られるが、これに反し、信仰の中には、愛、即ち仁愛の信仰の中以外には居られない。それ故更に、聖言においても信仰は夜に例えられるが、しかし愛は昼に例えられる。例えば創世記第1章において、そこで大きな光源体について述べられた。「大きな光源体、即ち太陽」は愛を意味し昼を支配する。また「小さい光源体、即ち月」は信仰を意味し夜を支配する。創世記、1.14,16、同様に預言者達の許に、エレミヤ、31.35、38.20、詩篇、136.8,9、更に黙示録、8.12、

7-801~802原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-801~802原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

801. Ex descriptione antediluvianorum horum, constare potest qualis stilus antiquissimorum fuit, et inde qualis stilus propheticus: describuntur hic usque ad finem hujus capitis, in hoc versu quoad persuasiones, in vers. seq. 23 quoad cupiditates; hoc est, quoad statum eorum intellectualium, dein quoad statum illorum voluntariorum; et tametsi nulla apud eos intellectualia nec voluntaria, usque ita nominanda sunt quae contraria, sicut persuasiones falsi, quae nihil minus quam intellectus sunt, quia sunt cogitationis et ratiocinationis; pariter cupiditates, quae nihil minus quam voluntatis sunt; describuntur, inquam, primum quoad persuasiones falsi, dein quoad cupiditates, quae causa est repetitionum in hoc vers. 21 et in sequente 23, sed alio ordine. [2] Talis quoque est stilus propheticus; causa est quia binae vitae apud hominem sunt, una intellectualium, altera voluntariorum, quae distinctissimae inter se sunt; homo ex utraque consistit, et tametsi separatae sunt hodie apud hominem, usque tamen influit una in alteram, et se ut plurimum uniunt; quod se uniant, et quomodo se uniunt, a multis constare et illustrari posset: cum itaque homo ex binis his partibus, intellectu et voluntate, consistit, et unum influit alteram, cum describitur homo in Verbo, distincte describitur quoad unam partem, et quoad alteram, quae causa est repetitionum; aliter mancum foret. Similiter se habet cum omni re, res enim se habent prorsus sicut subjecta, nam sunt subjectorum, quia prodeunt a subjectis; res separatae a subjecto suo, seu a substantia sua, sunt nullae res; quae causa est quod similiter quoad utramque partem describantur res in Verbo; ita est descriptio cujuscumque rei plena.
 

801. Ex:~から、~により、descriptione:記述、叙述、antediluvianorum:洪水前の、horum,:これらの、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、qualis:どのような、どんな種類の、stilus:筆致、文体、antiquissimorum:最古代、fuit,:あった、et:また、そして、inde:それ故、そこから、qualis:どのような、どんな種類の、stilus:筆致、文体、propheticus::預言の、預言的な、describuntur:述べられる、記述される、hic:ここに、この場に、usque ad:~に至るまで、finem:終わり、終結、hujus:この、capitis,:章、in:~の中、~において、hoc:これから、versu:節、quoad:~に関して、~に関する限り、persuasiones,:諸々の確信、諸々の信念、in:~の中、~において、vers.:節、seq.:次の、後に続く、23 quoad:~に関して、~に関する限り、cupiditates;:諸々の欲望、hoc est,:即ち、quoad:~に関して、~に関する限り、statum:状態、性質、eorum:それらの、彼らの、intellectualium,:理解の、dein:その後、次いで、それで、以後、そこで、更に、続いて、それ以来、それから、quoad:~に関して、~に関する限り、statum:状態、性質、illorum:彼らの、voluntariorum;:意志の、et:また、そして、tametsi:例え~でも、それでも、nulla:何も~ない、決して~でない、apud:~のもとに、~において、eos:彼らを、intellectualia:理解の、nec:否、voluntaria,:意志の、usque:それでもなお、やはり、ita:このように、従って、nominanda:呼ばれるべき、(未来受動分詞)sunt:ある、quae:それらは、そのことらは、contraria,:反対の、相反する、sicut:~の如く、~のように、persuasiones:確信、信念、falsi,:間違った原理(信念)の、quae:それらは、そのことらは、nihil:無、何も~ない、minus quam:少なくはない、intellectus:理解、sunt,:ある、quia:なぜなら、ので、sunt:ある、cogitationis:思考の、et:~と、および、ratiocinationis;:推論、熟慮、pariter:同じく、等しく、cupiditates,:諸々の欲望、quae:それらは、そのことらは、nihil:無、何も~ない、minus quam:少なくはない、voluntatis:意志、sunt;:ある、describuntur,:記述される、述べられる、inquam,:言う、述べる、primum:最初に、先ず、quoad:~に関して、~に関する限り、persuasiones:諸々の確信、諸々の信念、falsi,:間違った原理(信念)の、dein:その後、次いで、quoad:~に関して、~に関する限り、cupiditates,:諸々の欲望、quae:それらは、そのことらは、causa:原因、理由、est:ある、repetitionum:要点の繰返し、反復、in:~の中、~において、hoc:これから、vers.:節、21 et:また、そして、in:~の中、~において、sequente:次の、後に続く、23, sed:しかし、alio:他のもの、異なった、ordine.:秩序、順序、
[2] Talis:このような、次のような、quoque:~もまた、同じく、est:ある、stilus:筆致、文体、propheticus;:預言の、預言的な、causa est quia:その理由は、binae:2、vitae:生命、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、sunt,:ある、una:1、intellectualium,:理解の、altera:他の方の、もう一つの、voluntariorum,:意志の、quae:それらは、そのことらは、distinctissimae:最も区別された、inter se:相互の間で、相互に、sunt;:ある、homo:人間、ex:~から、~により、utraque:両方とも、両方の、consistit,:構成される、成り立つ、et:また、そして、tametsi:例え~でも、それでも、separatae sunt:分離された、分けられた、hodie:今日、現在、apud:~のもとに、~において、hominem,:人間を、usque:それでもなお、やはり、tamen:しかし、それにもかかわらず、influit:流れ込む、流入する、una:1、in:~の中へ、~へ、alteram,:他の方の、もう一つの、et:また、そして、se:それら自身を、ut:~のように、~として、plurimum:非常に多くのもの、大半、uniunt;:結合する、quod:こと、それ、そのこと、se:それら自身を、uniant,:結合する、et:また、そして、quomodo:どのように、どうして、se:それら自身を、uniunt,:結合する、a:~から、~により、multis:多数の、多くの、constare:知られること、明らかであること、et:~と、および、illustrari:説明されること、posset::出来た、可能であった、cum:その時、その場合、itaque:そして従って、またそのように、またそれ故に、(=et ita) homo:人間、ex:~から、~により、binis:2、his:それらから、partibus,:産まれた、もたらされた、intellectu:理解、et:~と、および、voluntate,:意志、consistit,:構成される、成り立つ、et:また、そして、unum:1、influit:流れ込む、流入する、alteram,:他の方の、もう一つの、cum:その時、その場合、describitur:記述される、述べられる、homo:人間、in:~の中、~において、Verbo,:聖言、御言葉、distincte:明らかに、区別して、describitur:記述される、述べられる、quoad:~に関して、~に関する限り、unam:1、partem,:産まれた、もたらされた、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、alteram,:他の方の、もう一つの、quae:それは、そのことは、causa:原因、理由、est:ある、repetitionum;:要点の繰返し、反復、aliter:他の方法で、異なって、mancum:欠陥のある、無力な、foret.:あった、
Similiter:同様に、似ている、se:それ自身を、habet:持つ、cum:~と一緒に、~と、omni:凡ての、全体の、re,:事柄、対象、res:事柄、対象、enim:なぜならば、~というのは、se:それ自身を、habent:持つ、prorsus:全く、完全に、sicut:~の如く、~のように、subjecta,:主体、対象、nam:なぜなら、というのも、sunt:ある、subjectorum,:主体、対象、quia:なぜなら、ので、prodeunt:現れる、生じる、a:~から、~により、subjectis;:主体、対象、res:事柄、対象、separatae:分離された、a:~から、~により、subjecto:主体、対象、suo,:それ自身から、seu:即ち、或いは、a:~から、~により、substantia:実体、物体、本質、sua,:それ自身から、sunt:ある、nullae:何も~ない、決して~でない、res;:事柄、対象、quae:それらは、そのことらは、causa:原因、理由、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、similiter:同様に、似ている、quoad:~に関して、~に関する限り、utramque:両方とも、両方の、partem:産む、もたらす、describantur:記述される、述べられる、res:事柄、対象、in:~の中、~において、Verbo;:聖言、御言葉、ita:このように、従って、est:ある、descriptio:記述、叙述、cujuscumque:各々の、rei:事柄、対象、plena.:完全な、全くの、
 

801.これらの洪水前の者達の記述から、最古代人達の文体がどのようなものであったか知られることが出来よう。またそこから預言的な文体がどのようなものか(知られることが出来よう)。それらのものがここにこの章の終わりに至るまで記述されており、この節においては信念に関して、続く23節においては諸々の欲望に関して(記述されている)。即ち彼らの理解の(ものの)状態に関して、その後、彼らの意志の(ものの)状態に関して(記述されている)。またそれでも、彼らの許に理解の(ものは)何もなく、意志の(ものも何も)ないが、やはり間違った原理の確信の如く、そのように相反して呼ばれ(言われ)なければならないのである。それらのものは理解の(もので)なくはない。なぜなら、思考と推論の(もので)あるからである。同じく諸々の欲望も意志の(もので)なくはないのである。これらのことがこの21節において、また後に続く23(節)において、しかし異なった順序で、先ず、間違った原理の諸々の確信に関して、次いで諸々の欲望に関して記述され繰り返して言われる原因である。
[2]このような(文体も)また預言的な文体である。その理由は、人間の許に一つは理解の(生命)、もう一つは意志の(生命の)二つの生命があるからである。それらは相互に最も区別されたものである。人間は(それらの)両方のものから構成されており、また例え今日の人間の許に分離されたとしても、しかしそれでもなお、一つのものが他のものへ流入し、またそれら自身の大半のものが結合するように(なる)。それら自身を結合すること、またどのようにそれら自身を結合するかは、多くのものから知られること、また説明されることが出来よう。そしてそのように人間が、それら二つの理解と意志がもたらされたものから構成される時、また一つのものが他のものに流入する(時)、聖言において人間が述べられる時、一つのものがもたらされたものに関して、またもう一つのもの(がもたらされたもの)に関して区別して述べられる。これが(聖言の)繰り返しの理由である。他の方法で(述べられるなら)欠陥のあるものになるであろう。
この(繰り返し)は凡ての対象も一緒にこのことを持つ。というのは対象は主体の如くそのことを持つからである。なぜなら、それらは主体であるからである。なぜなら、それらは主体から生じるからである。対象がその主体から分離された(なら)、即ちその本質から(分離されたなら)、それらは決して対象ではない。同様に、このことが聖言において(理解と意志の)両方がもたらすものが記述されている原因である。従って、(聖言では)各々の事柄の完全な記述がある。
 

802. Quod de persuasionibus hic agatur, et in vers. 23 de cupiditatibus, cognoscitur inde quod in hoc versu primum nominetur avis, dein bestia; 'avis' enim significat illa quae sunt intellectualium aut rationalium, 'bestia' autem quae sunt voluntariorum: cum autem describuntur quae sunt cupiditatum, ut in vers. seq. 23, tunc primum nominatur bestia, et dein avis; et hoc ex causa, ut dictum, quia reciproce influit ita unum in alterum, et sic plena est eorum descriptio.
 

802. Quod:こと、それ、そのこと、de:~について、persuasionibus:諸々の確信、諸々の信念、hic:ここに、この場に、agatur,:述べられる、取り扱われる、et:また、そして、in:~の中、~において、vers.:節、23 de:~について、cupiditatibus,:諸々の欲望、cognoscitur:知られる、認められる、inde:それ故、そこから、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、hoc:これから、versu:節、primum:最初に、先ず、nominetur:述べられる、avis,:鳥、dein:その後、次いで、bestia;:動物、獣、'avis':鳥、enim:なぜならば、~というのは、significat:意味する、illa:それらは、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectualium:理解の、aut:即ち、或いは、rationalium, :理性的な、'bestia':動物、獣、autem:しかし、これに反し、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntariorum::意志の、cum:その時、その場合、autem:しかし、これに反し、describuntur:記述される、述べられる、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、cupiditatum,:欲望、ut:~のように、~として、in:~の中、~において、vers.:節、seq.:次の、後に続く、23, tunc:その時、やがて、primum:最初に、先ず、nominatur:述べられる、bestia,:動物、獣、et:また、そして、dein:その後、次いで、avis;:鳥、et:また、そして、hoc ex causa,:この理由から、ut:~のように、~として、dictum,:言われた、quia:なぜなら、ので、reciproce:相互に、influit:流れ込む、流入する、ita:このように、従って、unum:1、in:~の中へ、~へ、alterum,:他の方の、もう一つの、et:また、そして、sic:そのように、こうして、plena:完全な、全くの、est:ある、eorum:それらの、彼らの、descriptio.:記述、叙述、
 

803.この(節で)は諸々の信念(確信)について述べられており、また23節においては諸々の欲望について(述べられている)ことは、この節においては、先ず鳥が述べられ、次いで獣が(述べられていること)から知られよう。というのは、「鳥」は理解の(もの)、即ち理性的なものを意味するからであり、これに反し、「獣」は意志の(ものを意味するからで)ある。しかし、後に続く23節におけるように欲望が記述される場合は、その時、先ず獣が記述され、次いで鳥が(記述されている)。そして、言われたように一つのものはもう一つのものへ相互に流入するので、この理由でまた、それら(理解のものと意志のものの)記述が完全になるのである。

7-706~708意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-706~708意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

706.一節、「そして、エホバはノアに言われた。あなたとあなたの家の凡ての者は箱舟に入りなさい。それというのは、私はあなたをこの世代の中で私の目の前で正しい者と認めたからである。」
「エホバはノアに言われたこと」は、そのように為されたことを意味している。今は仁愛が取扱われているので「エホバ」と言われている。「あなたと(あなたの)家の凡ての者は箱舟に入りなさい」は、意志のものを意味し、それは「家」である。「箱舟に入ること」は、準備されることであり、「それというのは、私はあなたをこの世代の中で正しい者と認めたからである」は、善を持つことを意味し、それによって彼が再生されることが出来ることを意味する。
 

707.この章の5節までは、前の章において言われたことと殆んど同じであり、多少変えられただけのものである。また後に続く箇所においても似ている。聖言の内意を知らない者は、単に同様の事柄の要点の繰り返しであることを除いて、決して異なって考えることは出来ない。聖言において他の個所で同様に現れており、特に預言者達のもとに現れている。そこで同じ事柄が他の事柄で、また他の言葉で表現されている。そして更に時折、再び取り上げられ、またもう一度記述されている。しかし、このことは前に言われたように、人間の許に相互に最も区別された理解と意志の二つの能力があり、また聖言においてもそれらの両方について区別して述べられていることが理由である。このことが繰り返しの理由であり、ここの章でも同様である。このことは後に続く箇所から知られよう。
 

708.「エホバはノアに言われた」ことが、そのように為されたことを意味することは、エホバの許には神の存在(注:Esse これは動詞 sum ある、存在する、の不定法であって、あること、存在すること、の意であって、存在の本質の神の愛を意味する。神の愛と知恵14番参照)を除いて存在しないことから知られよう。「エホバが言うこと」はそれが為される、また為されたものである。なお加えて、前章13節、また他の箇所に同様にある。そこで「エホバが言うこと」は、為されること、また為されたものである。

7-799~800原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-799~800原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

799. Vers. 21, 22. Et exspiravit omnis caro repens super terra, quoad avem, et quoad bestiam, et quoad feram, et quoad omne reptile reptans super terra; et omnis homo. Omne cui flatus spiritus vitarum in naribus ejus, ab omni, quod in arida, mortua sunt. 'Exspiravit omnis caro repens super terra' significat quod exstincti qui ab ultima posteritate Ecclesiae Antiquissimae: 'quoad avem, et quoad bestiam, et quoad feram, et quoad omne reptile reptans super terra' significant persuasiones eorum, in quibus 'avis' affectiones falsi, 'bestia' cupiditates, 'fera' voluptates, 'reptile' corporea et terrestria; quae in uno complexu vocantur 'omnis homo': 'omne cui flatus spiritus vitarum in naribus ejus' significant illos qui ab Antiquissima Ecclesia fuerunt, quibus 'flatus spiritus vitarum in naribus,' hoc est, vita amoris et fidei inde, fuerat: 'ab omni, quod in arida' significant eos in quibus nihil talis vitae amplius: quod 'mortua sint' significat exspiravisse.
 

799. Vers.:節、21, 22. Et:また、そして、exspiravit:死んだ、omnis:凡ての、全体の、caro:肉、肉体、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra,:地、地上、quoad:~に関して、~に関する限り、avem,:鳥、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、bestiam,:動物、獣、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、feram,:野獣、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、omne:凡ての、全体の、reptile:這うもの、reptans:這っている、super:~の上で、~の上に、terra;:地、地上、et:また、そして、omnis:凡ての、全体の、homo.:人間は、
Omne:凡ての、全体の、cui:その者に、flatus:息、呼吸、spiritus:霊、息、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus:鼻、鼻孔、ejus,:それらの、彼らの、ab:~から、~により、omni,:凡ての、全体の、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、arida,:乾いた土地、mortua sunt.:死んだ、
'Exspiravit:死んだ、omnis:凡ての、全体の、caro:肉、肉体、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra':地、地上、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、exstincti:消された、絶滅された、qui:その者達、ab:~から、~について、ultima:最後、posteritate:子孫、Ecclesiae:教会、Antiquissimae::最古代、' quoad:~に関して、~に関する限り、avem,:鳥、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、bestiam,:動物、獣、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、feram,:野獣、et:また、そして、quoad:~に関して、~に関する限り、omne:凡ての、全体の、reptile:這うもの、reptans:這っている、super:~の上で、~の上に、terra':地、地上、significant:意味する、persuasiones:確信、信念、eorum,:それらの、彼らの、in:~の中、~において、quibus:それらから、そのことらから、'avis':鳥、affectiones:諸々の情愛、falsi,:間違った原理(信念)の、'bestia':動物、獣、cupiditates,:諸々の欲望、'fera':野獣、voluptates,:快楽、喜び、'reptile':這うもの、corporea:地的な、形体的な、et:~と、および、terrestria;:現世の、地上の、quae:それらは、そのことらは、in uno complexu:一つの全体として、一つの統一体として、vocantur:呼ばれる、'omnis:凡ての、全体の、homo'::人間、'omne:凡ての、全体の、cui flatus:息、呼吸、spiritus:霊、息、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus:鼻、鼻孔、ejus':それの、彼の、significant:意味する、illos:彼らを、qui:その者達、ab:~から、~により、Antiquissima:最古代、Ecclesia:教会、fuerunt,:あった、quibus:その者達に、'flatus:息、呼吸、spiritus:霊、息、vitarum:生命の、in:~の中、~において、naribus,':鼻、鼻孔、hoc est,:即ち、vita:生命、amoris:愛の、et:~と、および、fidei:信仰、inde,:それ故、そこから、fuerat::あった、'ab:~から、~により、omni,:凡ての、全体の、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、arida':乾いた土地、significant:意味する、eos:彼らを、in:~の中、~において、quibus:その者達、nihil:無、何も~ない、talis:このような、次のような、vitae:生命、amplius::今後、これからは、この後、以後、これ以上、もはや、quod:こと、それ、そのこと、'mortua sint':死んだ、significat:意味する、exspiravisse.:死んだこと、消滅したこと、
 

799.二十一、二十二節、「そして、地の上で這っている凡ての肉が、鳥に関して、また獣に関して、また野獣に関して、また地の上に這っている凡ての這うものに関して、また凡ての人間(に関して)死んだ。
乾いた土地でその鼻に生命の息の呼吸が(あった)凡てのものは死んだ。」
「地の上で這っている凡ての肉が死んだ」は、最古代教会の最後の子孫について、その者達が絶滅されたことを意味し、「鳥に関して、また獣に関して、また野獣に関して、また地の上に這っている凡ての這うものに関して」は、彼らの信念を意味し、それらの中の「鳥」は、間違った信念への諸々の情愛(を意味し)、「獣」は、諸々の欲望(を意味し)、「野獣」は、快楽(を意味し)、「這うもの」は、形体的なものと現世のもの(を意味する)。これらのものは一つの全体として「凡ての人間」と呼ばれ、「その鼻に生命の息の呼吸が(あった)凡てのもの」は、最古代教会から居た者達を意味し、その者達の「鼻に生命の息の呼吸が(あった)」。即ち愛とそこからの信仰があった。「乾いた土地(に居た)凡てのものにより」、その者達の中にもはや生命が何もないような者達を意味し、「彼らが死んだ」ことは、消滅したことを意味する。
 

800. Quod 'exspiravit omnis caro repens super terra' significet quod exstincti qui ab ultima posteritate Antiquissimae Ecclesiae, constat a sequentibus, ubi describuntur quoad persuasiones et quoad cupiditates: hic primum vocantur 'caro repens super terra,' ex causa quia prorsus sensuales et corporei facti sunt; sensualia et corporea ab antiquissimis assimilata sunt 'reptilibus,' ut prius dictum; quare cum dicitur 'caro repens super terra,' significatur talis homo qui mere sensualis et corporeus factus: quod 'caro' significet omnem hominem in genere, et corporeum in specie, prius dictum et ostensum est.
 

800. Quod:こと、それ、そのこと、'exspiravit:死んだ、omnis:凡ての、全体の、caro:肉、肉体、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra':地、地上、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、exstincti:消された、絶滅された、qui:その者達、ab:~から、~について、ultima:最後、posteritate:子孫、Antiquissimae:最古代、Ecclesiae,:教会、constat:知られる、明らかである、a:~から、~により、sequentibus,:次の、後に続く、ubi:そこで、その場所、describuntur:述べられる、記述される、quoad:~に関して、~に関する限り、persuasiones:諸々の確信、諸々の信念、et:~と、および、quoad:~に関して、~に関する限り、cupiditates::諸々の欲望、hic:ここに、この場に、primum:先ず、初めて、vocantur:呼ばれる、'caro:肉、肉体、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra,':地、地上、ex causa quia:その理由から、prorsus:全く、完全に、sensuales:感覚的な、感覚の、et:~と、および、corporei:地的な、形体的な、facti sunt;:為された、sensualia:感覚的な、感覚の、et:~と、および、corporea:地的な、形体的な、ab:~から、~により、antiquissimis:最古代、assimilata sunt:例えられた、'reptilibus,':諸々の這うもの、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum;:言われた、quare:それ故に、cum:その時、その場合、dicitur:言われる、'caro:肉、肉体、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra,':地、地上、significatur:意味される、talis:このような、次のような、homo:人間、qui:その者、mere:全く、~に過ぎない、sensualis:感覚的な、感覚の、et:~と、および、corporeus:地的な、形体的な、factus::為された、quod:こと、それ、そのこと、'caro':肉、肉体、significet:意味する、omnem:凡ての、全体の、hominem in genere,:一般的に、et:また、そして、corporeum:地的な、形体的な、in specie,:特に、詳細に、prius:以前に、前に、dictum:言われた、et:また、そして、ostensum est.:示された、
 

800.「地の上で這っている凡ての肉が死んだ」が、最古代教会の最後の子孫について、その者達が絶滅されたことを意味することは、後に続く(箇所)から知られよう。そこで諸々の信念と諸々の欲望に関して述べられる。ここ(の節)で、先ず「地の上で這っている肉」が呼ばれて(言われて)いる理由は、彼らが全く感覚的な者達と形体的な者達に為されたからである。前に言われたように、最古代人達により感覚的なものと形体的なものは「這うもの」に例えられた。それ故に「地の上で這っている肉」が言われる時、全く感覚的な者と形体的な者に為されたような人間が意味される。前に言われ、また示されたように一般的に「肉」は、凡ての人間を意味し、特に形体的な(人間を)意味する。

7-705意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-705意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

内意
705.ここでは、特に「洪水」について述べられている。洪水によって「ノア」と呼ばれた教会の人間が再生されることが出来る前に受けることを強いられた、それらの試練だけではなく、更に、洪水によって再生されることが出来なかった者達の荒廃が意味される。試練と同様に荒廃も聖言において洪水、即ち水の氾濫に例えられ、またそのように呼ばれている。試練としてイザヤ書において、
「私は憤りの氾濫の中で私の顔をあなたから少しの間隠した。しかし、永遠の憐れみの中であなたを憐れむであろう。あなたの贖い主エホバは言われた。確かに、これは私にノアの水である。今後、私は地の上にノアの水を越えさせないであろうと誓った。それ故、私はあなたに怒らず、またあなたを叱責しないと誓った。...悲惨な女よ、また嵐で翻弄された女よ、慰めとなるものを見つけなかった女よ、」54.7-9,11、ここは教会が再生することについて、また「ノアの水」と呼ばれる試練について記述されている。
[2]ルカ伝において主御自身もまた試練を氾濫と呼ばれている。
「イエスは言われた。私に来て、また私の言葉を聞いて、そしてそれらを行なう者は、...土を掘り、また深みに至るまで掘り貫き、岩の上に土台を据えて家を建てた人間に似ている。そしてそのために、氾濫が起されその家に流れが打ち当たっても岩の上に建てられているので、それを動かすことが出来なかった。」6.47,48、ここの「氾濫」によって試練が意味されることは誰でも知られることが出来よう。荒廃としてはイザヤ書において、
「主は激しい、また多量の川の水が彼らを越えて達することを為す。またそれがアシュルの王とその凡ての栄光とその凡ての派生物を越えて達し、またその凡ての岸を越えてそこまで達する。そしてユダを経てそこまで達し、それが氾濫し、また越えて行き首に至るまで届くであろう。」8.7,8、ここで「アシュルの王」は幻想、間違った信念の原理、およびそこからの間違った推理として記述されている。それらは人間を荒らし、また洪水前の者達を荒らした。
[3]エレミヤ書において、
「エホバはこのように言われた。見よ、北から水が登って来ている。そしてそれらは氾濫している川になるであろう。そして地とそこに満ちている大きな街と、その中に住んでいる者達に氾濫するであろう。」47.2,3、ここではペリシテ人について記述されている。その者達によって間違った信念の原理を受け入れる者達と、そこから霊的なことについて推論する者達が表象されている。それらは、丁度、洪水前の者達のように人間に氾濫した。
聖言においては試練も荒廃も洪水、即ち水の氾濫に例えられており、またそのように呼ばれた。その理由はそれらが同様にそれらを持つからである。それらは悪の霊達であり、その者達は彼ら自身の信念とその者達の中にある間違った信念の原理と一緒に流入し、また人間の許の同様な者達を扇動する。しかしそれらは再生される人間の許では試練であり、再生されない人間の許で荒廃である。

7-796~798原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-796~798原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

796. Quia Antiquissima Ecclesia cultum sanctum habuerunt super montibus, ideo quoque Antiquae Ecclesiae, et inde omnibus illius temporis Ecclesiis repraesentativis, immo etiam inde gentibus, ritus sacrificandi super montibus, et exstruendi excelsa. De Abramo constat Gen. xii 8; xxii 2; de Judaeis antequam aedificatum Templum, Deut. xxvii 4-7; Jos. viii 30; 1 Sam. ix 12-14, 19; x 5; 1 Reg. iii 2-4; de gentibus, Deut. xii 2; 2 Reg. xvii 9-11; de Judaeis idololatris, Esai. lvii 7; 1 Reg. xi 7; xiv 23; xxii 44 [A.V. 43]; 2 Reg. xii 4 [A.V. 3;] xiv 4; xv 3, 4, 34, 35; xvi 4; xvii 9-11; xxi (x)5; xxiii 5, 8, 9, 13, 15.
 

796. Quia:なぜなら、ので、Antiquissima:最古代、Ecclesia:教会、cultum:礼拝、崇拝、sanctum:神聖な、聖なる、habuerunt:持った、保った、super:~の上で、~の上に、montibus,:山々、ideo:それ故に、そのために、quoque:~もまた、同じく、Antiquae:古代、Ecclesiae,:教会、et:また、そして、inde:それ故、そこから、omnibus:凡ての、全体の、illius:それの、temporis:時期、時代、Ecclesiis:教会、repraesentativis,:表象の、象徴する、immo:というよりは、それどころか、etiam:~もまた、さらに、inde:それ故、そこから、gentibus,:人々、民、ritus:儀式、慣例、ならわし、sacrificandi:生け贄を捧げることの、super:~の上で、~の上に、montibus,:山々、et:また、そして、exstruendi:建てることの、造ることの、excelsa.:高所、高い、
De:~について、Abramo:アブラム、constat:知られる、明らかである、Gen.:創世記、xii 8; xxii 2; de:~について、Judaeis:ユダヤ、antequam:~より前に、~より先に、aedificatum:建てられた、造られた、Templum,:神殿、Deut.:申命記、xxvii 4-7; Jos.:ヨシュア、viii 30; 1 Sam.:サムエルⅠ、ix 12-14, 19; x 5; 1 Reg.:列王記Ⅰ、iii 2-4; de:~について、gentibus,:人々、民、Deut.:申命記、xii 2; 2 Reg.:列王記Ⅱ、xvii 9-11; de:~について、Judaeis:ユダヤ、idololatris,:偶像崇拝、Esai.:イザヤ、lvii 7; 1 Reg.:列王記Ⅰ、xi 7; xiv 23; xxii 44 [A.V. 43]; 2 Reg.:列王記Ⅱ、xii 4 [A.V. 3;] xiv 4; xv 3, 4, 34, 35; xvi 4; xvii 9-11; xxi (x)5; xxiii 5, 8, 9, 13, 15.
 

796.最古代教会は神聖な礼拝を山々の上で保ったので、それ故に古代教会もまた(同様に保った)。それ故また、その時代の凡ての表象の教会も(同様に保った)。それどころか、そこから人々に山々の上で生け贄を捧げることの儀式(が保たれ)、また高きものを造ることの慣わし(が保たれた)。
(このことは)アブラムについて(の記述から)知られよう。創世記、12.8、22.2、(また)神殿が建てられる前のユダヤ人達について(の記述から)知られよう。申命記、27.4-7、ヨシュア、8.30、サムエルⅠ、9.12-14,19、10.5、列王記Ⅰ、3.2-4、(また)人々について(の記述から)知られよう。申命記、12.2、列王記Ⅱ、17.9-11、(また)ユダヤ人達の偶像崇拝について(の記述から)知られよう。イザヤ、57.7、列王記Ⅰ、11.7、14.23、22.43、列王記Ⅱ、12.3、14.4、15.3,4,34,35、16.4、17.9-11、21.5、23.5,8,9,13,15、
 

797. Ex omnibus his nunc constat quid per 'aquas quibus operti sunt montes' significetur, nempe quod persuasiones falsi exstinxerint omne bonum charitatis.
 

797. Ex:~から、~により、omnibus:凡ての、全体の、his:これらから、nunc:今や、このような事情の下に、constat:知られる、明らかである、quid:何か?、どんな?、per:~を通して、~によって、'aquas:諸々の水、quibus:それらに、そのことらに、operti sunt:隠された、おおわれた、montes':山々、significetur,:意味される、nempe:正確には、即ち、quod:こと、それ、そのこと、persuasiones:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、exstinxerint:消した、絶滅した、omne:凡ての、全体の、bonum:善、charitatis.:仁愛、愛情、
 

797.これらの凡てのものから、今や「山々が覆われた諸々の水」によって何が意味されるか知られよう。即ち凡ての仁愛の善を消した間違った原理の確信(が意味される)。
 

798. Quod 'quindecim cubitis de sursum superarunt aquae, et operuerunt montes,' significent quod nihil residui esset de cogitate; et quod 'quindecim' significent ita paucum ut vix quicquam, constare potest ex significatione numeri 'quinque,' de qua cap. praec. vi vers. 15; ubi ostensum quod 'quinque' in stilo Verbi, seu in sensu interno, significent paucum: et quia numerus quindecim compositus est ex quinque, quae significant paucum, et ex decem, quae significant 'reliquias,' ut ostensum cap. praec. vi vers 3, spectat hic numerus reliquias, quae apud eos vix erant aliquid: nam persuasiones falsi tantae erant ut exstinxerint omne bonum. Cum reliquiis apud hominem se res habet, ut prius dictum, quod principia falsi, et adhuc magis persuasiones falsi, quales fuerunt apud hos antediluvianos, incluserint et secluserint ita prorsus reliquias ut non produci possent, et si productae fuissent, quod ilico falsificatae fuissent; vita enim persuasionum talis est ut non solum rejiciat omne verum et insorbeat omne falsum, sed etiam verum quod alluit, pervertat.
 

798. Quod:こと、それ、そのこと、'quindecim:15、cubitis:キュービット、(約45cm)de:~について、sursum:上の方から、高所から、superarunt:凌駕した、越えた、aquae,:諸々の水、et:また、そして、operuerunt:覆った、montes,':山々、significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、nihil:無、何も~ない、residui esset:残された、de:~について、cogitate;:(charitate;:仁愛、愛情、)et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、'quindecim':15、significent:意味する、ita:ita~ut~、以下のように、そのように、paucum:少数の、僅かの、ut vix:辛うじて、殆ど~ない、quicquam,:何か、何でも、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、significatione:意味、numeri:数、'quinque,':5、de:~について、qua:それから、そのことから、cap.:章、praec.:先行している、vi vers.:節、15; ubi:そこで、その場所、ostensum:示された、quod:こと、それ、そのこと、'quinque':5、in:~の中、~において、stilo:筆致、文体、Verbi,:聖言、御言葉、seu:即ち、或いは、in:~の中、~において、sensu interno,:内意、significent:意味する、paucum::少数の、僅かの、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、numerus:数、quindecim:15、compositus est:まとめられた、組み立てられた、ex:~から、~により、quinque,:5、quae:それらは、そのことらは、significant:意味する、paucum,:少数の、僅かの、et:また、そして、ex:~から、~により、decem,:10、quae:それらは、そのことらは、significant:意味する、'reliquias,':残りのもの、ut:~のように、~として、ostensum:示された、cap.:章、praec.:先行している、vi vers:節、3, spectat:見る、関係する、hic:これは、numerus:数、reliquias,:残りのもの、quae:それらは、そのことらは、apud:~のもとに、~において、eos:彼らを、vix:辛うじて、殆ど~ない、erant:あった、aliquid::何か、若干の、nam:なぜなら、というのも、persuasiones:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、tantae:tantus ut、ほど、erant:あった、ut exstinxerint:消した、絶滅した、omne:凡ての、全体の、bonum.:善、
Cum:その時、その場合、reliquiis:残りのもの、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、se:それ自身を、res:事情、状況、habet,:持つ、有する、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum,:言われた、quod:こと、それ、そのこと、principia:原理、要素、falsi,:間違った原理(信念)の、et:また、そして、adhuc:更に、なお更、magis:もっと、一層、persuasiones:確信、信念、falsi,:間違った原理(信念)の、quales:ある種の、~のような、fuerunt:あった、apud:~のもとに、~において、hos:この者達、antediluvianos,:洪水前、incluserint:閉じ込めた、et:また、そして、secluserint:切り離した、ita:talis~ut~、~のような~、prorsus:全く、完全に、reliquias:残りのもの、ut non:否、produci:引き出されること、possent,:出来た、可能であった、et:また、そして、si:もし~なら、たとえ~でも、productae:引き出された、fuissent,:あった、quod:こと、それ、そのこと、ilico:その場で、直ちに、falsificatae:曲解された、虚偽化された、fuissent;:あった、vita:生命、enim:なぜならば、~というのは、persuasionum:確信、信念、talis:talis~ut~、~のような~、est:ある、ut non:否、solum:だけ、のみ、rejiciat:はねつける、omne:凡ての、全体の、verum:真理を、et:また、そして、insorbeat:吸収する、受け入れる、吸い込む、omne:凡ての、全体の、falsum,:間違った原理(信念)の、sed:しかし、そればかりか、etiam:~もまた、さらに、verum:真理を、quod:こと、それ、そのこと、alluit,:着く、到着する、pervertat.:ひっくり返す、曲解する、悪用する、
 

798.「諸々の水は高所から15キュービット越え、そして山々を覆った」が、仁愛について残された(ものが)何もないことを意味し、「15」は、殆んど何もないような僅かなものを意味することは、「5」の数の意味から知られることが出来よう。このことについて前の(第)6章15節で、聖言の文体において、即ち内意において「5」が僅かなものを意味することが示された。また15の数が僅かなものを意味する5から、また「残りのもの」を意味する10から組み立てられたので、前の(第6)章3節に示されたように、この数は残りのものに関係し、それ(残りのもの)が彼らの許に殆んど何もなかった(ことを意味する)。なぜなら、凡ての善を消すほど間違った原理の確信があったからである。
前に言われたように、人間の許の残りのものがこの状況を有する時、この洪水前の者達の許にあったような間違った信念の原理、また更に一層、間違った原理の確信が残りのものを引き出されることが出来ないように閉じ込め、また引き離す。例えそれら(残りのもの)が引き出されたとしても、直ちに曲解された(曲解する)。というのは、確信の生命は凡ての真理をはねつけるだけでなく、凡ての間違った信念を吸い込むようなものであるからであり、そればかりか更に、着く(近付く)真理をひっくり返す(ようなものであるからである)。

7-701~704意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-701~704意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

第七章
1.そして、エホバはノアに言われた。あなたとあなたの家の凡ての者は箱舟に入りなさい。それというのは、私はあなたをこの世代の中で私の目の前で正しい者と認めたからである。
2.凡ての清い獣について、男(夫)とその妻を七つずつ七つずつ、また清くない獣を男(夫)とその妻を二つずつ、あなたに迎え入れなさい。
3.更に、諸天の鳥に関して、雄と雌を七つずつ七つずつ全地のおもての上に種を生かすためにあなたに迎え入れなさい。
4. なぜなら、これから七日後に、私は地の上に四十日、四十夜雨が降ることを為し、大地のおもての上から私が造った凡てのものを滅ぼさなければならないからである。
5.そして、ノアは、エホバが彼に命じられた凡てのことに従って行なった。
6.そしてノアは600歳の息子であった。その時、地の上に水の洪水が起された。
7.ノアとその息子達、また彼の妻と彼の息子達の妻達は、洪水の水の目前で彼と一緒に箱舟に入った。
8.清い獣に関して、また清くない獣に関して、また鳥に関して、また地面の上に這う凡てのものに関して、
9.それらは二つずつ二つずつ雄と雌が、神がノアに命じたようにノアと一緒に箱舟に入った。
10.そして、七日まで数えたその時、洪水の水が地の上にあった。
11.ノアの生涯の600番目の年の2番目の月の17番目の日において、この日、大いなる深淵の凡ての水源が張り裂けた。そして天の水門が開かれた。
12.そして、地の上に40日と40夜豪雨があった。
13.丁度、この日にノアとノアの息子達のセム、ハム、およびヤペテとノアの妻、また彼の三人の息子達の妻達は彼らと一緒に箱舟に入った。
14.彼らと、凡ての野獣がその種類に従って、また凡ての獣がその種類に従って、また地の上に這っている凡ての這うものがその種類に従って、また凡ての鳥、鳥類、翼のあるものがその種類に従って、
15.また、その中に生命の息のある凡ての肉に関して、二つずつ二つずつノアと一緒に箱舟に入った。
16.また、箱舟に入っている者達は、神が彼に命じたように、凡ての肉に関して雄と雌が入った。そしてエホバは彼の後ろで戸を閉ざされた。
17.そして、地の上に40日洪水があって、同時に水が増し、また箱舟を持ち上げ、同時に、地の上から上げられた。
18.また、水は地の上で強くされ、そして著しく増加した。また箱舟は水面の上で漂った。
19.水は地の上に大いに著しく強くされ、また凡ての天の下にあった高い凡ての山々が覆われた。
20.水は高所から15キュービット越え、そして山々を覆った。
21.そして、地の上で這っている凡ての肉が、鳥に関して、また獣に関して、また野獣に関して、また地の上に這っている凡ての這うものに関して、また凡ての人間に関して死んだ。
22.乾いた土地でその鼻に生命の息の呼吸があった凡てのものは死んだ。
23.そして、エホバは大地のおもての上の凡てのものを滅ぼされた。人間から獣に至るまで、這うものに至るまで、また諸天の鳥に至るまで滅ぼされた。そして彼らは地上から滅ぼされたが、しかるに、ただノアと一緒に箱舟の中に居たものだけが残された。
24.また、水は地の上で150日強くされた。

内容(内意の概要)

701.ここでは新しい教会の準備について一般的に述べられている。丁度、前にその理解のものに関して述べられたように、ここではその意志のものに関して述べられている。1節から5(節)まで、
 
 
702.次いで、その試練について述べられている。それらはその理解のものに関して、6節から10節まで、また意志のものに関して11,12節に記述されている。
 
 
703.その後、その教会の保護について、また保持について記述されている。13節から15節まで、しかしその状態がどのようなものであったか、それが動揺していることが記述されている。16-18節、
 
 
704.最後に、最古代教会の最後の子孫について、それがどのようなものであったかが述べられている。それは間違った原理の信念と自己愛の欲望により支配され、その上、滅びたことが記述されている。19節から24節まで、

7-795原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-795原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

795. Quod 'operti sunt omnes montes alti, qui sub toto caelo' significent quod omnia bona charitatis exstincta sint, constat a significatione 'montium' apud Antiquissimos. 'Montes' apud eos significabant Dominum, quia cultum Ipsius super montibus habuerunt, ex causa quia montes erant editissima terrae; inde 'montes' significabant caelestia, quae etiam 'altissima' appellabant, proinde amorem et charitatem, ita bona amoris et charitatis, quae caelestia sunt. In contrario sensu etiam 'montes' vocantur in Verbo qui elati animo sunt, ita ipse amor sui. Antiquissima Ecclesia etiam significatur in Verbo per 'montes,' ex eo quod montes elevati sunt super terra, et propiores quasi caelo, rerum principiis. [2] Quod 'montes' significent Dominum, et omnia caelestia inde, seu bona amoris et charitatis, constat a sequentibus in Verbo locis, ex quibus patet quid in specie significant, nam se habent omnia et singula ad rem de qua, applicate: apud Davidem,
Ferent montes pacem, et colles in justitia, Ps. lxxii 3;
'montes' pro amore in Dominum, 'colles' pro amore erga proximum, quali apud Antiquissimam Ecclesiam, quae quoque per montes et colles ideo, quia talis, in Verbo significatur: apud Ezechielem,
In monte sanctitatis Meae, in monte altitudinis Israelis, dictum Domini Jehovih, ubi servient Mihi omnis domus Israelis tota illa in terra, xx 40;
ubi 'mons sanctitatis' pro amore in Dominum, 'mons altitudinis Israelis' pro charitate erga proximum: apud Esaiam,
Erit in posteritate dierum, stabilis erit mons domus Jehovae in caput montium, et elatus prae collibus, ii 2;
pro Domino, inde pro omni caelesti: [3] apud eundem,
Faciet Jehovah Zebaoth omnibus populis in monte hoc convivium pinguedinum;... et absorbebit in monte hoc facies obvolutionis, xxv 6, 7;
'mons' pro Domino, inde pro omni caelesti: apud eundem,
Erit, super omni monte alto, et super omni colle elato, rivi, ductus aquarum, xxx 25;
'montes' pro bonis amoris, 'colles' pro bonis charitatis, ex quibus vera fidei, quae sunt 'rivi et ductus aquarum': apud eundem,
Cantus erit vobis, sicut nocte sanctificari festum, et gaudium cordis sicut euntis cum tibia, ad veniendum in montem Jehovae, ad petram Israelis, xxx 29;
'mons Jehovae' pro Domino praedicate ad bona amoris; 'petra Israelis' pro Domino praedicate ad bona charitatis: apud eundem,
Descendet Jehovah Zebaoth ad militandum super monte Zionis, et super colle illius, xxxi 4;
'mons Zionis' hic et multoties alibi pro Domino, et inde pro omni caelesti quod est amor, et (x)'collis' pro caelesti inferiore quod est charitas: apud eundem,
[4] Super montem altum ascende tibi evangelizatrix Zion; extolle in robore vocem tuam evangelizatrix Hierosolyma, xl 9;
'ascendere in montem altum et evangelizare' est colere Dominum ex
amore et charitate, quae sunt intima, quare etiam vocantur altissima; quod intimum, hoc altissimum appellatur: apud eundem,
Cantent habitatores rupis, e capite montium clament, xiii 11;
'habitatores rupis' pro iis qui in charitate; 'e capite montium clamare' pro colere Dominum ex amore: apud eundem,
Quam jucundi sunt super montibus pedes evangelizantis,
audire facientis pacem, evangelizantis bonum, audire facientis salutem, lii 7;
'evangelizare super montibus' similiter pro praedicare Dominum ex
doctrina amoris et charitatis, et ex illis colere: apud eundem,
Montes et colles personabunt coram vobis cantu, et omnes arbores agri complaudent vola, lv 12;
pro colere Dominum ex amore et charitate, quae sunt 'montes et colles,' et ex fide inde, quae sunt 'arbores agri': apud eundem,
Ponam omnes montes Meos in viam, et semitae Meae exaltabuntur, xlix 11;
'montes' pro amore et charitate, 'via et semitae' pro veris fidei inde, quae 'exaltari' dicuntur, cum ex amore et charitate sunt, quae intima: apud eundem,
Confidens in Me possidebit in hereditatem terram, et hereditabit montem sanctitatis Meae, lvii 13;
pro regno Domini, ubi nihil nisi amor et charitas: apud eundem,
Producam ex Jacobo semen, et ex Jehuda heredem montium
Meorum, et possidebunt illam electi Mei, lxv 9;
'montes' pro regno Domini, et bonis caelestibus, 'Jehuda' pro Ecclesia caelesti: apud eundem,
Sic dixit Altus et Excelsus habitans in aeternum, et Sanctus Nomen Ipsius; Altus et Sanctus habito, lvii 15;
ibi 'altum' pro sancto, inde 'montes' ex altitudine super terram significabant Dominum, et Ipsius sancta caelestia; quapropter etiam Dominus ex Monte Sinai promulgavit Legem. A Domino etiam intelligitur amor et charitas per 'montes,' ubi loquitur de consummatione saeculi,
Quod qui in Judaea tunc fugerent in montes, Matth. xxiv 16; Luc xxi 21; Marc xiii 14;
ubi 'Judaea' pro Ecclesia vastata.
 

795. Quod:こと、それ、そのこと、'operti sunt:隠された、おおわれた、omnes:凡ての、全体の、montes:山々、alti,:高い、高くそびえる、qui:それは、そのことは、sub:~の下に、~より下に、toto:全体の、凡ての、caelo':天から、significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、omnia:凡ての、全体の、bona:諸々の善、charitatis:仁愛、愛情、exstincta sint,:消された、滅ぼされた、constat:知られる、明らかである、a:~から、~により、significatione:意味、'montium':山々、apud:~のもとに、~において、Antiquissimos.:最古代、
'Montes':山々、apud:~のもとに、~において、eos:彼らを、significabant:意味した、Dominum,:主を、quia:なぜなら、ので、cultum:礼拝、崇拝、Ipsius:御自身、super:~の上で、~の上に、montibus:山々、habuerunt,:持った、ex causa quia:その理由から、montes:山々、erant:あった、editissima:最も高い、terrae;:地、地上、inde:それ故、そこから、'montes':山々、significabant:意味した、caelestia,:天的な、quae:それらは、そのことらは、etiam:~もまた、さらに、'altissima':最も高い、appellabant,:呼んだ、proinde:それ故に、従って、amorem:愛を、et:~と、および、charitatem,:仁愛、愛情、ita:このように、従って、bona:諸々の善、amoris:愛の、et:~と、および、charitatis,:仁愛、愛情、quae:それらは、そのことらは、caelestia:天的な、sunt.:ある、
In:~の中、~において、contrario:反対、相反、sensu:意味、etiam:~もまた、さらに、'montes':山々、vocantur:呼ばれる、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、qui:それは、そのことは、elati:高められた、高慢な、animo:心、精神、sunt,:ある、ita:このように、従って、ipse:そのもの、それ自身、amor sui.:自己愛、
Antiquissima:最古代、Ecclesia:教会、etiam:~もまた、さらに、significatur:意味される、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、per:~を通して、~によって、'montes,':山々、ex:~から、~により、eo:それから、quod:こと、それ、そのこと、montes:山々、elevati sunt:上げられた、super:~の上で、~の上に、terra,:地、地上、et:また、そして、propiores:より近い、より親密な、quasi:まるで~かのように、~との理由で、caelo,:天に、rerum:事柄、物事、principiis.:原理、要素、
[2] Quod:こと、それ、そのこと、'montes':山々、significent:意味する、Dominum,:主を、et:また、そして、omnia:凡ての、全体の、caelestia:天的な、inde,:それ故、そこから、seu:即ち、或いは、bona:諸々の善、amoris:愛の、et:~と、および、charitatis,:仁愛、愛情、constat:知られる、明らかである、a:~から、~により、sequentibus:次の、後に続く、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、locis,:くだり、箇所、ex:~から、~により、quibus:それらから、そのことらから、patet:明らかである、(三人称単数未来)quid:何か?、どんな?、in specie:特に、詳細に、significant,:意味する、nam:なぜなら、というのも、se:それ自身を、habent:持つ、omnia:凡ての、全体の、et:また、そして、singula:別々の、個別の、ad:~に、~へ、rem:内容、実際、de:~について、~をもって、qua,:それから、そのことから、applicate::特に言及して、特に当てはめて、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Ferent:導く、もたらす、(三人称複数未来)montes:山々、pacem,:平和、平安、et:また、そして、colles:丘々、in:~の中、~において、justitia,:公正、正義、Ps.:詩篇、lxxii 3; 'montes':山々、pro:~として、~のために、amore:愛から、in:~の中へ、~へ、Dominum,:主へ、'colles':丘々、pro:~として、~のために、amore erga proximum,:隣人への愛、quali:ある種の、~のような、apud:~のもとに、~において、Antiquissimam:最古代、Ecclesiam,:教会、quae:それは、そのことは、quoque:~もまた、同じく、per:~を通して、~によって、montes:山々、et:~と、および、colles:丘々、ideo,:それ故に、そのために、quia:なぜなら、ので、talis,:このような、次のような、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、significatur::意味される、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
In:~の中、~において、monte:山、sanctitatis:神聖、敬虔、Meae,:私の、in:~の中、~において、monte:山、altitudinis:高さ、高所、Israelis,:イスラエル、dictum:言われた、Domini:主の、Jehovih,:エホビ、ubi:そこで、その場所、servient:仕える、服従する、(三人称複数未来)Mihi:私に、omnis:凡ての、全体の、domus:家、家屋、Israelis:イスラエル、tota:全体の、凡ての、illa:それらが、in:~の中、~において、terra,:地、地上、xx 40; ubi:そこで、その場所、'mons:山、sanctitatis':神聖、敬虔、pro:~として、~のために、amore:愛から、in:~の中へ、~へ、Dominum,:主へ、'mons:山、altitudinis:高さ、高所、Israelis':イスラエル、pro:~として、~のために、charitate:仁愛、愛情、erga:~に向かって、~に対して、proximum::隣人、仲間、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Erit:ある、(三人称単数未来)in:~の中、~において、posteritate:子孫、後の世代、dierum,:日々の、stabilis:安定した、固定した、確固たる、不動の、erit:ある、(三人称単数未来)mons:山、domus:家、家屋、Jehovae:エホバ、in:~の中、~において、caput:頂点、てっぺん、montium,:山々、et:また、そして、elatus:持ち上げられた、高められた、prae:~よりも、~に対して、collibus,:丘々、ii 2; pro:~として、~のために、Domino,:主から、inde:それ故、そこから、pro:~として、~のために、omni:凡ての、全体の、caelesti::天的な、
[3] apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Faciet:行なう、為す、(三人称単数未来)Jehovah:エホバ、Zebaoth:万軍の、(エホバの称号)omnibus:凡ての、全体の、populis:人々、民、in:~の中、~において、monte:山、hoc:これから、convivium:宴会、会食者、pinguedinum;:脂肪の多いもの、... et:また、そして、absorbebit:呑み込む、吸い取る、(三人称単数未来)in:~の中、~において、monte:山、hoc:これから、facies:顔、容貌、obvolutionis,:覆うこと、隠すこと、xxv 6, 7; 'mons':山、pro:~として、~のために、Domino,:主から、inde:それ故、そこから、pro:~として、~のために、omni:凡ての、全体の、caelesti::天的な、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Erit,:ある、(三人称単数未来)super:~の上で、~の上に、omni:凡ての、全体の、monte:山、alto,:高い、高くそびえる、et:また、そして、super:~の上で、~の上に、omni:凡ての、全体の、colle:丘、elato,:高い、持ち上げられた、rivi,:諸々の川、諸々の水路、ductus:引かれた、生ぜしめられた、aquarum,:諸々の水、xxx 25; 'montes':山々、pro:~として、~のために、bonis:諸々の善、amoris,:愛の、'colles':丘々、pro:~として、~のために、bonis:諸々の善、charitatis,:仁愛、愛情、ex:~から、~により、quibus:それらから、そのことらから、vera:諸々の真理、fidei,:信仰、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、'rivi:諸々の川、諸々の水路、et:~と、および、ductus:引かれた、生ぜしめられた、aquarum'::諸々の水、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Cantus erit:歌う、(三人称単数未来完了受動)vobis,:あなた達に、sicut:~の如く、~のように、nocte:夜に、sanctificari:崇められること、清められること、festum,:祝祭、祭礼、et:また、そして、gaudium:喜び、楽しさ、cordis:心、sicut:~の如く、~のように、euntis:行っている、進んでいる、(eoの現在分詞属格)cum:~と一緒に、~と、tibia,:笛、葦笛、ad:~のために、~へ、veniendum:来ることへ、行くことへ、in:~の中へ、~へ、montem:山、Jehovae,:エホバ、ad:~に、~へ、petram:岩、石、Israelis,:イスラエル、xxx 29; 'mons:山、Jehovae':エホバ、pro:~として、~のために、Domino:主から、praedicate:~に関して、ad:~に、~へ、bona:諸々の善、amoris;:愛の、'petra:岩、石、Israelis':イスラエル、pro:~として、~のために、Domino:主から、praedicate:~に関して、ad:~に、~へ、bona:諸々の善、charitatis::仁愛、愛情、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Descendet:下る、降りる、(三人称単数未来)Jehovah:エホバ、Zebaoth:万軍の、(エホバの称号)ad:~のために、~へ、militandum:戦うことへ、super:~の上で、~の上に、monte:山、Zionis,:シオン、et:また、そして、super:~の上で、~の上に、colle:丘、illius,:それの、xxxi 4; 'mons:山、Zionis':シオン、hic:ここに、この場に、et:~と、および、multoties:たびたび、何度も、alibi:他の箇所に、pro:~として、~のために、Domino,:主から、et:また、そして、inde:それ故、そこから、pro:~として、~のために、omni:凡ての、全体の、caelesti:天的な、quod:こと、それ、そのこと、est:ある、amor,:愛、et:また、そして、(x)'collis':丘、pro:~として、~のために、caelesti:天的な、inferiore:更に低い、更に下の、下部の、劣った、quod:こと、それ、そのこと、est:ある、charitas::仁愛、愛情、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
[4] Super:~の上へ、~の上に、montem:山、altum:高い、高くそびえる、ascende:登れ、(命令形)tibi:あなたに、evangelizatrix:良い知らせを告げる者(女)よ、(呼格)Zion;:シオン、extolle:上げよ、(命令形)in:~の中、~において、robore:力強いこと、vocem:言葉、声、tuam:あなたの、evangelizatrix:良い知らせを告げる者(女)よ、(呼格)Hierosolyma,:エルサレム、xl 9; 'ascendere:登ること、in:~の中へ、~へ、montem:山、altum:高い、高くそびえる、et:~と、および、evangelizare':良い知らせを告げること、est:ある、colere:礼拝すること、尊重すること、Dominum:主を、ex:~から、~により、amore:愛から、et:~と、および、charitate,:仁愛、愛情、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intima,:最奥の、最内部の、quare:それ故に、etiam:~もまた、さらに、vocantur:呼ばれる、altissima;:最も高い、quod:こと、それ、そのこと、intimum,:最奥、最内部、hoc:これは、altissimum:最も高い、appellatur::呼ばれる、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Cantent:歌う、(接続法三人称複数現在)habitatores:住民達よ、居住者達よ、(呼格)rupis,:険しい岩山、e:~から、~により、capite:頂上、頂部、montium:山々、clament,:叫ぶ、呼ぶ、(接続法三人称複数現在)xiii 11; 'habitatores:住民達、居住者達、rupis':険しい岩山、pro:~として、~のために、iis:彼らから、qui:その者達、in:~の中、~において、charitate;:仁愛、愛情、'e:~から、~により、capite:頂上、頂部、montium:山々、clamare':叫ぶこと、pro:~として、~のために、colere:礼拝すること、尊重すること、Dominum:主を、ex:~から、~により、amore::愛から、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Quam:何と、どんなに、jucundi:愉快、楽しい、快い、愛すべき、感じのよい、sunt:ある、super:~の上で、~の上に、montibus:山々、pedes:足、evangelizantis,:良い知らせを告げている、
audire:聞くこと、facientis:語っている、行なっている、pacem,:平和、平安、evangelizantis:良い知らせを告げること、bonum,:善、audire:聞くこと、facientis:語っている、行なっている、salutem,:救い、lii 7; 'evangelizare:良い知らせを告げること、super:~の上で、~の上に、montibus':山々、similiter:同様に、似ている、pro:~として、~のために、praedicare:礼拝すること、尊重すること、Dominum:主を、ex:~から、~により、doctrina:教え、教義、amoris:愛の、et:~と、および、charitatis,:仁愛、愛情、et:また、そして、ex:~から、~により、illis:それらから、colere::尊重すること、尊ぶこと、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Montes:山々、et:~と、および、colles:丘々、personabunt:響きわたる、反響する、(三人称複数未来)coram:目の前で、向かい合って、vobis:あなた達、cantu,:歌、et:また、そして、omnes:凡ての、全体の、arbores:木、樹木、agri:野、原、complaudent:一緒に拍手する、一緒に喝采する、(三人称複数未来)vola,:手のひら、lv 12; pro:~として、~のために、colere:尊重すること、尊ぶこと、Dominum:主を、ex:~から、~により、amore:愛から、et:~と、および、charitate,:仁愛、愛情、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、'montes:山々、et:~と、および、colles,':丘々、et:また、そして、ex:~から、~により、fide:信仰、inde,:それ故、そこから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、'arbores:木、樹木、agri'::野、原、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Ponam:置く、定める、(接続法一人称単数現在)omnes:凡ての、全体の、montes:山々、Meos:私の、in:~の中へ、~によって、viam,:道へ、et:また、そして、semitae:細道、小道、Meae:私の、exaltabuntur,:高められる、上げられる、(三人称複数未来受動)xlix 11; 'montes':山々、pro:~として、~のために、amore:愛から、et:~と、および、charitate,:仁愛、愛情、'via:道、et:~と、および、semitae':細道、小道、pro:~として、~のために、veris:諸々の真理、fidei:信仰、inde,:それ故、そこから、quae:それらは、そのことらは、'exaltari'上げられること、dicuntur,:言われる、cum:その時、その場合、ex:~から、~により、amore:愛から、et:~と、および、charitate:仁愛、愛情、sunt,:ある、quae:それらは、そのことらは、intima::最内部の、最奥の、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Confidens:信頼している、in:~の中、~に、Me:私から、possidebit:所有する、占有する、(三人称単数未来)in:~の中へ、~によって、hereditatem:遺伝、相続、terram,:地、地上、et:また、そして、hereditabit:相続する、(三人称単数未来)montem:山、sanctitatis:神聖さ、敬虔、Meae,:私の、lvii 13; pro:~として、~のために、regno:王国、Domini,:主の、ubi:そこで、その場所、nihil:無、何も~ない、nisi:~以外、もし~でなければ、amor:愛、et:~と、および、charitas::仁愛、愛情、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Producam:生み出そう、ex:~から、~により、Jacobo:ヤコブ、semen,:種、子孫、et:また、そして、ex:~から、~により、Jehuda:ユダ、heredem:相続人、montium:山々、Meorum,:私の、et:また、そして、possidebunt:所有する、占有する、(三人称複数未来)illam:それを、electi:選ばれた、Mei,:私の、lxv 9; 'montes':山々、pro:~として、~のために、regno:王国、Domini,:主の、et:また、そして、bonis:諸々の善、caelestibus,:天的な、'Jehuda':ユダ、pro:~として、~のために、Ecclesia:教会、caelesti::天的な、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Sic:そのように、こうして、dixit:言った、Altus:高い、崇高な、et:また、そして、Excelsus:高い、卓越した、habitans:住んでいる、存在している、in:~の中へ、~に、aeternum,:永遠、et:また、そして、Sanctus:神聖な、聖なる、Nomen:御名、Ipsius;:御自身、Alto:高い、崇高な、et:~と、および、Sancto:神聖な、聖なる、habito,:住む、存在する、宿る、(一人称単数現在)lvii 15; ibi:そこに、そこで、'altum':高い、高くそびえる、pro:~として、~のために、sancto,:神聖な、聖なる、inde:それ故、そこから、'montes':山々、ex:~から、~により、altitudine:高さ、高所、崇高、super:~の上で、~の上に、terram:地、地上、significabant:意味した、Dominum,:主を、et:また、そして、Ipsius:御自身、sancta:神聖な、聖なる、caelestia;:天的な、quapropter:そのために、それ故に、etiam:~もまた、さらに、Dominus:主は、ex:~から、~により、Monte:山、Sinai:シナイ、promulgavit:布告した、公布した、Legem.:律法、法律、
A:~から、~により、Domino:主から、etiam:~もまた、さらに、intelligitur:意味される、amor:愛、et:~と、および、charitas:仁愛、愛情、per:~を通して、~によって、'montes,':山々、ubi:そこで、その場所、loquitur:話す、語る、de:~について、consummatione:完了、完成、saeculi,:世代、
Quod:こと、それ、そのこと、qui:その者達、in:~の中、~において、Judaea:ユダヤ人の地、tunc:その時、やがて、fugerent:逃げる、(三人称複数未来)in:~の中へ、~へ、montes,:山々、Matth.:マタイ、xxiv 16; Luc:ルカ、xxi 21; Marc:マルコ、xiii 14; ubi:そこで、その場所、'Judaea':ユダヤ人の地、pro:~として、~のために、Ecclesia:教会、vastata.:荒された、浄化された、
 

795.「凡ての天の下にあった高い凡ての山々が覆われた」が、仁愛の凡ての諸々の善が滅ぼされたことを意味することは、最古代人達の許の「山々」の意味から知られよう。
彼らの許に「山々」は主を意味した。なぜなら、山々は地の最も高い(所で)あったという理由から、彼らは山々の上で主御自身への礼拝を持ったからである。それ故、「山々」は天的なものを意味し、更に「最も高いもの」と呼んだ。従って愛と仁愛を(意味し)、そのように天的なものである愛と仁愛の諸々の善を(意味した)。
反対の意味においてもまた、聖言において高慢な心、従って自己愛そのものが「山々」と呼ばれている。
山々は地の上に上げられ、また天により近いとの理由で物事の起源として、聖言において「山々」によって最古代教会もまた意味される。
[2]「山々」が主と、そこからの凡ての天的なもの、即ち愛と仁愛の諸々の善を意味することは、(直ぐ)後に続く聖言の箇所から知られよう。それら(の箇所)により、特に(山々が)何を意味するか明らかとなるであろう。なぜなら、凡ての(聖言は)それ(主とそこからの天的なもの)を持つからであり、また(聖言は)全体的にも個別的にも、それ(主とそこからの天的なもの)について、実際にそれを以って当てはめているからである。ダビデ(の書)において、
「山々は(人々に)平和をもたらし、また丘々は(人々を)正義の中に(導くであろう)。」詩篇、72.3、(ここで)「山々」は、最古代教会の許に(あった)ような主への愛として、「丘々」は隣人への愛として(記述されている)。それ故に、それ(最古代教会)もまた山々と丘々によって(記述されている)。なぜなら、聖言においてそのように意味されるからである。エゼキエル(書)において、
「私の神聖な山において、イスラエルの高き山において、主エホビは言われた。地においてイスラエルの凡ての家、それらの凡てのものがそこで私に仕えるであろう。」20.40、ここで「神聖な山」は主への愛として、「イスラエルの高き山」は隣人への仁愛として(記述されている)。イザヤ(書)において、
「それが日々の後の世代にあるであろう。山々の頂において、主の山の家は不動のものになるであろう。また丘々よりも持ち上げられた(持ち上げられるであろう)。」2.2、(ここの「山々」は)主として、(また)そこからの凡ての天的なものとして(記述されている)。同(書)において、
「万軍のエホバはこの山で、凡ての人々に脂肪の多いもの(肥えたもの)の宴会を行なうであろう。...またこの山で顔を覆うものを吸い取るであろう。」25.6,7、(ここで)「山」は主として、そこからの凡ての天的なものとして(記述されている)。同(書)において、
「凡ての高い山の上に、また凡ての高い丘の上に、諸々の水の引かれた諸々の川があるであろう。」30.25、(ここで)「山々」は愛の諸々の善として、「丘々」は仁愛の諸々の善として、それらから信仰の諸々の真理(があり)、それらが「諸々の川と諸々の水の引かれた(諸々の水の引かれた諸々の川)」(である)。同(書)において、
「夜に祭礼が崇められる如く、彼はあなた達に歌われるであろう。また笛と一緒にエホバの山へ、イスラエルの岩へ行くために進んでいる者の如く心の楽しさ(が歌われるであろう)。」30.29、「エホバの山」は愛の諸々の善に関する主として、「イスラエルの岩」は仁愛の諸々の善に関する主として(記述されている)。同(書)において、
「万軍のエホバはシオンの山の上で、またその丘の上で戦うために降りて来られるであろう。」31.4、「シオンの山」は、ここと他の箇所でたびたび主として、またそこからの凡ての天的なものとして(記述されている)これは愛である。「(シオンの)丘」は、更に低い天的なものとして(記述されている)。これは仁愛である。
[4]同(書)のおいて、
「シオンに良い知らせを告げる者よ、あなたは高い山の上に登れ、エルサレムに良い知らせを告げる者よ、あなたの声を力強く上げよ、」40.9、「高い山に登ることと良い知らせを告げること」は主を愛と仁愛により尊重することであり、これらのものが最内部のものである。それ故に、最も高いものともまた呼ばれる。最内部、これが最も高いと呼ばれる。同(書)において、
「険しい岩山の住民達よ歌え、山々の頂上から叫べ、」42.11、「険しい岩山の住民達」は、仁愛の中に(居る)者達として、「山々の頂上から叫ぶこと」は、主を愛により尊重すること(である)。同(書)において、
「山々の上で良き知らせを告げている者の足は、何と楽しいことか、平和を語っている者の(足音を)聞くこと、救いを語っている者の(足音を)聞くことは、(何と楽しいことか、)」52.7、「山々の上で良い知らせを告げること」は、主を愛と仁愛の教義により礼拝すること、またそれらにより尊ぶこととして(記述されている)。同(書)において、
「山々と丘々はあなた達の歌に向かい合って反響するであろう。また凡ての野の木々は一緒に手のひらで拍手するであろう。」55.12、「山々」と「丘々」は愛と仁愛から主を尊ぶこととして、また「野の木々」は、そこ(愛と仁愛)からの信仰により(主を尊ぶこととして記述されている)。同(書)において、
「私は私の凡ての山々を道によって定めよう。また私の小道は上げられるであろう。」49.11、「山々」は愛と仁愛として、「道と小道」はそこ(愛と仁愛)からの信仰の諸々の真理として(記述されている)。それらが愛と仁愛からある時、それらは上げられることが言われ、それらは最内部のもの(である)。同(書)において、
「私に信頼している者は相続によって地を所有するであろう。また私の神聖な山を相続するであろう。」57.13、(ここの地と山は)主の王国として(記述されている)。そこでは、愛と仁愛以外何もない。同(書)において、
「私はヤコブから子孫を生み出そう。またユダから私の山々の相続人を(生み出そう)。また私の選ばれた者達(選んだ者達)がそれを所有するであろう。」65.9、「山々」は主の王国として、また天的な諸々の善(として記述されている)。「ユダ」は仁愛の教会として(記述されている)。同(書)において、
「高く、また卓越した永遠に存在されている方、また御自身の神聖な御名(が永遠に存在されている方が)、このように言われた。私は高いものと神聖なものに存在する。」57.15、ここで「高い」は神聖なものとして(記述されている)。それ故、「山々」は地の上に高所(であること)から主を意味し、また主御自身の天的な神聖なものを(意味した)。更にそのために主はシナイ山から律法を布告された。
更に主により「山々」によって愛と仁愛が意味され、世代の完了について(主が)語られた箇所で、
「その時、ユダヤ人の地に(居る)者達は山々へ逃げなければならない。」マタイ、14.16、ルカ、21.21、マルコ、13.14、ここで「ユダヤ人の地」は荒らされた教会として(記述されている)。

間違った信仰

真理を欲望に注ぎ込む時、即ち自己への愛とこの世への愛のために賛同して行なう時、信念が計り知れないほど増す。というのはその時、真理を歪め、同時に、それらを無数の方法で欲望との一致へ強制するからである。というのは、間違った信念の原理を取り入れる者、即ち自分自身で捏造する者は、それを彼の許の多くの科学的なものから、それどころか聖言からもまた強固にしない者が誰か居るだろうか? 如何なる異端もそのように適合して強固にしていないだろうか? またそれらを合致させないだろうか? それでもなお推断しないだろうか? なお加えて、様々に説明しないだろうか? また食い違わないように歪めないだろうか?
同様に、善の仁愛なしに信仰のみが救うことの原理を受け入れる者は、聖言からの教義の組み合わせを自由にしないか? しかもなお自由に繋ぐことをしないか? またそれにもかかわらず、主が言われたこと、
「木は実から知られる、...そして良い実を産出しない木は切り倒されて火に捨てられる。」マタイ、7.16-20、12.33、を少しも気に掛けず、決して注意せず、それどころか見ない。
肉欲に従って生きること、またそれでも真理が何かを知るだけで、全く善の行いなしでも救われることよりも、何が更に喝采されるだろうか? 人間が支持する凡ての欲望は、人間の意志の生命を作り、また人間が支持する凡ての原理、即ち間違った原理の信念は、人間の理解の生命を作る。これらの二つの生命は、真理、即ち信仰の教義の事柄を欲望に沈める時、一つのものを作る。各々の人間は、実際このように自分自身に霊魂を形作り、死後その生命がそのようなものに為される。それ故に、人間に真理が何かを知ることよりも重要なことは何もない。人間が真理が何かを知る時、その上、曲解しないように出来る時は、それほど、真理が欲望に注ぎ込まれることが出来ない。また致命的なものに為すことも出来ない。人間の心に永遠に至るまでの彼の生命よりも、更に義務を負うことが何かあるのか? もし、身体の生命の中でその霊魂を滅ぼすなら、永遠にそれを滅ぼすのではないか?(天界の秘義794)
 

自己愛の諸々の欲望が正しいと確信される時、内なる良心の声は聞こえなくなり隣人愛も無垢も滅ぼされます。これが欲望と結合した間違った信念であり、人間にとって非常に強固な信念になります。
この原型は小さい子供にもあって容易に信じます。例えばクリスマスにはサンタさんがプレゼントを持って来てくれると言うことを小さい子供に二三度言うと完全に信じます。このように欲望に結合できる間違った信念は容易に信じられます。
子供には無知の無垢があるのでこれは許される間違った信念ですが、大人の場合は子供のように無知の無垢に居ることが出来ないのでそうはいきません。例えば、憎む者に復讐すること、姦淫すること、不義の利得を得ること、自分が重んじられ尊ばれること、他人を軽んじ侮ること、他人を貪ることは、イエス様の身代わりの罰で凡て許されており、悔い改めなくても、またこれらの悪から離れなくても、従って律法を守らなくても救われることに何も差し支えないと言われると容易に信じます。
悔い改めなくても、また悪から離れなくてもそのままで救われるという教えほど人間を魅了するものがあるでしょうか? もちろん罪に打ちひしがれて自殺寸前の人にはこのように教えて罪の痛みを取る必要がある場合もあるでしょうが、しかしこれが教えの凡てであるとしたら大人がサンタさんのプレゼントを信じるのと同じです。子供にとってはサンタさんのプレゼントを信じることは無害ですが、大人にとっては有害です。なぜなら、大人は子供のような無知の無垢、即ち何も考えない無垢に居ることが出来ず、知恵の無垢、即ち正しく良く考える無垢にしか居られないからです。即ちこのように信じることは悔い改めて悪から離れる機会を奪うので、不正に悪く考えて心を汚し救われなくされるからです。
信仰から悔い改めることと悪から離れることと律法を守ることが分離される時、隣人愛も知恵の無垢も滅ぼされ間違った信仰、即ち間違った信念になります。なぜならこの時、信仰が人間の自己愛の悪を支持するものになるからです。
しかしどんな信仰であっても悔い改めることと悪から離れることと律法を守ることを否定せず肯定すれば正しい信仰になります。なぜなら、この場合は信仰の形がどのようなものであれ、その信仰の中に隣人愛、即ち善があるからです。これはつまり金でどのような形のものを作ろうが金に変わりはないのと同じです。しかし隣人愛のない信仰、即ち善のない信仰は鉛と同じで、鉛を金のインゴットのように作り金色を塗っても金にはなれません。
悪い欲望を信仰によって支持する時、人間は霊的な目を閉じ永遠の祝福を空想上の無価値なものと見なし、この世の一時的な祝福のみを追い求めます。その結果、欲望が果てしなく増大し破滅へ向かいます。
身代わりの罰の救いの信仰は、子供がサンタさんのプレゼントを信じるのと同様に、その信仰の中に主への愛と隣人への愛は全くありませんので、この信仰に留まることなく、悔い改めへ、また悪から離れることへ、そして律法を守ることへ進んでください。
福音書の中で主が何を言われているかをよく読んで、他の箇所は主の御言葉に合致するように解釈しなければ間違った信仰になります。
正しい信仰か間違った信仰かの違いは、その信仰の中に主への愛と隣人への愛があるかないか、即ちその信仰が主への愛と隣人への愛へ導くか否かで見分けられます。

7-692~700意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-692~700意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

創世記
第七章
 

地獄について
692.人間は天界と同じく地獄についても、最も全般的な考え以外持たない。丁度、森の自分の小屋の外に出たことがない者達が、国について持つことが出来る考えのように、殆んど何も、考えがないほど不明瞭である。また彼らは国家、王国を知らず、まして支配者の性質を知らない。また更に、その社会と社会の生活を知らない。これらのことを知る前には、国があることについて最も全般的な考えを除いて出来ない。それは殆んど何も考えがないようなものである。このように天界と地獄についても、殆んど何も考えがない。それにもかかわらずその時、どちらにも無数のものがあり、また地上世界の何かのものに比べて無限に多くのものがある。
それらがどれほど数え切れないものであるかは、誰も決して同じ天界を持たないように、誰も決して同じ地獄を持たないことだけから知られることが出来よう。そして誰であろうと最初の創造からこの世に居た、凡ての霊魂はそこへ行き、また集められている。
 

693.主への愛と隣人への愛、なお加えて、そこからの楽しさと幸福が天界を構成していように、主への憎しみと隣人への憎しみ、なお加えて、そこからの刑罰と苦悩が地獄を構成している。憎しみの類型は無数のものがあり、またその種類も無数のものがあり、同じ数の地獄がある。
 

694.天界は主により相互の愛によって一人の人間と同様な、一人の霊魂を構成するほど、またそのように、一つの目的を目指す。それは永遠に凡ての者達を保護することと救うことである。これに反し、地獄は自己により自己への愛とこの世への愛によって、即ち憎しみによって、一人の悪魔と同様な、一人の霊魂を構成するほど、またそのように、一つの目的を目指す。それは永遠に凡ての者達を滅ぼすことへ、また地獄へ落とすことである。彼らのこのような衝動は二千回(無数に)認められた。それ故にもし、主が最小の瞬間に、更に凡ての最小のものに、凡ての者達を保護しなければ凡ての者達は滅びるあろう。
 

695.しかし、主により諸々の地獄に、自分達自身の欲望と幻想に閉じ込められ、また束縛された凡ての者達が支配されるような形と秩序が置かれている。それらの欲望と幻想の中に彼らの生命そのものが成り立っている。その生命は死の生命であるので、恐るべき苦しみに変えられ、その苦しみは記述されることが出来ないほどである。なぜなら、彼らの生命の最も楽しいものは、一人の者が他の者を罰すること、苦しめること、および拷問にかけることのような中にあるからである。それどころか、その者達はこの世において全く知られていない策略によって、完全に身体の中に居るような鋭敏な感覚を引き起こすこと、更に恐るべき、また身震いする幻想を引き起こすこと、加えて恐怖と恐怖感を引き起こすことを知っている。悪魔の群れがその中に喜びを感じるほど、例え、彼らが無限に苦痛と苦悩を増やすことと広げることが出来たとしても、その時、決して満足しないで、その後更に、無限に燃え上がらないことはない。しかし、主は彼らの衝動をそらし、苦しみを和らげられる。
 

696.他生において、全体的にも個別的にも悪それ自身が悪それ自身を罰するような均衡がある。そのようにその結果として悪の中に悪の刑罰がある。同様に、間違った信念の中に刑罰があり、間違った信念の中に居る者に帰る。それ故、各々の者は自分自身に刑罰と苦悩を引き起こし、またその時、このような罪を犯す悪魔の群れに遭遇する。
主は決して誰も地獄へ落とさないで、凡ての者達を地獄から引き出すことを欲する。まして誰も苦しみの中へ引き入れない。しかし悪の霊が自ら地獄の苦しみへ飛び込むので、主は凡ての刑罰と苦しみを善と何かの用へ転じておられる。もし、主の許に用の目的があるのでなければ、どんな場合でも決して刑罰がもたらされることは出来ない。なぜなら、主の王国は目的と用の王国であるからである。しかし、それらの用を地獄の者達も行なうことが出来るが、それらは最も低い価値のものである。彼らがそれらの用の中に居る時は、そのような苦しみの中に居ないが、しかし用が終わると地獄へ戻される。
 

697.各々の人間の許に最低二人の悪の霊と二人の天使達が居り、人間は悪の霊達を通して地獄と連絡を持ち、また天使達を通して天界と連絡を持つ。この両方の連絡がなければ人間は、決して一分の時も生きることが出来ない。このように各々の人間は何かの地獄の社会の中に居るが、このことを人間は全く知らない。しかしそれらの地獄の社会の苦しみは人間に伝わらない。なぜなら、人間は永遠の生命への準備の中に居るからである。彼がその準備の中で居たそれらの社会が彼に時折、他生において現される。なぜなら、その社会へ帰るからであり、またそのようにこの世において持ったその生命へ帰るからである。そしてそれ故、彼は地獄に向かって進むか、天界へ上げられる。このように、仁愛の善の中で生きていない人間と自分自身を主により導かれることを許容しない人間は、地獄の一人であり、また死後、同じく悪魔に為される。
 

698.他に、地獄には浄化もまたある。それらについて聖言において多くのことが記述されている。というのは、人間は実行された罪により、無数の悪と間違った信念を、他生に自分自身と一緒に持って来るからである。人間はそれらを積み重ね、また結び付ける。正しく生きた者達も同様である。この者達が天界へ上げられることが出来る前に、それらの悪と間違った信念は駆逐されなければならないのである。この駆逐が浄化と言われ、多くの種類があり、また浄化の期間も長く、また短くある。或る者はかなり短い期間で天界へ運び去られ、或る者は死後、直ちに天界へ運ばれる。
 

699.地獄の中に居る者達の苦しみを私が認めるために、なおまた、より低い地に居る者達の浄化を私が認めるために、私はそこへ降ろされた(地獄へ降ろされることは場所から場所へ移されることではなく、何かの地獄の社会へ入ることであり、身体の人間は同じ場所に留まっている。)。しかしここでは、下記の観察のみ述べることが許されている。
私は、或る種の柱状のようなものが私を取り囲んだことを明瞭に認めた。それらの柱状のものは感覚で捕えられるように増やされ、またこれが聖言において言われている「青銅の壁」であったことが吹き込まれた。それは私が安全に不幸な者達の近くに降ろされることが出来るために、天使的な霊達により作られたものであった。私がそこに居た時、実際に「ああ神よ、ああ神よ、私達を憐れんでください。私達を憐れんでください。」という悲惨な嘆き叫ぶ声を聞いた。そしてこの声を長い間聞いた。更に、私は不幸な彼らと話すことが許され、多くの者達とかなり話した。彼らは悪の霊達について、彼らを苦しめることを除いて他のものを欲しないし望まないことを大声で嘆いた。彼らは絶望の中に居り、苦しみは永遠にあることを信じると言っていた。しかし私は彼らを励ますことを許された。
 

700.言われたように、地獄はそれだけ多くあるので、それらの秩序について言われるために、後に続く箇所において言われなければならない。
Ⅰ.憎しみ、復讐、および残酷の中で人生を過した者達の地獄について、
Ⅱ.姦淫と淫乱の放縦の中で人生を過した者達の地獄について、更に狡猾な者達と詐欺師達の地獄について、
Ⅲ.貪欲な者達の地獄について、またそこの「不潔なエルサレム」と砂漠の中の盗賊について、更に全くの快楽の中で生きた者達の排泄物の地獄について、
Ⅳ.続いて、上記の地獄から区別されたその他の地獄について、
Ⅴ.最後に、浄化の中に居る者達について、
上記のものは後に続く各章の序文と末文において認められよう。

7-794原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-794原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

794. 'Et aquae corroboratae valde valde super terra': quod significent persuasiones falsi quod ita accreverint, constat ex illis quae mox prius de aquis dicta et ostensa sunt, quod nempe 'aquae diluvii seu inundantes' significent falsa; hic quia adhuc magis falsa seu persuasiones falsi, dicitur quod 'corroboratae sint aquae valde valde,' quod est superlativum linguae originalis. Falsa sunt principia falsi et persuasiones falsi, quae quod apud antediluvianos accreverint immensum, ab illis quae prius dicta sunt de iis, constat. Persuasiones immensum crescunt, cum vera infundunt cupiditatibus, seu faciunt ut amoribus sui et mundi faveant, tunc enim pervertunt illa, et cogunt mille modis in consensum: quis enim est qui principium falsi hausit, aut sibi finxit, qui non confirmat id ex multo scientifico apud eum, immo etiam ex Verbo? an ulla haeresis est quae non confirmantia sic capit, et quae non consentiunt, usque cogit, ac diversimode explicat et detorquet ut non dissentiant? [2] Sicut qui capit principium, quod sola fides salvet absque bonis charitatis, annon integrum' systema doctrinae ex Verbo contexere queat? et tamen ne hilum curat, ne quidem attendit, immo nec videt, quod Dominus dixit,
Quod arbor cognoscatur ex fructu,... et quae arbor non bonum fructum fert, exscindetur et projicietur in ignem, Matth. vii 16-20; xii 33.
Quid magis placet quam vivere secundum carnem, et usque salvari, modo sciat quid verum, tametsi ne hilum boni agat? Omnis cupiditas, cui homo favet, vitam ejus voluntatis facit; et omne principium, seu omnis persuasio falsi, vitam ejus intellectus facit; hae vitae unam faciunt, cum vera seu doctrinalia fidei immergunt cupiditatibus; quisque homo ita quasi animam sibi format, cujus vita fit talis post mortem; quare nihil plus interest homini quam scire quid verum; cum scit quid verum, et quidem ita ut non perverti possit, tunc non ita infundi potest cupiditatibus et mortiferum facere. Quid plus homini cordi esse debet quam vita ejus in aeternum? Si animam suam in vita corporis destruit, anne eam in aeternum?
 

794. 'Et:また、そして、aquae:諸々の水、corroboratae:強くされた、valde:大いに、著しく、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra'::地、地上、quod:こと、それ、そのこと、significent:意味する、persuasiones:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、accreverint,:増えた、増大した、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、mox:直ぐ前に、直ぐ後に、prius:以前に、前に、de:~について、aquis:諸々の水、dicta:言われた、et:また、そして、ostensa sunt,:示された、quod:こと、それ、そのこと、nempe:正確には、即ち、'aquae:諸々の水、diluvii:洪水の、seu:即ち、或いは、inundantes':氾濫している、significent:意味する、falsa;:諸々の間違った原理(信念)、hic:ここに、この場に、quia:なぜなら、ので、adhuc:更に、なお更、magis:もっと、一層、falsa:諸々の間違った原理(信念)、seu:即ち、或いは、persuasiones:確信、信念、falsi,:間違った原理(信念)の、dicitur:言われる、quod:こと、それ、そのこと、'corroboratae sint:強くされた、aquae:諸々の水、valde:大いに、著しく、valde,':大いに、著しく、quod:こと、それ、そのこと、est:ある、superlativum:誇張された、最上級の、linguae:言語、言葉、originalis.:起源、源泉、
Falsa:諸々の間違った原理(信念)、sunt:ある、principia:原理、要素、falsi:間違った原理(信念)の、et:~と、および、persuasiones:確信、信念、falsi,:間違った原理(信念)の、quae:それらは、そのことらは、quod:こと、それ、そのこと、apud:~のもとに、~において、antediluvianos:洪水前、accreverint:増えた、増大した、immensum,:計り知れない、莫大な、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、dicta sunt:言われた、de:~について、iis,:それらから、constat.:知られる、明らかである、
Persuasiones:確信、信念、immensum:計り知れない、莫大な、crescunt,:増す、強大になる、cum:その時、その場合、vera:諸々の真理を、infundunt:注ぐ、注ぎ込む、染み込ませる、cupiditatibus,:諸々の欲望、seu:即ち、或いは、faciunt:行なう、為す、ut:~のために、こと、~するように、amoribus sui:自己愛、et:~と、および、mundi:(この)世、世界、faveant,:好意をもつ、賛同する、tunc:その時、やがて、enim:なぜならば、~というのは、pervertunt:ひっくり返す、曲解する、歪める、illa,:それらを、et:また、同時、cogunt:強いる、強制する、、mille:千、無数、modis:方法、手段、in:~の中へ、~へ、consensum::一致、調和、quis:誰が、誰が居るだろうか、enim:なぜならば、~というのは、est:ある、qui:その者、principium:原理、要素、falsi:間違った原理(信念)の、hausit,:取り入れる、引き出す、解釈する、aut:即ち、或いは、sibi:自分自身に、finxit,:作り変える、捏造する、でっち上げる、qui:その者、non:否、confirmat:強くする、強固にする、id:それを、ex:~から、~により、multo:多数の、多くの、scientifico:事実に基づく、科学的な、apud:~のもとに、~において、eum,:彼を、immo:というよりは、それどころか、etiam:~もまた、さらに、ex:~から、~により、Verbo?:聖言、御言葉、an:~かどうか、~でないか、ulla:どれも、いかなる、haeresis:異端、異教、est:ある、quae:それらは、そのことらは、non:否、confirmantia:強固にしている、(現在分詞複数対格)sic:そのように、こうして、capit,:適合する、認める、受け取る、et:また、そして、quae:それらは、そのことらは、non:否、consentiunt,:一致する、合致する、usque:それでもなお、やはり、cogit,:集める、推論する、ac:そして、なお加えて、diversimode:色々な方法で、異なって、explicat:説明する、叙述する、et:~と、および、detorquet:歪める、ねじる、ut:~のために、こと、~するように、non:否、dissentiant?:反対する、矛盾する、食い違う、
[2] Sicut:例えば、~と同様に、qui:その者、capit:魅了する、受け入れる、principium,:原理、要素、quod:こと、それ、そのこと、sola:だけ、のみ、fides:信仰、salvet:救う、absque:~なしに、~を除いて、bonis:諸々の善、charitatis,:仁愛、愛情、annon:~でないか、~しないか、integrum':自由、全き、systema:組み合わせ、集積、doctrinae:教え、教義、ex:~から、~により、Verbo:聖言、御言葉、contexere:組み合わせること、つなぐこと、queat?:またしかもなお、そしてそれに対して、et:また、そして、tamen:しかし、それにもかかわらず、ne hilum:全く何でもない、少しもない、curat,:気に掛ける、注意する、考慮する、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、attendit,:注意する、留意する、immo:というよりは、それどころか、nec:否、videt,:見る、認める、quod:こと、それ、そのこと、Dominus:主が、dixit,:言った、
Quod:こと、それ、そのこと、arbor:木、樹木、cognoscatur:知られる、認められる、ex:~から、~により、fructu,:果実、実、... et:また、そして、quae:それは、そのことは、arbor:木、樹木、non:否、bonum:善、fructum:果実、実、fert,:産出する、exscindetur:切り倒される、切り離される、et:~と、および、projicietur:捨てられる、放棄される、in:~の中へ、~へ、ignem,:火、炎、Matth.:マタイ、vii 16-20; xii 33.
Quid:何か?、どんな?、magis:もっと、更に、placet:好評を得る、喝采される、quam:~よりも、~と比べて、vivere:生きること、secundum:~に従って、~に沿って、carnem,:肉、肉体、et:また、そして、usque:それでもなお、やはり、salvari,:救われること、modo:だけ、単に、sciat:知る、知っている、quid:何か?、どんな?、verum,:真理、tametsi:例え~でも、それでも、ne hilum:全く何でもない、少しもない、boni:善、agat?:行動する、行なう、
Omnis:凡ての、全体の、cupiditas,:欲望、cui:それに、そのことに、homo:人間、favet,:賛同する、支持する、vitam:生命を、ejus:それの、彼の、voluntatis:意志の、facit;:生ずる、作る、et:また、そして、omne:凡ての、全体の、principium,:原理、要素、seu:即ち、或いは、omnis:凡ての、全体の、persuasio:確信、信念、falsi,:間違った原理(信念)の、vitam:生命を、ejus:それの、彼の、intellectus:理解、facit;:生ずる、作る、hae:これらは、vitae:諸々の生命は、unam:1、faciunt,:生ずる、作る、cum:その時、その場合、vera:諸々の真理を、seu:即ち、或いは、doctrinalia:教義、(の事柄) fidei:信仰、immergunt:浸す、沈める、cupiditatibus;:諸々の欲望に、quisque:各々の、誰でも、homo:人間、ita:このように、従って、quasi:実際に、事実上、animam:霊魂、魂、sibi:自分自身に、format,:形作る、形成する、cujus:それの、そのことの、vita:生命、fit:為される、talis:このような、次のような、post mortem;:死後、quare:それ故に、nihil:無、何も~ない、plus:さらに、そのうえ、interest:関係がある、重要である、homini:人間に、quam:~よりも、~と比べて、scire:知ること、quid:何か?、どんな?、verum;:真理、cum:その時、その場合、scit:知る、quid:何か?、どんな?、verum,:真理、et quidem:その上、実際に、ita ut:以下のように、そのように、non:否、perverti:曲解する、歪める、possit,:出来る、可能である、tunc:その時、やがて、non:否、ita:それほど、そんなに、infundi:注ぎ込まれること、植えつけられること、potest:出来る、可能である、cupiditatibus:諸々の欲望に、et:~と、および、mortiferum:死をもたらす、致命的な、facere.:為すこと、
Quid:何か?、どんな?、plus:さらに、そのうえ、homini:人間に、cordi:心臓、心、esse:あること、存在すること、debet:義務を負う、道徳的義務がある、quam:~よりも、~と比べて、vita:生命、ejus:それの、彼の、in:~の中へ、~に到るまで、aeternum?:永遠、Si:もし~なら、たとえ~でも、animam:霊魂、魂、suam:それ自身を、in:~の中、~において、vita:生命、corporis:体、身体、destruit,:損なう、滅ぼす、anne:~でないかどうか、おそらく~だろう、eam:それを、in:~の中へ、~に、aeternum?:永遠、
 

794.「また諸々の水は地の上に大いに著しく強くされた」は、間違った信念の確信がそのように増大したことを意味することは、直ぐ前に諸々の水について言われ、また示されたことから知られよう。即ち「諸々の水の洪水、即ち氾濫している」は、諸々の間違った信念を意味すること(から知られよう)。ここでは、更に一層、諸々の間違った信念、即ち間違った原理の信念が増大したので、「諸々の水が大いに著しく強くされた」ことが言われており、原語では最上級である。諸々の間違った信念は間違った原理の要素であり、また間違った原理の信念である。それらが洪水前の者達の許に計り知れない(ほど)増大したことは、前に言われたことから知られよう。
諸々の真理を諸々の欲望に注ぎ込む時、即ち自己への愛とこの世への愛のために賛同して行なう(時)、信念が計り知れない(ほど)増す。というのはその時、それら(諸々の真理)を歪め、同時に、(それら)を無数の方法で(欲望との)一致へ強制するからである。というのは、間違った信念の原理を取り入れる者、即ち自分自身で捏造する者は、それを彼の許の多くの科学的なものから、それどころか聖言からもまた強固にしない者が誰か居るだろうか? 如何なる異端もそのように適合して強固にしていないだろうか? またそれらを合致させない(だろうか?) それでもなお推断(しないだろうか?) なお加えて、様々に説明(しないだろうか?) また食い違わないように歪め(ないだろうか?)
[2]同様に、諸々の善の仁愛なしに信仰のみが救うことの原理を受け入れる者は、聖言からの教義の組み合わせを自由にしないか? しかもなお(自由に)繋ぐこと(をしないか?) またそれにもかかわらず、主が言われたこと、
「木は実から知られる、...そして良い実を産出しない木は切り倒されて火に捨てられる。」マタイ、7.16-20、12.33、を少しも気に掛けず、決して注意せず、それどころか見ない。
肉(欲)に従って生きること、またそれでも真理が何かを知るだけで、全く善の行いなしでも救われることよりも、何が更に喝采されるだろうか?
人間が支持する凡ての欲望は、彼(人間)の意志の生命を作り、また(人間が支持する)凡ての原理、即ち間違った原理の信念は、彼(人間)の理解の生命を作る。これらの(二つの)生命は、諸々の真理、即ち信仰の教義の事柄を諸々の欲望に沈める時、一つのものを作る。各々の人間は、実際このように自分自身に霊魂を形作り、死後その生命がそのようなものに為される。それ故に、人間に真理が何かを知ることよりも重要なことは何もない。彼(人間)が真理が何かを知る時、その上、曲解しないように出来る時は、それほど、(真理が)諸々の欲望に注ぎ込まれることが出来ない。また致命的なものに為す(ことも出来ない)。
人間の心に永遠に至るまでの彼の生命よりも、更に義務を負うことが何かあるのか? もし、身体の生命の中でその霊魂を滅ぼすなら、永遠にそれを(滅ぼす)のではないか?

6-684~691意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-684~691意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
天界を構成する社会について
684.三つの諸天界があり、第一の天界は善の霊達の天界であり、第二の天界は天使的な霊達の天界であり、第三の天界は天使達の天界である。一つの天界は他の天界よりも内的なものであり、また純粋である。このように天界は相互の間で最も区別されたものである。第一の天界も、第二の天界も、また第三の天界も無数の社会に区別されており、また各々の社会は多くの者達から構成されている。その各々の社会は一人の人物の如く一致と調和により確立し、また凡ての社会も全体を見ると一人の人間の如くある。
天界の諸々の社会は相互の愛と主への信仰の相違に従って区別されたものである。それらの相違は最も全般的な種類ですら、列挙されることが出来ないほど無数のものがある。最も秩序付けられ管理されていない最小の相違も存在しない。一人の霊は、一つの共同体のために最も和合して一致するためにあり、また一つの共同体は個々の一致した霊のためにある。ここから個々の者から凡てのものに幸福があり、また凡ての者から個々の者に幸福がある。
それ故に、各々の天使と各々の社会は、全天界の像であり、また小さい天界の如くある。
 
 
685.他生において特異な仲間付きあいがあり、丁度、地上における姻戚関係のような仲間付きあいを持つ。即ち、両親達の如く、子供達の如く、兄弟達の如く、血縁者達の如く、親族達の如く認めている。このような相違に従って愛があり、それらには無限の相違がある。伝達の目的に仕える認識は記述されることが出来ないような類まれなものである。地上において両親達、子供達、血縁者達、および親族達によって持たれた関係からは全く何もなく、誰かの人物について何であったかも関係ない。従って、地位によっても、富によっても、また他の同様なものによっても関係なく、相互の愛と信仰の相違によってのみ関係する。彼らはそれらの相違の受け入れられるべきものの性質をこの世に生きた時、主から受け取った。
 
 
686.主の慈悲、即ち全天界と全人類に対する主の愛があり、そのとおりに主だけが諸々の社会へ凡ての者達と個々の者達を決定する。これが主の慈悲であり、これが結婚の愛を生み出し、またそこから子供達に対する両親の愛を生み出す。それらの愛は根本的な愛であり、また最も重要な愛である。最も区別して秩序付けられた諸々の社会に無限の多様性がある時、結婚の愛と両親の子供達に対する愛から凡ての社会に愛があり、また他の諸々の愛がある。
 
 
687.天界はこのようなものであるので、誰かの天使、或いは霊は、もし何かの社会の中に居るのでなければ、またそのように多くの者達の一致の中に居るのでなければ、決して何かの生命を持つことが出来ない。社会は、もし多くの者達の一致がなければない。なぜなら、一致した者達の生命から引き離された何かの生命は、決して与えられないからである。それどころか、天使、或いは霊、或いは社会は、もしその社会の多くの者達を通して天界と霊達の世界との連結がなければ、決して何かの生命を持つことが出来ない。即ち善により欲すること、真理により考えることを与えられることは出来ない。
人類も同様にある。人間は誰であれ、また何であれ、もし同様に、彼の許の天使達を通して天界と、また霊達の世界と連結されたものがあるのでなければ、決して生きることは出来ない。即ち善により欲すること、真理により考えることを与えられることは出来ない。それどころか、彼の許の悪の霊達を通して地獄と連結されたものがあるのでなければ、決して生きることは出来ない。即ち悪により欲すること、間違った信念により考えることを与えられることは出来ない。
[2]無論、各々の者は身体の中で生きる時も、霊達と天使達の何らかの社会の中に居るが、それでも人間はそれを全く知らない。そしてもし、人間が居る社会を通して天界と、また霊達の世界と連結されていなければ、人間は一分も生きることが出来ない。人間はこのことを人間の身体の中の如く持つ。その身体の部分が他の部分と繊維と血管によって連結されていなければ、またそのようにその部分の努めの割合によって連結されていなければ、人間の身体の部分ではなく、直ちにそれは身体から引き離される。そして更に、何も生命のないものとして吐き出される。人間達が身体の生命の後でその社会へ行く時、彼らが身体の中で持ったような、全くその生命そのものの中へ行く。そしてその新しい生命により生き始め、またそのように、身体の中で欲したようにその生命に従って地獄へ下るか、或いは天界へ上げられる。
 
 
688.このように、全体的なものの個別的なものとの、また個別的なものの全体的なものとの結合があるので、更に、情愛の最も個別的なものと思考の最も個別的なものにも、同様な結合がある。
 
 
689.それ故、天的なもの、霊的なもの、および自然的なものに関して、全体的なものと個別的なものの均衡がある。もし多くの者達との練結によるのでなければ、その結果として人間は、決して考えること、感じること、および行なうことは出来ないが、しかるにそれでもなお、各々の者は自分自身により最も自由に考える。
同様に、どんな場合でも、それ自身の対立したものから均衡を保たれないものは何もなく、また中間のものに対立されたものはない。それ故、各々の者は個別的な者として、また多くの者と一緒に最も完全な均衡の中で生きる。それ故に、直ちに均衡が保たれることで誰かに悪が起こることは出来ない。とは言え悪が優勢である時、やがて悪は罰せられる、即ち悪い者は自分自身からのように均衡の法則により罰せられる。しかしもし、目的のためでなければ、例えばそこから善が生じるのでなければ、決して罰せられない。
天界の秩序は、このような形とそこからの均衡の中で成り立ち、その秩序は主だけから永遠に形作られ、管理され、また維持される。
 
 
690.更に、一つの社会と完全に、また全く同じもう一つの社会は、決してないこと、また社会の中の一人の者と完全に、また全く同じもう一人の者は、決して居ないこと、しかし、凡てのものの調和しているものと一致するものの多様性があることが、知られなければならない。それらの多様性は主により、主への愛と信仰によって一つの目的に向かって進むように秩序付けられており、ここから結合がある。
それ故、一つの天界と完全に、また全く同様なもう一つの天界は決して存在することはなく、また一つの天界の楽しさと完全に、また全く同じもう一つの天界の楽しさは、決して存在することはない。しかし、愛と信仰の多様性に応じて天界と天界の楽しさの多様性を持つ。従って、愛と信仰の多様性の中に天界と天界の楽しさもまた持つ。
 
 
691.天界の諸々の社会についてのこれらの一般的なことは、様々な、また長く続く経験からのものである。このことについて、特に主の神的な慈悲により後に続く箇所において述べよう。

7-792~793原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-792~793原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

792. Vers. 19, 20. Et aquae corroboratae valde valde super terra, et operti sunt omnes montes alti, qui sub toto caelo. Quindecim cubitis de sursum superarunt aquae, et operuerunt montes. 'Aquae corroboratae valde valde super terra' significant persuasiones falsi quod ita accreverint: 'et operti sunt omnes montes alti, qui sub toto caelo' significant quod omnia bona charitatis exstincta sint: 'quod quindecim cubitis de sursum superarint aquae, et operuerint montes' significant quod nihil residui esset de charitate; 'quindecim' significant ita paucum ut vix quicquam.
 

792. Vers.:節、19, 20. Et:また、そして、aquae:諸々の水、corroboratae:強くされた、valde:大いに、著しく、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra,:地、地上、et:また、そして、operti sunt:隠された、おおわれた、omnes:凡ての、全体の、montes:山々、alti,:高い、高くそびえる、qui:それらは、そのことらは、sub:~の下に、~より下に、toto:全体の、凡ての、caelo.:天から、
Quindecim:15、cubitis:キュービット、(約45cm)de sursum:上の方から、高所から、superarunt:凌駕した、越えた、aquae,:諸々の水、et:また、そして、operuerunt:覆った、montes.:山々を、
'Aquae:諸々の水、corroboratae:強くされた、valde:大いに、著しく、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra':地、地上、significant:意味する、persuasiones:確信、信念、falsi:間違った原理(信念)の、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、それほど、accreverint::増加した、増えた、'et:また、そして、operti sunt:隠された、おおわれた、omnes:凡ての、全体の、montes:山々、alti,:高い、高くそびえる、qui:それは、そのことは、sub:~の下に、~より下に、toto:全体の、凡ての、caelo':天から、significant:意味する、quod:こと、それ、そのこと、omnia:凡ての、全体の、bona:諸々の善、charitatis:仁愛、愛情、exstincta sint::絶滅された、'quod:こと、それ、そのこと、quindecim:15、cubitis:キュービット、(約45cm)de sursum:上の方から、高所から、superarint:凌駕した、越えた、aquae,:諸々の水、et:また、そして、operuerint:覆った、montes':山々、significant:意味する、quod:こと、それ、そのこと、nihil:無、何も~ない、residui:残っている、残された、esset:あった、de:~について、charitate;:仁愛、愛情、'quindecim':15、significant:意味する、ita:talis~ut~、~のような~、paucum:少数の、僅かの、ut vix:辛うじて、殆ど~ない、quicquam.:何か、何も、
 

792.十九、二十節、「諸々の水は地の上に大いに著しく強くされ、また凡ての天の下に(あった)高い凡ての山々が覆われた。
諸々の水は高所から15キュービット越え、そして山々を覆った。」
「諸々の水は地の上に大いに著しく強くされた」は、間違った信念の確信がそれほど増加したことを意味し、「また凡ての天の下に(あった)高い凡ての山々が覆われた」は、仁愛の凡ての諸々の善が絶滅されたことを意味し、「諸々の水は高所から15キュービット越え、そして山々を覆ったこと」は、仁愛について残されたものが何もないことを意味し、「15」は、殆んど何もないような僅かなものを意味する。
 

793. Hic nunc usque ad finem hujus capitis agitur de antediluvianis qui perierunt, quod constare potest a singulis descriptionis; qui in sensu interno sunt, ilico et quidem ex unica voce scire possunt de qua re agitur, magis ex connexu plurium; cum de alia re agitur, ilico sunt aliae voces, aut eaedem voces aliter connexae; causa est quia voces peculiares sunt pro rebus spiritualibus et peculiares pro caelestibus, seu quod idem, pro intellectualibus et pro voluntariis; sicut pro exemplo, 'desolatio' est vox spiritualium, 'vastatio' est caelestium; 'urbs' est spiritualium, 'mons' est caelestium, et sic porro; similiter in connexionibus; et quod quisque non potest non mirari, in lingua Hebraea distinguuntur persaepe sono; quae ad classem spiritualium pertinent, in iis dominari solent vocales tres primae; in quibus caelestia, vocales binae ultimae: quod hic nunc de alia re agatur, etiam inde cognoscitur, tum a repetitione, de qua prius, quod nempe hic iterum dicatur, 'Et aquae corroboratae sunt valde valde super terra,' quod in vers. praec. etiam dictum; tum ab omnibus quae sequuntur.
 

793. Hic:ここに、この場に、nunc:今、現在、usque ad:~に至るまで、finem:終わり、終結、hujus:この、capitis:章、agitur:述べられる、取り扱われる、de:~について、antediluvianis:洪水前、qui:その者達、perierunt,:死んだ、滅びた、quod:こと、それ、そのこと、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、a:~から、~により、singulis:別々の、個別の、descriptionis;:記述、叙述、qui:その者達、in:~の中、~において、sensu interno:内意、sunt,:ある、ilico:その場で、直ちに、et quidem:その上、実際に、ex:~から、~により、unica:唯一のもの、最も貴いもの、voce:言葉、言語、scire:知ること、possunt:出来る、可能である、de:~について、qua:それから、そのことから、re:事柄、物事、agitur,:述べられる、取り扱われる、magis:もっと、更に、ex:~から、~により、connexu:関連、連続、plurium;:より多くの、多数の、cum:その時、その場合、de:~について、alia:他のもの、別のもの、re:事柄、物事、agitur,:述べられる、取り扱われる、ilico:その場で、直ちに、sunt:ある、aliae:他のもの、別のもの、voces,:言葉、言語、aut:即ち、或いは、eaedem:同じ、同様のもの、voces:言葉、言語、aliter:他の方法で、異なって、connexae;:関連、連続、causa est quia:その理由は、voces:言葉、言語、peculiares:独特の、特有の、sunt:ある、pro:~として、~のために、rebus:事柄、物事、spiritualibus:霊的な、et:また、そして、peculiares:独特の、特有の、pro:~として、~のために、caelestibus,:天的な、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、idem,:同じ、同様のもの、pro:~として、~のために、intellectualibus:理解の、et:~と、および、pro:~として、~のために、voluntariis;:意志の、sicut:例えば、丁度~のように、pro:~として、~のために、exemplo,:例、例として、'desolatio':荒廃、荒れ果てた状態、est:ある、vox:言葉、言語、spiritualium,:霊的な、'vastatio':荒廃、浄化、est:ある、caelestium;:天的な、'urbs':大きな町、都市、est:ある、spiritualium,:霊的な、'mons':山、丘、est:ある、caelestium,:天的な、et sic porro;:など、その他、similiter:同様に、似ている、in:~の中、~において、connexionibus;:連結、結合、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、quisque:各々の、誰でも、non:否、potest:出来る、可能である、non:否、mirari,:驚くこと、in:~の中、~において、lingua Hebraea:ヘブル語、distinguuntur:区別される、persaepe:度々,頻繁に、sono;:調子、語調、quae:それらは、そのことらは、ad:~に、~へ、classem:部類、種類、spiritualium:霊的な、pertinent,:関係する、関わる、in:~の中、~において、iis:それらが、dominari:支配すること、優位を占めること、solent:常である、通例である、vocales:母音、tres:3、primae;:第一の、最初の、in:~の中、~に関して、quibus:それらから、そのことらから、caelestia,:天的な、vocales:母音、binae:2、ultimae::最後、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、nunc:今、現在、de:~について、alia:他のもの、別のもの、re:事柄、物事、agatur,:述べられる、取り扱われる、etiam:~もまた、さらに、inde:それ故、そこから、cognoscitur,:知られる、認められる、tum:その上、さらに、a:~から、~により、repetitione,:要点の繰返し、反復、de:~について、qua:それから、そのことから、prius,:以前に、前に、quod:こと、それ、そのこと、nempe:正確には、即ち、hic:ここに、この場に、iterum:再び、もう一度、dicatur,:言われる、'Et:また、そして、aquae:諸々の水、corroboratae sunt:強くされた、valde:大いに、著しく、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra,':地、地上、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、vers.:節、praec.:先行している、etiam:~もまた、さらに、dictum;:言われた、tum:その上、さらに、ab:~から、~により、omnibus:凡ての、全体の、quae:それらは、そのことらは、sequuntur.:続く、続いて来る、
 

793.今ここで、この章の終わりまで述べられる個々の記述から、洪水前に滅びた者達について知られることが出来よう。(聖言の)内意の中に居る者達は、実際に一つの言葉から述べられている事柄について、更に(言葉の)関連により多くの(事柄について)、直ちに知ることが出来る。他の事柄が述べられる時は、直ちに別の言葉がある(言葉に変わるか)、或いは同じ言葉が異なった関連(になる)。その理由は、霊的な事柄として特有の言葉があり、また天的な(事柄として)特有の(言葉があるからである)。即ち同じこと(であるが)、理解の(もの)として(特有の言葉があり)、また意志の(もの)として(特有の言葉があるからである)。例えば例として、「荒廃(desolatio)」は霊的な(事柄で)あり、「浄化(vastatio)」は天的な(事柄で)あり、「大きな町」は霊的な(事柄で)あり、「山」は天的な(事柄で)ある。その他。(言葉の)結合においても同様(であり)、また誰でも驚かないことが出来ない(驚かないわけにはいかない)が、ヘブル語においては頻繁に語調で区別される。霊的な種類に関わる(言葉は)、最初の三つの母音が優勢であることが常であり、天的な(種類に関わる言葉に関しては)、最後の二つの母音が(優勢である)。それ故、今はここで他の事柄について述べられていることもまた知られよう。更に、繰り返しから、即ち前に(言われたこと)について(の繰り返しからも知られよう)。「また諸々の水は地の上に大いに著しく強くされた」は、先行している(18)節においてもまた言われた。更に続く凡ての(箇所)からも(知られよう)。

6-682~683意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-682~683意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

682.二十二節、「そして、ノアは神が彼に命じられた凡てのことに従って行った。そのように彼は行った。」
「ノアは神が彼に命じられた凡てのことに従って行なったこと」は、そのように行なわれたことを意味する。「行なった」と二度言われていることは、それが真理と善の両方を含むからである。
 

683.「行なったと二度言われている」ことは、真理と善の両方を含み、聖言において、特に預言者達の許に一つの事柄が二つの方法で記述されていることが知られなければならない。例えば、イザヤ書において、
「彼は平和に過し、自分の足で道を歩まなかった。誰が平和を作ったのか? また誰の足で歩んだのか?」41.3,4、ここでやはり、一つは善に関係し、これに反し、もう一つは真理に関係する。即ち、一つは意志のものに関係し、もう一つは理解のものに関係する。従って「平和に過したこと」は意志のものを含み、「自分の足で道を歩まないこと」は理解のものを含む。「作ったことと歩んだこと」も同様である。このように、意志のものと理解のもの、即ち愛のものと信仰のもの、即ち同じことであるが、天的なものと霊的なものは聖言において連結されている。これは個別のものの中に結婚に等しいものがあること、また天的な結婚に関係することがあることである。ここの上記の聖言も同様に、一つの表現が繰り返されている。

7-790~791原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-790~791原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

790. Quod 'aquae' hic et in sequentibus significent falsa, constare potest ab illis locis ex Verbo quae in praemissis hujus capitis et quae ad vers. 6 hujus capitis allata sunt, ubi de diluvio seu inundatione aquarum; ibi ostensum est quod 'inundationes aquarum' significaverint desolationes et tentationes, quae idem involvunt ac falsa, nam desolationes et tentationes non sunt nisi quam inundationes falsorum excitatorum a malis spiritibus; quod tales aquae falsa significent, inde est quia in genere 'aquae' in Verbo significant spirituale, hoc est, intellectuale, rationale et scientificum; et quia haec, etiam significant contraria, omne enim falsum est scientificum quoddam, et apparet sicut rationale et intellectuale, quia est cogitationis: [2] quod 'aquae' spiritualia significent, ex plurimis locis in Verbo constat; at quod etiam falsa, praeter illa quae prius adducta sunt, sint sequentia haec confirmationi: apud Esaiam,
Reprobavit populus hic aquas Shiloah euntes leniter;... ideo ecce Dominus ascendere faciens super eos aquas fluminis validas et multas;... et ascendet super omnes rivos ejus, et ibit super omnes ripas ejus, viii 6, 7;
ubi 'aquae leniter euntes' pro spiritualibus, 'aquae validae et multae' pro falsis: apud eundem,
Vae terrae inumbranti alis, quae trans flumina Kushi, mittens in mare legatos, et in vasis junci super faciebus aquarum: ite legati celeres... ad gentem delineatam et conculcatam, cujus terram depraedata sunt flumina, xviii
1, 2;
pro falsis, quae sunt 'terrae inumbrantis alis': [3] apud eundem,
Cum transibis per aquas, tecum Ego; et per flumina, non submergent te, xliii 2;
'aquae et flumina' pro difficultatibus, tum pro falsis: apud Jeremiam,
Quid tibi cum via Aegypti, ad bibendum aquas Shihoris?
et quid tibi cum via Asshuris, ad bibendum aquas fluminis? ii 18;
'aquae' pro falsis ex ratiociniis: apud eundem,
Quis hic sicut flumen ascendit, sicut flumina commoventur aquae ejus? Aegyptus sicut flumen ascendit, et sicut flumina commoventur aquae, et dixit, Ascendam, operiam terram, perdam urbem, et habitantes in ea, xlvi 7, 8;
[4] 'aquae' pro falsis ex ratiociniis: apud Ezechielem,
Sic dixit Dominus Jehovih, Cum dedero te urbem vastatam, sicut urbes quae non habitantur, cum ascendere fecero supra te abyssum, et operuerint te aquae multae, et descendere te fecero cum descendentibus in foveam, xxvi 19 [20];
'aquae' pro malis et falsis inde: apud Habakkuk,
Calcasti mare equis Tuis, lutum aquarum multarum, iii 15;
'aquae' pro falsis: apud Johannem,
Ejecit draco post mulierem ex ore suo aquam sicut fluvium, ut eam a flumine absorptam faceret, Apoc. xii 15, 16;
ubi 'aquae' pro falsis et mendaciis: apud Davidem,
Mitte manus Tuas de alto, eripe me, et libera me ex aquis multis, e manu filiorum alienigenae, quorum os loquitur mendacium, et dextra eorum dextra falsitatis, Ps. cxliv 7, 8;
ubi 'aquae multae' manifeste pro falsis: 'filii alienigenae' quoque significant falsa.

790. Quod:こと、それ、そのこと、'aquae':諸々の水、hic:ここに、この場に、et:~と、および、in:~の中、~において、sequentibus:次の、後に続く、significent:意味する、falsa,:諸々の間違った原理(信念)を、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ab:~から、~により、illis:それらから、locis:くだり、箇所、ex:~から、~により、Verbo:聖言、御言葉、quae:それらは、そのことらは、in:~の中、~において、praemissis:前置きとして言われた、あらかじめ言われた、hujus:この、capitis:章、et:また、そして、quae:それらは、そのことらは、ad:~に、~~と一緒に、vers.:節、6 hujus:この、capitis:章、allata sunt,:述べられた、ubi:そこで、その場所、de:~について、~に関して、diluvio:洪水、seu:即ち、或いは、inundatione:氾濫、aquarum;:諸々の水、ibi:そこに、そこで、ostensum est:示された、quod:こと、それ、そのこと、'inundationes:氾濫、aquarum':諸々の水、significaverint:意味した、desolationes:荒れ果てた状態、荒廃、et:~と、および、tentationes,:誘惑、試練、quae:それらは、そのことらは、idem:同じ、同様のもの、involvunt:含む、ac:そして、~と、falsa,:諸々の間違った原理(信念)を、nam:なぜなら、というのも、desolationes:荒れ果てた状態、荒廃、et:~と、および、tentationes:誘惑、試練、non:否、sunt:ある、nisi:~以外、もし~でなければ、quam inundationes:氾濫、falsorum:諸々の間違った原理(信念)、excitatorum:激しい、強烈な、a:~から、~により、malis:諸々の悪から、spiritibus;:霊達から、quod:こと、それ、そのこと、tales:このような、次のような、aquae:諸々の水、falsa:諸々の間違った原理(信念)を、significent,:意味する、inde:それ故、そこから、est:ある、quia:なぜなら、ので、in genere:一般的に、'aquae':諸々の水、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、significant:意味する、spirituale,:霊的な、hoc est,:即ち、intellectuale,:理解の、rationale:理性的な、et:~と、および、scientificum;:事実に基づく、科学的な、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、haec,:これらは、etiam:~もまた、さらに、significant:意味する、contraria,:反対の、相反する、omne:凡ての、全体の、enim:なぜならば、~というのは、falsum:間違った原理(信念)を、est:ある、scientificum:事実に基づく、科学的な、quoddam,:ある種の、何らかの、et:また、そして、apparet:現れる、見える、sicut:~の如く、~のように、rationale:理性的な、et:~と、および、intellectuale,:理解の、quia:なぜなら、ので、est:ある、cogitationis::思考の、
[2] quod:こと、それ、そのこと、'aquae':諸々の水、spiritualia:霊的な、significent,:意味する、ex:~から、~により、plurimis:非常に多くの、極めて多くの、locis:くだり、箇所、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、constat;:知られる、明らかである、at:しかし、それに対して、quod:こと、それ、そのこと、etiam:~もまた、さらに、falsa,:諸々の間違った原理(信念)を、praeter:~を除いて、以外に、illa:それらを、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、adducta sunt,:提示された、sint:ある、sequentia:あとに来るもの、続き、haec:これらを、confirmationi::確信、確認、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Reprobavit:退けた、捨てた、populus:人々、民、hic:これは、aquas:諸々の水、Shiloah:シロ、(ベテルの北方の町)euntes:行っている、進んでいる、leniter;:穏やかに、静かに、... ideo:それ故に、そのために、ecce:見よ、ほら、Dominus:主は、ascendere:上がること、達すること、faciens:生じている、起している、super:~の上に、~を越えて、eos:彼らを、aquas:諸々の水、fluminis:川、流れ、validas:激しい、猛烈な、et:また、そして、multas;:多量の、多くの、... et:また、そして、ascendet:上がる、達する、super:~の上で、~の上に、omnes:凡ての、全体の、rivos:派生物、分かれ、ejus,:それの、彼の、et:また、そして、ibit:行く、来る、(eoの三人称単数未来)super:~の上で、~の上に、omnes:凡ての、全体の、ripas:岸、土手、ejus,:それの、彼の、viii 6, 7; ubi:そこで、その場所、'aquae:諸々の水、leniter:穏やかに、静かに、euntes':行っている、進んでいる、pro:~として、~のために、spiritualibus,:霊的な、'aquae:諸々の水、validae:激しい、猛烈な、et:~と、および、multae':多量の、多くの、pro:~として、~のために、falsis::諸々の間違った原理(信念)を、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Vae:ああ悲しいかな、災いなるかな、terrae:地よ、(呼格)inumbranti:暗くしている、影を投げかけている、(現在分詞与格)alis,:羽、翼、quae:それは、そのことは、trans:向こう側に、~を越えて、flumina:諸々の川、諸々の流れ、Kushi,:クシュ、(=Cush:エチオピア)mittens:派遣している、(呼格)in:~の中、~において、mare:海、海水、legatos,:使者達を、et:また、そして、in:~の中、~において、vasis:容器、入れ物、junci:い草、灯心草(亜麻)、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum::諸々の水、ite:行け、来い、(eoの複数命令形)legati:使者達よ、(複数呼格)celeres:素早い、迅速な、... ad:~に、~に向かって、gentem:人々、民、delineatam:しるし付けられた、et:また、そして、conculcatam,:虐げられた、cujus:それの、そのことの、terram:地、地上、depraedata sunt:略奪された、flumina,:諸々の川、諸々の流れ、xviii1, 2; pro:~として、~のために、falsis,:諸々の間違った原理(信念)を、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、'terrae:地、地上、inumbrantis:暗くしている、影を投げかけている、(現在分詞属格)alis'::羽、翼、
[3] apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Cum:その時、その場合、transibis:越える、渡る、(二人称単数未来)per:~を通して、~越えて、aquas,:諸々の水、tecum:あなた自身で、あなたと一緒に、(=cum te)Ego;:私は、et:また、そして、per:~を通して、~越えて、flumina,:諸々の川、諸々の流れ、non:否、submergent:沈める、沈没させる、(三人称複数未来)te,:あなたを、xliii 2; 'aquae:諸々の水、et:~と、および、flumina':諸々の川、諸々の流れ、pro:~として、~のために、difficultatibus,:諸々の困難、諸々の窮乏、tum:その上、さらに、pro:~として、~のために、falsis::諸々の間違った原理(信念)、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Quid:何か?、どんな?、tibi:あなたに、cum:~に、~と一緒に、via:道へ、Aegypti,:エジプト、ad:~に、~のために、bibendum:飲むことへ、aquas:諸々の水、Shihoris?:エジプトの川、ナイル川、
et:また、そして、quid:何か?、どんな?、tibi:あなたに、cum:~に、~と一緒に、via:道へ、Asshuris,:アシュル、ad:~に、~のために、bibendum:飲むことへ、aquas:諸々の水、fluminis?:川、流れ、(Euphratis):ユーフラテス川、ii 18; 'aquae':諸々の水、pro:~として、~のために、falsis:諸々の間違った原理(信念)、ex:~から、~により、ratiociniis::諸々の誤った推論、諸々の誤った推理、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Quis:誰が、誰が居るだろうか、hic:ここに、この場に、sicut:~の如く、~のように、flumen:川、流れ、ascendit,:増水する、上がる、上昇する、sicut:~の如く、~のように、flumina:諸々の川、諸々の流れ、commoventur:かき乱される、aquae:諸々の水、ejus?:それの、彼の、Aegyptus:エジプト、sicut:~の如く、~のように、flumen:川、流れ、ascendit,:増水する、上がる、上昇する、et:また、そして、sicut:~の如く、~のように、flumina:諸々の川、諸々の流れ、commoventur:かき乱される、aquae,:諸々の水、et:また、そして、dixit,:言った、Ascendam,:増水する、上がる、上昇する、(一人称単数未来)operiam:隠す、おおい隠す、覆う、(一人称単数未来)terram,:地、地上、perdam:滅ぼす、殺す、(一人称単数未来)urbem,:大きな町、都市、et:また、そして、habitantes:住んでいる、in:~の中、~において、ea,:それから、xlvi 7, 8;
[4] 'aquae':諸々の水、pro:~として、~のために、falsis:諸々の間違った原理(信念)、ex:~から、~により、ratiociniis::諸々の誤った推論、諸々の誤った推理、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
Sic:こうして、このように、dicit:言った、Dominus:主は、Jehovih,:エホビ、Cum:その時、その場合、dedero:与える、為す(一人称単数未来完了)te:あなたを、urbem:大きな町、都市、vastatam,:荒された、浄化された、sicut:~の如く、~のように、urbes:大きな町々、諸々の都市、quae:それらは、そのことらは、non:否、habitantur,:住む、居住する、cum:その時、その場合、ascendere:上がること、昇ること、fecero:為す、起こす、(一人称単数未来完了)supra:上に、上部に、te:あなたを、abyssum,:深淵、底知れぬ深み、et:また、そして、operuerint:覆った、覆い隠した、te:あなたを、aquae:諸々の水、multae,:多数の、多くの、et:また、そして、descendere:降りること、沈むこと、te:あなたを、fecero:行なう、為す、(一人称単数未来完了)cum:~と一緒に、~と、descendentibus:降りている、沈んでいる、in:~の中へ、~へ、foveam,:穴、落とし穴、xxvi 19 [20]; 'aquae':諸々の水、pro:~として、~のために、malis:諸々の悪、et:~と、および、falsis:諸々の間違った原理(信念)、inde::それ故、そこから、apud:~のもとに、~において、Habakkuk,:ハバクク、
Calcasti:踏んだ、踏みつけた、(二人称単数完了Calcavisti?)mare:海、海水、equis:諸々の馬、騎兵達、Tuis,:あなたの、lutum:泥、ぬかるみ、aquarum:諸々の水、multarum,:多数の、多くの、iii 15; 'aquae':諸々の水、pro:~として、~のために、falsis::諸々の間違った原理(信念)を、apud:~のもとに、~において、Johannem,:ヨハネ、
Ejecit:吐き出した、draco:竜、蛇、post:~の後に、~の後ろに、mulierem:女、婦人、ex:~から、~により、ore:口、suo:自分自身から、aquam:諸々の水、sicut:~の如く、~のように、fluvium,:川、流れ、ut:~のために、こと、~するように、eam:彼女を、a:~から、~により、flumine:川、流れ、absorptam:呑み込まれた、faceret,:~させる、為した、Apoc.:黙示録、xii 15, 16; ubi:そこで、その場所、'aquae':諸々の水、pro:~として、~のために、falsis:諸々の間違った原理(信念)、et:~と、および、mendaciis::諸々の虚言、諸々の偽り、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Mitte:差し向けよ、(命令形)manus:手、Tuas:あなたの、de:~について、~から、alto,:高い、高くそびえている、eripe:救え、me,:私を、et:また、そして、libera:解放せよ、me:私を、ex:~から、~により、aquis:諸々の水、multis,:多数の、多くの、e:~から、~により、manu:手、filiorum:息子達、alienigenae,:外国人、よそ者、quorum:その者達、os:口、loquitur:話す、語る、mendacium,:虚言、偽り、et:また、そして、dextra:右、右手、eorum:それらの、彼らの、dextra:右、右手、falsitatis,:間違った原理(信念)、虚偽、Ps.:詩篇、cxliv 7, 8; ubi:そこで、その場所、'aquae:諸々の水、multae':多数の、多くの、manifeste:明瞭に、明らかに、pro:~として、~のために、falsis::諸々の間違った原理(信念)、'filii:息子達、alienigenae':外国人、よそ者、quoque:~もまた、同じく、significant:意味する、falsa.:諸々の間違った原理(信念)を、
 

790.「諸々の水」が、ここ(の節)と次の(節)において諸々の間違った信念を意味することは、この章の前置きとして言われ、またこの章の6節に述べられた聖言からの箇所から知られることが出来よう。そこで諸々の水の洪水、即ち氾濫について(述べられた)。そこで「諸々の水の氾濫」は荒廃と試練を意味し、それらは諸々の間違った信念と同じものを含むことが示された。なぜなら、荒廃と試練は、諸々の悪の霊達からの激しい諸々の間違った信念の氾濫以外ではないからである。このように諸々の水が諸々の間違った信念を意味することは、聖言において一般的に「諸々の水」が霊的なもの、即ち、理解の(もの)、理性的なもの、科学的なものを意味するので、それ故である。なぜなら、またこれら(理解の(もの)、理性的なもの、科学的なもの)は、反対のものもまた意味するからである。というのは、凡ての間違った信念はある種の科学的なものであり、また理性的なものと理解の(ものの)如く見えるからである。なぜなら、それは思考の(もので)あるからである。
[2]「諸々の水」が霊的なものを意味することは、聖言において極めて多くの箇所から知られよう。これに対して、(「諸々の水」が)間違った信念もまた(意味する)ことは、前に提示されたものを除いて、後に続く(箇所)で確認(出来よう)。イザヤ(書)において、
「この民は静かに流れているシロの諸々の水を捨てた。...それ故に見よ、主は激しい、また多量の川の諸々の水が彼らを越えて達することを為す。...またそれが彼の凡ての派生物を越えて達し、またその凡ての岸を越えてそこまで(達する)。」8.6,7、ここで「静かに流れている諸々の水」は、霊的な(諸々の真理)として、「激しい、また多量の諸々の水」は、諸々の間違った信念として(記述されている)。同(書)において、
「災いなるかな、クシュ(=Cush:エチオピア)の諸々の川の向こう側に翼で影を投げかけている地よ、使者達を海に派遣している者よ、また諸々の水面の上でい草の入れ物(舟)で(派遣している者よ)、素早い使者達よ行け、...しるしを付けられ、また虐げられた民に向かって(行け)、その(民の)地を略奪された諸々の川(が流れる)。」18.1,2、(ここの)「翼で影を投げかけている地」は諸々の間違った信念として(記述されている)。
[3]同(書)において、
「あなたが諸々の水を越えて渡る時、私はあなたと一緒に(渡るであろう)。また諸々の川を越える(時)、それら(川)はあなたを沈めないであろう。」43.2、(ここの)「諸々の水と諸々の川」は、諸々の困難として、更に諸々の間違った信念として(記述されている)。エレミヤ(書)において、
「何があなたにナイル川の諸々の水を飲むためにエジプトの道に(行かせるのか)?また何があなたにユーフラテス川の諸々の水を飲むためにアシュルの道に(行かせるのか)?」2.18、(ここの)「諸々の水は、諸々の誤った推論からの諸々の間違った信念として(記述されている)。同(書)において、
「ここで増水する川の如く、その諸々の水がかき乱される諸々の川の如く誰が居るだろうか? エジプトは増水する川の如く、また諸々の水がかき乱される諸々の川の如く(ある)。そして彼は言った。私は増水して地を覆い隠して大きな町を滅ぼすであろう。またその中に住んでいる者達を(滅ぼすであろう)。」46.7,8、(ここの)「諸々の水」は、諸々の誤った推論からの諸々の間違った信念として(記述されている)。
[4]エゼキエル(書)において、
「主エホビはこのように言われた、私があなたの荒らされた町を(誰も)住まない町々の如く為す時、私があなたの上に深淵が昇ることを為す時、多くの諸々の水があなたを覆ったであろう。また私はあなたを落とし穴へ沈んで(落ちて)いる者達と一緒に沈むことを為すであろう(落とすであろう)。」26.19、(ここの)「諸々の水」は、諸々の悪と、そこからの間違った信念として(記述されている)。ハバクク(書)において、
「あなたはあなたの騎兵達で海を踏み付け、多くの諸々の水のぬかるみを(踏み付けられた)。」3.15、(ここの)「諸々の水」は諸々の間違った信念として(記述されている)。ヨハネ(の書)において、
「竜は女の後ろで自分の口から川の如く諸々の水を吐き出し、彼女を流れに呑み込ませようとした。」黙示録、7.15,16、ここで「諸々の水」は諸々の間違った信念と諸々の虚言として(記述されている)。ダビデ(の書)において、
「高き(所)からあなたの手を差し向けて、私を多くの諸々の水から、(また)よそ者の息子達の手から救い、また解放し給え。彼らの口は虚言を語り、彼らの右手は虚偽の右手(です)。」詩篇、144.7,8、ここで「多くの諸々の水」は、明瞭に間違った信念として(記述され)、「よそ者の息子達」もまた諸々の間違った信念を意味する。
 

791. Hic nunc actum est de Noaho, seu de regeneratis qui Noahus vocati, qui in arca fuerunt et elevati supra aquas; sequitur nunc de posteris Antiquissimae Ecclesiae, qui sub aquis, seu aquis submersi sunt.
 

791. Hic:ここに、この場に、nunc:今しがた、たった今、actum est:述べられた、de:~について、~に関して、Noaho,:ノア、seu:即ち、或いは、de:~について、~に関して、regeneratis:再生された、qui:その者達、Noahus:ノア、vocati,:呼ばれた、qui:その者達、in:~の中、~において、arca:箱舟、fuerunt:あった、et:~と、および、elevati:上げられた、supra:~の上に、上方に、aquas;:諸々の水、sequitur:続く、続いて来る、nunc:今や、今から、de:~について、~に関して、posteris:子孫、末裔、Antiquissimae:最古代、Ecclesiae,:教会、qui:その者達、sub:~の下に、~より下に、aquis,:諸々の水、seu:即ち、或いは、aquis:諸々の水、submersi sunt.:沈められた、
 

791.ここで今まで、ノアについて、即ちノアと呼ばれた再生された者達について述べられた。続いて今からは、諸々の水の下に、即ち諸々の水に沈められた最古代教会の子孫達について(述べられる)。

6-681意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-681意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

681.天的な食物と霊的な食物が何かは、他生において申し分なく知られることが出来よう。天使達と霊達の生命はこの世におけるどのような食物によっても保たれないが、しかし主御自身がマタイ伝、4.4、で教えておられる如く「主の口から出る各々の言葉により」保たれる。このことは次のようにその事柄を持つ。主だけが凡ての生命であり、天使達と霊達が考え、話し、および行なう全体的なものも個別的なものも、主御自身から生ずる。
このことは天使達と善の霊達だけでなく、更に悪の霊達が悪を話し、また行なうこともまた生じさせる。その理由は、彼らは主の凡ての善と真理を、勿論受け入れるが、ところがしかしひっくり返すからである。受け入れている形のままに、そのように受容と働きかけられた状態がある。このことは、太陽の光を受け入れる様々な対象に比較されることが出来よう。また或る対象によって形と部分の取り合わせと方向に従って受け入れられた光を不愉快な色と不快な色に変え、別な対象によって同じ光が愉快な色に、また美しい色に変えられることに比較出来よう。
このように全天界と霊達の全世界は、主の口から出て来る凡てのものから生きており、また各々の者も自分自身の生命をそこから持つ。それどころか、天界と霊達の世界だけでなく、更に全人類もそこから生命を持つ。これらのことは信じ難いことを私は知っているが、しかしそれでもなお、幾年もの永続している経験により最も真実なことであると断言することが出来る。霊達の世界の中の悪の霊達は、このように信じることを欲しない。それ故に、彼らのおびただしい者達は、生命のあるものによって、そのようにその事柄を持つことを示され、不本意ながら認めた。もし、天使達、霊達、および人間達がこの食物を奪われたなら、瞬間に死ぬであろう。

7-789原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-789原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

789. Fluctuationes hominis hujus Ecclesiae describuntur hic per quod 'primum creverint aquae,' hoc est, falsa; tum quod 'sustulerint arcam'; adhuc quod 'elevata sit desuper terra'; dein quod 'corroboratae aquae et auctae valde super terra'; demum quod 'iverit arca super faciebus aquarum'; sed singulos fluctuationis gradus describere, et prolixum nimis et supervacaneum foret; satis est quod sciatur, hic describi illos; solum quid significet quod 'arca elevata sit desuper terra, et iverit super faciebus aquarum,' quod constare nemini potest nisi sit instructus quomodo homo a malis et falsis detinetur; hoc quia arcanum est, paucis describendum: omnis homo in genere, tum quoque regeneratus, talis est ut nisi Dominus detineat eum a malis et falsis, quod se praecipitem conjiciat in infernum, et quo momento non detinetur, praeceps ruit; quod per experientias mihi notum factum, et repraesentatum quoque per equum, de quo videatur, n. 187, 188: haec detentio a malis et falsis non aliter se habet ac 'elevatio,' sic ut mala et falsa percipiantur infra, et is supra; de qua elevatione, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus: haec elevatio est quae significatur per 'arcam quod elevata sit desuper terra' et quod 'iverit arca super faciebus aquarum.'
 

789. Fluctuationes:波に揺さぶられている状態、動揺、hominis:人間の、hujus:この、Ecclesiae:教会、describuntur:記述される、述べられる、hic:ここに、この場に、per:~を通して、~によって、quod:こと、それ、そのこと、'primum:最初に、先ず、creverint:増した、aquae,':諸々の水、hoc est,:即ち、falsa;:諸々の間違った原理(信念)、tum:その上、さらに、quod:こと、それ、そのこと、'sustulerint:上がった、持ち上がった、arcam';:箱舟、adhuc:更に、なお更、quod:こと、それ、そのこと、'elevata sit:上げられた、desuper:上方から、(de+super)terra';:地、地上、dein:その後、次いで、quod:こと、それ、そのこと、'corroboratae:強くされた、aquae:諸々の水、et:また、そして、auctae:大きくなった、増加した、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra';:地、地上、demum:最後に、ついに、quod:こと、それ、そのこと、'iverit:動いた、漂った、arca:箱舟、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum';:諸々の水、sed:しかし、singulos:別々の、個別の、fluctuationis:波に揺さぶられている状態、動揺、gradus:段階、程度、describere,:記述すること、述べること、et:また、同時に、prolixum:とめどなく、退屈な、nimis:過度に、あまりに、et:~と、および、supervacaneum:余分の、不要な、foret;:あった、satis:十分に、全く、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、sciatur,:知られる、hic:ここに、この場に、describi:記述されること、述べられること、illos;:それらを、solum:だけ、のみ、quid:何か?、どんな?、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、'arca:箱舟、elevata sit:上げられた、desuper:上方から、(de+super)terra,:地、地上、et:~と、および、iverit:動いた、漂った、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum,':諸々の水、quod:こと、それ、そのこと、constare:知られること、明らかであること、nemini:誰も~ない、potest:出来る、可能である、nisi:~以外、もし~でなければ、sit:ある、instructus:備えられた、よく教えられた、quomodo:どのように、どうして、homo:人間、a:~から、~により、malis:諸々の悪、et:~と、および、falsis:諸々の間違った原理(信念)、detinetur;:保たれる、保持される、hoc:これは、quia:なぜなら、ので、arcanum:秘義、奥義、est,:ある、paucis:簡潔に、手短に、describendum::述べられるべき、(未来受動分詞)omnis:凡ての、全体の、homo:人間、in genere,:一般的に、tum:その上、さらに、quoque:~もまた、同じく、regeneratus,:再生された、talis:このような、次のような、est:ある、ut:~のために、こと、~するように、nisi:~以外、もし~でなければ、Dominus:主が、detineat:保つ、保持する、eum:彼を、a:~から、~により、malis:諸々の悪、et:~と、および、falsis,:諸々の間違った原理(信念)、quod:こと、それ、そのこと、se:自分自身を、praecipitem:真っ逆さまに、突進する、conjiciat:投げ込む、急いで行く、in:~の中へ、~へ、infernum,:地獄へ、et:また、そして、quo momento:瞬間、短時間、non:否、detinetur,:保持される、praeceps:真っ逆さまに、突進する、ruit;:突進する、急行する、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、experientias:観察、経験、mihi:私に、notum:よく知られた、熟知された、factum,:為された、行われた、et:また、そして、repraesentatum:表象された、象徴された、quoque:~もまた、同じく、per:~を通して、~によって、equum,:馬、騎兵、de:~について、~に関して、quo:それから、そのことから、videatur,:見られる、認められる、n.:番号、187, 188: haec:これは、detentio:抑制されている状態、制止、a:~から、~により、malis:諸々の悪、et:~と、および、falsis:諸々の間違った原理(信念)、non:否、aliter:他の方法で、異なって、se:それ自身を、habet:持つ、見なす、ac:~のように、~と同様に、'elevatio,':上がること、sic:そのように、こうして、ut:~のために、こと、~するように、mala:諸々の悪、et:~と、および、falsa:諸々の間違った原理(信念)を、percipiantur:認められる、獲得される、infra,:下方の、下部の、et:また、そして、is supra;:上に、上部に、de:~について、~に関して、qua:それから、そのことから、elevatione,:上がること、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus::次の、後に続く、haec:これは、elevatio:上がること、est:ある、quae:それらは、そのことらは、significatur:意味される、per:~を通して、~によって、'arcam:箱舟、quod:こと、それ、そのこと、elevata sit:上げられた、desuper:上方から、(de+super)terra':地、地上、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、'iverit:動いた、漂った、arca:箱舟、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum.':諸々の水、
 

789.この教会の人間の動揺が「始めに諸々の水が増した」こと、即ち諸々の間違った信念が(増した)こと、その上「箱舟が持ち上がった」こと、更に「地の上から上げられた」こと、次いで「諸々の水は地の上で強くされ、そして著しく増加した」こと、最後に「箱舟が諸々の水面の上で漂った」ことによって記述されている。しかし、動揺の個別的な程度について記述することは、同時にあまりにとめどなく(なり)、また不要である。ここに記述されていることが知られることで十分である。ただ「箱舟が地の上から上げられたことと諸々の水面の上で漂った」ことが何を意味するかを(述べよう)。このことはもし、人間がどのようにして諸々の悪と諸々の間違った信念から、保たれるかが教えられなければ、誰にも知られることが出来ない。これは秘義であるので簡潔に述べられなければならない。一般的な凡ての人間、更に再生された者もまた、主がもし、彼(人間)を諸々の悪と諸々の間違った信念から保持しなければ、自分自身を真っ逆様に地獄へ投げ込み、また保持されなくなった瞬間、真っ逆様に(地獄へ)突進するような者である。このことは私に観察によって熟知されたものに為され、また馬によってもまた表象された。このことについては187,188番に認められよう。諸々の悪と諸々の間違った信念から抑制されている状態は、「上がること」と同様に彼(人間)は、それを見なし異なって(見なさない)。そのように諸々の悪と諸々の間違った信念下部で認められ、またそれが上部で(認められる)。この上がることについては主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。この上がることは「箱舟が地の上から上げられたこと」、また「諸々の水面の上で漂った」ことによって意味される。

6-680意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-680意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

680.善と真理は人間の真正の食物であることは各々の者に知られることが出来よう。というのは、それらを奪われる者は霊的な生命を持たず、霊的に死んだ者だからである。霊的な生命のない時、死の食物である悪と間違った信念からの魅力的な楽しいものがあり、更に、形体的な事柄、世俗的な事柄、および自然的な事柄からの魅力的な楽しいものがある。それらの食物に彼の霊魂は楽しまされる。それらは、本来霊的な生命を何も持たない。
また更に、前述のような人間は霊的な食物と天的な食物が何か知らないので、聖言において「食物」、即ち「パン」が、例えあれほど何度も言われても、地的な食物が意味されることを信じる。例えば、主の祈りにおいて「私達に日々の食物を与え給え」を身体の食物であることだけを信じる。また更に、その考えを拡大する者は、それ以外の身体に必要なものであることもまた肯定する。例えば、衣服、財産、および同様なものを肯定する。それどころか、主の祈りにおける食物の言葉の先行している箇所と後に続く箇所が天的なものと霊的なものだけを含み、また主の王国について述べられていることを明瞭に認め、更に主の聖言が天的なものと霊的なものであることを知ることが出来ても、それにもかかわらず、他の食物が意味されないことを鋭く主張する。
[2]ここの主の祈りの箇所から、また他の同様な箇所から、今日の人間が如何に多大に形体的な者であるか、また聖言の中で言われているユダヤ人達の如く、物質的な意味で、また最も粗雑な意味で理解することを欲するか、十分に知られることが出来よう。主御自身が御自身の聖言において、「食物とパン」によって何が意味されるか、明瞭に教えておられる。ヨハネ伝において食物について次のように述べておられる。
「イエスは言われた。消える食物のために働かないで、永遠の生命の中へ保つ食物のために働くように、それを人間の神の子があなた達に与える。」6.27、パンについて同書において、
「あなた達の先祖達は砂漠でマナを食べたが、しかるに彼らは死んだ。これは天から下ったパンである。誰でもこれから食べることで実際に死なない。
私は天から下って来た生きているパンである。誰でも、もしこのパンから食べるなら永遠に生きる。」6.49-51,58、しかし、今日に居る者達は、丁度、これを話しているのを聞いた者達のようである。
「これは不都合な言葉である。誰が聞くことが出来ようか?...またその者達は離れて立ち去った。そしてもはや主御自身と一緒に歩まなかった。」同書60,66節、この者達に主は言われた。
「私があなた達に話すこれらの聖言は霊であり、また生命である。」同書63節、
[3]「水」についても同様に信仰の霊的なものを意味することを持つ。このことについて、主は次のようにヨハネ伝において言われた。
「イエスは言われた。この水から飲む者は再び渇くであろう。しかし私が彼に与える水から飲む者は、何と永遠に渇かないだろう。しかし私が彼に与える水は、何と彼の中で永遠の生命まで噴き出ている水の泉に為されるであろう。」4.13,14、しかし、今日に居る者達は、丁度、井戸において主が女と話した女のようである。彼女は答えた。
「主よ、その水を私に与え給え、私が渇かないために、またここへ汲むために来ないように、」同書15節、
[4]聖言において「食物」は、主への信仰と愛である霊的な食物と天的な食物を除いて他のものは意味されないことは、聖言における多くの箇所から知られよう。例えば、エレミヤ書において、
「敵はエルサレムの凡ての好ましいものの上にその手を広げた。なぜなら、彼は諸民族がその聖所へ来たのを見たからである。諸民族について、あなたの集会に来るべきでないとあなたは命じられた。凡ての民は嘆き、パンを探している。彼らは魂を回復するためのその好ましいものを食物の代わりに引き渡した。」哀歌、1.10,11、同書において、
「私は私の愛する者達に向かって、彼らは私をだましたと叫んだ。大きな町で私の祭司達と私の長老達は死んだ。彼らは自分自身のために食物を求め、また自分自身の霊魂を連れ戻した。」哀歌、1.19、同様に、ダビデの書において、
「それらの生き物の凡てのものは、あなたを待ち望む。その都合の良い時にそれらの食物を与えるまで待ち望む。あなががそれらの生き物に食物を与えると、それらの生き物は食物を得て、あなたがあなたの手を開くとそれらの生き物は善い食物で満たされる。」104.27,28、ここでも同様に食物は、霊的な食物と天的な食物として記述されている。
[5]イザヤ書において、
「喉が渇いている凡ての者、あなた達は水に向かって来なさい。また銀貨のない者としてあなた達は来て買い、そして食べよ。またあなた達は来て、葡萄酒と乳を銀貨と代価なしに買え。」55.1、ここで「葡萄酒と乳」は霊的な飲み物として、また天的な飲み物として記述されている。同書において、
「乙女が身ごもって子を産んでいる。そしてあなたは彼の名をイマヌエルと呼ぶであろう。悪を退けることと善を選ぶことを知ることのために、彼はバターと蜂蜜を食べなければならない。豊富に手に入れられるべき乳の故に、それがあり彼はバターを食べるであろう。なぜなら、地の真ん中に残された者は、バターと蜂蜜を食べなければならないからである。」7.14,15,22、ここで「蜂蜜とバターを食べること」は天的なもの霊的なものであり、「残された者」は残りのものとして記述されている。このことについてマラキ書においてもまた、
「私の家の中に食物があるために、あなた達は凡てのものの十分の一を我が家の宝庫に持って来い。」3.10、「十分の一」は残りのものとして記述されている。「食物」の意味については、56-58番、276番に多くのものが見られよう。

7-788原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-788原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

788. Quod 'creverunt aquae, et sustulerunt arcam, et elevata est desuper terra' significent quod ita ejus fluctuatio (x)fuerit; et quod 'corroboratae aquae, et auctae valde super terra, et ivit arca super faciebus aquarum' significent quod fluctuationes ejus ita increbruerint, non constare potest nisi prius dicatur qualis fuit status hujus Ecclesiae quae Noahus vocatur: 'Noahus' non fuit ipsa Antiqua Ecclesia, sed sicut parens aut semen istius Ecclesiae, ut prius dictum; sed 'Noahus cum Shemo, Hamo et Japheto' constituebant Ecclesiam Antiquam, quae immediate successit Ecclesiae Antiquissimae; omnis homo' Ecclesiae Noahus dictus fuit ex posteris Ecclesiae Antiquissimae proinde in simili fere statu quoad malum hereditarium sicut cetera posteritas quae periit; et qui in simili statu, non potuerunt regenerari et fieri spirituales, sicut ii qui non ex hereditario tale trahunt; quale hereditarium habuerunt, dictum prius est n. 310; ut hoc clarius sciatur quomodo se habet; [2] qui ex semine Jacobi sunt, ut Judaei, non ita regenerari possunt ac gentes; inhaeret non solum contrarium fidei ex principiis captis ab infantia et dein confirmatis, sed etiam ex hereditario quod inhaereat etiam ex hereditario, aliquantum constare potest ex eo quod diverso genio sint, immo diversis moribus, ut et diversa facie reliquis, a quibus dignosci possunt, quae sunt ex hereditario; ita quoque quoad interiora, nam mores et facies sunt interiorum typi quare etiam Judaei conversi, prae aliis fluctuant inter verum et falsum similiter primi homines hujus Ecclesiae qui Noahus vocantur, qui ex prosapia et semine antiquissimorum fuerunt: hae fluctuationes sunt quae hic describuntur; et dein in sequentibus,
Quod Noahus fuerit vir humi, et quod plantaverit vineam, et biberit ex vino, et inebriatus sit, ita ut nudatus jaceret in medio tentorii, ix 20, 21.
Quod pauci fuerint, constare mihi potuit ex eo quod homo Ecclesia istius in mundo spirituum repraesentetur sicut vir longus et gracilis, indutus candido, in arto conclavi: sed usque hi fuerunt qui doctrinalia fidei conservarunt et apud se habuerunt.
 

788. Quod:こと、それ、そのこと、'creverunt:増した、aquae,:諸々の水、et:また、そして、sustulerunt:上がった、持ち上がった、arcam,:箱舟、et:また、同時に、elevata est:上げられた、desuper:上方から、(de+super)terra':地、地上、significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、ejus:それの、彼の、fluctuatio:波に揺さぶられている状態、動揺、(x)fuerit;:あった、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、'corroboratae:強くされた、aquae,:諸々の水、et:また、そして、auctae:大きくなった、増加した、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra,:地、地上、et:また、そして、ivit:動いた、漂った、arca:箱舟、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum':諸々の水、significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、fluctuationes:波に揺さぶられている状態、動揺、ejus:それの、彼の、ita:このように、従って、increbruerint,:強くなった、激しくなった、non:否、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、nisi:~以外、もし~でなければ、prius:前以て、更に早くに、dicatur:言われる、qualis:どのような、どんな種類の、fuit:あった、status:状態、性質、hujus:この、Ecclesiae:教会、quae:それらは、そのことらは、Noahus:ノア、vocatur::呼ばれる、
'Noahus':ノア、non:否、fuit:あった、ipsa:そのもの、それ自身、Antiqua:古代、Ecclesia,:教会、sed:しかし、sicut:~の如く、~のように、parens:両親、源、aut:即ち、或いは、semen:種、種子、istius:その、Ecclesiae,:教会、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum;:言われた、sed:しかし、'Noahus:ノア、cum:~と一緒に、~と、Shemo,:セム、Hamo:ハム、et:~と、および、Japheto':ヤペテ、constituebant:構成した、Ecclesiam:教会、Antiquam,:古代、quae:それらは、そのことらは、immediate:直接の、直接的な、successit:後に続いた、引き続いて起った、Ecclesiae:教会、Antiquissimae;:最古代、omnis:凡ての、全体の、homo:人間、Ecclesiae:教会、Noahus:ノア、dictus:言われた、fuit:あった、ex:~から、~により、posteris:子孫、末裔、Ecclesiae:教会、Antiquissimae:最古代、proinde:それ故に、従って、in:~の中、~において、simili:同様な、等しい、fere:殆んど、ほぼ、statu:状態、性質、quoad:~に関して、~に関する限り、malum:悪、悪の性質、hereditarium:遺伝、相続、sicut:~の如く、~のように、cetera:その他の、それ以外の、posteritas:子孫、末裔、quae:それらは、そのことらは、periit;:死んだ、滅びた、et:また、そして、qui:その者達、in:~の中、~において、simili:同様な、等しい、statu,:状態、性質、non:否、potuerunt:出来た、可能であった、regenerari:再生されること、et:~と、および、fieri:~になること、為されること、spirituales,:霊的な、sicut:~の如く、~のように、ii:彼らは、qui:その者達、non:否、ex:~から、~により、hereditario:遺伝、相続、tale:このような、次のような、trahunt;:得る、獲得する、quale:どのような、どんな種類の、hereditarium:遺伝、相続、habuerunt,:持った、所有した、dictum:言われた、prius:以前に、前に、est:ある、n. 310; ut:~のために、こと、~するように、hoc:これが、clarius:より明るい、より明瞭な、sciatur:知られる、quomodo:どのように、どうして、se:それ自身を、habet;:持つ、
[2] qui:その者達、ex:~から、~で、semine:子孫、血統、Jacobi:ヤコブ、sunt,:ある、ut:~のように、~として、Judaei,:ユダヤ、non:否、ita:このように、~と同様に、regenerari:再生されること、possunt:出来る、可能である、ac:~のように、~と同様に、gentes;:異教徒、異邦人、inhaeret:固執した、執着した、non:否、solum:だけ、のみ、contrarium:反対、相反、fidei:信仰、ex:~から、~に、principiis:原理、要素、captis:獲得された、受け取られた、ab:~から、~により、infantia:幼児、子供、et:~と、および、dein:その後、次いで、confirmatis,:確信された、確認された、sed:しかし、etiam:~もまた、さらに、ex:~から、~により、hereditario:遺伝、相続、quod:こと、それ、そのこと、inhaereat:固執した、執着した、etiam:~もまた、さらに、ex:~から、~により、hereditario,:遺伝、相続、aliquantum:やや、幾分、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、eo:それから、quod:こと、それ、そのこと、diverso:異なった、違った、genio:性格、性質、sint,:ある、immo:というよりは、それどころか、diversis:異なった、違った、moribus,:慣習、習慣、ut et:そのようにまた、diversa:異なった、違った、facie:顔、容貌、reliquis,:残りの、他の、a:~から、~により、quibus:それらから、そのことらから、dignosci:区別されること、possunt,:出来る、可能である、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、ex:~から、~により、hereditario;:遺伝、相続、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、quoad:~に関して、~に関する限り、interiora,:内部の、内なる、nam:なぜなら、というのも、mores:慣習、習慣、et:~と、および、facies:顔、容貌、sunt:ある、interiorum:内部の、内なる、typi:型、類型、quare:それ故に、etiam:~もまた、さらに、Judaei:ユダヤ、conversi,:回心された、改宗された、prae:~より上の、~よりも、aliis:他の者達から、fluctuant:動揺する、揺れる、inter:~の中に、~の間で、verum:真理を、et:~と、および、falsum:間違った原理(信念)を、similiter:同様に、似ている、primi:第一の、最初の、homines:人間達、hujus:この、Ecclesiae:教会、qui:その者達、Noahus:ノア、vocantur,:呼ばれた、qui:その者達、ex:~から、~により、prosapia:血統、家系、et:~と、および、semine:子孫、血統、antiquissimorum:最古代、fuerunt::あった、hae:これらは、fluctuationes:波に揺さぶられている状態、動揺、sunt:ある、quae:それらは、そのことらは、hic:ここに、この場に、describuntur;:記述される、述べられる、et:また、そして、dein:その後、次いで、in:~の中、~において、sequentibus,:次の、後に続く、
Quod:こと、それ、そのこと、Noahus:ノア、fuerit:あった、vir:男、人、humi,:大地、地面、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、plantaverit:植えた、vineam,:葡萄の木、et:また、そして、biberit:飲んだ、ex:~から、~により、vino,:葡萄酒、酒、et:また、そして、inebriatus sit,:酔わされた、ita:ita~ut~、以下のように、そのように、ut nudatus:裸にされた、jaceret:横たわった、臥した、in:~の中、~において、medio:真ん中、中央、tentorii,:天幕、テント、ix 20, 21.
Quod:こと、それ、そのこと、pauci:少数の、僅かの、fuerint,:あった、constare:知られること、明らかであること、mihi:私に、potuit:出来た、可能であった、ex:~から、~により、eo:それから、quod:こと、それ、そのこと、homo:人間、Ecclesia:教会、istius:その、in:~の中、~において、mundo:(この)世、世界、spirituum:霊達の、repraesentetur:象徴される、表象される、sicut:~の如く、~のように、vir:男、人、longus:背の高い、et:また、そして、gracilis,:細長い、痩せた、indutus:着せられた、candido,:白く輝く、純白の、in:~の中、~において、arto:狭い場所、窮乏、conclavi::鍵のついた(部屋で)、sed:しかし、usque:それでもなお、やはり、hi:この者達、fuerunt:あった、qui:この者達、doctrinalia:教義、(の事柄) fidei:信仰、conservarunt:保持した、維持した、et:~と、および、apud:~のもとに、~において、se:自分達自身を、habuerunt.:持った、保った、
 

788.「諸々の水が増し、また箱舟を持ち上げ、同時に地の上から上げられた」ことは、そのように彼の動揺があったことを意味し、また「諸々の水は地の上で強くされ、そして著しく増加した。また箱舟は諸々の水面の上で漂った」ことは、そのように彼の動揺が激しくなったことを意味することは、もし前以って、ノアと呼ばれる(呼ばれた)この教会の状態がどのようなものであったかが、言われなければ知られることが出来ない。「ノア」は古代教会そのものではなく、前に言われたようにその(古代)教会の源、或いは種の如く(あった)。しかし、「セム、ハム、およびヤペテ」が古代教会を構成し、それらが最古代教会から直接引き続いて起こった。ノアと言われた教会の人間は最古代教会の子孫からあった。それ故に、(最古代教会の)滅びた子孫の如く遺伝の悪に関して、殆んど同様な状態の中に(居り)、また(彼らと)同様な状態の中に居る者達は、そのような遺伝から獲得しない者達のようには、再生されることと、霊的な者に為されることが出来なかった。彼らがどのような遺伝の(ものを)持ったかは、前に言われたのである。310番、このことがより明瞭に知られるために、彼(人間)がそれをどのように持つか(述べよう)。
[2]ユダヤ人のようにヤコブの子孫である者達は、異邦人のようには同様に再生されることが出来ない。
彼(ユダヤ人)は、子供の頃から獲得された原理と、その後、確信された(原理)からの信仰に相反するものだけに固執したのでなく、更に遺伝からもまた(固執した)。遺伝からもまた固執したことは、彼らが異なった性格であること、というよりは異なった習慣、そのようにまた異なった容貌、その他から幾分知られることが出来よう。これらから彼らが区別されること出来、それらのものは遺伝からある。このように内なるものに関しても同様である。なぜなら、習慣と容貌は内なるものの型であるからである。それ故に、回心(改心)されたユダヤ人達は、最古代人達の家系と子孫からのノアと呼ばれた、この教会の最初の人間達と同様に、他の者達よりも真理と間違った信念の間で動揺する。これらのことがここに記述され、また後に続く(箇所)において(記述される)動揺である。
「ノアは大地の人(農夫)であって葡萄の木を植えた。そして葡萄酒を飲んで酔わされ天幕の中で裸で横たわったような者(であった)。」9.20,21、
彼らが僅かな(人数で)あったことは、霊達の世界において、その教会の人間が背の高い、また痩せた人の如く表象され、鍵のついた狭い場所に(居る)ことから私に知られることが出来た。しかしそれでもなお、彼らは信仰の教義の事柄を保持し、また自分達の許に保った。

6-676~679意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-676~679意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

676.二十一節、「また、あなたは食べられる凡ての食物に関してあなたに取れ、またあなたのために集めよ、そしてそれはあなたと彼らに食物にならなければならない。」
「食べられる凡ての食物に関して自分自身に取ること」は、善と楽しいものを意味し、「自分自身のために集めたこと」は、真理を意味し、「彼と彼らにそれが食物となる」ことは、それらの両方とも意味する。
 

677.再生されるべき人間の食物については、次のようにその事柄を持つ。人間が再生される前に、手段として役立つことが出来る凡てのものが準備されて存在しなければならない。意志のためには、情愛の善と楽しいものが準備され、理解のためには、主の聖言からの真理が準備され、また他の源泉からもまた確認するものが準備されなければならない。人間がこのように準備される前に再生されることは出来ない。それらが食物である。このことが、人間が大人の年齢に達するその時まで再生されない理由である。しかし、各々の人間に特有の食物、また言わば自分の食物があり、それらが食物である。それらは主により人間が再生される前に、人間に備えられる。
 

678.「食べられる凡ての食物に関して自分自身に取る」ことが、善と楽しいものを意味することは、前に善と楽しいものが人間の生命を構成することが言われたことから知られることが出来よう。従って真理ではない。なぜなら、真理はその生命を善と楽しいものから得るからである。人間の凡ての科学的なものと理性的なものは、幼年期から老年期に至るまで、もし善と楽しいものによってでなければ決して人間に吹き込まれない。なぜなら、人間の霊魂はそれらにより生き、また支えられるからである。それらは食物と呼ばれ、またそれらが食物である。なぜなら、それらのものなしに人間の霊魂は決して生きることが出来ないからである。このことを各々の者はもし、このことに注意することを欲するだけで知ることが出来よう。
 

679.それ故に、「自分のために集めた」が、真理を意味することは明らかである。なぜなら、それらについて人間の記憶の中に集めることが言われるからである。そこに真理が集められる。また更にそれは善と真理を含み、再生される前に人間の許に集められる。というのは、言われたように主は手段によって働かれるために、それらによって集められた善と真理なしに、決して人間は再生されることが出来ないからである。それ故に今や、「彼と彼らに食物となった」ことは両方を意味することが帰結される。

7-785~787原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-785~787原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

785. Vers. 17, 18. Et fuit diluvium quadraginta dies super terra, et creverunt aquae, et sustulerunt arcam, et elevata est desuper terra. Et corroboratae aquae, et auctae valde super terra; et ivit arca super faciebus aquarum. Per 'quadraginta dies' significatur duratio Ecclesiae Noahus vocatae: per 'diluvium' falsa quae adhuc illam inundarunt: quod 'creverunt aquae, et sustulerunt arcam, et elevata (x)est desuper terra' (x)significent quod ita ejus fluctuatio fuit: 'corroboratae aquae, et auctae valde super terra, et ivit arca super faciebus aquarum' significant quod fluctuationes ejus ita increbruerint.
 

785. Vers.:節、17, 18. Et:また、そして、fuit:あった、diluvium:洪水、quadraginta:40、dies:日々、super:~の上で、~の上に、terra,:地、地上、et:また、同時に、creverunt:増した、aquae,:諸々の水、et:また、そして、sustulerunt:上がった、持ち上がった、arcam,:箱舟、et:また、そして、elevata est:上げられた、desuper:上方から、(de+super)terra.:地、地上、
Et:また、そして、corroboratae:強くされた、aquae,:諸々の水、et:また、そして、auctae:大きくなった、増加した、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra;:地、地上、et:また、そして、ivit:動いた、漂った、arca:箱舟、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum.:諸々の水、
Per:~を通して、~によって、' quadraginta:40、dies':日々、significatur:意味される、duratio:継続期間、Ecclesiae:教会、Noahus:ノア、vocatae::呼ばれた、per:~を通して、~によって、'diluvium':洪水、falsa:諸々の間違った原理(信念)、quae:それらは、そのことらは、adhuc:更に、なお更、illam:それを、inundarunt::氾濫した、あふれた、quod:こと、それ、そのこと、'creverunt:増した、aquae,:諸々の水、et:また、そして、sustulerunt:上がった、持ち上がった、arcam,:箱舟、et:また、同時に、elevata (x)est:上げられた、desuper:上方から、(de+super)terra':地、地上、(x)significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、ejus:それの、彼の、fluctuatio:波に揺さぶられている状態、動揺、fuit::あった、'corroboratae:強くされた、aquae,:諸々の水、et:また、そして、auctae:大きくなった、増加した、valde:大いに、著しく、super:~の上で、~の上に、terra,:地、地上、et:また、そして、ivit:動いた、漂った、arca:箱舟、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、aquarum':諸々の水、significant:意味する、quod:こと、それ、そのこと、fluctuationes:波に揺さぶられている状態、動揺、ejus:それの、彼の、ita:このように、従って、increbruerint.:強くなった、激しくなった、
 

785.十七、十八節、「そして、地の上に40日洪水があって、同時に諸々の水が増し、また箱舟を持ち上げ、同時に地の上から上げられた。
また、諸々の水は地の上で強くされ、そして著しく増加した。また箱舟は水面の上で漂った。」
「40日」によってノアと呼ばれた教会の継続期間が意味され、「洪水」によって諸々の間違った信念が(意味され)、更にそれが氾濫したことが(意味される)。「諸々の水が増し、また箱舟を持ち上げ、同時に地の上から上げられた」ことは、そのように彼の(に)動揺があったことを意味し、「諸々の水は地の上で強くされ、そして著しく増加した。また箱舟は水面の上で漂った」は、そのように彼の動揺が激しくなったことを意味する。
 

786. Quod per 'quadraginta dies' significetur duratio Ecclesiae Noahus vocatae, supra ad vers. 4 ostensum est; hic 'quadraginta dies,' ibi 'quadraginta dies et noctes,' quia ibi significabatur duratio tentationis, in qua 'noctes' sunt anxietates.
 

786. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、' quadraginta:40、dies':日々、significetur:意味される、duratio:継続期間、Ecclesiae:教会、Noahus:ノア、vocatae,:呼ばれる、supra:上に、上部に、ad:~に、~において、vers.:節、4 ostensum est;:示された、hic:ここに、この場に、' quadraginta:40、dies,':日々、ibi:そこに、そこで、' quadraginta:40、dies:日々、et:~と、および、noctes,':夜々、quia:なぜなら、ので、ibi:そこに、そこで、significabatur:意味される、duratio:継続期間、tentationis,:誘惑、試練、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、'noctes':夜々、sunt:ある、anxietates.:諸々の不安、諸々の心配、
 

786.「40日」によってノアと呼ばれる教会の継続期間が意味されることは、上の4節において示された。ここでは「40日」(であるが)、そこ(4節)では「40日と(40)夜」(であった)。なぜなら、そこでは試練の継続期間が意味され、その中で「夜」は諸々の不安であるからである。
 

787. Quod per 'diluvium' significentur falsa quae adhuc illam inundarunt, sequitur etiam inde; nam diluvium seu inundatio non est nisi falsorum: prius vers. 6 'diluvium aquarum' significabat tentationem, ut ibi ostensum, quae inundatio etiam est falsorum quae mali spiritus tunc apud hominem excitant; hic similiter sed absque tentatione; quare hic simpliciter 'diluvium,' non diluvium aquarum, dicitur.
 

787. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'diluvium':洪水、significentur:意味される、falsa:諸々の間違った原理(信念)、quae:それらは、そのことらは、adhuc:更に、なお更、illam:それを、inundarunt,:氾濫した、あふれた、sequitur:続く、続いて来る、etiam:~もまた、さらに、inde;:それ故、そこから、nam:なぜなら、というのも、diluvium:洪水、seu:即ち、或いは、inundatio:氾濫、non:否、est:ある、nisi:~以外、もし~でなければ、falsorum::諸々の間違った原理(信念)を、prius:以前に、前に、vers.:節、6 'diluvium:洪水、aquarum':諸々の水、significabat:意味した、tentationem,:誘惑、試練、ut:~のように、~として、ibi:そこに、そこで、ostensum,:示された、quae:それは、そのことは、inundatio:氾濫、etiam:~もまた、さらに、est:ある、falsorum:諸々の間違った原理(信念)を、quae:それは、そのことは、mali:悪の、spiritus:霊達、tunc:その時、やがて、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、excitant;:呼び起こす、扇動する、引き起こす、hic:ここに、この場に、similiter:同様に、似ている、sed:しかし、absque:~なしに、~を除いて、tentatione;:誘惑、試練、quare:それ故に、hic:ここに、この場に、simpliciter:素朴に、率直に、'diluvium,':洪水、non:否、diluvium:洪水、aquarum,:諸々の水、dicitur.:言われる、
 

787.「洪水」によって諸々の間違った信念が意味されることは、それが更に氾濫したことがそこから続いて来るからである。なぜなら、洪水、即ち氾濫は諸々の間違った信念以外のものではないからである。前の6節で「諸々の水の洪水」は、そこで示されたように試練を意味した。その氾濫もまた諸々の間違った信念であり、それは悪の霊達が、その時人間の許で引き起こす。ここでも同様(であるが)、しかし試練なし(にある)。それ故に、ここでは単純に「洪水」(と言われ)、「諸々の水の洪水」とは言われていない。

6-673~675意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-673~675意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

673.二十節、「鳥に関してはその種類に従って、また獣に関してもその種類に従って、地面を這う凡てのものもその種類に従って、凡てのものに関して一対のものが生かされるために、あなたに向かって至るであろう。」
「鳥」は理解のものを意味し、「獣」は意志のものを意味し、「地面を這うもの」は理解のものと意志のものの最低のものを意味する。「凡てのものに関して一対のものが生かされるために入るであろう」は、前のように彼らの再生を意味する。
 

674.「鳥」が理解のもの、即ち理性的なものを意味することは、前の40番に示された。更に「獣」が意志のもの、即ち情愛を意味することは、前の45,46,142,143,246番に示された。
「地面を這うもの」が理解のものと意志のものの最低のものを意味することは、各々の者に「地面を這っているもの」は最低のものであることから明らかであろう。
「凡てのものから一対のものが生かすことのために入らなければならない」が、彼らの再生を意味することは先行している節で言われた。
 

675.「鳥はその種類に従って、獣はその種類に従って、また這うものはその種類に従って」と言われることは、各々の人間の許に理解のものと意志のものの無数の類型のものと、更に無数の種類のものが与えられることであることを知らなければならない。それらのものは、例え人間が知らなくても、相互に最も区別されたものである。しかし、主は人間の再生の中でその秩序によりそれらの全体的なものと個別的なものを引き出され、諸々の真理と諸々の善に変えられることが出来るように、またそれらと結合されることが出来るように、それらを分けられ、また処理される。
そしてこれは状態に従って無数の変化を持って為される。それらの凡てのものは、それでもなお決して永遠に完成されることはない。なぜなら、各々の類型、各々の種類、および各々の状態は、単純なものの中にも、また更に、まとめられたものの中にも無限のものを含むからである。人間はこのことを決して知らず、まして人間がどのように再生されるかを知ることは出来ない。このことは、主が人間の再生についてニコデモに言われたことである。
「風は欲する所で吹く、そしてあなたはその音を聞くが、しかしそれがどこから来たか知らず、しかもそれがどこへ去るかも知らない。風から産まれたものは凡てこのようにある。」ヨハネ伝、3.8、

7-784原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-784原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

784. Quod 'clausit Jehovah post illum' significent quod amplius non communicationem haberet homo cum caelo, qualem caelesti Ecclesiae homo, ita se res habet: Antiquissimae Ecclesiae status fuit quod communicationem internam habuerint cum caelo, ita per caelum cum Domino; in amore in Dominum fuerunt; qui in amore in Dominum, illi sunt sicut angeli, modo cum differentia quod corpore induti; interiora illorum aperta fuerunt et patuerunt usque a Domino at Ecclesia haec nova aliter; non in amore in Dominum fuit, sed in fide et per fidem in charitate erga proximum; ii non internam, sicut antiquissimi, communicationem habere possunt, sed externam; sed qualis communicatio haec et illa sit, prolixum foret dicere: unusquisque homo communicationem habet, etiam impii per angelos apud eos, sed cum differentia quoad gradus, quod propius vel remotius; alioquin homo non posset esse: gradus communicationis sunt indefiniti; spiritualis homo nusquam talem communicationem habere potes qualem caelestis homo, ex causa quia Dominus in amore est, non ita in fide; hoc nunc est quod significat, quod 'Jehovah clauserit post illum.' [2] Post illa tempora nec usquam apertum fuit caelum sicut Antiquissimae Ecclesiae homini; postea quidem plures locuti sunt cum spiritibus et angelis, sicut Moses, Aharon, et alii, sed prorsus alio modo, de quo, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus. Causa quod clausum sit caelum, arcanissima est, tum quod hodie clausum sit ita ut homo ne quidem sciat quod spiritus sint, minus quod angeli apud eum, et quod putet se prorsus solum esse cum absque sociis in mundo, et cum apud se cogitat; cum tamen in consortio spirituum est continue, qui tam probe animadvertunt et percipiunt quid homo cogitat et quid intendit et machinatur, tam probe et aperte sicut existeret coram omnibus in mundo; hoc nescit prorsus homo, ita clausum est ei caelum; cum tamen verissimum est: causa est, nisi clausum fuisset ita apud eum caelum, cum in nulla fide est, minus in veritate fidei, et adhuc minus in charitate, quod ei periculosissimum foret. Hoc significatum etiam est per
'Quod Jehovah Deus ejecerit hominem, et habitare fecerit ab oriente ad hortum Edenis cherubos, et flammam gladii vertentis se ad custodiendum viam arboris vitarum,' prius, cap. iii vers. 24;
videantur etiam quae n. 301-303.
 

784. Quod:こと、それ、そのこと、'clausit:閉ざした、Jehovah:エホバ、post:~の後に、~の後ろに、illum':彼を、significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、amplius:今後、この後、non:否、communicationem:伝達、連絡、haberet:持った、homo:人間、cum:~と一緒に、~と、caelo,:天界から、qualem:ある種の、~のような、caelesti:天的な、Ecclesiae:教会、homo,:人間、ita:次のように、従って、se:それ自身を、res:事柄、物事、habet::持つ、
Antiquissimae:最古代、Ecclesiae:教会、status:状態、性質、fuit:あった、quod:こと、それ、そのこと、communicationem:伝達、連絡、internam:内部の、内なる、habuerint:持った、cum:~と一緒に、~と、caelo,:天界から、ita:このように、従って、per:~を通して、~によって、caelum:天界、cum:~と一緒に、~と、Domino;:主から、in:~の中、~において、amore:愛から、in:~の中へ、~へ、Dominum:主へ、fuerunt;:あった、qui:その者達、in:~の中、~において、amore:愛から、in:~の中へ、~へ、Dominum,:主へ、illi:彼らは、sunt:ある、sicut:~の如く、~のように、angeli,:天使達、modo:だけ、単に、cum:~と一緒に、~を持って、differentia:相違、区別、quod:こと、それ、そのこと、corpore:体、身体、induti;:着る、まとう、interiora:内部の、内なる、illorum:彼らの、aperta:開かれた、覆われていない、fuerunt:あった、et:~と、および、patuerunt:明らかであった、あらわであった、usque:続けさまに、絶えず、ずっと、a:~から、~により、Domino:主から、at:しかし、それに対して、Ecclesia:教会、haec:これは、nova:新しい、aliter;:他の方法で、異なって、non:否、in:~の中、~において、amore:愛から、in:~の中へ、~へ、Dominum:主へ、fuit,:あった、sed:しかし、in:~の中、~において、fide:信仰、et:また、そして、per:~を通して、~によって、fidem:信仰、in:~の中、~において、charitate:仁愛、愛情、erga:~に向かって、~に対して、proximum;:隣人、ii:彼らは、non:否、internam,:内部の、内なる、sicut:~の如く、~のように、antiquissimi,:最古代、communicationem:伝達、連絡、habere:持つこと、possunt,:出来る、可能である、sed:しかし、externam;:外部の、外なる、sed:しかし、qualis:どのような、どんな種類の、communicatio:伝達、連絡、haec:これは、et:~と、および、illa:それは、sit,:ある、prolixum:とめどなく、退屈な、foret:あった、dicere::言われること、unusquisque:各々の、誰でも、homo:人間、communicationem:伝達、連絡、habet,:持つ、etiam:~もまた、さらに、impii:神を敬わない、不敬虔な、per:~を通して、~によって、angelos:天使達を、apud:~のもとに、~において、eos,:彼らを、sed:しかし、cum:~と一緒に、~を持って、differentia:相違、区別、quoad:~に関して、~に関する限り、gradus,:段階、程度、quod:こと、それ、そのこと、propius:より近い、より親密な、vel:或いは、~か或るいは~か、remotius;:より遠く離れた、よりかけ離れた、alioquin:そうでなければ、要するに、homo:人間、non:否、posset:出来る、可能である、esse::あること、存在すること、gradus:段階、程度、communicationis:伝達、連絡、sunt:ある、indefiniti;:無限の、果てしない、spiritualis:霊的な、homo:人間、nusquam:どこにもない、決して~ない、talem:このような、次のような、communicationem:伝達、連絡、habere:持つこと、potes:出来る、可能である、qualem:ある種の、~のような、caelestis:天的な、homo,:人間、ex causa quia:この理由から、Dominus:主は、in:~の中、~において、amore:愛から、est,:ある、non:否、ita:このように、従って、in:~の中、~において、fide;:信仰、hoc:これが、nunc:この場合、このような事情の下に、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、significat,:意味する、quod:こと、それ、そのこと、'Jehovah:エホバ、clauserit:閉ざした、post:~の後に、~の後ろに、illum.':彼を、
[2] Post:~の後に、~の後ろに、illa:それらを、tempora:時代、時、nec:否、usquam:どのような事情の下でも、どんな場合でも、apertum:開かれた、覆われていない、fuit:あった、caelum:天界、sicut:~の如く、~のように、Antiquissimae:最古代、Ecclesiae:教会、homini;:人間に、postea:その後、将来、quidem:確かに、無論、plures:より多くの、多数の、locuti sunt:話した、cum:~と一緒に、~と、spiritibus:霊達、et:~と、および、angelis,:天使達、sicut:~の如く、~のように、Moses,:モーセ、Aharon,:アロン、et:また、そして、alii,:他の者達、sed:しかし、prorsus:全く、完全に、alio:別のもの、異なった、modo,:方法、手段、de:~について、~に関して、quo,:それから、そのことから、ex:~から、~により、Divina :神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus.:次の、後に続く、
Causa:原因、理由、quod:こと、それ、そのこと、clausum sit:閉ざされた、caelum,:天界から、arcanissima est,:最も隠された、tum:その上、さらに、quod:こと、それ、そのこと、hodie:今日、現在、clausum sit:閉ざされた、ita:ita~ut~、それほど、そのように、ut homo:人間、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、sciat:知る、知っている、quod:こと、それ、そのこと、spiritus:霊達、sint,:ある、minus:まして、なお更、quod:こと、それ、そのこと、angeli:天使達、apud:~のもとに、~において、eum,:彼を、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、putet:思う、信じる、se:自分自身を、prorsus:全く、完全に、solum:だけ、一人の、esse:あること、存在すること、cum:その時、その場合、absque:~なしに、~を除いて、sociis:仲間の、友の、in:~の中、~において、mundo,:(この)世、世界、et:また、そして、cum:その時、その場合、apud:~のもとに、~で、se:自分自身を、cogitat;:考える、cum:その時、その場合、tamen:しかし、それにもかかわらず、in:~の中、~において、consortio:社交、仲間、spirituum:霊達の、est:ある、continue,:絶えず、間断なく、qui:その者達、tam:このように、これほどに、probe:適切に、正しく、animadvertunt:気付く、認める、et:また、そして、percipiunt:気付く、感じる、quid:何か?、どんな?、homo:人間、cogitat:考える、et:また、そして、quid:何か?、どんな?、intendit:意図する、向ける、et:また、そして、machinatur,:考案する、案出する、tam:このように、これほどに、probe:適切に、正しく、et:また、そして、aperte:隠すことなく、公然と、sicut:~の如く、~のように、existeret:現れる、明らかになる、coram:目の前で、面と向かって、omnibus:凡ての、全体の、in:~の中、~において、mundo;:(この)世、世界、hoc:これを、nescit:知らない、prorsus:全く、完全に、homo,:人間、ita:このように、それほど、clausum est:閉ざされた、ei:彼に、caelum;:天界、cum:その時、その場合、tamen:しかし、それでも、verissimum:最も真実な、est::ある、causa:原因、理由、est,:ある、nisi:~以外、もし~でなければ、clausum:閉ざされた、fuisset:あった、ita:このように、従って、apud:~のもとに、~において、eum:彼を、caelum,:天界から、cum:その時、その場合、in:~の中へ、~へ、nulla:何も~ない、決して~でない、fide:信仰、est,:ある、minus:まして、なお更、in:~の中、~において、veritate:真理、真実、fidei,:信仰、et:また、そして、adhuc:更に、なお更、minus:まして、なお更、in:~の中、~において、charitate,:仁愛、愛情、quod:こと、それ、そのこと、ei:彼に、periculosissimum:最も危険な、foret.:あった、
Hoc:これは、significatum:意味された、etiam:~もまた、さらに、est:ある、per:~を通して、~によって、'Quod:こと、それ、そのこと、Jehovah:エホバ、Deus:神は、ejecerit:追い出した、hominem,:人間を、et:また、そして、habitare:存在すること、住むこと、fecerit:行なった、為した、ab:~から、~により、oriente:東、ad:~に、~~と一緒に、hortum:庭園、木立ち、Edenis:エデン、cherubos,:ケルビム、et:また、そして、flammam:炎、gladii:剣、刀、vertentis:回している、回転している、se:それ自身を、ad:~のために、~へ、custodiendum:守ることへ、viam:道を、道筋を、arbor:木、樹木、vitarum,':諸々の生命の、prius,:以前に、前に、cap.:章、iii vers.:節、24;
videantur:見られる、認められる、etiam:~もまた、さらに、quae:それらは、そのことらは、n.:番、301-303.
 

784.「エホバは彼の後ろで(戸を)閉ざされた」は、天的な教会の人間が(持っていた)ような天界と人間との連絡を、この後、持たないことを意味することは、次のようにその事柄を持つ。
最古代教会は天界と内なる連絡を持ち、そのように天界を通して主と(連絡を)持つ状態があった。彼らは主への愛の中に居た。主への愛の中に(居た)者達は身体をまとっていることだけの相違を持って天使達の如くある(あった)。彼らの内なるものは主により絶えず開かれ、また明らかであったが、これに対して、この新しい教会は異なっていた。(この教会は)主への愛の中に居たのではなく、信仰の中で、また信仰によって隣人に対する仁愛の中に(居た)。彼らは最古代人達の如く内なる連絡を持つことが出来なかったが、しかし外なる(連絡は持つことが出来た)。しかし、これ(外なる)連絡とそれ(内なる連絡)がどのようなものであるかが言われることはとめどもなくなる。各々の人間、更に不敬虔な者達も彼らの許の天使達を通して(天界と)連絡を持つが、しかし(連絡の)程度に関して近いか、或いは遠いかの相違を持って(持つ)。そうでなければ、人間は存在することができない。連絡の程度には無限の(相違が)ある。主は愛の中に居られるが、そのようには信仰の中に居られないことの理由により、霊的な人間は天的な人間が(持つ)ような連絡を持つことが、決して出来ない。このような事情の下に、これが「エホバが彼の後ろで(戸を)閉ざされた」ことを意味する。
[2]それらの時代の後、どのような事情の下でも、人間に最古代教会の如く天界は開かれなかった。その後、確かに多くの者達が、モーセ、アロン、また他の者達の如く霊達、および天使達と話したが、しかし全く異なった方法で(話したのである)。このことについては主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。
天界が閉ざされたこと、更に今日、人間は彼(人間)の許に霊達が居ること、まして天使達が(居る)ことを、決して知らないほど(天界が)閉ざされていること、そしてこの世において仲間なしに(居る)時、また自分自身で考える時、自分を全く一人で居ることを信じることの原因は最も隠されている。それにもかかわらず、彼(人間)は絶えず霊達の仲間の中に居り、彼ら(霊達と天使達)は人間が何を考えるか、また何を意図し、また考案するかを正しく気付き、また認める。この世において凡ての者達の目の前で明らかになる如く、それほど正しく、公然と(認めている)。人間はこのことを全く知らないほど、彼(人間)に天界が閉ざされた。その時それでも、これは最も真実なことである。その原因は、彼(人間)が何も信仰の中に居ない時、まして信仰の真理の中に(居ない時)、またなお更、仁愛の中に(居ない時)、もし(天界が)閉ざされたのでなければ、それは彼(人間)に最も危険なことであったからである。
このことは、更に前の「神エホバは人間を(エデンの庭園から)追い出した。そしてケルビムとそれ自身回転している剣の炎を諸々の生命の樹木の道を守ることのために東からエデンの庭園に有ることを為した(庭園に置いた)。」によって意味される。(第)3章24節、またこのことは301-303番にもまた認められよう。

6-671~672意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-671~672意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

671.「凡てのものから一対のものが生かすことのために箱舟に入ることを為さなければならない。」は、彼らの再生を意味することは、先行している節において、真理は、もし善と楽しいものによってでなければ再生されることが出来ないことが言われたことから知られることが出来よう。このように信仰のものは仁愛のものによって以外に再生されることが出来ない。それ故に、ここに「凡てのものから一対のものが入った」ことが言われている。即ち、理解のものである真理からのものも、意志のものである善からのものも入ったことが言われている。
再生されていない人間の許に真理の理解、或いは善の意志は与えられないが、しかしそれらがある如く見えるだけである。従って無論、一般的な会話で真理と善が言われる。それはさておき、再生されていない人間の許にも理性的な真理と科学的な真理が与えられることが出来るが、しかしそれらは生命のあるものではない。同じくまるで意志の善かのようにそれらが与えられることも出来るが、しかしそれらも生命のあるものではない。
同様なものは異教徒の許にも同様にある、それどころか獣の許にも同様にあるが、しかしそれらは単に類似物である。人間の許に再生され、またそのように主により生命を与えられる前に、それらのものは決して生命のあるものではない。他生において生命のないものが何か、また生命のあるものが何かは最も明瞭に認められる。
生命のない真理は、或る種の物質的なもの、繊維質のもの、ふさがれたものの如く直ちに認められる。生命のない善は、或る種の木のようなもの、骨のようなもの、石のようなものの如く直ちに認められる。これに対して、主により生命を与えられた真理と善は、開かれたもの、生きているもの、霊的なものと天的なものに満たされているもの、主から絶えず広がっているもの、またこれが各々の考えと行動の中にあり、更にそれらの最小のものの中にもある。それ故に、このような事情の下に「一対のものが生かされるために箱舟に入った」ことが言われている。
 
 
672.「雄」が真理であり、「雌」が善であることは、前に言われ、また示された。人間の各々の最小のものの中に或る種の結婚の像がある。理解のものは何であろうと、彼の意志の何かのものとそのように結合されたものである。結ぶもの、即ちこのような結合なしに全く何も生み出されない。

7-781~783原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-781~783原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

781. Vers. 16. Et intrantes, masculus et femina de omni carne intrarunt, quemadmodum praeceperat illi Deus; et clausit Jehovah post illum. 'Intrantes' significant quae apud hominem Ecclesiae: 'masculus et femina de omni carne intrarunt' significant quod vera et bona omnis generis apud eum essent: 'sicut praeceperat Deus' significat, ad quae recipienda praeparatus esset: 'et clausit Jehovah post illum' significat quod amplius non communicationem haberet homo cum caelo, quidem caelestis Ecclesiae homo.
 

781. Vers.:節、16. Et:また、そして、intrantes,:入っている、masculus:雄の、et:~と、および、femina:雌、de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne:肉、肉体、intrarunt,:入った、quemadmodum:~のように、そのように、praeceperat:命じた、illi:彼に、Deus;:神が、et:また、そして、clausit:閉ざした、Jehovah:エホバ、post:~の後に、~の後ろに、illum.:彼を、'Intrantes':入っている、significant:意味する、quae:それらは、そのことらは、apud:~のもとに、~とともに、hominem:人間を、Ecclesiae::教会、'masculus:雄の、et:~と、および、femina:雌、de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne:肉、肉体、intrarunt':入った、significant:意味する、quod:こと、それ、そのこと、vera:諸々の真理、et:~と、および、bona:諸々の善、omnis:凡ての、全体の、generis:種類、類型、apud:~のもとに、~において、eum:彼を、essent::あった、'sicut:~の如く、~のように、praeceperat:命じた、Deus':神が、significat,:意味する、ad:~に、~~と一緒に、quae:それらは、そのことらは、recipienda:受け入れられるべき、(未来受動分詞)praeparatus esset::準備された、'et:また、そして、clausit:閉ざした、Jehovah:エホバ、post:~の後に、~の後ろに、illum':彼を、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、amplius:今後、これからは、この後、non:否、communicationem:伝達、連絡、haberet:持った、homo:人間、cum:~と一緒に、~と、caelo,:天界から、quidem:確かに、実に、caelestis:天的な、Ecclesiae:教会、homo.:人間、
 

781.十六節、「また、(箱舟に)入っている者達は、神が彼に命じたように、凡ての肉に関して雄と雌が入った。そしてエホバは彼の後ろで(戸を)閉ざされた。」
「(箱舟に)入っている者達」は、教会の人間と共に(あるものを)意味し、「凡ての肉に関して雄と雌が入った」は、彼の許にあった凡ての種類の諸々の真理と諸々の善を意味し、「神が彼に命じたように」は、それらと一緒に受け入れられなければならないものが準備された(こと)を意味し、「そしてエホバは彼の後ろで(戸を)閉ざされた」は、確かに天的な教会の人間が(持っていた)天界と人間との連絡を、この後、持たないことを意味する。
 

782. Actum est huc usque ad vers. 11 de Ecclesia quod conservata sit in his qui Noahus dicti; sequitur nunc de statu Ecclesiae, qui describitur, et quidem primum hic sicut explicatum; dein qualis Ecclesiae hujus status fuerit; singuli versus, immo singula verba involvunt peculiarem statum ejus; et quia nunc de statu Ecclesiae agitur, repetitur quod mox prius, et quidem bis, nempe, 'et intrantes, masculus et femina de omni carne intrarunt,' cum in mox praecedent versu, ita, 'et intrarunt ad Noahum in arcam, bina et bina, de omni carne,' quae repetitio in Verbo significat, quod de alio statu agatur alioquin, ut quisque comprehendere potest, repetitio foret prorsus inanis.
 

782. Actum est:述べられた、huc:この点まで、ここまで、usque ad:~に至るまで、~までも、vers.:節、11 de:~について、~に関して、Ecclesia:教会、quod:こと、それ、そのこと、conservata sit:保持された、保たれた、in:~の中、~において、his:この者達から、qui:その者達、Noahus:ノア、dicti;:言われた、sequitur:続く、続いて来る、nunc:このような事情の下、今や、de:~について、~に関して、statu:状態、性質、Ecclesiae,:教会、qui:それは、そのことは、describitur,:記述される、述べられる、et quidem:その上、実際に、primum:最初に、先ず、hic:ここに、この場に、sicut:~の如く、~のように、explicatum;:説明された、dein:その後、それで、qualis:どのような、どんな種類の、Ecclesiae:教会、hujus:この、status:状態、性質、fuerit;:あった、singuli:それぞれの、各々の、versus,:節、immo:というよりは、それどころか、singula:それぞれの、各々の、verba:言葉、語、involvunt:含む、peculiarem:独特の、特有の、特殊の、statum:状態、性質、ejus;:それの、彼の、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、nunc:このような事情の下、今や、de:~について、~に関して、statu:状態、性質、Ecclesiae:教会、agitur,:述べられる、取り扱われる、repetitur:繰り返される、quod:こと、それ、そのこと、mox:直ぐ前に、直ぐ後に、prius,:以前に、前に、et quidem:その上、実際に、bis,:二度、二回、nempe,:正確には、即ち、'et:また、そして、intrantes,:入っている、masculus:雄の、et:~と、および、femina:雌、de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne:肉、肉体、intrarunt,':入った、cum:その時、その場合、in:~の中、~において、mox:直ぐ前に、直ぐ後に、praecedent:先行する、versu,:節、ita,:次のように、従って、' et:また、そして、intrarunt:入った、ad:~に、~~と一緒に、Noahum:ノア、in:~の中へ、~に、arcam,:箱舟、bina:二つずつ、et:~と、および、bina,:二つずつ、de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne,':肉、肉体、quae:それらは、そのことらは、repetitio:繰り返し、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、significat,:意味する、quod:こと、それ、そのこと、de:~について、~に関して、alio:他のもの、別のもの、statu:状態、性質、agatur:述べられる、取り扱われる、alioquin,:ともかく、そうでなければ、ut:~のように、例えば、quisque:各々の、誰でも、comprehendere:認めること、悟ること、potest,:出来る、可能である、repetitio:繰り返し、foret:あった、prorsus:全く、完全に、inanis.:無意味な、無益な、
 

782.11節までは、ノアと言われた者達の中に保たれた教会について述べられた。続いて、この(章の)最初に説明された如く、今や教会の状態が述べられる。それでこの教会の状態がどのようなものであったか(が述べられる)。各々の節、それどころか各々の言葉も、この(教会の)特殊な状態を含み、また今や教会の状態について述べられるので、直ぐ前(の節に述べられたことが)、実際に二度繰り返されている。即ち「そして、(箱舟に)入っている者達は、凡ての肉に関して雄と雌が入った」(ことがこの節で記述され)、直ぐ前の節においては次のように「そして、凡ての肉に関して、二つずつ二つずつノアと一緒に箱舟に入った」(ことが記述されている)。聖言における繰り返しは別の状態について述べられていることを意味する。そうでなければ誰でも認めることが出来るように全く無意味な繰り返しである。
 

783. Quod 'intrantes' significent quae apud hominem Ecclesiae constat inde: tum quod 'masculus et femina de omni carne intrarunt significent quod vera et bona omnis generis apud eum essent, quo quoque sequitur; nam quod 'masculus et femina' significent vera e bona, prius aliquoties dictum et ostensum est. 'Sicut praeceperat Deus quod significet, ad quae recipienda praeparatus esset, de quibus, quo talia, etiam prius dictum est; 'praecipere' apud Dominum est prae parare et facere.
 

783. Quod:こと、それ、そのこと、'intrantes':入っている、significent:意味する、quae:それらは、そのことらは、apud:~のもとに、~とともに、hominem:人間を、Ecclesiae:教会、constat:知られる、明らかである、inde::それ故、そこから、tum:その上、さらに、quod:こと、それ、そのこと、'masculus:雄の、et:~と、および、femina:雌、de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne:肉、肉体、intrarunt':入った、significent:意味する、quod:こと、それ、そのこと、vera:諸々の真理、et:~と、および、bona:諸々の善、omnis:凡ての、全体の、generis:種類、類型、apud:~のもとに、~において、eum:彼を、essent,:あった、quo:その結果、それ故に、quoque:~もまた、同じく、同様に、sequitur;:続く、続いて来る、nam:なぜなら、というのも、quod:こと、それ、そのこと、'masculus:雄の、et:~と、および、femina':雌、significent:意味する、vera:諸々の真理、e:~から、~により、bona,:諸々の善、prius:以前に、前に、aliquoties:数回、数度、dictum:言われた、et:また、そして、ostensum est.:示された、
'Sicut:~の如く、~のように、praeceperat:命じた、Deus':神が、quod:こと、それ、そのこと、significet,:意味する、ad:~に、~~と一緒に、quae:それらは、そのことらは、recipienda:受け入れられるべき、(未来受動分詞)praeparatus esset,:準備された、de:~について、~に関して、quibus,:それらから、そのことらから、quo:そのために、それによって、~で、talia,:このような、前述のような、etiam:~もまた、さらに、prius:以前に、前に、dictum est;:言われた、'praecipere':命じること、apud:~のもとに、~において、Dominum:主を、est:ある、prae:先に、前方に、praecipere':命じること、parare:準備すること、et:~と、および、facere.:行なうこと、
 

783.それ故、「(箱舟に)入っている者達」は、教会の人間と共に(あるものを)意味することが知られよう。更に、「凡ての肉に関して雄と雌が入った」は、彼の許にあった凡ての種類の諸々の真理と諸々の善を意味する。それ故に、これが後に続いて来る。なぜなら、前に何度か言われ、また示された(ように)「雄と雌」は諸々の真理と諸々の善を意味するからである。
「神が命じたように」は、それらと一緒に受け入れられなければならないものが、前述のようなもので準備された(ことを)意味することについてもまた前に言われた。主において「命じること」は、先に準備することと行なうことである。

6-669~670意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-669~670意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

669.十九節、「また、あなたは凡ての生きているものから、凡ての肉からの凡てのものから一対のものがあなたと一緒に生かすことのために箱舟に入ることを為さなければならない。それらは雄と雌でなければならない。」
「生きている霊魂(もの)」によって理解のものが意味され、「凡ての肉」によって意志のものが意味される。「凡てのものから一対のものが箱舟に入ることをあなたは為さなければならない」は、彼らの再生を意味し、「雄」は真理であり、「雌」は善である。
 

670.「生きている霊魂(もの)」によって理解のものが意味され、また「凡ての肉」によって意志のものが意味されることは、前に言われたことから、更に、続く箇所から知られることが出来よう。聖言において「生きている霊魂」によって何であれ一般的に凡ての動物が意味される。例えば、創世記、1章,20,21,24節、2章19節、しかしここでは、それに「凡ての肉」が直ちに接合されているので、理解のものが意味される。その理由は、前に言われたように、この教会の人間は、先ず理解のものに関して再生されるべき者であったからである。それ故に、後に続く節においてもまた、先ず、理解のもの、即ち理性的なものである「鳥」が言われ、また続いて意志のものである「獣」について言われている。
「肉」は、特に意志のものである形体的なものを意味する。

7-777~780原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-777~780原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

777. Quod 'avis' significet verum spirituale, 'volucris' verum naturale, 'alatum' verum sensuale, constat inde; ita quoque distincta sunt vera: 'alata' dicuntur vera sensualia quae sunt visus et auditus, quia extrema, qualis quoque est significatio 'alae' applicatae ad alia.
 

777. Quod:こと、それ、そのこと、'avis':鳥、significet:意味する、verum:真理、spirituale,:霊的な、'volucris':鳥類、verum:真理、naturale,:自然的な、'alatum':翼のある、翼を備えた、verum:真理、sensuale,:感覚的な、感覚の、constat:知られる、明らかである、inde;:それ故、そこから、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、distincta sunt:区別された、vera::諸々の真理、'alata':翼のある、翼を備えた、dicuntur:言われる、vera:諸々の真理、sensualia:感覚的な、感覚の、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、visus:見られた、et:~と、および、auditus,:聞かれた、quia:なぜなら、ので、extrema,:最外端、最外部、qualis:~のような、ある種の、quoque:~もまた、同じく、est:ある、significatio:意味、'alae':羽、翼、applicatae:付けられた、ad:~に、~~と一緒に、alia.:他のもの、別のもの、
 

777.それ故、「鳥」が霊的な真理を意味し、「鳥類」が自然的な真理を(意味し)、「翼のあるもの」が感覚的な真理を(意味)することが知られよう。このように諸々の真理もまた区別されたものである(ことが知られよう)。「翼のあるもの」が感覚的な諸々の真理と言われるのは、それらは見られたものと聞かれたものであるからである。なぜなら、最外部のもの(であるからである)。他のものに付けられた「翼」の意味も同じような(意味で)ある。
 

778. Quia nunc 'aves caelorum' significant intellectualia vera, ita cogitationes, etiam significant contraria, ut phantasias seu falsa, quae quia sunt cogitationis hominis, quoque aves vocantur, sicut 'quod impii darentur in cibum avibus caeli, et feris' pro phantasiis et cupiditatibus, Esai. xviii 6; Jer. vii 33; xvi 4; xix 7; xxxiv 20; Ezech. xxix 5; xxxix 4. Ipse Dominus quoque phantasias et persuasiones falsi comparat avibus, ubi dicit,
Semen quod cecidit super viam duram, conculcatum est, et aves caeli comederunt illud, Matth. xiii 4; Luc. viii 5; Marc. iv 4, 15;
ubi 'aves caeli' non aliud sunt quam falsa.
 

778. Quia:なぜなら、ので、nunc:このような事情の下に、それで、'aves:諸々の鳥、caelorum':諸天、significant:意味する、intellectualia:理解の、vera,:諸々の真理、ita:このように、従って、cogitationes,:諸々の思考、etiam:~もまた、さらに、significant:意味する、contraria,:反対の、相反する、ut:~のように、例えば、phantasias:諸々の幻想、seu:即ち、或いは、falsa,:諸々の間違った信念、quae:それらは、そのことらは、quia:なぜなら、ので、sunt:ある、cogitationis:思考、hominis,:人間、quoque:~もまた、同じく、aves:諸々の鳥、vocantur,:呼ばれる、sicut:例えば、丁度~のように、'quod:こと、それ、そのこと、impii:神を敬わない、不敬虔な、darentur:与えられる、in:~の中へ、~として、cibum:食物、食料、avibus:諸々の鳥、caeli,:天の、et:また、そして、feris':諸々の野獣、pro:~として、~のために、phantasiis:諸々の幻想、et:~と、および、cupiditatibus,:諸々の欲望、Esai.:イザヤ、xviii 6; Jer.:エレミヤ、vii 33; xvi 4; xix 7; xxxiv 20; Ezech.:エゼキエル、xxix 5; xxxix 4. Ipse:御自身、Dominus:主は、quoque:~もまた、同じく、phantasias:諸々の幻想、et:~と、および、persuasiones:確信、信念、falsi:諸々の間違った原理、comparat:例える、比較する、avibus,:鳥、ubi:そこで、その場所、dicit,:言った、
Semen:種子、種、quod:こと、それ、そのこと、cecidit:落ちた、super:~の上へ、~の上に、viam:道を、duram,:堅い、conculcatum est,:踏みつけられた、et:また、そして、aves:諸々の鳥、caeli:天の、comederunt:食べた、illud,:それを、Matth.:マタイ、xiii 4; Luc.:ルカ、viii 5; Marc.:マルコ、iv 4, 15; ubi:そこで、その場所、'aves:諸々の鳥、caeli':天の、non:否、aliud:他のもの、別のもの、sunt:ある、quam:~を除いて、~の外は、falsa.:諸々の間違った信念、
 

778.このような事情の下に「諸天の諸々の鳥」は、理解の諸々の真理を意味するので、そのように諸々の思考(も意味する)。更にそれは反対のものも意味する。例えば、諸々の幻想、即ち諸々の間違った信念(も意味する)。なぜなら、それらは人間の思考のものであり、諸々の鳥ともまた呼ばれるからである。丁度、「不敬虔な者達は天の諸々の鳥に、また諸々の野獣に食物として与えられること」が、諸々の幻想と諸々の欲望としてのように(記述されている)。イザヤ、18.6、エレミヤ、7.33、16.4、19.7、34.20、エゼキエル、29.5、39.4、主御自身もまた諸々の幻想と諸々の間違った原理の信念を諸々の鳥に例えられた。そこで、
「堅い道の上に落ちた種は踏み付けられ、また天の諸々の鳥がそれを食べた。」マタイ、13.4、ルカ、8.5、マルコ、4.4,15、と言われた。ここで「天の諸々の鳥」は諸々の間違った信念以外の別のものではない。
 

779. Quod 'intrarunt ad Noahum in arcam, significet quod salvata sint, prius dictum est. Quod 'bina et bina' significent paria, quae quid sint, videatur cap. praec. vi ad vers. 19.
 

779. Quod:こと、それ、そのこと、'intrarunt:入った、ad:~に、~~と一緒に、Noahum:ノア、in:~の中へ、~に、arcam,:箱舟、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、salvata sint,:救われた、prius:以前に、前に、dictum est.:言われた、Quod:こと、それ、そのこと、'bina:二つずつ、et:~と、および、bina':二つずつ、significent:意味する、paria,:一対、一組、quae:それらは、そのことらは、quid:何か?、どんな?、sint,:ある、videatur:見られる、認められる、cap.:章、praec.:先行している、vi ad:~に、~へ、vers.:節、19.
 

779.「彼らがノアと一緒に箱舟に入った」は、彼らが救われたことを意味することは、前に言われた。「二つずつと二つずつ」は、一対を意味し、それらが何であるかは、前の(第)6章19節に認められよう。
 

780. Quod 'de omni carne, in qua spiritus novam creaturam, seu quod novam vitam acceperint a Domino, constare potest a significatione 'carnis' quod sit omnis homo in genere, et corporeus in specie, ut prius dictum et ostensum est; inde 'caro, in qua spiritus vitarum,' significat regeneratum; nam in proprio ejus est vita Domini, quae est vita charitatis et fidei: omnis homo non est nisi caro; sed cum vita charitatis et fidei ei a Domino inspiratur, tunc vivificatur caro, et fit spiritualis et caelestis, et vocatur nova creatura, Marc. xvi 15, ex eo quod e novo creatus.
 

780. Quod:こと、それ、そのこと、' de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne,:肉、肉体、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、spiritus':霊、息、novam:新しい、creaturam,:被造物、生物、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、novam:新しい、vitam:生命、acceperint:受け入れた、受け取った、a:~から、~により、Domino,:主から、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、a:~から、~により、significatione:意味、'carnis':肉、肉体、quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、omnis:凡ての、全体の、homo:人間、in genere,:一般的に、et:また、そして、corporeus:地的な、形体的な、in specie,:特に、詳細に、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum:言われた、et:また、そして、ostensum est;:示された、inde:それ故、そこから、'caro,:肉、肉体、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、spiritus:霊、息、vitarum,':生命、significat:意味する、regeneratum;:再生された、nam:なぜなら、というのも、in:~の中、~において、proprio:固有性、自己、 ejus:それの、彼の、est:ある、vita:生命、Domini,:主の、quae:それは、そのことは、est:ある、vita:生命、charitatis:仁愛、愛情、et:~と、および、fidei::信仰の、omnis:凡ての、全体の、homo:人間、non:否、est:ある、nisi:~以外、もし~でなければ、caro;:肉、肉体、sed:しかし、cum:その時、その場合、vita:生命、charitatis:仁愛、愛情、et:~と、および、fidei:信仰の、ei:彼に、a:~から、~により、Domino:主から、inspiratur,:吹き込まれる、tunc:その時、やがて、vivificatur:生かされる、caro,:肉、肉体、et:また、そして、fit:為される、spiritualis:霊的な、et:~と、および、caelestis,:天的な、et:また、そして、vocatur:呼ばれる、nova:新しい、creatura,:被造物、生物、Marc.:マルコ、xvi 15, ex:~から、~により、eo:それから、quod:こと、それ、そのこと、e:~から、~に、novo:新しい、creatus.:創造された、
 

780.「その中に息(のある)凡ての肉に関して」は、新しい生き物、即ち主から受け入れた新しい生命(を意味する)ことは、「肉」の意味から知られることが出来よう。前に言われ、また示されたようにそれは一般的には凡ての人間であり、また特に、形体的な(人間である)。それ故、「その中に生命の息(のある)肉」は、再生された者を意味する。なぜなら、彼の固有性の中に主の生命があるからであり、それは仁愛と信仰の生命である。凡ての人間は肉以外のものではないが、しかし主から彼(人間)に仁愛と信仰の生命が吹き込まれる時、その時、肉は生かされ、また霊的なものと天的なものに為される。そして新しい者に創造されたことにより新しい生きものと呼ばれる。マルコ、16.15、

6-667~668意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-667~668意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

667.「彼と彼の息子達、また彼の妻と彼の息子達の妻達が箱舟に入った」ことは、彼らが救われたことを意味することは、前に言われたことと、続く箇所で彼らが再生されたので、救われたことから知られよう。
 
 
668.「息子達」は諸々の真理であり、また「妻達」は諸々の善であることは、前の第5章4節にもまた、示されたのである。そこでは「息子達と娘達」が言われたのに反し、ここでは「息子達と妻達」が言われている。なぜなら、「妻達」は諸々の真理に結ばれた諸々の善であるからである。というのは、何かの真理は、もし善があるのでなければ、即ち善からの楽しいものがあるのでなければ、決して生み出されることが出来ないからである。善と楽しいものの中に生命があり、これに反し、真理の中の生命は善と楽しいものから持つ以外に生命はないからである。ここから真理は形作られ、芽が出される。同様に真理の信仰も善の愛から形作られ、芽が出される。真理は光の如く善を持つ。もし太陽、或いは炎からでなければ、決して光はなく、光は炎から形作られたものである。
真理は、単に善の形であり、また信仰も、単に愛の形である。それ故、真理は善の性質に従って形作られ、また信仰も愛の性質、即ち仁愛の性質に従って形作られる。このような事情の下に、これがここに真理に結ばれた諸々の善を意味する「妻と妻達」が言われている理由である。それ故、後に続く節において、凡てのものについて雄と雌の一対のものが箱舟に入ったことが言われている。なぜなら、諸々の真理に結び付けられた諸々の善なしに再生は決してないからである。

7-776原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-776原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

776. Quod per 'avem secundum speciem suam' significetur omne spirituale verum, per 'volucrem' naturale verum, per 'alatum' sensuale verum, constat ab illis quae prius de avibus dicta et ostensa sunt, ut n. 40. Antiquissimi assimilarunt cogitata hominis avibus. quia ita se habent respective ad voluntaria: quia hic nominantur avis, et volucris, et alatum, et haec succedunt, sicut in homine intellectualia, rationalia et sensualia, ne cui dubium sit quin illa significent, licet adhuc quaedam loca ex Verbo confirmantia adducere, ex quibus etiam patet quod 'bestiae' talia quae dicta sunt, significent; [2] apud Davidem,
Dominari fecisti Illum super opera manuum Tuarum, omnia posuisti sub pedibus Illius, gregem et armenta omnia, et etiam bestias agrorum, volucrem caelorum, et pisces maris, Ps. viii 7, 8, [9] [A.V. 6, 7, 8];
ubi de Domino, Cujus dominium super hominem, et super quae sunt hominis, ita describuntur; aliter, quid foret dominium super
bestias et aves? apud eundem,
Arbor fructus et omnes cedri, fera et omnis bestia, reptile et volucris alae,... glorificabunt nomen Jehovae, Ps. cxlviii 9, 10, 13;
'arbor fructus' est caelestis homo, 'cedrus' est spiritualis homo, 'fera et bestia et reptile' illorum bona, sicut hic; 'volucris alae' illorum vera, ex quibus glorificare possunt nomen Jehovae; nequaquam potest fera, bestia, reptile, volucris; in scriptis profanis talia hyperbolice dici possunt, sed in Verbo Domini nusquam hyperbolica sunt, sed significativa et repraesentativa: [3] apud Ezechielem,
Contremiscent coram Me pisces maris, et avis caelorum, et fera agri, et omne reptile repens super humo, et omnis homo, qui super faciebus humi, xxxviii 20;
quod hic 'bestiae et aves' talia significent, constat manifeste, nam quid gloriae Jehovae si contremiscerent pisces, aves, bestiae, an quisque putare potest quod tales locutiones forent sanctae, si non sancta involverent: apud Jeremiam,
Vidi et ecce non homo, omnis avis caelorum aufugit, iv 25;
pro quod omne bonum et verum; hic quoque 'homo' pro bono amoris: apud eundem,
Vastata sunt, ut non sit vir transiens, et non audiunt vocem pecoris; ab ave caelorum et usque ad bestiam, evagati sunt, abiverunt, ix 9 [A.V. 10];
similiter, pro quod omne verum et bonum abiverit: [4] apud eundem,
Quousque lugebit terra, et herba omnis agri exarescet? propter malitiam habitantium in ea, periit bestiae et avis, quia dixerunt, Non videbit novissimum nostrum, xii 4,
ubi 'bestiae' pro bonis, et 'avis' pro veris, quae perierunt: apud Zephaniam,
Consumam hominem et bestiam, consumam avem caelorum, et pisces maris, et offendicula cum impiis, et exscindam hominem a faciebus humi, 13;
ubi 'homo et bestia' pro illis quae sunt amoris et inde boni; 'avis caelorum et pisces maris' pro illis quae sunt intellectus, ita quae sunt veri, quae vocantur 'offendicula' quia impiis bona et vera sunt offendicula, non bestiae et aves; quod sint illa quae hominis, manifeste etiam dicitur: apud Davidem,
Saturantur arbores Jehovae, et cedri Libani, quas plantavit, ubi volucres nidificant, Ps. civ 16, 17;
'arbores Jehovae, et cedri Libani' pro spirituali homine; 'volucres' pro ejus veris rationalibus aut naturalibus, quae sunt quasi 'nidi.' Alioquin communis formula loquendi finit quod 'nidificarent aves in ramis,' qua significabantur vera; [5] ut apud Ezechielem,
In monte altitudinis Israelis plantabo illam, et attollet ramum, et faciet fructum, et erit in cedrum magnificam, et habitabunt sub illa omnis volucris omnis alae, in umbra ramorum ejus habitabunt, xvii 23;
pro Ecclesia gentium, quae spiritualis, quae est 'cedrus magnifica,' 'avis omnis alae' pro veris omnis generis: apud eundem,
In ramis ejus nidificarunt omnis avis caelorum, et sub ramis ejus genuerunt omnis fera agri, ac in umbra ejus habitabunt omnes gentes magnae, xxxi 6;
de Asshure, qui est Ecclesia spiritualis, et vocatur 'cedrus,' 'avis caelorum' pro veris ejus, 'bestia' pro bonis: [6] apud Danielem,
Ramus ejus pulcher, et fructus ejus multus, et esca omnibus in ea; sub illa umbram habebat bestia agri, et in ramis ejus "habitabant volucres caeli, iv 9, 18 [A.V. 12, 21];
ubi 'bestia' pro bonis, 'volucris caelorum' pro veris; quod unicuivis constare potest, nam quid foret quod ibi habitaret avis et bestia? Similiter quae Dominus locutus,
Regnum Dei simile est grano sinapis, quod accipiens homo projecit in hortum suum, crevitque, et factum est in arborem magnam, ut aves caeli habitarint in ramis ejus, Luc. xiii 19; Matth. xiii 32; Marc. iv 32.
 

776. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'avem:鳥、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、significetur:意味される、omne:凡ての、全体の、spirituale:霊的な、verum,:真理、per:~を通して、~によって、'volucrem':鳥類、naturale:自然的な、verum,:真理、per:~を通して、~によって、'alatum':翼のある、翼を備えた、sensuale:感覚的な、感覚の、verum,:真理、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、de:~について、~に関して、avibus:鳥、dicta:言われた、et:また、そして、ostensa sunt,:示された、ut:~のように、~として、n.:番号、40.
Antiquissimi:最古代、assimilarunt:対比した、なぞらえた、cogitata:考えられた、hominis:人間、avibus.(,?):鳥、quia:なぜなら、ので、ita:このように、従って、se:それ自身を、habent:持つ、respective:~と比較すれば、~と比べて、ad:~に、~と比較して、voluntaria::意志の、quia:なぜなら、ので、hic:ここに、この場に、nominantur:呼ばれる、avis,:鳥、et:~と、および、volucris,:鳥類、et:~と、および、alatum,:翼のある、翼を備えた、et:また、そして、haec:これらは、succedunt,:続く、後続する、sicut:~の如く、~のように、in:~の中、~において、homine:人間、intellectualia,:理解の、rationalia:理性的な、理性のある、et:~と、および、sensualia,:感覚的な、感覚の、ne:~しないように、否、cui:その者に、誰かに、dubium:疑い、迷い、sit:ある、quin:~ことを、~ことに、illa:それらを、significent,:意味する、licet:自由である、許されている、adhuc:更に、なお更、quaedam:幾つか、何らかの、loca:くだり、箇所、ex:~から、~により、Verbo:真理、confirmantia:確認となる箇所、確認するもの、adducere,:提示すること、ex:~から、~により、quibus:それらから、そのことらから、etiam:~もまた、さらに、patet:明らかであろう、(三人称単数未来)quod:こと、それ、そのこと、'bestiae':動物、獣、talia:このような、次のような、quae:それらは、そのことらは、dicta sunt,:言われた、significent;:意味する、
[2] apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Dominari:支配すること、統治すること、fecisti:~させる、為す、(二人称単数現在)Illum:彼を、super:~の上で、~の上に、opera:仕事、働き、manuum:手を、Tuarum,:あなた達の、omnia:凡ての、全体の、posuisti:置いた、座らせた、(二人称単数完了)sub:~の下へ、~の支配の下に、pedibus:足、Illius,:彼の、gregem:群れ、大勢、群集、et:~と、および、armenta:群れ、omnia,:凡ての、全体の、et:また、そして、etiam:~もまた、さらに、bestias:動物、獣、agrorum,:野、原、volucrem:鳥類、caelorum,:諸天の、et:また、そして、pisces :諸々の魚、maris,:海の、Ps.:詩篇、viii 7, 8, [9] [A.V. 6, 7, 8]; ubi:そこで、その場所、de:~について、~に関して、Domino,:主から、Cujus:その方の、dominium:支配権、支配、super:~の上へ、~の上に、hominem,:人間、et:また、そして、super:~の上へ、~の上に、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、hominis,:人間、ita:このように、従って、describuntur;:記述される、述べられる、aliter:さもなければ、他の場合には、 quid:何か?、どんな?、foret:あった、dominium:支配権、支配、super:~の上へ、~の上に、bestias:動物、獣、et:~と、および、aves?:鳥、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Arbor fructus:果樹、et:~と、および、omnes:凡ての、全体の、cedri,:杉、ヒマラヤ杉、fera:野獣、et:~と、および、omnis:凡ての、全体の、bestia,:動物、獣、reptile:這うもの、et:また、そして、volucris:鳥類、alae,:羽、翼、... glorificabunt:栄化する、賛美する、(三人称複数未来)nomen:名前、Jehovae,:エホバ、Ps.:詩篇、cxlviii 9, 10, 13; 'arbor fructus':果樹、est:ある、caelestis:天的な、homo,:人間、'cedrus':杉、ヒマラヤ杉、est:ある、spiritualis:霊的な、homo,:人間、'fera:野獣、et:~と、および、bestia:動物、獣、et:~と、および、reptile':這うもの、illorum:彼らの、bona,:善、sicut:~の如く、~のように、hic;:ここに、この場に、'volucris:鳥類、alae':羽、翼、illorum:彼らの、vera,:真理、ex:~から、~により、quibus:彼らの、glorificare:栄化すること、賛美すること、possunt:出来る、可能である、nomen:名前、Jehovae;:エホバ、nequaquam:決して~でない、potest:出来る、可能である、fera,:野獣、bestia,:動物、獣、reptile,:這うもの、volucris;:鳥類、in:~の中、~において、scriptis:書かれたもの、文書、profanis:世俗的な、冒涜的な、talia:このような、次のような、hyperbolice:誇張して、dici:言われること、possunt,:出来る、可能である、sed:しかし、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、Domini:主の、nusquam:どこにもない、決して~ない、hyperbolica:誇張した、大げさな、sunt,:ある、sed:しかし、significativa:意味を伝える、意味のある、et:~と、および、repraesentativa::表象の、象徴する、
[3] apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
Contremiscent:おののく、恐れる、(三人称複数未来)coram:目の前で、面と向かって、Me:私から、pisces:諸々の魚、maris,:海の、et:また、そして、avis:鳥、caelorum,:諸天の、et:また、そして、fera:野獣、agri,:野の、et:また、そして、omne:凡ての、全体の、reptile:這うもの、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、humo,:大地から、et:また、そして、omnis:凡ての、全体の、homo,:人間、qui:その者、super:~の上で、~の上に、faciebus:面、おもて、humi,:大地の、xxxviii 20; quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、'bestiae:諸々の動物、諸々の獣、et:~と、および、aves':諸々の鳥、talia:このような、次のような、significent,:意味される、constat:知られる、明らかである、manifeste,:明瞭に、明らかに、nam:なぜなら、というのも、quid:何か?、どんな?、gloriae:名誉、栄光、Jehovae:エホバ、si:もし~なら、たとえ~でも、contremiscerent:おののく、恐れる、(三人称複数未来)pisces,:諸々の魚、aves,:諸々の鳥、bestiae,:諸々の動物、諸々の獣、an:、~かどうか、~でないか、quisque:各人、putare:信じること、思うこと、potest:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、tales:このような、次のような、locutiones:話すこと、話し方、forent:あった、sanctae,:神聖な、聖なる、si:もし~なら、たとえ~でも、non:否、sancta:神聖な、聖なる、involverent::包む、含む、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Vidi:見た、(一人称単数完了)et:また、ところがしかし、ecce non:否、homo,:人間、omnis:凡ての、全体の、avis:鳥、caelorum:諸天の、aufugit,:逃げ去った、逃亡した、iv 25; pro:~として、~のために、quod:~ということが、~ということを、omne:凡ての、全体の、bonum:善、et:~と、および、verum;:真理、hic:ここに、この場に、quoque:~もまた、同様に、'homo':人間、pro:~として、~のために、bono:善、amoris::愛の、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Vastata sunt,:荒された、浄化された、ut:~のために、こと、~するように、non:否、sit:ある、vir:人、夫、transiens,:通り過ぎている、et:また、そして、non:否、audiunt:聞く、vocem:声、音、pecoris;:家畜の群れ、羊の群れ、ab:~から、~により、ave:鳥、caelorum:諸天の、et:~と、および、usque ad:~に至るまで、bestiam,:動物、獣、evagati sunt,:さまよった、放浪した、abiverunt,:立ち去った、出て行った、ix 9 [A.V. 10]; similiter,:同様に、似ている、pro:~として、~のために、quod:~ということが、~ということを、omne:凡ての、全体の、verum:真理、et:~と、および、bonum:善、abiverit: :立ち去った、出て行った、
[4] apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
Quousque:いつまで、どれほど長い間、lugebit:悲しむ、嘆く、(三人称単数未来)terra,:地、地上、et:また、そして、herba:草、植物、omnis:凡ての、全体の、agri:野、原、arescet?:乾く、ひからびる、propter:~のために、~の故に、malitiam:悪意、悪徳、habitantium:住んでいる、in:~の中、~において、ea,:それから、periit:死んだ、滅びた、bestiae:諸々の動物、諸々の獣、et:~と、および、avis,:鳥、quia:なぜなら、ので、dixerunt,:言った、Non:否、videbit:見る、認める、(三人称単数未来)novissimum:最近の、最後の、nostrum,:私達の、xii 4, ubi:そこで、その場所、'bestiae':諸々の動物、諸々の獣、pro:~として、~のために、bonis,:諸々の善、et:また、そして、'avis':鳥、pro:~として、~のために、veris,:諸々の真理、quae:それらは、そのことらは、perierunt::死んだ、滅びた、apud:~のもとに、~において、Zephaniam,
Consumam:滅ぼそう、(接続法一人称単数現在)hominem:人間、et:~と、および、bestiam,:動物、獣、consumam:滅ぼそう、(接続法一人称単数現在)avem:鳥、caelorum,:諸天、et:~と、および、pisces:諸々の魚、maris,:海の、et:また、そして、offendicula:諸々の障害物、諸々の躓きの石、cum:~と一緒に、~と、impiis,:神を敬わない、不敬虔な、et:また、そして、exscindam:滅ぼそう、(接続法一人称単数現在)hominem:人間、a:~から、~により、faciebus:面、おもて、humi,:大地の、13; ubi:そこで、その場所、'homo:人間、et:~と、および、bestia':動物、獣、pro:~として、~のために、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、amoris:愛の、et:~と、および、inde:それ故、そこから、boni;:善、'avis:鳥、caelorum:諸天、et:~と、および、pisces:諸々の魚、maris':海の、pro:~として、~のために、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解の、ita:このように、従って、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、veri,:真理、quae:それらは、そのことらは、vocantur:呼ばれる、'offendicula':諸々の障害物、諸々の躓きの石、quia:なぜなら、ので、impiis:神を敬わない、不敬虔な、bona:諸々の善、et:~と、および、vera:諸々の真理、sunt:ある、offendicula,:諸々の障害物、諸々の躓きの石、non:否、bestiae:諸々の動物、諸々の獣、et:~と、および、aves;:諸々の鳥、quod:こと、それ、そのこと、sint:ある、illa:それらは、quae:それは、そのことは、hominis,:人間、manifeste:明瞭に、明らかに、etiam:~もまた、さらに、dicitur::言われる、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Saturantur:潤わされる、arbores:諸々の木、諸々の樹木、Jehovae,:エホバ、et:また、そして、cedri:杉、ヒマラヤ杉、Libani,:レバノン、レバノンの山、quas:それらを、そのことらを、plantavit,:植えた、ubi:そこで、その場所、volucres:諸々の鳥類、nidificant,:巣を作る、Ps.:詩篇、civ 16, 17; 'arbores:諸々の木、諸々の樹木、Jehovae,:エホバ、et:また、そして、cedri:杉、ヒマラヤ杉、Libani':レバノン、レバノンの山、pro:~として、~のために、spirituali:霊的な、homine;:人間、'volucres':諸々の鳥類、pro:~として、~のために、ejus:それの、彼の、veris:諸々の真理、rationalibus:理性的な、aut:即ち、或いは、naturalibus,:自然的な、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、quasi:言わば、あたかも~のように、'nidi.':諸々の巣、
Alioquin:更に、そうでなければ、communis:全般的な、普通の、formula:定式文句、きまり文句、loquendi:言うことの、finit:記述する、定義する、quod:こと、それ、そのこと、'nidificarent:巣を作った、aves:諸々の鳥、in:~の中、~において、ramis,':諸々の枝、qua:何でも、significabantur:意味された、vera;:諸々の真理、
[5] ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
In:~の中、~において、monte:山、丘、altitudinis:高さ、高所、Israelis:イスラエル、plantabo:植える、(一人称単数未来)illam,:それを、et:また、そして、attollet:持ち上げる、際立たせる、ramum,:枝、et:また、そして、faciet:結ぶ、為す、fructum,:果実、実、et:また、そして、erit:あろう、(三人称単数未来)in:~の中へ、~に、cedrum:杉、ヒマラヤ杉、magnificam,:堂々とした、立派な、壮大な、et:また、そして、habitabunt:住む、居住する、(三人称複数未来)sub:~の下に、~の支配の下に、illa:それから、omnis:凡ての、全体の、volucris:鳥類、omnis:凡ての、全体の、alae,:羽、翼、in:~の中、~において、umbra:陰、影、ramorum:枝、ejus:それの、彼の、habitabunt,:住む、居住する、(三人称複数未来)xvii 23; pro:~として、~のために、Ecclesia:教会、gentium,:民、人々、quae:それは、そのことは、spiritualis,:霊的な、quae:それは、そのことは、est:ある、'cedrus:杉、ヒマラヤ杉、magnifica,':堂々とした、立派な、壮大な、'avis:鳥、omnis:凡ての、全体の、alae':羽、翼、pro:~として、~のために、veris:諸々の真理、omnis:凡ての、全体の、generis::種類、類型、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)において、
In:~の中、~において、ramis:枝、ejus:それの、彼の、nidificarunt:巣を作った、(nidificarent?)omnis:凡ての、全体の、avis:鳥、caelorum,:諸天、et:また、そして、sub:~の下に、ramis:枝、ejus:それの、彼の、genuerunt:父となった、産んだ、生じた、(gigno、の三人称複数完了)omnis:凡ての、全体の、fera:野獣、agri,:野、原、ac:そして、なお加えて、in:~の中、~において、umbra:陰、影、ejus:それの、彼の、habitabunt:住む、居住する、(三人称複数未来)omnes:凡ての、全体の、gentes:人々、氏族、magnae,:高位の、偉大な、xxxi 6; de:~について、~に関して、Asshure,:アシュル、qui:その者、est:ある、Ecclesia:教会、spiritualis,:霊的な、et:また、そして、vocatur:呼ばれる、'cedrus,':杉、ヒマラヤ杉、'avis:鳥、caelorum':諸天、pro:~として、~のために、veris:諸々の真理、ejus,:それの、彼の、'bestia':動物、獣、pro:~として、~のために、bonis::諸々の善、
[6] apud:~のもとに、~において、Danielem,:ダニエル、
Ramus:枝、ejus:それの、彼の、pulcher,:美しい、きれいな、et:また、そして、fructus:実、果実、ejus:それの、彼の、multus,:多数の、多くの、et:また、そして、esca:食物、餌、omnibus:凡ての、全体の、in:~の中、~において、ea;:それから、sub:~の下に、~の支配の下に、illa:それから、umbram:陰、影、habebat:住んだ、居住した、bestia:動物、獣、agri,:野の、et:また、そして、in:~の中、~において、ramis:諸々の枝、ejus:それの、彼の、"habitabant:住んだ、居住した、volucres:諸々の鳥類、caeli,:天の、iv 9, 18 [A.V. 12, 21]; ubi:そこで、その場所、'bestia':動物、獣、pro:~として、~のために、bonis,:諸々の善、'volucris:鳥類、caelorum':諸天、pro:~として、~のために、veris;:諸々の真理、quod:こと、それ、そのこと、unicuivis:各々の、誰でも、constare:知られること、明らかであること、potest,:出来る、可能である、nam:なぜなら、というのも、quid:何か?、どんな?、foret:あった、(接続法三人称単数現在)quod:こと、それ、そのこと、ibi:そこに、そこで、habitaret:住んだ、居住した、avis:鳥、et:~と、および、bestia?:動物、獣、Similiter:同様に、似ている、quae:それらは、そのことらは、Dominus:主は、locutus,:話した、語った、
Regnum:王国、Dei:神の、simile:同様な、等しい、est:ある、grano:種、種子、穀粒、sinapis,:辛子、quod:こと、それ、そのこと、accipiens:受け取っている、homo:人間、projecit:蒔く、in:~の中へ、~に、hortum:庭園、庭、suum,:自分自身を、crevitque,:そして大きくなった、また成長した、et:また、そして、factum est:為された、in:~の中へ、~に、arborem:木、樹木、magnam,:大きな、ut:~のために、こと、~するように、aves:諸々の鳥、caeli:天の、habitarint:住んだ、居住した、in:~の中、~において、ramis:枝、ejus,:それの、彼の、Luc.:ルカ、xiii 19; Matth.:マタイ、xiii 32; Marc.:マルコ、iv 32.
 

776.「鳥はその種類に従って」によって凡ての霊的な真理が意味され、「鳥類」によって自然的な真理(が意味され)、「翼のあるもの」によって感覚的な真理(が意味される)ことは、前に鳥について言われ、また示されたことから知られよう。40番、
最古代人達は人間の考えたことを鳥になぞらえた。なぜなら、意志の(もの)と比べて比較すれば、それをそのように持つからである。ここでは鳥が呼ばれ、また鳥類と翼のあるものものが後に続き、人間の中の理解の(もの)、理性的な(もの)、および感覚的な(もの)の如く(ある)。それら(鳥、鳥類、および翼のあるもの)がそれら(理解のもの、理性的なもの、および感覚的なもの)を意味することを誰かに(誰も)疑わないように、更に聖言から幾つか確認する箇所を提示することを許されている。それらにより更に「獣」が、言われたように(霊的な善を)意味することが明らかとなるであろう。
[2]ダビデ(の書)において、
「あなたは彼にあなた達の手の働きの上で支配することをさせる。あなたは凡てのものを、凡ての羊の群と凡ての牛の群、そしてまた、野の獣、諸天の鳥、また海の諸々の魚を彼の足の支配の下に置かれた。」詩篇、8.6-8、ここでは、主について、その方の人間の上への支配(について)、また人間の(ものの)上への(支配について)このように記述されている。さもなくば、獣と鳥の上への支配とは何であろうか? 同(書)において、
「果樹と凡てのヒマラヤ杉、野獣と凡ての獣、這っている物、また翼の鳥は、...エホバの名を賛美するであろう。」詩篇、148.9,10,13、(ここの節)の如く「果樹」は天的な人間であり、「ヒマラヤ杉」は霊的な人間(であり)、「野獣と獣と這うもの」は彼らの善(であり)、「翼の鳥」は彼らの諸々の真理(であり)、それらにより主の名を賛美することが出来る。野獣、獣、這うもの、鳥類は、決して(エホバの名を賛美)出来ない。世俗的な文書においてこのように誇張して言われることが出来るが、しかし主の聖言においては、決して誇張したものはない。しかし意味のあるものと表象するもの(がある)。
[3]エゼキエル(書)において、
「海の諸々の魚と、諸天の鳥と、野の野獣と、大地の上に這っている凡ての這うものと、大地のおもての上の凡ての人間は、私の目の前でおののくであろう。」38.20、ここの「諸々の獣」と「諸々の鳥」がこのようなことを意味することは、明瞭に知られよう。なぜなら、もし諸々の魚、諸々の鳥、諸々の獣がおののくなら、エホバの栄光とは何か、もしこれらのものが神聖なものを含まないなら、誰がこのように話すことを信じることが出来ようか。エレミヤ(書)において、
「私は見た、ところがしかし、人間は居らず、諸天の凡ての鳥達は逃げ去った。」4.25、(これは)凡ての善と真理ということとして(記述されている)。ここの「人間」も同様に愛の善として(記述されている)。同(書)において、
「それらは通り過ぎる人が居ないために、また羊の群れの声を聞かないために荒らされた。諸天の鳥から獣に至るまでさまよって立ち去った。」9.10、同様に、凡ての善と真理が立ち去ったということとして(記述されている)。
[4]同(書)において、
「いつまで地は嘆き、また野の草はひからびる(枯れている)のか? そこに住んでいる者達の悪徳のために諸々の獣と鳥が死んだ。なぜなら、彼らは彼(神)は私達の最近を見ないであろうと言ったからである。」12.4、ここの「諸々の獣」は、滅びた諸々の善として、また「鳥」は、(滅びた)諸々の真理として(記述されている)。ゼパニヤ(書)において、
「私は人間と獣を滅ぼそう。諸天の鳥と海の諸々の魚を滅ぼそう。また不敬虔な者達と一緒に諸々の躓きの石を滅ぼそう。また大地のおもてから人間を滅ぼそう。」1.3、ここで「人間と獣」は愛の(もの)とそこからの善の(もの)として、「諸天の鳥と海の諸々の魚」は理解の(もの)として、従って真理の(ものとして記述されている)。それらは諸々の躓きの石と呼ばれる。なぜなら、不敬虔な者達に諸々の善と諸々の真理は諸々の躓きの石であるからである。諸々の獣と諸々の鳥は(諸々の躓きの石では)なく、人間の(もので)あることが、更に明瞭に言われている。ダビデ(の書)において、
「エホバの諸々の樹木は潤わされ、また彼が植えた杉に諸々の鳥類が巣を作る。」104.16,17、(ここの)「エホバの諸々の樹木とレバノンの杉」は霊的な人間として、「諸々の鳥類」は、その理性的な諸々の真理、或いは自然的な(諸々の真理)として(記述されている)。それらは言わば「諸々の巣」である。
更に、「諸々の鳥が諸々の枝に巣を作った」ことは、記述して言うことの普通の決まり文句であり、何でも諸々の真理が意味される。
[5]例えば、エゼキエル(書)において、
「私はイスラエルの高い山にそれを植えるであろう。かくて枝を際立たせ、また実を結び、また立派な杉になるであろう。そして凡ての鳥の凡ての翼がその下に住み、その枝の陰に住むであろう。」17.23、(ここの)「立派な杉」は、霊的な人々の教会として、「凡ての鳥の翼」は、凡ての種類の諸々の真理として(記述されている)。同(書)において、
「諸天の凡ての鳥がその枝に巣を作り、また野の凡ての野獣はその枝の下に子を産んだ。なお加えて、その枝の陰に偉大な凡ての氏族が住むであろう。」31.6、(ここは)霊的な教会であるアシュルについて(記述されており)、その諸々の真理として「杉」、「諸天の鳥」が呼ばれ、「獣(野獣)」は諸々の善として(記述されている)。
[6]ダニエル(書)において、
「その枝は美しく、またその実は多く、そしてその中で凡ての者達に食物が(あり)、その影の下に野の獣が住み、また諸々の枝の中に天の諸々の鳥類が住んだ。」4.12,21、ここで「獣」は諸々の善として、「諸天の鳥類」は諸々の真理として(記述されている)ことは、各々の者に知られることが出来よう。なぜなら、(そうでないなら)そこに鳥と獣が住んだことが何か(意味が)あっただろうか? 主も同様に
「神の王国は辛子種と同様である。人間がそれを受け取って自分の庭に蒔くと成長して大きな木になり、天の諸々の鳥がその枝の中に住んだこと」を話された。ルカ、13.19、マタイ、13.31,32、マルコ、4.31,32、

6-666意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-666意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
666.「契約」は再生と再生のものを除いて他のものを何も意味しないことは、聖言により、そこでしばしば主御自身が「契約」と呼ばれていることから知られることが出来よう。なぜなら、唯一主御自身が再生させる方だからであり、またその方は再生された人間により見られるからであり、また愛と信仰の凡てのもの中の凡てのものであるからである。主は契約そのもので在られることはイザヤ書において知られよう。
「私はエホバ、あなたを正義の中に呼び寄せ、またあなたの手をつかみ、またあなたを守っている。そしてあなたを人々の契約として、民の光として与えるであろう。」42.6、ここで「契約」は主として記述され、「諸民族の光」は信仰である。同様に、49章6,8節に記述されている。マラキ書において、
「見よ、私は私の天使を差し向けている、...そしてあなた達が探している主は不意に御自身の神殿に来られるであろう。またあなた達が歓迎すべき契約の天使が不意にその神殿に来るであろう。誰がエホバ御自身の降臨の日を耐えるだろうか?」3.1,2、ここで主は「契約の天使」と呼ばれている。安息日は「永遠の契約」と呼ばれている。出埃及記、31.16、なぜなら、安息日は主御自身を意味するからであり、主御自身により再生された天的な人間を意味するからである。
[2]主は契約そのもので在られるので、契約の凡てのものは人間を主に結合することが知られよう。そのように契約の凡てのものは愛と信仰であり、また愛のものと信仰のものである。というのは、それらは主のものであり、また彼らの中の主であるからである。従って契約そのものは彼らの中にそこに受け入れられる。これらのものは再生された者の許を除いて与えられない。その再生された者の許にあるものは何であろうと再生させる者の、即ち主のものであり、これが契約のものである。即ち契約である。例えば、イザヤ書において、
「私の慈悲はあなたから去らず、また私の平安の契約はあなたから移されない。」54.10、ここの「慈悲と平安の契約」は主であり、またそれらは主のものである。同書において、
「あなた達の耳を傾けよ、そして私のそばに来てあなた達の魂が生きるために(3869番に従った)聞け、かくて私はあなた達に永遠の契約を結び、ダビデへの強固な慈悲を約束しよう。見よ、私は自らを民の証人、支配者、および立法者として与えた。」55.3,4、ここの「ダビデ」は主として、「永遠の契約」はそれらの中の、またそれらを通した主のものである。それらは「エホバ御自身のそばへ行くこと」と「霊魂が生きるために聞くこと」によって意味されている。
[3]エレミヤ書において、
「私は彼らに一つの心と一つの道を与えるであろう。彼らと彼らの後の彼らの息子達にとって、凡ての日々が善であるように私を恐れるためである。そして、彼らの後の彼らの息子達から私が引き離されないことで、彼らに私の善を為すために、私は彼らに生涯の契約を結ぼう。また私は彼らの心に私への恐れを与えよう。」32.39,40、ここで彼らは再生されるべき者達として記述されている。更に主のものであり、そのように契約のものである「一つの心と一つの道」、即ち仁愛と信仰が再生された者の許にあるものとして記述されている。同書において、
「見よ、日々が来ている。エホバは言われた。しかして私はイスラエルの家と、またユダの家と平安の契約を結ぼう。彼らの先祖達と結ばれた契約の如きものではない。...なぜなら、彼らは私の契約を虚しく返したからである。...しかし、私がこの者達の日々の後でイスラエルの家と結ぶこの契約は、...私の律法を彼らの真ん中に与え、また彼らの心の上にそれを刻もう。そして私は彼らに神として在り、また彼らは私に民として居るであろう。」31.31-33、ここで「契約」が何かがが明瞭に説明されている。それは主への愛と信仰である。それらは再生されるべき者の許にある。
[4]同書において、愛は「昼の契約」と呼ばれ、また信仰は「夜の契約」と呼ばれている。33.20、エゼキエル書において、
「私エホバは彼らに神として在るであろう。また私のしもべダビデは彼らの真ん中で君主となるであろう。...また私は彼らに平安の契約を結ぼう。そして地で悪い野獣が活動しないようにし、また砂漠の中で彼らは大胆に住み、また森の中で眠るだろう。」34.24,25、ここでは再生について明瞭に記述されている。「ダビデ」は主として記述されている。同書において、
「ダビデは、...永遠に彼らに君主となろう。私は彼らに平安の契約を結ぼう、その契約は彼らと永遠の契約になるであろう。...私は私の聖所を彼らの真ん中に永遠に置こう。」32.25,26、ここでも同様に再生について記述されている。「ダビデ」と「聖所」は主として記述されている。同書において、
「私はあなたと契約を結んだ。... かくて、あなたは私のために居た。そして私はあなたを水で洗い、また私はあなたの上からあなたの血を洗い落とし、そしてあなたに油を塗った。」16.8,9,11、ここでは「契約」が明瞭に再生として記述されている。ホセヤ書において、
「その日、私は彼らのために野の野獣と諸天の鳥と、また地の這うものに契約を結ぶであろう。」2.18、ここでも「契約」は再生として記述されている。「野の野獣」は意志のものとして、「諸天の鳥」は理解のものとして記述されている。ダビデの書において、
「彼は御自身の民に贖罪を知らせ、御自身の永遠の契約として命じられた。」詩篇、111.9、ここでも「契約」は再生として記述されている。それは与えられ、また受け入れられるので「契約」と言われている。
[5]しかし、再生されない者達、即ち同じことであるが、礼拝を外なるものに置く者達、また彼ら自身と彼らが欲し、また考えるものに礼拝を置く者達は、それらを神々として尊重し、また崇拝するに応じて主から自分自身を分離するので、それらについて「契約を虚しく返す」ことが言われている。例えば、エレミヤ書において、
「彼らは、彼ら自身の神エホバの契約を見捨て、また他の神々に彼ら自身を曲げ、またそれらに仕えた。」22.9、モーセの書において、
「他の神々、太陽、月、諸天の群れに仕えることで、契約を破った者達は石で打たれる。」申命記、17.2、続き、「太陽」は自己愛として、「月」は間違った信念の原理として、「諸天の群れ」は間違った信念そのものとして記述されている。それ故に今や、「契約の箱」が何か、その中にあった十戒の律法、即ち契約が何か知られよう。それは主御自身である。「契約の書」が何かは、出埃及記、24.4-7、34.27、申命記、4.13,23に、それは主御自身である。「契約の血」が何かは、出埃及記、24.6,8に、それも主御自身である。その方(主)のみが再生させる者であり、それ故、「契約」は再生そのものである。

7-775原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-775原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

775. Quia omnium dantur genera et species, tam scilicet bonorum spiritualium quam bonorum naturalium, tum etiam sensualium et corporeorum inde, hic dicitur de unoquovis, 'secundum speciem suam': tot genera bonorum spiritualium dantur, similiter tot genere verorum spiritualium, ut nusquam possint recenseri; minus adhuc species quae generum sunt: in caelo sunt omnia bona et vera caelestia et spiritualia ita in sua genera et haec in suas species distincta ut ne hilum sit quod non distinctissimum; et tam innumerabilia sunt ut differentiae specificae possint dici indefinitae; ex quibus quam egena: et fere nulla, sapientia humana sit, constare potest, quae nescit fere quod bonum et verum spirituale sit, minus quid sit. [2] Ex bonis caelestibus et spiritualibus, et veris inde, existunt et descendunt bona et vers naturalia, nam nusquam datur aliquod bonum et verum naturale, quod non existit a bono spirituali, et hoc a caelesti, et ab iisdem subsistit; si recederet spirituale a naturali, naturale nullum foret: origo rerum omnium se ita habet; omnia et singula sunt a Domino; ab Ipse est caeleste, per caeleste ab Ipso existit spirituale, per spirituale naturale: per naturale corporeum et sensuale; et sicut existit a Domino ita, etiam subsistit ita, nam, ut notum est, subsistentia est perpetua existentia qui aliter rerum existentias et ortus capiunt, ut ii qui naturam colunt et ex ea ducunt rerum origines, in tam funestis principiis sunt ut ferarum silvae phantasiae possint multo saniores vocari; tales sunt perplures qui aliis praeeminere sapientia sibi videntur.
 

775. Quia:なぜなら、ので、omnium:凡ての、全体の、dantur:存在する、与えられる、genera:種類、類型、et:~と、および、species,:種、種類、tam:tam~quam~、~と同様に~、~も~も、scilicet:確かに、明らかに、即ち、bonorum:善、spiritualium:霊的な、quam bonorum:善、naturalium,:自然的な、tum:その上、さらに、etiam:~もまた、さらに、sensualium:感覚的な、感覚の、et:また、そして、corporeorum:地的な、形体的な、inde,:それ故、そこから、hic:ここに、この場に、dicitur:言われる、de:~について、~に関して、unoquovis,:各々の、'secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam'::それ自身を、tot:これほど多くの、あれほど多くの、それほど多くの、genera:種類、類型、bonorum:善、spiritualium:霊的な、dantur,:存在する、与えられる、similiter:同様に、似ている、tot:これほど多くの、あれほど多くの、それほど多くの、genere:種類、類型、verorum:真理、spiritualium,:霊的な、ut:~のために、こと、~するように、nusquam:どこにもない、決して~ない、possint:出来る、可能である、recenseri;:列挙されること、minus:なお更、まして、adhuc:更に、なお更、species:諸々の種、諸々の種類、quae:それらは、そのことらは、generum:諸々の種類、諸々の類型、sunt::ある、in:~の中、~において、caelo:天界から、sunt:ある、omnia:凡ての、全体の、bona:諸々の善、et:~と、および、vera:諸々の真理、caelestia:天的な、et:また、そして、spiritualia:霊的な、ita:talis~ut~、~のような~、in:~の中、~において、sua:それ自身から、genera:種類、類型、et:また、そして、haec:これらは、in:~の中へ、~に、suas:それら自身へ、species:種、種類、distincta:区別された、分離された、ut ne hilum:全く何でもない、少しもない、sit:ある、quod:こと、それ、そのこと、non:否、distinctissimum;:最も区別された、et:また、そして、tam:tam~ut~、~以下ほど、それほど、innumerabilia:無数の、数え切れない、sunt:ある、ut differentiae:相違、区別、specificae:特有の、特定の、possint:出来る、可能である、dici:言われること、indefinitae;:無限の、果てしない、ex:~から、~により、quibus:それらから、そのことらから、quam:何と、どんなに、egena::乏しい、欠乏した、et:また、そして、fere:殆んど、ほぼ、nulla,:何も~ない、決して~でない、sapientia:知恵、humana:人間の、人間的な、sit,:ある、constare:知られること、明らかであること、potest,:出来る、可能である、quae:それらは、そのことらは、nescit:知られない、fere:殆んど、ほぼ、quod:こと、それ、そのこと、bonum:善、et:~と、および、verum:真理、spirituale:霊的な、sit,:ある、minus:なお更、まして、quid:何か?、どんな?、sit.:ある、
[2] Ex:~から、~により、bonis:善、caelestibus:天的な、et:また、そして、spiritualibus,:霊的な、et:また、そして、veris:真理、inde,:それ故、そこから、existunt:存在するようになる、生ずる、et:~と、および、descendunt:降りる、由来する、bona:善、et:~と、および、vers:真理、naturalia,:自然的な、nam:なぜなら、というのも、nusquam:どこにもない、決して~ない、datur:存在する、aliquod:何か、若干の、bonum:善、et:~と、および、verum:真理、naturale,:自然的な、quod:こと、それ、そのこと、non:否、existit:存在するようになる、形になる、生ずる、a:~から、~により、bono:善、spirituali,:霊的な、et:また、そして、hoc:これを、a:~から、~により、caelesti,:天的な、et:また、そして、ab:~から、~により、iisdem:同じ、同様のもの、subsistit;:存在する、存続する、si:もし~なら、たとえ~でも、recederet:遠ざかった、離れた、spirituale:霊的な、a:~から、~により、naturali,:自然的な、naturale:自然的な、nullum:何も~ない、決して~でない、foret::あった、origo:起源、源泉、rerum:事柄、物事、omnium:凡ての、全体の、se:それら自身を、ita:このように、従って、habet;:持つ、omnia:凡ての、全体の、et:~と、および、singula:別々の、個別の、sunt:ある、a:~から、~により、Domino;:主から、ab:~から、~により、Ipse:御自身、est:ある、caeleste,:天的な、per:~を通して、~によって、caeleste:天的な、ab:~から、~により、Ipso:御自身、existit:存在するようになる、生ずる、spirituale,:霊的な、per:~を通して、~によって、spirituale:霊的な、naturale::自然的な、per:~を通して、~によって、naturale:自然的な、corporeum:地的な、形体的な、et:~と、および、sensuale;:感覚的な、感覚の、et:また、そして、sicut:sicut~ita、このように~そのように、~のように、existit:存在するようになる、生ずる、a:~から、~により、Domino:主から、ita,:このように、従って、etiam:~もまた、さらに、subsistit:存在する、存続する、ita,:このように、従って、nam,:なぜなら、というのも、ut:~のように、~として、notum est,:よく知られた、熟知された、subsistentia:実体、実在、est:ある、perpetua:永続する、絶え間ない、existentia:存在、存在の事実、qui:その者達、aliter:他の方法で、異なって、rerum:事柄、物事、existentias:存在、存在の事実、et:~と、および、ortus:起源、起こり、capiunt,:理解する、把握する、ut:~のように、~として、ii:彼らは、qui:その者達、naturam:自然、自然界、colunt:崇拝する、崇め尊ぶ、et:~と、および、ex:~から、~により、ea:それから、ducunt:引き出す、得る、rerum:事柄、物事、origines,:起源、源泉、in:~の中、~において、tam:tam~ut~、~以下ほど、それほど、funestis:致命的な、破壊的な、principiis:原理、要素、sunt:ある、ut ferarum:野獣、silvae:森、森林、phantasiae:幻想、possint:出来る、可能である、multo:遥かに、断然、saniores:より正常な、更に正気の、vocari;:呼ばれること、tales:このような、次のような、sunt:ある、perplures:極めて多くの、qui:その者達、aliis:他の者達、praeeminere:勝こと、sapientia:知恵、sibi:自分自身に、videntur.:見られる、認められる、
 

775.凡てのものの類型と種類が存在するので、即ち霊的な善も自然的な善も、更にそこからの感覚的な、また形体的な(善も類型と種類が存在するので)、それ故、ここで各々のものについて「その種類に従って」と言われている。決して列挙されることが出来ないほど多くの霊的な善の類型が存在し、同様に決して列挙されることが出来ないほど多くの霊的な真理の類型(も存在する)。ましてなお更、諸々の類型の諸々の種類は(決して列挙されることが出来ないほど多く)ある。天界において、凡ての天的な、また霊的な諸々の善と諸々の真理は、その類型の中で、またこれ(類型)は、それらの種類に完全に区別されていないものは何もないように区別されたものである。また(それらの)特定の相違が無限と言われることが出来るほど無数にある。これらから人間の知恵は何と乏しく、また殆んど何もなく、霊的な善と真理があることを殆んど知らず、ましてそれが何かは(なお更知らないことが)知られることが出来よう。
[2]天的な、また霊的な善とそこからの真理から自然的な善と真理が降り、また存在するようになる。なぜなら、霊的な善から生じない何かの自然的な善と真理は、決して存在しないからである。またこれ(霊的な善)は天的なものから(生じ)、また同じ(天的な)ものから存続する。もし自然的なものから霊的なものが離れたなら自然的なものは存在しない。凡ての事柄の起源はそれらをこのように持ち、全体的なものも個別的なものも主から存在する。主御自身から天的なものがあり、主御自身からの天的なものによって霊的なものが生じ、霊的なものによって自然的なものが(生じ)、自然的なものによって形体的なものと感覚的なものが(生じる)。またこのように、それは主から存在するようになり、更に存続するようになる。なぜなら、熟知されているように、実在は絶え間ない存在であるからである。存在と(存在の)起源の事柄を(これと)異なって理解する者達は、自然を崇め尊び、またそれ(自然)から物事の起源を引き出す者達のように、森の野獣の幻想(の方)が遥かに正常なものと呼ばれることが出来るほど致命的な原理の中に居るのである。極めて多くの者達がこのような者達であり、この者達は知恵が自分自身に他の者達に勝ることが認められる(を認める)。

6-663~665意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-663~665意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
663.十八節、「また、私はあなたと私の契約を立てよう。そしてあなたはあなたとあなたの息子達、またあなたの妻と息子達の妻達と一緒に箱舟に入らなければならない。」
「契約を立てること」は再生されることを意味し、「彼が箱舟に入ったこと、またその息子達とその息子達の妻達が箱舟に入ったことは、彼らが救われたことを意味し、「息子達」は諸々の真理であり、「妻達」は諸々の善である。
 

664.前の節においては、自分達自身を滅ぼした者達について述べられたが、しかしこの節では、ノアと呼ばれた再生されるべき者達とそのように彼らが救われたことについて述べられている。
 

665.「契約を立てる」ことが再生されることを意味することは、主と人間の間では愛と信仰を通した結合、以外に他の契約が介在することはないことから明瞭に知られることが出来よう。従って「契約」は結合を意味する。というのは、天界の結婚は、全く契約そのものであるからである。天界の結婚、即ち天的な結合は、再生される者達の許、以外に起こらない。従って、最も広い意味において再生そのものが契約によって意味される。
主が人間を再生する時、主は人間と契約を結ばれる。それ故に、契約は古代人達によって天界の結婚以外の他のものを表象しなかった。聖言の文字通りの意味からは、アブラハム、イサク、およびヤコブとの契約、また彼らの末裔達とのあれほど頻繁な協定を除いて他の契約は認められない。彼らを見て欲しい。しかし、彼らは再生されることが出来ないような者達であった。なぜなら、彼らは礼拝を外なるものの中にだけ設置したからであり、また内なるもに結ばれたものなしの外なる神聖なものを信じたからである。それ故に、彼らと結ばれた諸契約は再生の表象以外のものではなかった。
凡ての儀式も同様に、またアブラハム、イサク、およびヤコブ自身も同様に愛と信仰のものを表象した。なお加えて、大祭司達と祭司達も同様に、彼らがどのような者達であっても、また邪悪な者達であっても、天的なものと最も神聖なものを表象することが出来た。表象においては個人に関して何も考慮されないが、しかし表象される事柄に関して考慮される。従って、イスラエルとユダの凡ての王達もまた、最も邪悪な王達も主の王のものを表象した。それどころか、エジプトの地の上にヨセフを高めたファラオもまた主の王のものを表象した。
これらのことと他の多くのことから、(それらについては主の神的な慈悲により後に続く箇所において述べよう)。ヤコブの息子達とあれほど頻繁に結ばれた諸契約は彼らが表象した儀式以外何もないことが知られることが出来よう。

7-774原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-774原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

774. Quod per 'feram secundum speciem suam' significetur omne bonum spirituale; et per 'bestiam secundum speciem suam' omne bonum naturale; et per 'reptile repens super terra' omne bonum sensuale et corporeum, prius dictum et ostensum est n. 45, 46,143, 146; at quod 'fera' significet bonum spirituale, primo intuitu quidem apparere potest sicut quod ita non esset; sed constare potest serie rerum, quod primum dicantur 'illi,' hoc est, homo Ecclesiae dein 'fera,' tum 'bestia,' demum 'reptile,' quare 'fera' quid dignius et excellentius involvit quam 'bestia,' ex causa quia vox illa in lingua Hebraea etiam significat animalia in quo anima vivens; ita quoque hic non significat feram, sed animal in quo anima vivens, nam eadem vox est. Quod per 'animalia, bestias et reptilia repentia super terra significentur voluntaria, prius dictum et ostensum est, et porro in his sequentibus, ubi de avibus, ostendetur.
 

774. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'feram:野獣、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、significetur:意味される、omne:凡ての、全体の、bonum:善、spirituale;:霊的な、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'bestiam:動物、獣、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、omne:凡ての、全体の、bonum:善、naturale;:自然的な、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'reptile:這うもの、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra':地、地上、omne:凡ての、全体の、bonum:善、sensuale:感覚的な、感覚の、et:~と、および、corporeum,:地的な、形体的な、prius:以前に、前に、dictum:言われた、et:また、そして、ostensum est:示された、n. 45, 46,143, 146; at:しかし、だが聞きたまえ、quod:こと、それ、そのこと、'fera':野獣、significet:意味する、bonum:善、spirituale,:霊的な、primo:始めに、真先に、intuitu:眺められた、考慮された、quidem:確かに、全く、apparere:~であるように思われること、見えること、potest:出来る、可能である、sicut:~の如く、~のように、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、non:否、esset;:あった、sed:しかし、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、serie:連続、ひと続き、rerum,:事柄、物事、quod:こと、それ、そのこと、primum:最初に、先ず、dicantur:言われる、'illi,':彼らは、hoc est,:即ち、homo:人間、Ecclesiae:教会、dein:その後、次いで、'fera,':野獣、tum:その上、さらに、'bestia,':動物、獣、demum:最後に、ついに、'reptile,':這うもの、quare:それ故に、'fera':野獣、quid:何か?、いくら?、dignius:値する、価値のある、et:~と、および、excellentius:優れた、勝った、involvit:包んだ、含んだ、quam:~よりも、~と比べて、'bestia,':動物、獣、ex causa quia:その理由から、vox:言葉、言語、illa:これは、in:~の中、~において、lingua Hebraea:ヘブル語、etiam:~もまた、さらに、significat:意味する、animalia:生きている、生命のある、動物の、in:~の中、~において、quo:それから、そのことから、anima:霊魂、魂、vivens;:生きている、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、hic:ここに、この場に、non:否、significat:意味する、feram,:野獣、sed:しかし、animal:生きている、生命のある、動物の、in:~の中、~において、quo :それから、そのことから、anima:霊魂、魂、vivens,:生きている、nam:なぜなら、というのも、eadem:同じ、同様のもの、vox:言葉、言語、est.:ある、
Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'animalia,:生きている、生命のある、動物の、bestias:動物、獣、et:~と、および、reptilia:這うもの、repentia:這っている、super:~の上で、~の上に、terra:地、地上、significentur:意味される、voluntaria,:意志の、prius:以前に、前に、dictum:言われた、et:また、そして、ostensum est,:示された、et:また、そして、porro:更に、~に加えて、in:~の中、~において、his:それらから、sequentibus,:次の、後に続く、ubi:そこで、その場所、de:~について、~に関して、avibus,:鳥、ostendetur.:示されるであろう、
 

774.前に言われ、また示されたように、「野獣がその種類に従って」によって霊的な凡ての善が意味され、また「獣がその種類に従って」によって自然的な凡ての善(が意味され)、また「地の上に這っている這うもの」によって感覚的なものと形体的なものの凡ての善(が意味される)。45,46,143,246番、だが聞きたまえ、「野獣」が霊的な善を意味することは、真先に考慮された(一見)全くそのようにない如く思うことであろう。しかし、この(野獣の)言葉はヘブル語においてその中で霊魂が生きている生命のあるものもまた意味し、その理由から、先ず「彼ら」、即ち教会の人間が言われ、次いで「野獣」、更に「獣」、最後に「這うもの」(が言われており)、それ故に、「野獣」は「獣」よりも幾らか価値があり、また優ったもの(である)ことが、(これらの)もののひと続きから知られることが出来よう。このようにここでもまた(野獣は)野獣を意味しておらず、その中に霊魂が生きている生命のあるものを(意味している)。なぜなら、それは同様な言葉であるからである。
生命のあるもの、獣、および地の上に這っている這うものによって意志の(もの)が意味されることは、前に言われ、また示された。そして更に後に続くそれらの(箇所)において鳥について示されるであろう。

6-662意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-662意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
662.「地上における凡てのものが死ぬであろう。」は、この教会からの者達とこのように為された者達を意味することは、前に示されたように「地上」が地上の全世界を意味するのではなく、単に教会からの者達を意味することから知られることが出来よう。従ってここでは、何かの洪水は決して意味されず、まして実際の洪水は意味されない。しかし残りのものから分離された時、従って理解の真理のものと意志の善のものから分離された時、厳密には諸天界から分離された時、そこでその者達が息を引き取ったこと、即ち窒息したことが意味される。
「地上」は教会があるその地域を意味すること、それ故にその教会の者達を意味することは、他の箇所で前に聖言により説明された。更に下記の聖言から確認出来よう。エレミヤ書において、
「このようにエホバは言われた。全地は荒らされるであろうが、ところがしかし終わりにはされない、このために地は嘆くであろう、そして諸天は上から暗くされるであろう。」4.27,28、ここの「地」は荒らされた教会の住民達として記述されている。イザヤ書において、
「私は天を激しく動かすであろう。またその拠点から地は揺り動かされるであろう。」13.12,13、ここの「地」は、その教会の荒らされるべき人間として記述されている。エレミヤ書において、
「その日、エホバに刺し通された者達は、地の端から地の端に至るまで居るであろう。」25.33、ここの「地の端」は地上の全世界を意味するのではなく、そこに教会があった地域だけを意味している。それ故に、教会のあった人間達を意味する。同書において、
「私は地の凡ての住民達の上に剣を呼んでいる。...地の端に至るまで暴動が来た。なぜなら、エホバは諸民族に対して争うからである。」25.29,31、ここで「地」は全世界が意味されないが、しかしそこに教会がある地域だけを意味する。それ故に、住民、即ち教会の人間が意味され、ここの「諸民族」は間違った原理として意味されている。イザヤ書において、
「見よ、エホバは地の住民の咎を罰するために御自身の居所から出て来られる。」26.21、ここの「地」も同様である。同書において、
「あなた達は聞いていないのか? あなた達に始めから明らかにされていたのではないか? あなた達は地の土台を悟っていないのか?」40.21、同書において、
「エホバが諸天を創造され、その神が地を形作られ、またそれを造っている。同じ神がそれを確立している。」45.18、ここの「地」は教会の人間として記述されている。ザカリヤ書において、
「エホバに言われた。諸天を張られている方、また地を確立されている方、人間の霊をその真ん中で形作られている方、」12.1、ここで「地」は明瞭に教会の人間として記述されている。教会の人間と教会そのものが区別されるように、或いは愛と信仰が区別されるように、地は大地から区別される。

7-772~773原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-772~773原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

772. Vers. 14, 15. Illi, et omnis fera secundum speciem suam, et omnis bestia secundum speciem suam, et omne reptile repens super terra secundum speciem suam, et omnis avis secundum speciem suam, omnis volucris, omne alatum. Et intrarunt ad Noahum in arcam; bina bina de omni carne, in qua spiritus vitarum. Per 'illi' significatur in genere homo Ecclesiae: per 'omnem feram secundum speciem suam' significatur omne bonum spirituale: per 'bestiam secundum speciem suam' bonum naturale: per 'omne reptile repens super terra secundum speciem suam' omne bonum sensuale et corporeum: per 'avem secundum speciem suam' omne spirituale verum: per 'volucrem' naturale verum: per 'alatum' sensuale verum: 'quod intrarint ad Noahum in arcam' significant, ut prius, quod servata: 'bina et bina' significant, ut prius, paria: 'de omni carne, in qua spiritus vitarum' significant novam creaturam, seu quod vitam novam (x)acceperint a Domino.
 

772. Vers. 14, 15. Illi:彼らは、et:また、そして、omnis:凡ての、全体の、fera:野獣、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam,:それ自身を、et:また、そして、omnis:凡ての、全体の、bestia:動物、獣、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam,:それ自身を、et:また、そして、omne:凡ての、全体の、reptile:這うもの、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra:地、地上、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam,:それ自身を、et:また、そして、omnis:凡ての、全体の、avis:鳥、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam,:それ自身を、omnis:凡ての、全体の、volucris,:鳥類、omne:凡ての、全体の、alatum.:翼のある、翼を備えた、
Et:また、そして、intrarunt:入った、ad:~に、~~と一緒に、Noahum:ノア、in:~の中へ、~に、arcam;:箱舟、bina:二つずつ、bina:二つずつ、de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne,:肉、肉体、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、spiritus:霊、息、vitarum.:諸々の生命の、
Per:~を通して、~によって、'illi':彼らは、significatur:意味される、in genere:一般的に、homo:人間、Ecclesiae::教会、per:~を通して、~によって、'omnem:凡ての、全体の、feram:野獣、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、significatur:意味される、omne:凡ての、全体の、bonum:善、spirituale::霊的な、per:~を通して、~によって、'bestiam:動物、獣、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、bonum:善、naturale::自然的な、per:~を通して、~によって、'omne:凡ての、全体の、reptile:這うもの、repens:這っている、super:~の上で、~の上に、terra:地、地上、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、omne:凡ての、全体の、bonum:善、sensuale:感覚的な、感覚の、et:~と、および、corporeum::地的な、形体的な、per:~を通して、~によって、'avem:鳥、secundum:~に従って、~に沿って、speciem:種、種類、suam':それ自身を、omne:凡ての、全体の、spirituale:霊的な、verum::真理、per:~を通して、~によって、'volucrem':鳥類、naturale:自然的な、verum::真理、per:~を通して、~によって、'alatum':翼のある、翼を備えた、sensuale:感覚的な、感覚の、verum::真理、'quod:こと、それ、そのこと、intrarint:入った、ad:~に、~~と一緒に、Noahum:ノア、in:~の中へ、~に、arcam':箱舟、significant,:意味する、ut:~のように、~として、prius,:以前に、前に、quod:こと、それ、そのこと、servata::守られた、救われた、'bina:二つずつ、et:~と、および、bina':二つずつ、significant,:意味する、ut:~のように、~として、prius,:以前に、前に、paria::一対、一組、'de:~について、~に関して、omni:凡ての、全体の、carne,:肉、肉体、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、spiritus:霊、息、vitarum':諸々の生命の、significant:意味する、novam:新しい、creaturam,:被造物、生物、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、vitam:生命、novam:新しい、(x)acceperint:受け入れた、受け取った、a:~から、~により、Domino.:主から、
 

772.十四、十五節、「彼らと、凡ての野獣がその種類に従って、また凡ての獣がその種類に従って、また地の上に這っている凡ての這うものがその種類に従って、また凡ての鳥、鳥類、翼のあるものがその種類に従って、また、その中に諸々の生命の息(のある)凡ての肉に関して、二つずつ二つずつノアと一緒に箱舟に入った。」
「彼ら」は、によって一般的に教会の人間が意味され、「凡ての野獣がその種類に従って」によって霊的な凡ての善(が意味され)、「獣がその種類に従って」によって自然的な善(が意味され)、「地の上に這っている凡ての這うものがその種類に従って」によって感覚的なものと形体的なものの凡ての善(が意味され)、「鳥がその種類に従って」によって凡ての霊的な真理(が意味され)、「鳥類」によって自然的な真理(が意味され)、「翼のあるもの」によって感覚的な真理(が意味され)、「ノアと一緒に箱舟に入ったこと」によって前のように救われたこと(が意味され)、「二つずつ二つずつ」は、前のように一対のものを意味し、「その中に諸々の生命の息(のある)凡ての肉に関して」は、新しい生き物、即ち主から新しい生命を受け入れたこと(を意味する)。
 

773. Quod per 'illi' significetur in genere homo Ecclesiae, seu omne quod fuit hujus Ecclesiae, constat ex eo quod se referant ad illos qui mox nominati sunt, ad Noahum, Shemum, Hamum et Japhetum; qui tametsi quatuor sunt, usque simul constituunt unum: in 'Noaho,' per quem in genere intelligitur antiqua Ecclesia, continentur sicut in parente aut semine, Ecclesiae inde; quare per 'illi' significatur Ecclesia Antiqua; omnes illae Ecclesiae quae Shem, Ham et Japheth dictae sunt, constituunt simul Ecclesiam quae Ecclesia Antiqua vocatur.
 

773. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'illi':彼らは、significetur:意味される、in genere:一般的に、homo:人間、Ecclesiae,:教会、seu:即ち、或いは、omne:凡ての、全体の、quod:それは、そのことは、fuit:あった、hujus:この、Ecclesiae,:教会、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、eo:それから、quod:こと、それ、そのこと、se referant:~に関係した、~に関係があった、ad:~に、~~と一緒に、illos:彼らを、qui:その者達、mox:直ぐ前に、直ぐ後に、nominati sunt,:呼ばれた、ad:~に、~~と一緒に、Noahum,:ノア、Shemum,:セム、Hamum:ハム、et:~と、および、Japhetum;:ヤペテ、qui:その者達、tametsi:例え~でも、それでも、quatuor:4、sunt,:ある、usque:それでもなお、やはり、simul:一緒に、同時に、constituunt:構成する、確立する、unum::1、in:~の中、~において、'Noaho,':ノア、per:~を通して、~によって、quem:その者を、in genere:一般的に、intelligitur:意味される、antiqua:古代、Ecclesia,:教会、continentur:含まれる、sicut:~の如く、~のように、in:~の中、~において、parente:両親、先祖、aut:即ち、或いは、semine,:種子、種、Ecclesiae:教会、inde;:それ故、そこから、quare:それ故に、per:~を通して、~によって、'illi':彼らは、significatur:意味される、Ecclesia:教会、Antiqua;:古代、omnes:凡ての、全体の、illae:それらは、Ecclesiae:諸教会、quae:それらは、そのことらは、Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth:ヤペテ、dictae sunt,:言われた、constituunt:構成する、確立する、simul:一緒に、同時に、Ecclesiam:教会、quae:それは、そのことは、Ecclesia:教会、Antiqua:古代、vocatur.:呼ばれる、
 

773.「彼ら」によって一般的に教会の人間、即ちこの教会の(もの)であった凡てのものが意味されることは、直ぐ前にノアと一緒に呼ばれたセム、ハム、およびヤペテと関係があったことから知られよう。その者達は、例え四人でも、それでもなお一緒に一つのものを構成する。ノアにおいてその者によって一般的に古代教会が意味され、そこから(古代教会から派生した)教会に先祖、或いは種の如く含まれている。それ故に、「彼ら」によって古代教会が意味され、それらの凡ての諸教会がセム、ハム、およびヤペテと言われ、古代教会と呼ばれる教会を一緒に構成する。

6-661意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-661意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

661.「諸天の下にその肉の中に生命の息がある凡ての肉を滅ぼすために」は、最古代教会の凡ての子孫が自分自身を滅ぼしたことを意味することは、次章の序言から知られよう。更に前に、彼らが他の者達より多く恐るべき信念に浸されたような性質を、先祖達から遺伝により継続的に獲得したことの記述からも知られよう。このことは、特に、彼らの許に持った信仰の教義の事柄を彼ら自身の欲望に導入したことが原因である。その時、彼らはこのような者達に為された。
信仰の教義の事柄を何も持たず、信仰の教義の事柄の全くの無知の中に生きる者達の中では、この事柄は異なった状態である。彼らはこのように信仰の教義を持つ者達のように行なうことは出来ず、従って神聖なものを冒涜することはない。またそのように残りのもののための道をふさぐこともない。
[2]それ故に、彼らは主の天使達を自分自身で退けることはない。
言われたように残りのものは、無垢の凡てのもの、仁愛の凡てのもの、慈悲の凡てのもの、および信仰の真理の凡てのものである。これらのものを人間は幼年期から主により保ち、また学ぶ。それらの全体的なものも個別的なものも貯えられている。
人間がもし、それらのものを持たなかったなら、人間の思考と活動に何も無垢、仁愛、および慈悲が内在することが出来なかったであろう。従って善と真理も何もなかったであろう。それ故、人間は粗暴な野獣より劣る者となったであろう。例え、このような残りのものを持っていたとしても、しかもなお不潔な欲望と間違った原理の信念によって、残りのものが働くことが出来ないように道をふさぐなら、同様になったであろう。ノアの洪水前の者達はこのような者達であって、自分達自身を滅ぼした。この者達が「諸天の下にその肉の中に生命の息がある凡ての肉」によって意味される。
[3]前に示されたように「肉」は一般的に凡ての人間を意味し、また特に形体的な人間を意味する。「生命の息」は一般的に凡ての生命を意味するが、しかし厳密には再生された者達の生命を意味する。従ってここの最古代教会の最後の子孫を意味する。その子孫の中に、例え信仰の生命が何も残されていなくても、それでも、先祖達から何かの種を獲得したので、それ故それを窒息させた。ここでそれが「生命の息」と言われている、即ち次の第7章22節のように「生命の息を彼の鼻孔に吹くこと」が言われている。
「諸天の下の肉」は全く形体的なものを意味し、「諸天」は理解の真理のものと意志の善のものである。それらの真理と善のものが肉から分離された時、人間はそれ以上生きることが出来ない。天が人間を支えることは、天と人間の連結であり、即ち天を通して主との連結である。

7-769~771原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-769~771原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

769. Quod per 'filios Noahi' significentur doctrinalia, constat a significatione 'filiorum,' de qua prius; Ecclesia enim non dari potest absque doctrinalibus; quare etiam non solum nominantur, sed etiam additur, quod 'filii ejus.'
 

769. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'filios:息子達、Noahi':ノア、significentur:意味される、doctrinalia,:教義、(の事柄) constat:知られる、明らかである、a:~から、~により、significatione:意味、'filiorum,':息子達、de:~について、qua:それから、そのことから、prius;:以前に、前に、
Ecclesia:教会、enim:なぜならば、~というのは、non:否、dari:存在されること、potest:出来る、可能である、absque:~なしに、~を除いて、doctrinalibus;:教義、(の事柄) quare:それ故に、etiam:やはり、さらに、non:否、solum:だけ、のみ、nominantur,:呼ばれる、sed:しかし、etiam:~もまた、さらに、additur,:加えて言われる、付言される、quod:こと、それ、そのこと、'filii:息子達、ejus.':それの、彼の、
 

769.「ノアの息子達」によって教義の事柄が意味されることは、前に(言われた)「息子達」の意味から知られよう。というのは、教会は教義の事柄なしに存在されることが出来ないからである。それ故にやはりそれら(名前)が呼ばれるだけでなく、更に「彼の息子達」と付言されている。
 

770. Quod per 'uxorem Noahi' significetur ipsa Ecclesia, et per 'tres uxores filiorum ejus cum illis' ipsae Ecclesiae inde, constat ex illis quae dicta sunt, nempe, cum homo Ecclesiae nominatur, quod sit omne Ecclesiae seu, ut appellatur, caput Ecclesiae; et tunc 'uxor' est Ecclesia, sicut prius ostensum, n. 252, 253; aliter cum in Verbo, vir et uxor, aut masculus et femina, tunc per 'virum et masculum' significantur intellectualia, seu vera fidei, et per 'uxorem et feminam' voluntaria, seu bona fidei.
 

770. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'uxorem:妻、Noahi':ノア、significetur:意味される、ipsa:そのもの、それ自身、Ecclesia,:教会、et:また、そして、per:~を通して、~によって、' tres:3、uxores:妻達、filiorum:息子達、ejus:それの、彼の、cum:~と一緒に、~と、illis':彼らから、ipsae:そのもの、それ自身、Ecclesiae:教会、inde,:それ故、そこから、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、dicta sunt,:言われた、nempe,:正確には、即ち、cum:その時、その場合、homo:人間は、Ecclesiae:教会、nominatur,:呼ばれる、quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、omne:凡ての、全体の、Ecclesiae:教会、seu,:即ち、或いは、ut:~のように、~として、appellatur,:呼ばれる、caput:頭、Ecclesiae;:教会、et:また、そして、tunc:その時、やがて、'uxor':妻、est:ある、Ecclesia,:教会、sicut:~の如く、丁度~のように、prius:以前に、前に、ostensum,:しめされた、n.:番号、252, 253; aliter:他の方法で、異なって、cum:その時、その場合、in:~の中、~において、Verbo,:聖言、御言葉、vir:男、夫、et:~と、および、uxor,:妻、aut:即ち、或いは、masculus:雄の、et:~と、および、femina,:雌、tunc:その時、やがて、per:~を通して、~によって、'virum:男、夫、et:~と、および、masculum':雄の、significantur:意味される、intellectualia,:理解の、seu:即ち、或いは、vera:諸々の真理、fidei,:信仰、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'uxorem:妻、et:~と、および、feminam':雌、voluntaria,:意志の、seu:即ち、或いは、bona:諸々の善、fidei.:信仰、
 

770.「ノアの妻」によって教会そのものが意味されること、また「彼の息子達の三人の妻達は彼らと一緒に」によってその(教会)からの諸教会そのものが(意味されることも)、言われたことから、即ち教会の人間が呼ばれる時、教会の凡てのものが(意味されること)、即ち教会の頭として呼ばれることから知られよう。またその時、前の252,253番に示されたように「妻」は教会である。聖言において異なって(言われる)時は、男(夫)と妻、即ち雄と雌(と言われる)。その時、「男(夫)と雄」によって理解の(もの)、即ち信仰の諸々の真理が意味され、また「妻と雌」によって意志の(もの)、即ち信仰の諸々の善(が意味される)。
 

771. Quia unaquaevis vox in Verbo a Domino est, et ita Divinum unicuique inest, constat quod nusquam aliqua vox ne quidem iota sit quae non aliquid significat et involvit, ita quoque quod hic dicatur, 'tres uxores,' tum 'uxores filiorum ejus,' ut et 'cum illis'; sed quid singula involvunt, prolixum foret exponere; satis est modo ideam communem communissimorum dare.
 

771. Quia:なぜなら、ので、unaquaevis:各々の、vox:言葉、言語、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、a:~から、~により、Domino:主から、est,:ある、et:また、そして、ita:このように、従って、Divinum:主は、unicuique:各々の、inest,:内在する、宿る、constat:知られる、明らかである、quod:こと、それ、そのこと、nusquam:どこにもない、決して~ない、aliqua:何か、若干の、vox:言葉、言語、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、iota:僅かなもの、点、sit:ある、quae:それらは、そのことらは、non:否、aliquid:何か、若干の、significat:意味する、et:~と、および、involvit,:包んだ、含んだ、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、dicatur,:言われる、' tres:3、uxores,':妻達、tum:その上、さらに、'uxores:妻達、filiorum:息子達、ejus,':それの、彼の、ut et:そのようにまた、' cum:~と一緒に、~と、illis';:彼らから、sed:しかし、quid:何か?、どんな?、singula:別々の、個別の、involvunt,:包む、含む、prolixum:とめどなく、退屈な、foret:あった、exponere;:説明すること、述べること、satis:十分に、十分な、est:ある、modo:だけ、単に、ideam:同じ、同様のもの、communem:全般的な、普通の、communissimorum:最も全般的な、最も普通の、dare.:与えること、もたらすこと、
 

771.聖言における各々の言葉は主からあるので、従ってまた、(聖言の)各々の(言葉に)主が内在される(ことが)知られよう。何かを意味しない、また(何かを)含まない(聖言の)何かの言葉は決してなく、一点ですらない。このようにここに言われている「三人の妻達」、更に「彼の息子達の妻達」、そのようにまた「彼と一緒に」(の言葉)もまた(同じである)。(聖言の)個々の(言葉が)何を含むか説明することはとめどなくなるであろう。最も全般的なものの同様な全般的なものを(説明する)だけで十分である。

6-659~660意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-659~660意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
659.十七節、「そして見よ、私は諸天の下においてその中に生命の息がある、凡ての肉を滅ぼすために地の上に水の洪水を引き起こす。地上における凡てのものが死ぬであろう。」
「洪水」によって悪と間違った信念の氾濫が意味され、「諸天の下においてその中に生命の息がある凡ての肉を滅ぼすために」は、最古代教会の子孫達は自分自身を滅ぼしたことを意味し、「地上における凡てのものが死ぬであろう。」は、その教会からの者達とそのような者達に為された者達を意味する。
 
 
660.「洪水」によって悪と間違った信念の氾濫が意味されることは、前に不潔な欲望に占有され、それらに信仰の教義の事柄を浸した最古代教会の子孫達について言われたことから知られよう。それ故に、彼らに凡ての真理と善を絶滅した間違った原理の信念があり、また同時に、残りのもののための道をそれらが働くことが出来ないようにふさいだ。それ故、彼らは自分達自身を滅ぼすこと以外に異なって出来なかった。
残りのもののための道をふさがれた時、やがて人間はその後人間でなくなる。なぜなら、その後は天使達により守られることが出来ないからである。しかし人間を殺すことを除いて求めず、また欲しない悪の霊達により凡ての点で占有される。ノアの洪水前の者達の死はそのことからあった。それが「洪水」、即ち全体の洪水によって記述されている。悪の霊達からの幻想と欲望の流入もまた、或る種の洪水と異なっていない。それ故に、聖言においてもまた、至る所で洪水、即ち氾濫が言われている。このことは主の神的な慈悲により次章の前置きに認められよう。

7-767~768原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-767~768原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

767. Quod 'intrarint in arcam' significet salvatos esse, nempe hominem Ecclesiae qui Noahus, et ab illo descendentes et derivatas Ecclesias ceteras de quibus hic sermo, constare potest ex iis quae prius de 'intrare in arcam' dicta sunt.
 

767. Quod:こと、それ、そのこと、'intrarint:入った、in:~の中へ、~に、arcam':箱舟、significet:意味する、salvatos esse,:救われたこと、nempe:正確には、即ち、hominem:人間を、Ecclesiae:教会、qui:その者、Noahus,:ノア、et:また、そして、ab:~から、~により、illo:彼から、それから、descendentes:由来している、et:~と、および、derivatas:導かれた、派生された、Ecclesias:諸教会、ceteras:その他の、それ以外の、de:~について、quibus:それらから、そのことらから、hic:ここに、この場に、sermo,:言葉、話、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、de:~について、'intrare:入ること、in:~の中へ、~へ、arcam':箱舟、dicta sunt.:言われた、
 

767.「箱舟に入った」ことは、彼らが救われたことを意味する。即ちノア(と呼ばれた)教会の人間とそれ(その教会)から由来し、また派生されたその他の諸教会(の救われたことを意味する)。ここの言葉がそれらのことについて(言われていることは)、前に箱舟について言われたことから知られることが出来よう。
 

768. Quod per 'Noahum' significetur quod finit Ecclesiae, et per 'Shem, Ham et Japheth' quod fuit Ecclesiarum inde, constat ex eo quod hic non 'filii ejus,' ut prius vers. 7, sed ipsi quoad nomina, dicantur; cum nominantur ita, significant hominem Ecclesiae; homo Ecclesiae non solum est ipsa Ecclesia, sed omne Ecclesiae; est vox communis comprehendens quicquid est Ecclesiae, sicut prius dictum de Antiquissima Ecclesia, quae dicta finit Homo, similiter de ceteris qui nominati sunt; ita per 'Noahum' et per 'Shem, Ham et Japheth' significatur quicquid est Ecclesiae, et Ecclesiarum inde, in uno complexu; [2] talis est stilus et modus loquendi in Verbo; sicut ubi nominatur (x)'Juda,' significatur apud Prophetas plurimum Ecclesia caelestis, seu quicquid est Ecclesiae; ubi nominatur 'Israel,' significatur plurimum Ecclesia spiritualis, seu quicquid est Ecclesiae illius; ubi 'Jacob,' significatur Ecclesia externa; nam apud unumquemvis hominem Ecclesiae datur internum Ecclesiae et externum; internum est ubi vera Ecclesia, externum est quod inde, id est 'Jacob': aliter cum non nominantur: [3] causa quod ita sit, est quod se referant tunc ad regnum Domini repraesentative; Dominus est solus Homo et est omne regni Sui; et quia Ecclesia est regnum Domini in terris, est Dominus solus omne Ecclesiae: omne Ecclesiae est amor seu charitas, quare 'homo,' seu quod idem, nomine nominatus, significat amorem seu charitatem, hoc est, omne Ecclesiae; et tunc 'uxor' simpliciter Ecclesiam quae inde; ut quoque hic. Sed quales Ecclesiae significantur per 'Shem, Ham et Japheth,' in sequentibus, ex Divina Domini Misericordia, dicetur.
 

768. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'Noahum':ノア、significetur:意味される、quod:こと、それ、そのこと、finit(fuit:あった、?)Ecclesiae,:教会、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth':ヤペテ、quod:こと、それ、そのこと、fuit:あった、Ecclesiarum:諸教会、inde,:それ故、そこから、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、eo:これから、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、non:否、'filii:息子達、ejus,':それの、彼の、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、vers.:節、7, sed:しかし、ipsi:そのもの、それ自身、quoad:~に関して、~に関する限り、nomina,:名前、dicantur;:言われる、cum:その時、その場合、nominantur:呼ばれる、ita,:このように、従って、significant:意味する、hominem:人間を、Ecclesiae;:教会、homo:人間は、Ecclesiae:教会、non:否、solum:だけ、のみ、est:ある、ipsa:そのもの、それ自身、Ecclesia,:教会、sed:しかし、omne:凡ての、全体の、Ecclesiae;:教会、est:ある、vox:言葉、言語、communis:全般的な、普通の、comprehendens:含んでいる、quicquid:何でも、何であろうと、est:ある、Ecclesiae,:教会、sicut:~の如く、丁度~のように、prius:以前に、前に、dictum:言われた、de:~について、Antiquissima:最古代、Ecclesia,:教会、quae:それは、そのことは、dicta:言われた、finit(fuit:あった、?)Homo,:人間は、similiter:同様に、似ている、de:~について、ceteris:その他の、それ以外の、qui:それらは、そのことらは、nominati sunt;:呼ばれた、ita:このように、従って、per:~を通して、~によって、'Noahum':ノア、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth':ヤペテ、significatur:意味される、quicquid:何でも、何であろうと、est:ある、Ecclesiae,:教会、et:また、そして、Ecclesiarum:教会、inde,:それ故、そこから、in uno complexu;:一つの全体として、一つの統一体として、
[2] talis:このような、次のような、est:ある、stilus:筆致、文体、et:~と、および、modus:様式、流儀、loquendi:話すことの、in:~の中、~において、Verbo;:聖言、御言葉、sicut:~の如く、丁度~のように、ubi:そこで、その場所、nominatur:呼ばれる、(x)'Juda,':ユダ、significatur:意味される、apud:~のもとに、~において、Prophetas:預言者達、plurimum:非常に多くの、極めて多くの、Ecclesia:教会、caelestis,:天的な、seu:即ち、或いは、quicquid:何でも、何であろうと、est:ある、Ecclesiae;:教会、ubi:そこで、その場所、nominatur:呼ばれる、'Israel,':イスラエル、significatur:意味される、plurimum:非常に多くの、極めて多くの、Ecclesia:教会、spiritualis,:霊的な、seu:即ち、或いは、quicquid:何でも、何であろうと、est:ある、Ecclesiae:教会、illius;:それの、ubi:そこで、その場所、'Jacob,':ヤコブ、significatur:意味される、Ecclesia:教会、externa;:外部の、外なる、nam:なぜなら、というのも、apud:~のもとに、~において、unumquemvis:各々の、誰でも、hominem:人間を、Ecclesiae:教会、datur:与えられる、存在する、internum:内部の、内なる、Ecclesiae:教会、et:~と、および、externum;:外部の、外なる、internum:内部の、内なる、est:ある、ubi:そこで、その場所、vera:真実の、真の、Ecclesia,:教会、externum:外部の、外なる、est:ある、quod:~ということが、~ということを、inde,:それ故、そこから、id:それが、est:ある、'Jacob'::ヤコブ、aliter:他の方法で、異なって、cum:その時、その場合、non:否、nominantur::呼ばれる、
[3] causa:原因、理由、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、sit,:ある、est:ある、quod:~ということが、~ということを、se referant:~に関係する、~に関係がある、tunc:その時、やがて、ad:~に、~へ、regnum:王国、Domini:主の、repraesentative;:表象の、象徴する、
Dominus:主は、est:ある、solus:唯一の、のみ、Homo:神的人間、et:また、そして、est:ある、omne:凡ての、全体の、regni:王国の、Sui;:御自身の、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、Ecclesia:教会、est:ある、regnum:王国、Domini:主の、in:~の中、~において、terris,:地、地上、est:ある、Dominus:主は、solus:唯一の、のみ、omne:凡ての、全体の、Ecclesiae::教会、omne:凡ての、全体の、Ecclesiae:教会、est:ある、amor seu:即ち、或いは、charitas,:仁愛、愛情、quare:それ故に、'homo,':人間は、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、idem,:同じ、同様の、nomine:名前、nominatus,:呼ばれた、significat:意味する、amorem:愛を、seu:即ち、或いは、charitatem,:仁愛、愛情、hoc est,:即ち、omne:凡ての、全体の、Ecclesiae;:教会、et:また、そして、tunc:その時、やがて、'uxor':妻、simpliciter:素朴に、率直に、Ecclesiam:教会、quae:それは、そのことは、inde;:それ故、そこから、ut:~のように、~として、quoque:~もまた、同じく、hic.:ここに、この場に、
Sed:しかし、quales:どのような、どんな種類の、Ecclesiae:諸教会、significantur:意味される、per:~を通して、~によって、'Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth,':ヤペテ、in:~の中、~において、sequentibus,:次の、後に続く、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、dicetur.:述べられるであろう、
 

768.「ノア」によって教会の(ものが)あったことを意味し、また「セム、ハム、およびヤペテ」によってその(教会)からの諸教会の(ものが)あったことを(意味する)ことは、ここでは前の7節のように「彼の息子達」ではなく、名前そのものが言われていることから知られよう。このように(名前が)呼ばれる時、教会の人間を意味する。教会の人間は教会そのものだけでなく教会の凡てのものを(意味する)。丁度、前に最古代教会についてそれは人間であったと言われたように、同様にその他の(教会)についても(名前で)呼ばれたように、(名前は)全般的な言葉であり、教会の(ものを)何であれ含んでいる。このように「ノア」によって、また「セム、ハム、およびヤペテ」によって教会の(もの)、またその(教会)からの諸教会の(ものが)何であれ意味され、一つの統一体として(意味される)。
[2]聖言において話すことの文体と様式はこのようなものであり、丁度、(聖言で)「ユダ」が呼ばれるその箇所で、極めて多くの預言者達の許で天的な教会、即ち教会の(ものが)何であろうと意味され、「イスラエル」が呼ばれるその箇所で極めて多くの(預言者達の許で)霊的な教会、即ちその教会の(ものが)何であろうと意味される。「ヤコブ」が(呼ばれる)その箇所で外なる教会が意味される。なぜなら、教会の各々の人間の許に教会の内なるものと外なるものが存在するからである。内なるものがそこ(人間の許)で真実の教会であり、外なるものはそこ(内なるもの)からあるということ(である)。それが「ヤコブ」である。(しかし、名前が)呼ばれない時は異なっている。
[3] このようにあることの理由は、主の王国に関係する時は、表象のものがあるということである。主は唯一の神的人間で在られ、また主御自身の王国の凡てのもので在られ、また教会は地上における主の王国であるので、主のみが教会の凡てのものである。教会の凡てのものは愛、即ち仁愛であり、それ故に「人間」、即ち同じこと(であるが)、名前で呼ばれた者は愛、即ち仁愛を意味する。即ち教会の凡てのものを(意味し)、またその時、「妻」は率直にそこからの教会を(意味し)、ここ(の節)でも同じように(意味する)。
しかし、「セム、ハム、およびヤペテ」によってどのような諸教会が意味されるかは、主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において述べられよう。

不幸や悲しみは試練ではない

今日、霊的な試練は殆んど知られておらず、昔のようには許されていない。なぜなら、人間は信仰の真理の中に居ないからであり、そして実際全く人間は試練に屈するからである。これらの試練に代わって他のものがある。例えば、不幸、悲しみ、不安、これらのものは自然的なものと形体的なものの原因から生じ、身体の病気と欠点と同じく、それらは彼の快楽と欲望の生命を多少抑え、また砕き、そして思考を内なるものと敬虔なものへ向け、また高める。しかし、これらのものは霊的な試練ではない。霊的な試練は、主から真理と善の自覚(良心)を受け入れた者達の許、以外に与えられない。自覚(良心)そのものが試練の舞台であり、試練はその中へ働く。(天界の秘義762)
 

現代では主が人類の凡ての罪の身代わりとして罰を受けられたので、このことを信じる者は凡ての罪が許されて救われることが絶対の真理とされているので、また律法の真理は認められていないので、それどころか人間を罪に定めるものとして忌み嫌われているので、霊的な試練は与えられません。
なぜなら、身代わりの罰の救いの中には主への愛と隣人への愛が全くなく、単に自分の罪を他の者に負わせて救われようとする自己愛しかないからです。霊的な試練は隣人への愛とそれを支持する真理と自己愛とそれを支持する間違った信念の戦いなので、隣人への愛とそれを支持する真理のない者にこの戦い、即ちこの試練は与えられることが出来ないからです。
しかし律法を守ろうとする者達に、隣人へ愛とそれを支持する真理があり、この者達に隣人への愛とそれを支持する真理と自己愛とそれを支持する間違った信念の戦い、即ち試練があり、この戦いに勝利する時、自己愛とそれを支持する間違った信念が征服され霊的な人間に再生され救われます。但し、人に見せるために、或いは罰や非難を恐れて律法を守っても自己愛には勝てません。なぜなら、この時は、自己愛が自己愛と戦うからです。しかし隣人に悪を為すことを恐れて守る時、勝利出来ます。なぜなら、隣人に悪を為すことを恐れる恐れの中に隣人愛があり、それは人間の中の主なので、そしてその主が人間の中で戦われるからです。
律法は果たして人間を罪に定めるものでしょうか、もし律法が人間を罪に定めるなら、国家の法律が犯罪者を作ると言えるのではないでしょうか、法律がなければ確かに犯罪者は居なくなるでしょうが、これは犯罪を犯しても犯罪者にならなくなるだけであって犯罪がなくなるわけではありません。もし法律がなければ殺人も性犯罪も泥棒も裁くことが出来ず、自分で自分を守ることが出来ない弱者は犯罪の被害者になります。法律はこのような国民を犯罪者から守るためのものであって、法律が犯罪者を作っている訳ではありません。
律法も律法が罪人を作っている訳ではなく、律法は神の民の霊魂を悪、即ち悪の霊達から守るものです。主は律法を退ける者達を悪から、即ち悪の霊達から守ることが出来ないため、今も人類は憎しみと淫乱と貪欲に混乱させられているのです。

6-656~658意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-656~658意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

656.「側面のための戸」によって聞くことが意味されることは、今や続いて知られることが出来よう。聖言からの同様な言葉によって説明されることは必要でなかろう。というのは、上の戸に比較しての側面のための戸の如く、即ち同じことであるが、内なる感覚器官と比較して耳が聞くことの如く、内なる感覚器官と比較して耳がそれを同様に持つからである。
 

657.「一階、二階、および三階」によって科学的なもの、理性的なもの、および知的なものが意味されることもまた、このことから続いて起こる。人間の中の知的なものの三つの段階があり、その最下部のものは科学的なものであり、中間のものは理性的なものであり、最も高いものは知的なものである。これらのものは相互に区別されたものであり、決して混同されることはない。しかし、人間がこのことを知らない理由は、感覚的なものと科学的なもの中にだけ生命を置くからである。またそれに固執する時、科学的なものから区別されたその理性的なものがあることを、決して知ることが出来ない。その時まして、知的なものがあることを知ることは出来ない。それにもかかわらず、人間がこのようにこの事柄を持つ時でも、主は人間の許の知的なものを通して彼の理性的なものの中に流入し、また理性的なものを通して記憶の科学的なものへ流入する。それ故、視覚、聴覚の諸感覚の生命がある。このことが真実の流入であり、またこのことが真実の霊魂と身体との交流である。
人間の許の知的なものの中へ主の生命の流入なしに、或いはむしろ、意志の中へ、また意志を通して知的なものの中へ、また知的なものを通して理性的なものの中へ、また理性的なものを通して記憶のものである科学的なものの中への流入なしに、人間の許に生命は決して与えられることは出来ない。また例え、人間が間違った信念と悪の中に居ても、しかしそれでもなお、意志のものと理解のものを通して主の生命の流入がある。しかし、理性的な部分の中へ流入するものは、その形(性質)に従ってそれらが受容される。また、この流入が人間が真理と善が何かを推論することが出来るように、熟考することが出来るように、理解することが出来るように為す。しかし、これらについて、更に獣の許にその生命をどのように持つかも、主の神的な慈悲により、後に続く箇所において述べよう。
 

658.これらの三つの段階は、一般的には人間の知的なもの、即ち理解、理性、および知識と呼ばれる。また前に言われたように、エルサレムの神殿の中の三つの階層の窓によってもまたそれらが意味された。列王記Ⅰ、6.4,6,8、更に、前に述べられた東からエデンの庭園から流れる川によってもまた意味される。そこの「東」は主を、「エデン」は意志の愛を、「庭園」はそこからの理解を、「川」は知恵、理性、および知識を意味する。これらについては第2章10-14節に言われたことが認められよう。

7-764~765原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-764~765原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

764. Vers. 13. In ipso die hoc intravit Noah, et Shem, et Ham, et Japheth, filii Noahi, [et uxor Noahi,] {1} et tres uxores filiorum ejus cum illis, in arcam. Per 'quod intrarint {2} in arcam' significatur hic ut prius, quod servati: per 'Noahum' quod fuit Ecclesiae: per 'Shem, Ham et Japheth' quod fuit Ecclesiarum inde: per 'filios Noahi,' doctrinalia: [per 'uxorem Noahi' ipsa Ecclesia:] per 'tres uxores filiorum ejus cum illis' ipsae Ecclesiae inde.
 

764. Vers.:節、13. In:~の中、~において、ipso:丁度、まさに、die hoc:この日、intravit:入った、Noah,:ノア、et:~と、および、Shem,:セム、et:また、そして、Ham,:ハム、et:~と、および、Japheth,:ヤペテ、filii:息子達、Noahi,:ノア、[et:~と、および、uxor:妻、Noahi,]:ノア、et:また、そして、tres:3、uxores:妻達、filiorum:息子達、ejus:それらの、彼らの、cum:~と一緒に、~と、illis,:彼らから、in:~の中へ、~に、arcam.:箱舟、
Per:~を通して、~によって、'quod:こと、それ、そのこと、intrarint:入った、in:~の中へ、~に、arcam':箱舟、significatur:意味される、hic:ここに、この場に、ut:~のように、~として、prius,:以前に、前に、quod:こと、それ、そのこと、servati::守られた、救われた、per:~を通して、~によって、'Noahum':ノア、quod:こと、それ、そのこと、fuit:あった、Ecclesiae::教会、per:~を通して、~によって、'Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth':ヤペテ、quod:こと、それ、そのこと、fuit:あった、Ecclesiarum:諸教会、inde::それ故、そこから、per:~を通して、~によって、'filios:息子達、Noahi,':ノア、doctrinalia::教義、(の事柄) [per:~を通して、~によって、'uxorem:妻、Noahi':ノア、ipsa:そのもの、それ自身、Ecclesia:]:教会、per:~を通して、~によって、'tres:3、uxores:妻達、filiorum:息子達、ejus:それの、彼の、cum:~と一緒に、~と、illis':彼らから、ipsae:そのもの、それ自身、 Ecclesiae:諸教会、inde.:それ故、そこから、
 

764.十三節、「丁度、この日にノアとノアの息子達のセム、ハム、およびヤペテとノアの妻、また彼の三人の息子達の妻達は彼らと一緒に箱舟に入った。」
「箱舟に入ったこと」によって、前のようにここでも守られたことが意味され、「ノア」によって教会の(ものが)あったことが(意味され)、「セム、ハム、およびヤペテ」によってそこからの諸教会の(ものが)あったことが(意味される)。「ノアの息子達」によって教義の事柄が(意味され)、「ノアの妻」によって教会そのものが(意味され)、「彼の息子達の三人の妻達は彼らと一緒に」によってそこからの諸教会そのものが(意味される)。
 

765. Huc usque actum de tentatione hominis Ecclesiae Noahus dicti, et quidem primum de tentatione ejus quoad intellectualia, quae sunt vera fidei, a vers. 6 ad 10, et dein de tentatione ejus quoad voluntaria, quae spectant bona charitatis, vers. 11, 12. Finis tentationum fuit ut inde renasceretur homo Ecclesiae, seu Ecclesia nova, pereunte Antiquissima: haec Ecclesia, ut prius dictum, diversae indolis fuit ab Antiquissima, nempe spiritualis; quae talis est ut homo per doctrinalia fidei renascatur; quae cum implantata sunt, tunc insinuatur ei conscientia, ne contra verum et bonum fidei agat; et sic donatur charitate, quae conscientiam ejus regit, ex qua sic agere incipit; ex quibus constare potest quid spiritualis homo, non qui putat fidem absque charitate salvare, sed qui essentiale fidei facit charitatem, et inde agit: ut talis homo seu talis Ecclesia existeret, fuit finis; quare nunc de ipsa hac Ecclesia agitur: quod nunc de Ecclesia agatur, constare etiam potest a repetitione quasi ejusdem rei, dicitur enim hic, 'In ipso hoc die intravit Noah, et Shem, et Ham, et Japheth, filii Noahi, et uxor Noahi, et tres uxores filiorum ejus cum illis in arcam,' supra vers. 7 similiter, sed his verbis, 'et intravit Noah, et fila ejus et uxor ejus, et uxores filiorum ejus cum illo in arcam,' sed quia nunc de Ecclesia agitur, nominantur filii Shem, Ham et Japheth, qui cum nominantur, significant hominem Ecclesiae; at cum vocantur 'filii' absque nominibus, significant vera fidei: praeterea repetuntur iterum quae prius dicta sunt vers. 8, 9 de bestiis et avibus, quod intrarint in arcam, vers. 14-16; sed cum varietate conveniente et applicabili hic ad Ecclesiam.
 

765. Huc usque:この点まで、ここまで、actum:述べられた、de:~について、tentatione:誘惑、試練、hominis:人間の、Ecclesiae:教会、Noahus:ノア、dicti,:言われた、et quidem:その上、実際に、primum:第一の、最初の、de:~について、tentatione:誘惑、試練、ejus:それの、彼の、quoad:~に関して、~に関する限り、intellectualia,:理解の、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、vera:諸々の真理、fidei,:信仰、a:~から、~により、vers.:節、6 ad:~に、~へ、10, et:また、そして、dein:次いで、それから、その後、de:~について、tentatione:誘惑、試練、ejus:それの、彼の、quoad:~に関して、~に関する限り、voluntaria,:意志の、quae:それらは、そのことらは、spectant:見る、関する、bona:諸々の善、charitatis,:仁愛、愛情、vers.:節、11, 12.
Finis:終わり、目的、tentationum:誘惑、試練、fuit:あった、ut:~のために、こと、~するように、inde:それ故、そこから、renasceretur:再び生まれた、再び起こった、homo:人間は、Ecclesiae,:教会、seu:即ち、或いは、Ecclesia:教会、nova,:新しい、pereunte:失われる、滅びる、(現在分詞単数奪格)Antiquissima::最古代、haec:これは、Ecclesia,:教会、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum,:言われた、diversae:異なった、違った、indolis:性質、生来の性格、fuit:あった、ab:~から、~に対して、Antiquissima,:最古代、nempe:正確には、即ち、spiritualis;:霊的な、quae:それは、そのことは、talis:talis~ut~、~のような~、est:ある、ut homo:人間は、per:~を通して、~によって、doctrinalia:教義、(の事柄) fidei:信仰、renascatur;:再び生まれる、再び起こる、quae:それらは、そのことらは、cum:その時、その場合、implantata sunt,:植え付けられた、tunc:その時、やがて、insinuatur:入り込まれる、吹き込まれる、ei:彼に、conscientia,:良心、自覚、ne:~しないように、否、contra:~に対して、~に反対して、verum:真理、et:~と、および、bonum:善、fidei:信仰、agat;:行動する、行なう、et:また、そして、sic:そのように、こうして、donatur:与えられる、charitate,:仁愛、愛情、quae:それは、そのことは、conscientiam:良心、自覚、ejus:それの、彼の、regit,:支配する、正しく導く、ex:~から、~により、qua:それから、そのことから、sic:そのように、こうして、agere:行動すること、行うこと、incipit;:始める、ex:~から、~により、quibus:それらから、そのことらから、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quid:何か?、どんな?、spiritualis:霊的な、homo,:人間は、non:否、qui:その者、putat:見なす、信じる、fidem:信仰、absque:~なしに、~を除いて、charitate:仁愛、愛情、salvare,:救うこと、sed:しかし、qui:その者、essentiale:本質の、本質的な部分、fidei:信仰、facit:行なう、為す、charitatem,:仁愛、愛情、et:また、そして、inde:それ故、そこから、agit::行動する、行なう、ut:~のために、こと、~するように、talis:このような、次のような、homo:人間は、seu:即ち、或いは、talis:このような、次のような、Ecclesia:教会、existeret,:存在するようになった、生じた、fuit:あった、finis;:終わり、目的、quare:それ故に、nunc:今、現在、de:~について、ipsa:そのもの、それ自身、hac:これから、Ecclesia:教会、agitur::述べられる、取り扱われる、quod:こと、それ、そのこと、nunc:今、現在、de:~について、Ecclesia:教会、agatur,:述べられる、取り扱われる、constare:知られること、明らかであること、etiam:~もまた、さらに、potest:出来る、可能である、a:~から、~により、repetitione:要点の繰返し、反復、quasi:殆んど、ほぼ、ejusdem:同じ、同様のもの、rei,:事柄、物事、dicitur:言われる、enim:なぜならば、~というのは、hic,:ここに、この場に、'In:~の中、~において、ipso:丁度、まさに、hoc die:この日、intravit:入った、Noah,:ノア、et:また、そして、Shem,:セム、et:また、そして、Ham,:ハム、et:また、そして、Japheth,:ヤペテ、filii:息子達、Noahi,:ノア、et:また、そして、uxor:妻、Noahi,:ノア、et:また、そして、tres:3、uxores:妻達、filiorum:息子達、ejus:それの、彼の、cum:~と一緒に、~と、illis:彼らから、in:~の中へ、~へ、arcam,':箱舟、supra:~の上に、上方に、vers.:節、7 similiter,:同様に、似ている、sed:しかし、his:そこから、verbis,:表現、' et:また、そして、intravit:入った、Noah,:ノア、et:また、そして、fila:息子達、ejus:それの、彼の、et:~と、および、uxor:妻、ejus,:それの、彼の、et:また、そして、uxores:妻達、filiorum:息子達、ejus:それの、彼の、cum:~と一緒に、~と、illo:彼から、in:~の中へ、~へ、arcam,':箱舟、sed:しかし、quia:なぜなら、ので、nunc:今、現在、de:~について、Ecclesia:教会、agitur,:述べられる、取り扱われる、nominantur:呼ばれる、filii:息子達、Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth,:ヤペテ、qui:その者達、cum:その時、その場合、nominantur,:呼ばれる、significant:意味する、hominem:人間を、Ecclesiae;:教会、at:しかし、それに対して、cum:その時、その場合、vocantur:呼ばれる、'filii':息子達、absque:~なしに、~を除いて、nominibus,:名前、名称、significant:意味する、vera:諸々の真理、fidei::信仰、praeterea:加えて、更に、repetuntur:繰り返される、反復される、iterum:再び、もう一度、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、dicta sunt:言われた、vers.:節、8, 9 de:~について、bestiis:諸々の動物、諸々の獣、et:~と、および、avibus,:諸々の鳥、quod:こと、それ、そのこと、intrarint:入った、in:~の中へ、~へ、arcam,:箱舟、vers.:節、14-16; sed:しかし、cum:~と一緒に、~と、varietate:多様性、変化、多種多様、相違、conveniente:一致している、適合している、et:~と、および、applicabili:結合出来る、適用可能な、あてはまる、:応用できる、利用できる、適用できる、hic:ここに、この場に、ad:~に、~へ、Ecclesiam.:教会、
 

765.ここまで、ノアと言われた教会の人間の試練について述べられた。その上、信仰の諸々の真理である理解の(もの)に関する最初の彼の試練について(述べられた)。6節から10節まで、また次いで、仁愛の諸々の善に関する意志の(もの)に関する彼の試練について(述べられた)。11,12節、
試練の目的は、滅びている最古代(教会から)教会の人間、即ち新しい教会が再び起こるためであった。前に言われたようにこの(新しい)教会は最古代(教会)に対して異なった性質(の教会)であった。即ち霊的な(教会であった)。この(教会)は信仰の教義の事柄によって再び生まれるようなものである。それら(の教義の事柄)が植え付けられた時、真理と善に反して行なわないように、やがて彼(人間)に自覚(良心)が吹き込まれる。そしてそのように仁愛が与えられる。その仁愛は彼(人間)の自覚(良心)を支配し、彼(人間)はその(自覚〈良心〉)により行動することを始める。これらから霊的な人間がどのようなものか知られることが出来よう。この者(霊的な人間)は仁愛なしの信仰が救うことを信じないが、しかし仁愛を信仰の本質的なものと為し、そしてそこから行なう。このような人間、即ちこのような教会が生じることが目的であった。それ故に今、この教会そのものについて述べられている。今この教会について述べられていることは、更に殆んど同様な事柄の繰り返しからも知られることが出来よう。というのは、ここでは、「丁度、この日にノアとノアの息子達のセム、ハム、およびヤペテとノアの妻、また彼の三人の息子達の妻達は彼らと一緒に箱舟に入った。」と言われ、上の7節でも似ているが、しかしそこでの表現は「ノアとその息子達、また彼の妻と彼の息子達の妻達は彼と一緒に箱舟に入った。」(である)。しかし、今は教会について述べられているので、セム、ハム、およびヤペテと息子達が呼ばれ、彼らが呼ばれる時、教会の人間を意味する。これに対して、名前なしで息子達が呼ばれる時、信仰の諸々の真理を意味する。更に、前の8,9節で言われた諸々の獣と諸々の鳥について、14-16節で箱舟に入ったことが再び繰り返されている。しかしここでは教会に一致しているものと適用出来るものの相違と一緒に(述べられている)。

766.(原典にない)

6-654~655意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-654~655意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
654.信仰は聞くことによってあることは、今日の教会において熟知されていることであり、今日の信仰はこのような事情の下にある。しかしそれは信仰の知識(概念)であって、決して信仰ではない。聞くことは知識だけのものであるが、しかし信仰は承認である。しかし承認はもし、人間の許に信仰の最も重要なものである仁愛、即ち隣人への愛、また隣人への慈悲があるのでなければ、誰かの許に決して与えられることは出来ない。仁愛がある時、やがて承認があり、即ちその時、信仰がある。
これと異なって理解する者は、信仰の知識から多大に、或いは天から地が離れているように遥かに離れている。信仰の徳である仁愛がある時、やがて信仰の真理の承認がある。それ故に、人間が科学的なもの、理性的なもの、および知的なものに従って再生される間に大地、即ち人間の心が仁愛を受け入れることへ準備されることが終結のためにある。その後、仁愛から、即ちその生命から考え、また行なう。その時、人間は改心された者、即ち再生された者になり、その前は再生された者ではない。
 
 
655.「上から一キュービットほどに仕上げなければならない窓」によって、知的なものが意味されることは、各々の者に今しがた言われたことから、更に教会の人間が意味される「箱舟」によって知的なものが箱舟の構造について述べられる時、上からの窓を除いて異なって例えられることが出来ないことからも知られることが出来よう。人間の知的なもの、或いは理性、或いは推理、即ち内なる視覚は聖言において同様に「窓」と呼ばれている。例えば、イザヤ(書)において、
「悲惨な女よ、嵐に翻弄された女よ、慰められない女よ、...私はあなたの日光(窓)をルビーで造り、またあなたの門を赤い宝石によって造り、またあなたの凡ての境界を憧憬の宝石によって立てよう。」54.11,12、ここの日光は家に入れられる光により、また家に通される光により窓として記述されている。ここの「日光、即ち窓」は、実際、仁愛からの知的なものである。それ故に、ルビーに例えられ、「門」はそこからの理性的なものである。また「境界」は科学的なものと感覚的なものである。ここでは主の教会について述べられている。
[2]エルサレムの神殿の凡ての「窓」も同様なことを表象した。それらの「高い所にあるもの」は知的なものを、「中間の高さにあるものは理性的なものを、および「最下部にあるものは科学的なものと感覚的なものを表象した。なぜなら、それらは三つの階層があったからである。列王記Ⅰ、6.4,6,8、エゼキエル書における新しいエルサレムの「窓」も同様である。40.16,22,25,33,
36、エレミヤ書において、
「私達の窓に死が昇った、私達の宮殿に死が来た、街路から子供達を滅ぼすために、街から若者達を滅ぼすために、」9.21、ここの窓は理性的なものである真ん中の階の窓が意味されており、それらが絶滅されることが意味されている。「街路に居る子供」は成長している真理である。
「窓」は真理の知的なものと理性的なものを意味するので、更に間違った原理のものである誤った推論も意味する。同書において、
「ああ災いなるから、不正なもので自分の家を建てた者達、また間違った判断で自分の高間を建てた者達、彼は、私は十分な寸法の家を私に建てよう、また広い高間を建てよう。またそれに窓をうがち、また杉の板を張り、また朱で染めようと言った。」22.13,14、ここの「窓」は間違った信念の原理として記述されている。ゼパニヤ書において、
「民族の獣の群れ、その凡ての野獣が、その真ん中で横たわるであろう。へらさぎの鳥も針ねずみも、そのざくろの木に一夜を過すであろう。家の中は破壊(され)、窓には鳥の鳴き声が響くであろう。」2.14、これはアシュルとニネベについて記述されている。ここの「アシュル」は荒らされた理解として、「窓で鳥が鳴いている声」は、幻想からの誤った推理として記述されている。

7-761~763原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

7-761~763原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

761. Quod tentatio spiritualis apud hominem sit pugna spirituum malorum cum angelis qui apud hominem, et quod illa pugna communiter in ejus conscientia sentiatur, prius dictam est: de qua pugna porro hoc sciendum est, quod angeli continue defendant hominem et avertant mala quae mali spiritus ei intendunt; etiam quae falsa sunt et mala apud hominem defendunt, nam norunt optime unde homini falsa et mala, nempe quod a malis spiritibus et geniis; homo nusquam producit a se aliquid falsum et malum, sed sunt mali spiritus qui apud eum, qui producunt et simul faciunt homini credere quod ex ipsomet; talis est malignitas eorum; et adhuc magis, momento cum infundunt et faciunt credere, etiam accusant et damnant; quod multis experientiis confirmare possum. Homo qui non fidem habet in Dominum, non potest illustrari, quin credat quod malum sit ab ipso; quare etiam appropriat sibi malum, et fit similis spiritibus istis malis qui apud eum; ita se res habet cum homine: hoc quia angeli norunt, etiam in tentationibus regenerationis falsa et mala hominis defendunt; alioquin succumberet, quia apud hominem nihil nisi quam malum est et inde falsum, sic ut sit malorum et inde falsorum mera congeries et compositio.
 

761. Quod:こと、それ、そのこと、tentatio:誘惑、試練、spiritualis:霊的な、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、sit:ある、pugna:戦い、spirituum:霊達の、malorum:諸々の悪の、cum:~と一緒に、~と、angelis:天使達、qui:その者達、apud:~のもとに、~において、hominem,:人間を、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、illa:それは、pugna:戦い、communiter:普通、通例、in:~の中、~において、ejus:それの、彼の、conscientia:良心、自覚、sentiatur,:感じられる、prius:以前に、前に、dictam est::言われた、de:~について、~において、qua:それから、そのことから、pugna:戦い、porro:更に、~に加えて、hoc:これを、次の、sciendum:知られるべき、(未来受動分詞)est,:ある、quod:こと、それ、そのこと、angeli:天使達は、continue:連続的に、絶えず、defendant:保護する、防ぐ、hominem:人間を、et:また、そして、avertant:そらす、離反する、mala:諸々の悪を、quae:それらは、そのことらは、mali:悪、spiritus:霊達、ei:彼に、intendunt;:向ける、注ぐ、etiam:~もまた、さらに、quae:それらは、そのことらは、falsa:諸々の間違った原理(信念)、sunt:ある、et:~と、および、mala:諸々の悪、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、defendunt,:保護する、防ぐ、nam:なぜなら、というのも、norunt:知る、(noscoの三人称複数完了)optime:最もよく、申し分なく、unde:どこから、どの源から、homini:人間に、falsa:諸々の間違った原理(信念)、et:~と、および、mala,:諸々の悪、nempe:正確には、即ち、quod:こと、それ、そのこと、a:~から、~により、malis:諸々の悪、spiritibus:霊達、et:~と、および、geniis;:悪鬼達、homo:人間は、nusquam:どこにもない、決して~ない、producit:生み出す、作り出す、a:~から、~により、se:自分自身から、aliquid:何か、若干の、falsum:間違った原理(信念)、et:~と、および、malum,:諸々の悪、sed:しかし、sunt:ある、mali:悪、spiritus:霊達、qui:その者達、apud:~のもとに、~において、eum,:彼を、qui:その者達、producunt:生み出す、作り出す、et:また、そして、simul:一緒に、同時に、faciunt:引き起こす、~させる、homini:人間に、credere:信じること、quod:こと、それ、そのこと、ex:~から、~により、ipsomet;:元来の、自身、(ipso+met:意味を強める接尾辞)talis:このような、次のような、est:ある、malignitas:悪意、敵意、eorum;:それらの、彼らの、et:また、そして、adhuc:更に、なお更、magis,:もっと、更に、momento:瞬間、短時間、cum:その時、その場合、infundunt:注ぐ、注ぎ込む、et:~また、同時に、faciunt:引き起こす、~させる、credere,:信じること、etiam:~もまた、さらに、accusant:非難する、責める、et:~と、および、damnant;:地獄へと断罪する、地獄へ落とす、quod:こと、それ、そのこと、multis:多数の、多くの、experientiis:観察、経験、confirmare:断言すること、確証すること、possum.:出来る、可能である、
Homo:人間は、qui:その者、non:否、fidem:信仰、habet:持つ、in:~の中へ、~へ、Dominum,:主へ、non:否、potest:出来る、可能である、illustrari,:明るくされること、照らされること、quin:~でないことを、~でない、credat:信じる、quod:こと、それ、そのこと、malum:悪、sit:ある、ab:~から、~により、ipso;:自身、自ら、quare:それ故に、etiam:~もまた、さらに、appropriat:専有する、自分のものにする、sibi:自分自身に、malum,:悪、et:また、そして、fit:為される、行なわれる、similis:同様な、等しい、spiritibus:霊達、istis:彼らに、malis:諸々の悪、qui:その者達、apud:~のもとに、~において、eum;:彼を、ita:このように、従って、se:それ自身を、res:事柄、物事、habet:持つ、結果として伴う、cum:~と一緒に、~に、homine::人間から、hoc:これを、quia:なぜなら、ので、angeli:天使達、norunt,:知る、(noscoの三人称複数完了)etiam:~もまた、さらに、in:~の中、~において、tentationibus:誘惑、試練、regenerationis:再生、falsa:諸々の間違った原理(信念)、et:~と、および、mala:諸々の悪、hominis:人間の、defendunt;:保護する、防ぐ、alioquin:いずれにせよ、そうでなければ、succumberet,:倒れた、屈っした、敗れた、quia:なぜなら、ので、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、nihil:無、何も~ない、nisi quam:除いて、~以外に、malum:悪、est:ある、et:~と、および、inde:それ故、そこから、falsum,:間違った原理(信念)、sic:そのように、こうして、ut:~のために、こと、~するように、sit:ある、malorum:諸々の悪の、et:~と、および、inde:それ故、そこから、falsorum:諸々の間違った原理(信念)、mera:純粋な、単なる、ただの、congeries:堆積、積み重なったもの、et:~と、および、compositio.:組み合わせ、合成、
 

761.人間の許の霊的な試練は、人間の許の天使達と諸々の悪の霊達との戦いであり、また前に言われた(ように)、その戦いは通例彼の良心(自覚)の中に感じられる。その戦いにおいて、天使達は人間を絶えず保護し、また彼(人間)に注ぐ悪の霊達の諸々の悪をそらすこと、更に人間の許にある諸々の間違った信念と諸々の悪を防ぐことも、更に知られなければならない。なぜなら、彼ら(天使達)は人間にどこから諸々の間違った信念と諸々の悪が(あるか)、即ち諸々の悪の霊達と悪鬼達から(あることを)、最もよく知るからである。人間は自分自身から何かの間違った信念と悪を、決して生み出さないが、しかし彼の許の悪の霊達が生み出し、また同時に人間に自分自身から(生み出すことを)信じることを(生み出ことを信じ)させる。彼らの悪意はこのようなものであり、また、彼らが注ぎ込み、また行なう時もっと更に、瞬間に信じることをさせ、同時に、非難し、また地獄へと断罪する。私はこのことを多くの観察から確証することが出来る。
主への信仰を持たない人間は、自分自身から悪があることを信じない(ように)明るくされることが出来ない。それ故に、自分自身に悪を占有し、また彼の許の諸々の悪の霊達に等しい者達にもまた為される。このようにこの事柄が人間に結果として伴う、このことを天使達は知っているので、更に再生の試練において人間の諸々の間違った信念と諸々の悪を防ぐ。そうでなければ、彼(人間)は(その試練において)屈する。なぜなら、人間の許には悪と、そこからの間違った信念を除いて何もないからであり、そのように彼(人間)は、諸々の悪とそこからの諸々の間違った信念の単なる堆積と合成であるからである。
 

762. Sed tentationes spirituales parum hodie notae sunt, nec permittuntur ita ut olim, quia homo non in veritate fidei est, sic etenim succumberet; loco illarum sunt alia, ut infortunia, tristitiae et anxietates, quae a causis naturalibus et corporeis existunt, sicut etiam aegritudines corporis et morbi, quae usque vitam ejus voluptatum et cupiditatum aliquantum domant et frangunt, et cogitationes ad interiora et pia determinant et elevant; sed non sunt tentationes spirituales, quae non dantur nisi apud eos qui conscientiam veri et boni a Domino acceperunt; ipsa conscientia est planum illarum, in quod operantur.
 

762. Sed:しかし、tentationes:誘惑、試練、spirituales:霊的な、parum:殆ど~でない、まず~ない、hodie:今日、現在、notae sunt,:よく知られた、nec:否、permittuntur:許される、ita:ita~ut~、以下のように、そのように、ut olim,:以前に、昔、quia:なぜなら、ので、homo:人間は、non:否、in:~の中、~において、veritate:真理、真実、fidei:信仰、est,:ある、sic:そのように、それ故、etenim:そして実際、というのも、succumberet;:倒れた、屈っした、敗れた、loco:~に代わって、~の代わりに、illarum:これらの、sunt:ある、alia,:他のもの、別のもの、ut:~のように、例えば、infortunia,:不幸、不運、tristitiae:悲しみ、憂鬱な状況、et:~と、および、anxietates,:不安、心配、quae:それらは、そのことらは、a:~から、~により、causis:原因、理由、naturalibus:自然的な、et:~と、および、corporeis:地的な、形体的な、existunt,:存在するようになる、生ずる、sicut etiam:~と同じく、aegritudines:病気、疾患、 corporis:体、身体、et:~と、および、morbi,:疾患、欠点、quae:それらは、そのことらは、usque:それでもなお、やはり、vitam:生命、ejus:それの、彼の、voluptatum:快楽、喜び、et:また、そして、cupiditatum:欲望、aliquantum:やや、幾分、多少、domant:抑制する、抑える、et:~と、および、frangunt,:こわす、砕く、et:また、そして、cogitationes:思考、ad:~に、~へ、interiora:内部の、内なる、et:~と、および、pia:敬虔な、誠実な、determinant:向ける、決める、et:また、そして、elevant;:上げる、高める、sed:しかし、non:否、sunt:ある、tentationes:誘惑、試練、spirituales,:霊的な、quae:それらは、そのことらは、non:否、dantur:与えられる、nisi:~以外、もし~でなければ、apud:~のもとに、~において、eos:彼らを、qui:その者達、conscientiam:良心、自覚、veri:真理の、et:~と、および、boni:善の、a:~から、~により、Domino:主から、acceperunt;:受け入れた、受け取った、ipsa:そのもの、それ自身、conscientia:良心、自覚、est:ある、planum:平地、舞台、illarum,:それらの、in:~の中へ、~へ、quod:それを、そのことを、operantur.:遂行する、働く、
 

762.しかし今日、霊的な試練は殆んど知られておらず、昔のようには許されていない。なぜなら、人間は信仰の真理の中に居ないからであり、そして実際全く彼(人間)は(試練に)屈するからである。これらの(試練に)代わって他のものがある。例えば、不幸、悲しみ、不安、これらのものは自然的なものと形体的なものの原因から生じ、身体の病気と欠点と同じく、それらは彼の快楽と欲望の生命を多少抑え、また砕き、そして思考を内なるものと敬虔なものへ向け、また高める。しかし、これらのものは霊的な試練ではない。それら(霊的な試練)は、主から真理と善の自覚(良心)を受け入れた者達の許、以外に与えられない。自覚(良心)そのものがそれら(試練)の舞台であり、それら(試練)はその中へ働く。
 

763. De tentationibus huc usque actum est, sequitur nunc finis tentationis, qui quid ut nova Ecclesia existeret.
 

763. De:~について、tentationibus:誘惑、試練、huc usque:この点まで、ここまで、actum est,:述べられた、sequitur:続く、続いて来る、nunc:今や、今から、finis:終わり、終結、tentationis,:誘惑、試練、qui:それは、そのことは、quid:何でも、ut:~のために、こと、~するように、nova:新しい、Ecclesia:教会、existeret.:生じた、起こった、
 

763.ここまで試練について述べられた。今や続いて、試練の終結(について述べられる)。それは何か新しい教会が生じること(である)。

内面の野蛮性を解消するのが真の宗教である

内面の野蛮性を解消するのが真の宗教である
人間は継続する快楽とこの世への愛と自己への愛によって、従ってそれらの愛の継続する欲望によって自分自身に野蛮な生命を獲得した。それ故その結果として、人間の生命はこのような野蛮な生命を除いて他のものは何もなくなったのである。その生命は天的な生命と決して調和することが出来ない。なぜなら、世俗的なものを愛することと一緒に、天的なものを愛することは誰も出来ないからである。世俗的なものを愛することは下向きに目を向けることであり、天的なものを愛することは上へ向かって目を向けることである。誰も自分自身を愛することと一緒に隣人を愛することは出来ず、なお更、主を愛することは出来ない。自分自身を愛する者は、自分自身に仕えない凡ての者達を憎む。従って自分自身を愛する者は、自分自身よりも多く隣人を愛し、また主を凡てのものの上に愛する天的な愛と仁愛から最も遠く離れている。これらから人間の生命は天的な生命からどれほどかけ離れているか知られよう。それ故に、試練によって主により再生され、天的な生命に絶えず調和するように変えられる。これがこの試練が厳しいことの理由である。というのは、人間の生命そのものに作用し、襲い、損ない、および変えるからである。(天界の秘義760)
 
 
自己愛とこの世への世俗愛に居る者は自分さえ良ければ良く、自分を頂点に他の凡ての人達を自分の下で踏み台にする者でこれが野蛮人です。確かに、誰でも外面的にはそのようには見えず善良に見えますが、それは単に法律の罰と社会的な非難を恐れて法律と道徳を守っているからです。なぜなら、法律にも道徳にも神の律法は普遍的に含まれているので、法律や道徳を守ることも神の律法を守ることになるからです。しかし罰や非難を恐れて守ることは外面的に守ることであって、法律の罰の及ばない所、また社会的な非難を受ける恐れがない時、また心の中では守れず内面的には野蛮人のままです。
罰や非難を恐れることは自己愛であって、自己愛で法律や道徳を守る限り、昔のファリサイ人のようにどのように厳格に守っても、救われず、隣人愛も与えられず野蛮性も解消されません。
しかし、隣人に悪を為すことを恐れて法律や道徳を守る時、罰や非難の恐れがない時でも、また心の中でも守られ、その人を救い、また隣人愛も与えられ、また野蛮性も解消されます。なぜなら、この隣人に悪を為すことを恐れる恐れの中に隣人愛があって、この隣人愛で律法を守る時、隣人愛が形となって存在するものになるからです。
しかし、自己愛と世俗愛が人間の中で優勢である時、隣人愛は撥ねつけられ人間に与えられることが出来ません。その理由は、自己愛と世俗愛の愛にはそれらの楽しさがあり、それらの楽しさを得ることが目的となりそれを善と信じるからです。例えば、憎む者に復讐する楽しさ、姦淫の楽しさ、不義の利得を得る楽しさ、自分が重んじられ尊ばれる楽しさ、他人を軽んじ侮る楽しさ、他人を貪る楽しさ、このような楽しさが、隣人愛の楽しさを撥ね付けるからです。
天国とは隣人愛の世界ですので、どんな信仰を持っていてもその信仰に隣人愛がなければ、例え天国へ入ることが許されても自分自身の自由意志で天国から去り、自己愛の楽しさのある世界、即ち地獄へ突進して行きます。
従って、この自己愛の楽しいものが悔い改められ遠ざけられなければ、隣人に悪を為すことを恐れて法律や道徳を守ることは出来ません。
イエス様が自分の身代わりに罰を受けてくださったので、自分の犯した凡ての罪は許されていると信じれば、確かに罪の痛みは一瞬にして消えますが、人間の内面の野蛮性は何も変わりません。これは言うなれば、病気で苦しんでいる人に医師が痛み止めの注射を打つようなもので、どんな痛みも一瞬にして消えますが、病気が治ったわけではありません。勿論、痛み止めの注射が必要な人は居ます。しかし痛み止めの注射を打っただけで、病気が治ったと言って医師が病気の治療をせずに給料を受け取るなら詐欺です。これと同じように身代わりの罰を信じて罪の痛みがやわらげなければならない人も確かに居ます。しかし牧師がそれを信じさせただけで救われたと宣言して、罪を悔い改めることへ、また悪から離れることへ、そして律法を守ることへ導かずに給料を受け取るならこれも詐欺です。
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