インターネット新教会

インターネット新教会は誰でもいつでも訪れて主を礼拝することが出来ます。 この世の金銭の献金は一切不要ですが、主のものである善と真理は十分の一とは言わず凡てを主に返してください。 自分が語り行ったどんな真理も善い事も自分が語り行ったと思わず、自分を通して主が為されたことを承認して主を見上げ主に帰してください。 聖餐として、聖言とスヴェーデンボリによって明かされた聖言の内意から日々の心の糧を得てそれを日常生活で活用してください。 洗礼として、なぜ悔い改めるのか、何を悔い改めるのか、どのように悔い改めるのかということを知り、また日々悔い改める習慣を持ってください。 悪から離れて用を為すために、隣人に悪を為すことを恐れて、憎しみ、復讐心、姦淫、欲心、自尊心、不平、愚痴等を遠ざけ、また隣人に役立つことを喜んで自分の役割、仕事、使命等を誠実に果たしてください。 偽善を避け主を義とするために、そのことは自分がそのようにしているのではなく、自分を通して主が為されておられることを承認して、主を見上げ、主を義として、主によって善い実を結んでください。

6-656~658原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-656~658原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

656. Quod per 'januam a latere' significetur auditio, inde nunc constare potest, nec opus est ut confirmetur per similia ex Verbo: similiter enim se habet auris ad organa sensoria interna, sicut janua a latere ad fenestram superne, seu quod idem est, auditio quae est auris, ad intellectuale quod est sensorii interni.
 

656. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'januam:戸、扉、a:~から、~のために、latere':側面、側、significetur:意味される、auditio,:聞くこと、聴取、inde:それ故、続いて、nunc:今や、さて、constare:知られること、明らかであること、potest,:出来る、可能である、nec:否、opus est:必要である、ut:~のために、こと、~するように、confirmetur:確認される、説明される、per:~を通して、~によって、similia:同様な、等しい、ex:~から、~により、Verbo::聖言、御言葉、similiter:同様に、似ている、enim:なぜならば、~というのは、se:それ自身を、habet:持つ、auris:耳、ad:~に、~と比較して、organa sensoria:感覚器官、interna,:内部の、内なる、sicut:~の如く、~のように、janua:戸、扉、a:~から、~のために、latere:側面、側、ad:~に、~と比較して、fenestram:窓、superne,:上から、上に、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、idem:同じ、同様のもの、est,:ある、auditio:聞くこと、聴取、quae:それは、そのことは、est:ある、auris,:耳、ad:~に、~と比較して、intellectuale:理解の、知的な、quod:こと、それ、そのこと、est:ある、sensorii interni.:内なる感覚器官、
 

656.「側面のための戸」によって聞くことが意味されることは、今や続いて知られることが出来よう。聖言からの同様な(言葉)によって説明されることは必要でなかろう。というのは、上の戸に比較しての側面のための戸の如く、即ち同じことである(が)、内なる感覚器官と比較して耳が聞くこと(の如く)、内なる感覚器官と比較して耳がそれを同様に持つからである。
 

657. Quod per 'infimas, secundanas et tertianas' significentur scientifica, rationalia et intellectualia, inde quoque sequitur: sunt tres gradus intellectualium in homine; ejus infimum est scientificum, medium est rationale, supremum est intellectuale; haec ita distincta sunt inter se ut nusquam confundantur; sed quod homo hoc nesciat, causa est quod in sensuali et scientifico solum vitam ponat; et cum ei inhaeret, ne quidem scire potest quod rationale ejus sit a scientifico distinctum, minus tunc quod intellectuale; cum tamen ita se res habet quod Dominus per intellectuale apud hominem influat in ejus rationale, et per rationale in scientificum memoriae, inde vita sensuum, visus et auditus; hic est verus influxus, et hoc est verum commercium animae cum corpore; absque influxu vitae Domini in intellectualia apud hominem (seu potius in voluntaria, et per voluntaria in intellectualia, et per intellectualia in rationalia, et per rationalia in ejus scientifica quae sunt memoriae) nusquam dari potest vita apud hominem: et tametsi homo in falsis est et malis, usque tamen est influxus vitae Domini per voluntaria et intellectualia, sed recipiuntur illa quae influunt, in parte rationali secundum ejus formam; et facit ut homo possit ratiocinari, possit reflectere, possit intelligere quid verum et bonum; sed de his, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus; tum quomodo se habet vita apud bruta.
 

657. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'infimas,:最も下の、最下部、secundanas:第二階、et:~と、および、tertianas':三階、significentur:意味される、scientifica,:事実に基づく、科学的な、rationalia:理性のある、理性的な、et:~と、および、intellectualia,:理解の、知的な、inde:それ故、そこから、quoque:~もまた、同じく、sequitur::続いて起こる、従う、sunt:ある、tres:3、gradus:段階、intellectualium:理解の、知的な、in:~の中、~において、homine;:人間から、ejus:それの、彼の、infimum:最も下の、最下部、est:ある、scientificum,:事実に基づく、科学的な、medium:中間、真ん中、est:ある、rationale,:理性のある、理性的な、supremum:最も高い、一番上の、est:ある、intellectuale;:理解の、知的な、haec:これらは、ita:このように、従って、distincta:区別された、分離された、sunt:ある、inter se:相互の間で、相互に、ut:~のために、こと、~するように、nusquam:どこにもない、決して~ない、confundantur;:混同される、混ぜられる、sed:しかし、quod:こと、それ、そのこと、homo:人間は、hoc:これを、nesciat,:知らない、気付かない、causa:原因、理由、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、sensuali:感覚的な、感覚の、et:~と、および、scientifico:事実に基づく、科学的な、solum:だけ、のみ、vitam:生命、ponat;:置く、据える、et:また、そして、cum:その時、その場合、ei:それに、inhaeret,:固執する、執着する、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、scire:知ること、知っていること、potest:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、rationale:理性のある、理性的な、ejus:それの、彼の、sit:ある、a:~から、~により、scientifico:事実に基づく、科学的な、distinctum,:区別された、分離された、minus:なお更、まして、tunc:その時、やがて、quod:こと、それ、そのこと、intellectuale;:理解の、知的な、cum:その時、その場合、tamen:しかし、それにもかかわらず、ita:このように、従って、se:それ自身を、res:事柄、物事、habet:持つ、quod:こと、それ、そのこと、Dominus:主は、per:~を通して、~によって、intellectuale:理解の、知的な、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、influat:流れ込む、流入する、in:~の中へ、~へ、ejus:それの、彼の、rationale,:理性のある、理性的な、et:また、そして、per:~を通して、~によって、rationale:理性のある、理性的な、in:~の中へ、~へ、scientificum:事実に基づく、科学的な、memoriae,:記憶、記憶力、inde:それ故、そこから、vita:生命、sensuum,:諸感覚の、visus:視覚、視力、et:~と、および、auditus;:聴覚、聞くこと、hic:これが、est:ある、verus:真理の、真実の、influxus,:流入、影響、et:また、そして、hoc:これが、est:ある、verum:真理の、真実の、commercium:交際、交流、animae:霊魂、魂、cum:~と一緒に、~と、corpore;:体、身体、absque:~なしに、~を除いて、influxu:流入、影響、vitae:生命、Domini:主の、in:~の中へ、~へ、intellectualia:理解の、知的な、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、(seu:即ち、或いは、potius:~よりむしろ、in:~の中へ、~へ、voluntaria,:意志、et:また、そして、per:~を通して、~によって、voluntaria:意志、in:~の中へ、~へ、intellectualia,:理解の、知的な、et:また、そして、per:~を通して、~によって、intellectualia:理解の、知的な、in:~の中へ、~へ、rationalia,:理性のある、理性的な、et:また、そして、per:~を通して、~によって、rationalia:理性のある、理性的な、in:~の中へ、~へ、ejus:それの、彼の、scientifica:事実に基づく、科学的な、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、memoriae):記憶、記憶力、nusquam:どこにもない、決して~ない、dari:与えられること、potest:出来る、可能である、vita:生命、apud:~のもとに、~において、hominem::人間を、et:また、そして、tametsi:例え~でも、それでも、homo:人間は、in:~の中、~において、falsis:諸々の間違った原理(信念)から、est:ある、et:~と、および、malis,:諸々の悪から、usque:それでもなお、やはり、tamen:しかし、それにもかかわらず、est:ある、influxus:流入、影響、vitae:生命、Domini:主の、per:~を通して、~によって、voluntaria:意志の、et:~と、および、intellectualia,:理解の、知的な、sed:しかし、recipiuntur:受け入れられる、受容される、illa:それらが、quae:それらは、そのことらは、influunt,:流れ込む、流入する、in:~の中、~において、parte:部、部分、rationali:理性のある、理性的な、secundum:~に従って、~に沿って、ejus:それの、彼の、formam;:形、性質、状態、et:また、そして、facit:行なう、為す、ut:~のために、こと、~するように、homo:人間は、possit:出来る、可能である、ratiocinari,:論ずること、推論すること、possit:出来る、可能である、reflectere,:向きを変える、逆に向ける、後ろへ曲げる、そらせる、反射する、よく考える、熟考する、考慮する、possit:出来る、可能である、intelligere:理解すること、quid:何か?、どんな?、verum:真理、et:~と、および、bonum;:善、sed:しかし、de:~について、his,:これらから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus;:次の、後に続く、tum:その上、さらに、quomodo:どのように、どうして、se:それ自身を、habet:持つ、vita:生命、apud:~のもとに、~において、bruta.:獣、
 

657.「一階、二階、および三階」によって科学的なもの、理性的なもの、および知的なものが意味されることもまた、このことから続いて起こる。人間の中の知的なものの三つの段階があり、その最下部のものは科学的なものであり、中間のものは理性的なものであり、最も高いものは知的なものである。これらのものは相互に区別されたものであり、決して混同されることはない。しかし、人間がこのことを知らない理由は、感覚的なものと科学的なものの中にだけ生命を置くからである。またそれに固執する時、科学的なものから区別されたその理性的なものがあることを、決して知ることが出来ない。その時まして、知的なもの(があることを知ることは出来ない)。それにもかかわらず、彼(人間)がこのようにこの事柄を持つ時(でも)、主は人間の許の知的なものを通して彼の理性的なものの中に流入し、また理性的なものを通して記憶の科学的なものへ流入する。それ故、視覚、聴覚の諸感覚の生命が(ある)。このことが真実の流入であり、またこのことが真実の霊魂と身体との交流である。人間の許の知的なものの中へ主の生命の流入なしに、(或いはむしろ、意志の中へ、また意志を通して知的なものの中へ、また知的なものを通して理性的なものの中へ、また理性的なものを通して記憶のものである科学的なものの中へ〈の流入なしに〉)、人間の許に生命は決して与えられることは出来ない。また例え、人間が諸々の間違った信念と諸々の悪の中に居ても、しかしそれでもなお、意志の(もの)と理解の(もの)を通して主の生命の流入がある。しかし、理性的な部分の中へ流入する(ものは)、その形(性質)に従ってそれらが受容される。また、これ(流入)が人間が真理と善が何かを推論することが出来るように、熟考することが出来る(ように)、理解することが出来る(ように)為す。しかし、これらについて、更に獣の許にその生命をどのように持つかも、主の神的な慈悲により、後に続く(箇所)において(述べよう)。
 

658. Tres illi gradus, qui in genere vocantur intellectualium hominis, nempe intellectus, ratio et scientia, significati quoque sunt, ut dictum, in Templo Hierosolymae per fenestras trium x substructionum, 1 Reg. vi 4, 6, 8, tum etiam prius per fluvios qui exibant ex horto Edenis ab oriente, ubi 'oriens' significat Dominum, 'Eden' amorem qui est voluntatis, 'hortus' intelligentiam inde, 'fluvii' sapientiam, rationem, et scientiam; de quibus videantur quae dicta sunt ad cap. ii vers.10-14.
 

658. Tres:3、illi:それらは、gradus,:段階、qui:それらは、in genere:一般的に、vocantur:呼ばれる、intellectualium:理解の、知的な、hominis,:人間の、nempe:正確には、即ち、intellectus,:理解、ratio:理性、et:~と、および、scientia,:知識、科学、significati:意味された、quoque:~もまた、同じく、sunt,:ある、ut:~のように、例えば、dictum,:言われた、in:~の中、~において、Templo:神殿、Hierosolymae:エルサレム、per:~を通して、~によって、fenestras:窓、trium:3、x substructionum,:段、層、1 Reg.:列王記、vi 4, 6, 8, tum:その上、さらに、etiam:~もまた、さらに、prius:以前に、前に、per:~を通して、~によって、fluvios:川、流れ、qui:それらは、そのことらは、exibant:出る、流れる、伸びる、出て行く、ex:~から、~により、horto:庭園、木立ち、Edenis:エデン、ab:~から、~により、oriente,:東、ubi:そこで、その場所、'oriens':東、significat:意味する、Dominum,:主を、'Eden':エデン、amorem:愛を、qui:それは、est:ある、voluntatis,:意志、'hortus':庭園、木立ち、intelligentiam:理解、知性、inde,:それ故、そこから、'fluvii':川、流れ、sapientiam,:知恵を、rationem,:理性を、et:また、そして、scientiam;:知識、科学、de:~について、quibus:それらから、そのことらから、videantur:見られる、認められる、quae:それらは、そのことらは、dicta sunt:言われた、ad:~に、~へ、cap.:章、ii vers.:節、10-14.
 

658.これらの三つの段階は、一般的には人間の理解のものと呼ばれる。即ち知性、理性、および知識(と呼ばれる)。(また前に)言われたように、エルサレムの神殿の中の三つの層(階層)の窓によってもまたそれらが意味された。列王記Ⅰ、6.4,6,8、更に、前に(述べられた)東からエデンの庭園から流れる川によってもまた(意味される)。そこの「東」は主を、「エデン」は意志の愛を、「庭園」はそこからの理解を、「川」は知恵、理性、および知識を意味する。これらについては(第)2章10-14節に言われたことが認められよう。

5-537~546意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-537~546意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

続、天界と天界の楽しさについて
537.或る霊が私に知られないように私の左から近づいた。そして、どのようにして天界へ入ることが出来るか、私が知っているかどうか質問した。その霊に答えることが許され、天界へ入ることを許されることは主だけの権限であり、主だけが人間がどのような性質の者かよく知っておられることを答えた。
自然的な世界から来る極めて多くの者達は、天界へ行くことを除いて別のことは何も尋ねない。彼らは天界が何か、天界の楽しさが何かを全く知っていない。天界には相互の愛があること、また天界の楽しさはそこからあることを全く知っていない。それ故に、このことを知らない者達に、先ず天界が何か、また天界の楽しさが何かが生きた経験によって教えられる。
例えば、近頃自然的な世界から来た、或る霊もまた同様に天界を求めた。彼が天界はどのようなものであるかを認めるために、天界の楽しさについて彼が若干感じるように彼の内的なものが開かれた。それが感じられたことにより、彼に嘆くことと苦しめられることが始まり、彼はそこから救い出されるように訴えた。彼はその苦悩の故に生きることが出来ないことを言った。それ故に、彼の内的なものが天界に向かって閉ざされたのである。そして、彼は元へ戻された。それ故、ちょっとの間だけでも天界へ入ることが許される時、自覚(良心)のどのような痛みで、またどのような苦悩で苦しめられるか知られることが出来よう。彼にこのような痛みや苦悩がある。
 

538.天界が何か知っていない者達が天界へ入ることを求めた。その者達に、もし愛の信仰の中に居ないなら天界の中へ行くことは炎の中へ入る如く、それほど危険なことが言われた。しかしそれでもなお、彼らは天界へ入ることを求めた。彼らが天界の最初の入口に行った時、即ち天使的な霊達の内的なスフェア(sphaeraスフェア、霊気、球体)の中へ行った時、彼らは自分達自身を真っ逆様に後ろ向きに投げつけた。彼らはこのように打たれた。それ故、彼らは主により信仰の情愛を受け入れることの準備がされる前に、天界へ近付くことだけで如何に多大な危険があるかを教えられた。
 

539.身体の生命の中で姦淫を何も問題視しなかった或る者も、また天界へ入ることを欲したので、天界の最初の入口に入ることを許された。その結果、彼がそこへ行った時、痛みを引き起こされることと自分自身の屍のような悪臭を、これ以上耐えられないまでも感じることが始まった。もし彼がもっと先に行ったなら、彼に自分が死んだように認められたであろう。それ故に、彼は更に低い地に投げ落とされた。なぜなら、彼は姦夫達に反対のスフェアの中へ行ったからである。彼が天界の最初の入口へ行った時、このような苦痛を与えられたことを彼は憤った。彼は不幸な者達の間に居る。
 

540.他生に来る殆んど凡ての者達は、天界の幸福の状態と幸福を知らない。なぜなら、内なる楽しさが何か、またどのようなものかを知らないからである。彼らは形体的な、また世俗的な喜びと楽しさからだけの知覚を認める。それ故に、彼らはそれを知らないし、在ることを信じない。しかし、形体的な、また世俗的な楽しさはそれと比較すれば無意味で不潔なものである。それ故に、天界の楽しさが何かを知らない正しい者達は、先ずそれを知り、また認めるために楽園に運ばれる。その楽園は想像の凡ての考えを越える。
それらについては主の神的な慈悲により後に続く箇所で述べよう。その時、彼らは天界の楽園へ来たことを信じるが、しかしそれは天界の本当の幸福ではないことを教えられる。それによって彼らに認知しうるところの彼らの最内部に至るまでの楽しさの内的な状態を認めることが与えられる。続いて、彼らは彼らの最内部に至るまでの平安の状態の中へ運ばれる。その時、彼らはこの平安はこれまで何も表現出来ない、想像出来ないものであることを認めた。そして最後に無垢の状態の中へ、更に彼らの最内部の感動に至る状態の中へ運ばれた。このことから、彼らに本当に霊的な、また天界の善が何かを知ることが与えられた。
 

541.天界の楽しさが何かを知らない或る者達が、身体と幻想に関して眠らされることが出来た時、天界へ上げられることが出来るような状態の中へ至らされて、思いがけず天界へ上げられた。そこから私は誰かが私に、今、彼が天界の楽しさの如何に多大であるかに初めて気付いたこと、また彼がそのことと異なった考えを持って大いに欺かれていたこと、そして今、彼はこれまでの身体の生命の中の何かの快楽の最高のものの中よりも無限に大きい自分自身の最内部の喜びを認めたことを言っているのを聞いた。そして彼は身体の生命から楽しみを与えられることを不潔なものと言った。
 

542.天界の中へ運ばれた者達は、それがどのような理由で運ばれたかを知らなければならない。一つは彼らに身体と幻想が眠らされるからである。なぜなら、形体的なものとこの世から自分自身に得た幻想と一緒に天界へは誰も入ることが出来ないからである。もう一つは、汚れたものが不思議にも緩和される霊達のスフェアに囲まれるからである。また、それらは不一致を為し、或る人達は内的なものが開かれて天界へ運ばれる。このように彼らの生命とそこからの性質の展開に従って異なって天界へ運ばれる。
 

543.或る者達は天界の楽しさが何かを知ることを熱望していた。それ故に、自分自身の最内部をそれ以上耐えることが出来ないまで、その状態を認めることを許された。しかしそれでもなお、天使的な楽しさではなかったが、辛うじて最小の天使的な(楽しさ)の如くあったことが、彼らの楽しさの伝達によって私に認めることが与えられた。それは幾分冷たいもののようで軽微なものであったが、それでも彼らは最も天界の楽しさであると言った。なぜなら、それが彼らの最内部の楽しさであったからである。このことから楽しさには段階があるだけでなく、更に一人の者の最内部は他の者の最外部、或いは中間部に辛うじて近付くことが知られた。更に、誰かが自分自身の最内部のものを受ける時、自分自身の天界の楽しさの中に居り、またその上更に、内的なものを受けることは、同時に彼に苦痛を引き起こすものになる。
 

544.或る者が第一の天界の無垢の天界の中へ入れられ、またそこから私と一緒に話して、このような楽しさと喜びの状態は、決して誰かの考えに認められることが出来ないことを告白した。しかしこれは、第一の天界だけのものであった。というのも、三つの天界があり、また各々の天界の中に無垢の状態があり、それらの数え切れない多種多様性にその状態を認めるのである。
 

545.しかし、私は天界の性質と天界の楽しさが何かを知ることが出来たために、しばしば、また長らく主により天界の楽しさの恩恵を認めることを与えられた。それ故に、生きた経験により私は知ることが出来たが、しかし決してそれを記述することは出来ない。しかし、単にその考えが持たれるために少し述べよう。無数の愉快なものと楽しさの情愛があり、それらはある種の全般的な同時的な情愛をもたらし、その全般的なものの中に、即ちその全般的な情愛の中に、無数の情愛の調和がある。それらは知覚に明確に届かないが、しかし不明瞭に届く。なぜなら、知覚は最も全般的なものだからである。それでもなお、無数の情愛が内在したことを認めることが与えられた。そのように秩序づけられた情愛は、決して記述されることが出来ない。その無数の情愛は、どのようなものも天界の秩序から引き出される。
[2]このような秩序が個々の情愛と最小の情愛の中にあり、それらは単に最も全般的な一つの情愛で示される。そしてそれらは、その者にもたらされたその理解力に従って認められる。要するに、どんな全般的な情愛であっても、その秩序付けられた形の中に無限の情愛が内在する。また、生きていない、および働きかけない情愛はなく、実際に最内部に働きかける。なぜなら、天界の楽しさは最内部から生じるからである。
楽しさと歓喜が心臓からの如く来て、それを最内部の凡ての繊維を通して最も穏やかに広めたこともまた感じられた。またそこから群にまとめられた繊維に到るまで、このような最内部の愉快なものと一緒に楽しさと歓喜以外は何もないように繊維があること、また凡ての認識力と感覚的能力がそこからの幸福により、同様に生きていることも感じられた。身体の快楽の楽しさは、それらの楽しさと比べれば清い静かな微風と比較した、チクチクと痛む塵や埃の粒の如く粗雑なものである。
 

546.私が天界の或る社会に居た時、天界の中に居ることを欲する者達と一緒に、どのようにそれを保つかを私が知るために、またそこに居ることが出来ないような者達を私が知るために、天使が頭の周りに青く輝いている花々の小さい花冠を付け、また胸の付近に別の色の花環に囲まれた幼児として私に見られた。このことから、私は仁愛のある何らかの社会の中に居たことを認めることが与えられた。その時、その同じ社会へ入ることを許された或る正しい霊達が居た。その者達がその社会に入った時、直ちに断然より知力のある者達に為され、また天使的な霊達の如く話した。
その後、自分達自身により無垢であることを欲した者達もその社会へ入ることを許された。彼らの状態が私に口から乳を吐き出した幼児によって表象された。彼らはそのように自分達自身を保つ。
更に、自分達自身により知性のある者達であることを信じた者達も、その社会へ入ることを許された。彼らの状態はかなり美しいが、狡猾なものに見えた彼らの顔によって表象されれた。彼らが被っていたとがった博識な帽子から鋭い突起が見られた。しかし、彼らは人間的な肉の顔として見えず、生命なしの彫像の顔として見えた。自分達自身により霊的なものであること、即ち自分達自身により信仰を持つことが出来ることを信じる者達の状態はこのようなものである。
その社会に入ることを許された他の霊達は、そこに留まることが出来ず、狼狽させられ、また不安に為されてそこから逃げ去った。

6-655原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-655原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

655. Quod per 'fenestram, quae quoad cubitum perficienda superne' significetur intellectuale, constare potest unicuique ex illis quae nunc dicta sunt; tum ex eo quod intellectuale non aliter comparari queat quam fenestrae superne, cum agitur de constructione arcae et per 'arcam' significatur homo Ecclesiae: in Verbo similiter appellatur 'fenestra' hominis intellectuale, sive sit ratio sive ratiocinatio, hoc est, visus ejus internus; ut apud Esaiam,
Afflicta, turbine jactata, non consolata;... ponam
pyropum soles (fenestras) tuos, et portas tuas in lapides carbunculi, et omnem finem tuum in lapides desiderii, liv 11, 12;
ibi pro fenestris 'soles' a lumine quod immittitur seu transmittitur; 'soles seu fenestrae' ibi sunt intellectualia, et quidem ex charitate, quare 'pyropo' assimilantur; 'portae' sunt rationalia inde; et 'finis' est scientificum et sensuale; agitur ibi de Ecclesia Domini. [2] Omnes 'fenestrae' Templi Hierosolymae idem repraesentabant, illarum 'supernae' intellectualia, 'mediae' rationalia, et 'infimae' scientifica et sensualia, nam tres substructiones erant, 1 Reg. vi 4, 6, 8; similiter 'fenestrae' Novae Hierosolymae apud Ezechielem, xl 16, 22, 25, 33, 36: apud Jeremiam,
Ascendit mors in fenestras nostras, venit in palatia nostra, ad exscindendum infantem e platea, juvenes e vicis, ix 20 [A.V. 21];
ubi fenestrae mediae mansionis significantur, quae sunt rationalia quod exstinguantur; 'infans in platea' est nascens veritas. Quia 'fenestrae' significant intellectualia et rationalia quae sunt veri, etiam significant ratiocinia quae sunt falsi; ut apud eundem,
Vae aedificanti domum suam in non justitia, et hyperoa sua in non judicio,... qui dicit, Aedificabo mihi domum mensurarum, et hyperoa spatiosa, et excidit sibi fenestras, et tabulata cedro, et pingenda minio, xxii 13, 14;
'fenestrae' pro principiis falsi: apud Zephaniam,
Cubabunt in medio ejus catervae bestiarum, omnis fera
ejus gentis; tam platea quam chippod in malogranatis ejus pernoctabunt; vox cantabit in fenestra, vastitas in limine, ii 14;
de Asshure et Ninive, 'Asshur' pro intellectu, hic vastato; 'vox cantans in fenestris' pro ratiociniis ex phantasiis.
 

655. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'fenestram,:窓、quae:それらは、そのことらは、quoad:~に関して、ほどに、cubitum:キュービット、perficienda:仕上げるべき、(未来受動分詞)superne':上から、上に、significetur:意味される、intellectuale,:理解の、知的な、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、unicuique:それぞれの、各々の、ex:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、nunc:今しがた、たった今、dicta sunt;:言われた、tum:その上、さらに、ex:~から、~により、eo:それから、quod:こと、それ、そのこと、intellectuale:理解の、知的な、non:否、aliter:他の方法で、異なって、comparari:例えられること、比較されること、queat:出来る、quam:~を除いて、~の外は、fenestrae:窓、superne,:上から、上に、cum:その時、その場合、agitur:述べられる、取り扱われる、de:~について、constructione:構造、様式、arcae:箱舟、et:~と、および、per:~を通して、~によって、'arcam':箱舟、significatur:意味される、homo:人間は、Ecclesiae::教会、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、similiter:同様に、似ている、appellatur:呼ばれる、'fenestra':窓、hominis:人間の、intellectuale,:理解の、知的な、sive:sive~sive、或いは~か、或いは~にせよ、sit:ある、ratio:理性、sive ratiocinatio,:推論、推理、hoc est,:即ち、visus:視覚、視力、ejus:それの、彼の、internus;:内部の、内なる、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Afflicta,:悲惨な、元気のない、(女性単数呼格)turbine:暴風、嵐、jactata,:翻弄された、苦しめられた、(女性単数呼格)non:否、consolata;:慰める、励ます、(女性単数呼格)... ponam:描く、表現する、(接続法一人称単数現在)pyropum:ルビー、赤い色の宝石、soles:太陽、日光、(fenestras):窓、tuos,:あなた達の、et:また、そして、portas:門、戸、tuas:あなた達の、in:~の中へ、~によって、lapides:宝石、carbunculi,:赤い宝石、et:また、そして、omnem:凡ての、全体の、finem:終結、末端、境界、tuum:あなたの、in:~の中へ、~へ、lapides:宝石、desiderii,:願望、憧憬、liv 11, 12; ibi:そこに、そこで、pro:~として、~のために、fenestris:窓、'soles':太陽、日光、a:~から、~により、lumine:光、明るさ、quod:こと、それ、そのこと、immittitur:入ることを許される、入れられる、seu:即ち、或いは、transmittitur;:通される、通過される、'soles:太陽、日光、seu:即ち、或いは、fenestrae':窓、ibi:そこに、そこで、sunt:ある、intellectualia,:理解の、知的な、et quidem:その上、実際に、ex:~から、~により、charitate,:仁愛、愛情、quare:それ故に、'pyropo':ルビー、赤い色の宝石、assimilantur;:例えられる、なぞらえられる、'portae':門、戸、sunt:ある、rationalia:理性のある、理性的な、inde;:それ故、そこから、et:また、そして、'finis':終結、末端、境界、est:ある、scientificum:事実に基づく、科学的な、et:~と、および、sensuale;:感覚的な、感覚の、agitur:述べられる、取り扱われる、ibi:そこに、そこで、de:~について、Ecclesia:教会、Domini.:主の、
[2] Omnes:凡ての、全体の、'fenestrae':窓、Templi:神殿、神域、Hierosolymae:エルサレム、idem:エルサレム、repraesentabant,:象徴した、表象した、illarum:それらの、'supernae':上の、高い所にある、intellectualia,:理解の、知的な、'mediae':中間、真ん中、rationalia,:理性のある、理性的な、et:また、そして、'infimae':最も下の、最下部、scientifica:事実に基づく、科学的な、et:~と、および、sensualia,:感覚的な、感覚の、nam:なぜなら、というのも、tres:3、substructiones:段、層、erant,:あった、1 Reg.:列王記Ⅰ、vi 4, 6, 8; similiter:同様に、似ている、'fenestrae':窓、Novae:新しい、Hierosolymae:エルサレム、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、xl 16, 22, 25, 33, 36: apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Ascendit:昇った、mors:死、in:~の中へ、~に、fenestras:窓、nostras,:私達の、venit:来た、行った、in:~の中へ、~へ、palatia:宮殿、nostra,:私達の、ad:~に、~のために、exscindendum:破壊することへ、滅ぼすことへ、infantem:幼児、子供、e:~から、~により、platea,:通り、街路、juvenes:若者、青年、e:~から、~により、vicis,:村、街、ix 20 [A.V. 21]; ubi:そこで、その場所、fenestrae:窓、mediae:中間、真ん中、mansionis:住居、住まい、階、significantur,:意味される、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、rationalia:理性のある、理性的な、quod:こと、それ、そのこと、exstinguantur;:消される、絶滅される、
'infans:幼児、子供、in:~の中へ、~に、platea':通り、街路、est:ある、nascens:産まれている、成長している、veritas.:真理、真実、
Quia:なぜなら、ので、'fenestrae':窓、significant:意味する、intellectualia:理解の、知的な、et:~と、および、rationalia:理性のある、理性的な、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、veri,:真理、etiam:~もまた、さらに、significant:意味する、ratiocinia:誤った推論、誤った推理、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、falsi;:諸々の間違った原理(信念)、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Vae:ああ悲しいかな、災いなるかな、aedificanti:建てた、建築した、domum:家、家屋、suam:自分自身を、それ自身を、in:~の中、~で、non:否、justitia,:公正、正義、et:また、そして、hyperoa:上階の部屋、高間、sua:それら自身を、in:~の中、~で、non:否、judicio,:審判、判断、... qui:その者、dicit,:言った、Aedificabo:建てる、(一人称単数未来)mihi:私に、domum:家、家屋、mensurarum,:寸法、十分な計量、et:また、そして、hyperoa:上階の部屋、高間、spatiosa,:広い、大きい、et:また、そして、excidit:うがつ、くり抜く、sibi:それ自身に、fenestras,:窓、et:また、そして、tabulata:板張りの、cedro,:杉、ヒマラヤ杉、et:また、そして、pingenda:彩色すされるべき、(未来受動分詞)minio,:朱で赤く染める、xxii 13, 14; 'fenestrae':窓、pro:~として、~のために、principiis:原理、要素、falsi::間違った原理(信念)を、apud:~のもとに、~において、Zephaniam,:ゼパニヤ、
Cubabunt:眠る、横になる、横たわる、(三人称複数未来)in:~の中、~において、medio:中間、真ん中、ejus:それの、彼の、catervae:群、集団、bestiarum,:動物、獣、omnis:凡ての、全体の、fera:野獣、ejus:それの、彼の、gentis;:人々、民、tam:tam~quam~、~と同様に~、~も~も、platea:へらさぎ(鳥)、quam chippod:針ねずみ、やまあらし、in:~の中、~において、malogranatis:ざくろの木、ざくろの実、ejus:それの、彼の、pernoctabunt;:一夜を過ごす、(三人称複数未来)vox:声、音、響き、cantabit:歌う、(鳥が)鳴く、(三人称単数未来)in:~の中、~において、fenestra,:窓、vastitas:荒廃状態、破壊、in:~の中、~において、limine,:門、入口、境、家、住居、ii 14; de:~について、Asshure:アシュル、et:~と、および、Ninive,:ニネベ、'Asshur':アシュル、pro:~として、~のために、intellectu,:理解、hic:ここに、この場に、vastato;:荒された、浄化された、'vox:声、音、響き、cantans(鳥が)鳴いている、in:~の中、~において、fenestris':窓、pro:~として、~のために、ratiociniis:誤った推論、誤った推理、ex:~から、~により、phantasiis.:幻想、空想、
 

655.「上から一キュービットほどに仕上げなければならない窓」によって、知的なものが意味されることは、各々の者に今しがた言われたことから、更に教会の人間が意味される「箱舟」によって知的なものが箱舟の構造について述べられる時、上からの窓を除いて異なって例えられることが出来ないことからも知られることが出来よう。人間の知的なもの、或いは理性、或いは推理、即ち内なる視覚は聖言において同様に「窓」と呼ばれている。例えば、イザヤ(書)において、
「悲惨な女よ、嵐に翻弄された女よ、慰められない女よ、...私はあなたの日光(窓」をルビーで表わそう(造ろう)。またあなたの門を赤い宝石によって(造り)、またあなたの凡ての境界を憧憬の宝石によって(立てよう)。」54.11,12、ここの日光は(家に)入れられる光により、また(家に)通される(光により)窓として(記述されている)。ここの「日光、即ち窓」は、実際、仁愛からの知的なものである。それ故に、ルビーに例えられ、「門」はそこからの理性的なものである。また「境界」は科学的なものと感覚的なものである。ここでは主の教会について述べられている。
[2]エルサレムの神殿の凡ての「窓」も同様なことを表象した。それらの「高い所にあるもの」は知的なものを、「中間の(高さにあるもの)は理性的なものを、および「最下部に(あるもの)は科学的なものと感覚的なものを(表象した)。なぜなら、それらは三つの層(階層)があったからである。列王記Ⅰ、6.4,6,8、エゼキエル(書)における新しいエルサレムの「窓」も同様(である)。40.16,22,25,33,36、エレミヤ(書)において、
「私達の窓に死が昇った、私達の宮殿にそれ(死)が来た、街路から子供達を滅ぼすために、街から若者達を(滅ぼすために)、」9.21、ここの(窓は)理性的なものである真ん中の階の窓が意味されており、それらが絶滅されること(が意味されている)。「街路に居る子供」は成長している真理である。
「窓」は真理の知的なものと理性的なものを意味するので、更に間違った原理の(もので)ある誤った推論も意味する。同(書)において、
「ああ災いなるから、不正なもので自分の家を建てた者達、また(間違った)判断で自分の高間を(建てた者達)、彼は、私は十分な寸法の家を私に建てよう、また広い高間を(建てよう)。またそれに窓をうがち、また杉の板を張り、また朱で染めようと言った。」22.13,14、(ここの)「窓」は間違った信念の原理として(記述されている)。ゼパニヤ(書)において、
「外国の獣の群れ、その凡ての野獣が、その真ん中で横たわるであろう。へらさぎの鳥も針ねずみも、そのざくろの木に一夜を過すであろう。家の中は破壊(され)、窓には鳥の鳴き声が響くであろう。」2.14、(これは)アシュルとニネベについて(記述されている)。ここの「アシュル」は荒らされた理解として、「窓で鳥が鳴いている声」は、幻想からの誤った推理として(記述されている)。

信仰の知識と信仰の違い

信仰は聞くことによってあることは、今日の教会において熟知されていることであり、今日の信仰はこのような事情の下にある。しかしそれは信仰の知識(概念)であって、決して信仰ではない。聞くことは知識だけのものであるが、しかし信仰は(真理の)承認である。しかし(真理の)承認はもし、人間の許に信仰の最も重要なものである仁愛、即ち隣人への愛、また隣人への慈悲があるのでなければ、誰かの許に決して与えられることは出来ない。仁愛がある時、やがて承認があり、即ちその時、信仰がある。
これと異なって理解する者は、信仰の知識から多大に、或いは天から地が離れているように遥かに離れている。信仰の徳である仁愛がある時、やがて信仰の真理の承認がある。それ故に、人間が科学的なもの、理性的なもの、および知的なものに従って再生される間に大地、即ち人間の心が仁愛を受け入れることへ準備されることが終結のためにある。その後、仁愛から、即ちその生命から考え、また行なう。その時、人間は改心された者、即ち再生された者になり、その前は再生された者ではない。(天界の秘義654)
 

信仰の知識を聞くこと、或いは読むことがそれだけで終わるなら心の表面、或いは脳で言えば大脳皮質の表面に少し影響を与えるだけでやがて忘れられます。しかし信仰の知識を以って悔い改めるなら心の深部、或いは脳の深部に影響を与えその知識は忘れられません。このように悔い改めが為される時、主を受け入れる準備が為され主により仁愛、即ち隣人愛が与えられます。このように為されて初めて真理を承認して信仰の知識が信仰となります。自己愛が優勢である時は、決して真理を承認出来ません。なぜなら、自己愛の欲望が真理をねじ曲げて自分に都合良く解釈するからです
主を受け入れる前に悔い改めは不可欠であって、もし悔い改められていない心に主が来られ仁愛、即ち隣人愛を与えるなら、人間は隣人愛をあざけり、はねつけ、滅ぼします。丁度、主の時代のユダヤ人達のように主を嘲弄し十字架に架けたように、心の中で主を嘲弄し十字架に架けます。

5-534~536意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-534~536意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

534.三十二節、「そして、ノアは500年(歳)の息子であった。そしてノアはセム、ハム、およびヤペテを産んだ。」
「ノア」によって、言われたように古代教会が意味され、「セム、ハム、およびヤペテ」によって古代教会の三つの教会が意味される。「ノア」と呼ばれた古代教会は、それらの教会の源であった。
 

535.「ノア」と言われた教会は洪水前の教会に含めるべきでないことは、29節の「その教会は、エホバが呪った大地からの彼らの働きから、また彼らの手の労苦から彼らを励ますであろうこと」から知られることが出来よう。励ますことは彼が生き残って存在し続けることである。しかし、ノアとその息子達については、主の神的な慈悲により後に続く箇所で述べよう。
 

536.洪水前の諸教会の認識について、先行している箇所で多くのことが言われたが、ところがしかし、今日、認識は全く知られない事柄であるので、また絶えず、このように未知のものであるので、認識は或る種の繋がりが啓示されたものであることを信じることが出来るために、或いは何らかの植え付けられたものであることを信じることが出来るために、しかし、他の者達は、認識が全く想像上の何かであることを信じるので、また他の者達は異なって信じるので、またそれでもなお、認識は愛の信仰の中に居る者達に主により与えられた天的なものそのものであり、また全天界において認識は無数の多様性と一緒にあるので、それ故に、認識の概念が持たれるために主の神的な慈悲により、次に続く箇所に認識が諸天界においてどのようなものであるか、それらの種類に関して述べることが許されている。

6-652~654原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-652~654原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

652. Quod 'fenestra' significet intellectuale, et 'janua' auditionem, et sic in hoc versu agatur de parte hominis intellectuali, constare potest ab illis quae prius dicta sunt, quod nempe homo hujus Ecclesiae reformabatur ita: sunt in homine binae vitae, una est voluntatis, altera est intellectus; binae vitae fiunt, cum nulla voluntas, sed pro voluntate cupiditas; pars altera seu intellectualis est quae tunc potest reformari, et postea per eam dari nova voluntas, sic ut usque unam vitam constituant, nempe charitas et fides: quia nunc homo talis erat ut nulla voluntas, sed pro ea mera cupiditas, ea pars quae voluntatis est, clausa erat, sicut ad vers. 14 dictum, et altera pars seu intellectualis aperiebatur, de qua in hoc versu agitur.
 

652. Quod:こと、それ、そのこと、'fenestra':窓、significet:意味する、intellectuale,:理解の、知的な、et:また、そして、'janua':戸、扉、auditionem,:聞くこと、聴取、et:また、そして、sic:そのように、こうして、in:~の中、~において、hoc:これから、versu:節、agatur:述べられる、取り扱われる、de:~について、parte:部、部分、hominis:人間の、intellectuali,:理解の、知的な、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、dicta sunt,:言われた、quod:こと、それ、そのこと、nempe:正確には、即ち、homo:人間は、hujus:この、Ecclesiae:教会、reformabatur:改心された、ita::このように、従って、sunt:ある、in:~の中、~において、homine:人間から、binae:2、vitae,:生命、una:1、est:ある、voluntatis,:意志、altera:他のもの、もう一つの、est:ある、intellectus;:理解、binae:2、vitae:生命、fiunt,:為される、行なわれる、cum:その時、その場合、nulla:何も~ない、決して~でない、voluntas,:意志、sed:しかし、pro:~として、~の代わりに、voluntate:意志、cupiditas;:欲望、pars:部、部分、altera:他のもの、もう一つの、seu:即ち、或いは、intellectualis:理解の、知的な、est:ある、quae:それは、そのことは、tunc:その時、やがて、potest:出来る、可能である、reformari,:改心されること、et:また、そして、postea:その後、将来、per:~を通して、~によって、eam:それを、dari:与えられること、nova:新しい、voluntas,:意志、sic:そのように、こうして、ut:~のために、こと、~するように、usque:絶えず、まで、unam:1、vitam:生命、constituant,:構成する、nempe:正確には、即ち、charitas:仁愛、愛情、et:~と、および、fides::信仰、quia:なぜなら、ので、nunc:今、現在、homo:人間は、talis:talis~ut~、~のような~、erat:あった、ut nulla:何も~ない、決して~でない、voluntas,:意志、sed:しかし、pro:~として、~の代わりに、ea:それから、mera:純然たる、単なる、cupiditas,:欲望、ea:それは、pars:部、部分、quae:それは、そのことは、voluntatis:意志、est,:ある、clausa erat,:閉じられた、sicut:~の如く、~のように、ad:~に、~において、vers.:節、14 dictum,:言われた、et:また、そして、altera:他のもの、もう一つの、pars:部、部分、seu:即ち、或いは、intellectualis:理解の、知的な、aperiebatur,:開けられた、de:~について、qua:それから、そのことから、in:~の中、~において、hoc:これから、versu:節、agitur.:述べられる、取り扱われる、
 

652.「窓」が知的なもの、また「戸」が聞くことを意味すること、またそのようにこの節において人間の知的な部分について述べられていることは、前に言われたことから、即ちこの教会の人間がそのように改心されたことから知られることが出来よう。人間の中に二つの生命がある。一つは意志であり、もう一つは理解である。意志が何もなく、意志の代わりに欲望(がある)時、二つの生命に為される。もう一つの部分、即ち知的なものはその時、改心されることが出来、またその後、その(知的なもの)によって新しい意志を与えられることが出来る。そのように絶えず一つの生命を構成すること、即ち仁愛と信仰(を構成することが出来る)。現在の人間は何も意志がなく、その代わりに単なる欲望が(ある)ような者なので、14節において言われたように意志の部分が閉じられたのである。またもう一つの部分、即ち知的なものは開けられた。このことについてこの節において述べられる。
 

653. Se res ita habet: cum reformatur homo, quod fit per pugnas et tentationes, tunc tales spiritus mali ei associantur qui non nisi quam scientifica ejus et rationalia excitant, et ab illo tunc arcentur prorsus spiritus qui excitant cupiditates; nam bina genera spirituum malorum sunt, qui nempe in ratiocinia hominis agunt et qui in ejus cupiditates; spiritus mali qui ratiocinia hominis excitant, omnia falsa ejus depromunt et persuadere ei conantur quod falsa sint vera, immo etiam vera vertunt in falsa; cum quibus homo, dum in tentationibus est, pugnare debet; sed Dominus, per angelos qui homini adjuncti, pugnat: postquam per pugnas separata sunt, et quasi discussa falsa, tunc praeparatus est homo ut recipere possit vera fidei; quamdiu enim falsa regnant, nusquam potest homo recipere vera fidei, nam principia falsi obstant: cum ita praeparatus est ut recipere possit vera fidei, tunc primum inseminari possunt ei semina caelestia, quae sunt semina charitatis; semina charitatis nusquam possunt seminari in humo ubi falsa regnant, sed ubi vera: ita se habet reformatio seu regeneratio hominis spiritualis; ita quoque se habuit cum homine hujus Ecclesiae quae 'Noahus' vocatur. Inde est quod hic nunc agatur de 'fenestra et janua arcae,' deque 'mansionibus ejus infimis, secundanis et tertianis,' quae omnia ad spiritualem seu intellectualem hominem pertinent.
 

653. Se:それ自身を、res:事柄、主題、ita:次のように、従って、habet::持つ、cum:その時、その場合、reformatur:改心される、homo,:人間は、quod:こと、それ、そのこと、fit:為される、per:~を通して、~によって、pugnas:戦い、戦闘、et:~と、および、tentationes,:誘惑、試練、tunc:その時、やがて、tales:このような、次のような、spiritus:霊達、mali:悪の、ei:彼に、associantur:仲間となされる、交流される、qui:その者達、non:否、nisi quam:除いて、~以外に、scientifica:事実に基づく、科学的な、ejus:それの、彼の、et:~と、および、rationalia:理性のある、理性的な、excitant,:扇動する、刺激する、et:また、そして、ab:~から、~により、illo:彼から、tunc:その時、やがて、arcentur:遠ざけられる、抑えられる、prorsus:全く、完全に、spiritus:霊達、qui:その者達、excitant:扇動する、刺激する、cupiditates;:諸々の欲望、nam:なぜなら、というのも、bina:2、genera:種類、spirituum:霊達の、malorum:悪の、sunt,:ある、qui:その者達、nempe:正確には、即ち、in:~の中、~において、ratiocinia:誤った推論、誤った推理、hominis:人間の、agunt:働く、作用する、et:~と、および、qui:その者達、in:~の中へ、~へ、ejus:それの、彼の、cupiditates;:欲望、spiritus:霊達は、mali:悪の、qui:その者達、ratiocinia:誤った推論、誤った推理、hominis:人間の、excitant,:扇動する、刺激する、omnia:凡ての、全体の、falsa:諸々の間違った原理(信念)を、ejus:それの、彼の、depromunt:取り出す、引き出す、et:また、そして、persuadere:説得すること、促すこと、勧めること、ei:彼に、conantur:努める、企てる、quod:こと、それ、そのこと、falsa:諸々の間違った原理(信念)が、sint:ある、vera,:諸々の真理、immo:というよりは、それどころか、etiam:~もまた、さらに、vera:諸々の真理を、vertunt:転ずる、変える、向ける、in:~の中へ、~に、falsa;:諸々の間違った原理(信念)を、cum:~と一緒に、~と、quibus:この者達、homo,:人間は、dum:その時、もし~ならば、in:~の中、~において、tentationibus:誘惑、試練、est,:ある、pugnare:戦うこと、debet;:~すべきである、~しなくてはならない、sed:しかし、Dominus,:主が、per:~を通して、~によって、angelos:天使達を、qui:その者達、homini:人間に、adjuncti,:結ばれた、付き添わされた、pugnat::戦う、postquam:~の後、~した後で、per:~を通して、~によって、pugnas:戦い、戦闘、separata sunt,:分離された、分けられた、et:また、そして、quasi:~のように、~と同様に、discussa:追い散らされた、追い払われた、falsa,:諸々の間違った原理(信念)が、tunc:その時、やがて、praeparatus est:準備された、homo:人間は、ut:~のために、こと、~するように、recipere:受け入れること、受容すること、possit:出来る、可能である、vera:諸々の真理を、fidei;:信仰、quamdiu:~の間、~の限り、enim:なぜならば、~というのは、falsa:諸々の間違った原理(信念)が、regnant,:支配する、nusquam:どこにもない、決して~ない、potest:出来る、可能である、homo:人間は、recipere:受け入れること、受容すること、vera:諸々の真理が、fidei,:信仰、nam:なぜなら、というのも、principia:原理、要素、falsi:間違った原理(信念)の、obstant::邪魔する、妨げる、cum:その時、その場合、ita:このように、従って、praeparatus est:準備された、ut:~のために、こと、~するように、recipere:受け入れること、受容すること、possit:出来る、可能である、vera:諸々の真理が、fidei,:信仰、tunc:その時、やがて、primum:最初に、初めて、inseminari:種を蒔かれること、possunt:出来る、可能である、ei:彼に、semina:種子、種、caelestia,:天的な、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、semina:種子、種、charitatis;:仁愛、愛情、semina:種子、種、charitatis:仁愛、愛情、nusquam:どこにもない、決して~ない、possunt:出来る、可能である、seminari:種を蒔かれること、in:~の中、~において、humo:大地、地面、ubi:そこで、その場所、falsa:諸々の間違った原理(信念)が、regnant,:支配する、sed:しかし、ubi:そこで、その場所、vera::諸々の真理が、ita:このように、従って、se:それ自身を、habet:持つ、~の状態である、reformatio:改心、seu:即ち、或いは、regeneratio:再生、hominis:人間の、spiritualis;:霊的な、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、se:それ自身を、habuit:持った、~の状態であった、cum:~と一緒に、~と、homine:人間から、hujus:この、Ecclesiae:教会、quae:それらは、そのことらは、'Noahus':ノア、vocatur.:呼ばれる、
Inde:それ故、そこから、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、nunc:この場合、このような事情の下に、agatur:述べられる、取り扱われる、de:~について、'fenestra:窓、et:~と、および、janua:戸、扉、arcae,':箱舟、deque:そして~について、'mansionibus:住居、住まい、階、ejus:それの、彼の、infimis,:最も下の、最下部、secundanis:二階、et:~と、および、tertianis,':三階、quae:それらは、そのことらは、omnia:凡ての、全体の、ad:~に、~へ、spiritualem:霊的な、seu:即ち、或いは、intellectualem:理解の、知的な、hominem:人間を、pertinent.:関わりがある、関係する、
 

653.人間はこの事柄を次のように持つ。人間が戦いと試練によって改心される時、やがて悪の霊達が彼(人間)に交流される(が)、その者達は彼(人間)の科学的なものと理性的なもの以外に刺激しない。またその時、彼(人間)から諸々の欲望を刺激する霊達は完全に遠ざけられる。なぜなら、二種類の悪の霊達が居るからである。即ち人間の誤った推理の中へ作用する者達と、彼(人間)の諸々の欲望に(作用する)者達が(居るからである)。人間の誤った推理を刺激する悪の霊達は、彼(人間)の凡ての諸々の間違った信念を引き出し、また彼(人間)に諸々の間違った信念が諸々の真理であることを説得することを企てる。というよりは、諸々の真理を諸々の間違った信念に変える。この者達と一緒の人間は、もし試練の中に居るなら、戦わなければならないが、しかし主が人間に付き添わされた天使達を通して戦う。戦いによって彼らが分離され、またそのように諸々の間違った信念が追い払われた後で、その時、人間は信仰の諸々の真理を受け入れることが出来るように準備される。というのは、諸々の間違った信念が支配する限り人間は決して信仰の諸々の真理を受け入れることが出来ないからである。なぜなら、間違った信念の原理が妨げるからである。信仰の諸々の真理を受け入れることが出来るように準備された時、やがて彼(人間)に仁愛の種子である天的な種子が、初めて蒔かれることが出来る。仁愛の種子は諸々の間違った信念が支配する大地に蒔かれることは決して出来ないが、しかし諸々の真理が(支配する大地には蒔かれることが出来る)。霊的な人間の改心、即ち再生はこのような状態であり、「ノア」と呼ばれる(呼ばれた)教会の人間もまたこのような状態であった。
それ故、このような事情の下にここで「箱舟の窓と戸」について述べられること、また「彼の住まいの一階、二階、および三階」について(述べられることの)、凡てのものは人間の霊的なもの、即ち知的なものに関係する。
 

654. Hoc nunc est quod notum est in Ecclesiis hodie, quod fides per auditionem; sed fides nusquam est cognitio illorum quae sunt fidei, seu cognitio credendorum; hoc solum est scientia; sed est agnitio; sed agnitio nusquam apud aliquem dari potest nisi principale fidei apud illum sit, quod est charitas, hoc est, amor erga proximum, et misericordia; quando charitas est, tunc est agnitio, aut tunc est fides; qui aliter capit, tam longe abest a cognitione fidei, quantum abest vel distat terra a caelo: cum charitas adest quae est bonitas fidei, tunc adest agnitio quae est veritas fidei: quare homo dum secundum scientifica, rationalia et intellectualia regeneratur, est ob finem ut praeparetur humus, seu mens ejus, ad recipiendum charitatem, ex qua seu ex cujus vita dein cogitet et agat; tunc reformatus seu regeneratus est, non prius.
 

654. Hoc:この、これは、nunc:この場合、このような事情の下に、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、notum:よく知られた、熟知された、est:ある、in:~の中、~において、Ecclesiis:教会、hodie,:今日、現在、quod:こと、それ、そのこと、fides:信仰、per:~を通して、~によって、auditionem;:聞くこと、聴取、sed:しかし、fides:信仰、nusquam:どこにもない、決して~ない、est:ある、cognitio:知識、概念、illorum:それらの、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、fidei,:信仰、seu:即ち、或いは、cognitio:知識、概念、credendorum;:信じられるべき、(未来受動分詞)hoc:この、これは、solum:だけ、のみ、est:ある、scientia;:知識、科学、sed:しかし、est:ある、agnitio;:受諾、承認、sed:しかし、agnitio:受諾、承認、nusquam:どこにもない、決して~ない、apud:~のもとに、~において、aliquem:誰か、ある者、dari:与えられること、potest:出来る、可能である、nisi:~以外、もし~でなければ、principale:第一の、最も重要な、fidei:信仰、apud:~のもとに、~において、illum:彼を、sit,:ある、quod:こと、それ、そのこと、est:ある、charitas,:仁愛、愛情、hoc est,:即ち、amor erga proximum,:隣人への愛、et:また、そして、misericordia;:慈悲、憐れみ、quando:~の時、ある時、charitas:仁愛、愛情、est,:ある、tunc:その時、やがて、est:ある、agnitio,:受諾、承認、aut:即ち、或いは、tunc:その時、やがて、est:ある、fides;:信仰、qui:その者、aliter:他の方法で、異なって、capit,:認識する、理解する、tam:このように、これほどに、longe:遥かに、全く、abest:離れている、相違する、異なる、a:~から、~により、cognitione:知識、概念、fidei,:信仰、quantum:いかに多大、何と多くのもの、abest:離れている、相違する、異なる、vel:或いは、~か或るいは~か、distat:遠くにある、離れている、terra:地、地上、a:~から、~により、caelo::天界から、cum:その時、その場合、charitas:仁愛、愛情、adest:現存する、ある、quae:それらは、そのことらは、est:ある、bonitas:高潔、徳、善意、fidei,:信仰、tunc:その時、やがて、adest:現存する、ある、agnitio:受諾、承認、quae:それらは、そのことらは、est:ある、veritas:真理、真実、fidei::信仰、quare:それ故に、homo:人間は、dum:その時、もし~ならば、~の時、 :~の間に、~の中に、~する間に、~まで、限り、~する限り、secundum:~に従って、~に沿って、scientifica,:事実に基づく、科学的な、rationalia:理性のある、理性的な、et:~と、および、intellectualia:理解の、知的な、regeneratur,:再生される、est:ある、ob:~対して、~のために、finem:目的、終結、末端、地所、頂点、ut:~のために、こと、~するように、praeparetur:準備される、humus,:大地、地面、seu:即ち、或いは、mens:心、精神、ejus,:それの、彼の、ad:~に、~へ、recipiendum:受け入れることへ、charitatem,:仁愛、愛情、ex:~から、~により、qua:それから、そのことから、seu:即ち、或いは、ex:~から、~により、cujus:その者の、vita:生命、dein:その後、その後は、cogitet:考える、et:また、そして、agat;:行なう、tunc:その時、やがて、reformatus:改心された、seu:即ち、或いは、regeneratus:再生された、est,:ある、non:否、prius.:以前に、前に、
 

654.信仰は聞くことによって(ある)ことは、今日の教会において熟知されていることであり、(今日の信仰は)このような事情の下にある。しかしそれは信仰の知識(概念)であって、決して信仰ではない。これ(聞くこと)は知識だけのものであるが、しかしそれ(信仰)は(真理の)承認である。しかし(真理の)承認はもし、彼(人間)の許に信仰の最も重要なものである仁愛、即ち隣人への愛、また(隣人への)慈悲があるのでなければ、誰かの許に決して与えられることは出来ない。仁愛がある時、やがて承認があり、即ちその時、信仰がある。(これと)異なって理解する者は、信仰の知識から多大に、或いは天から地が離れているように遥かに離れている。信仰の徳である仁愛がある時、やがて信仰の真理の承認がある。それ故に、人間が科学的なもの、理性的なもの、および知的なものに従って再生される間に大地、即ち彼(人間)の心が仁愛を受け入れることへ準備されることが終結のためにある。その後、それ(仁愛)から、即ちその生命から考え、また行なう。その時、彼(人間)は改心された者、即ち再生された者である(になり、その)前(は再生された者では)ない。

5-532~533意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-532~533意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

532.三十、三十一節、「そして、ラメクはそのノアを産んだ後、595年生きて、また息子達と娘達を産んだ。そして、ラメクの凡ての日々は777年であった。そして彼は死んだ。」
「ラメク」によって、言われたように荒らされた教会が意味され、「息子達と娘達」によってこのような教会の受胎と出産が意味される。
 

533.ラメクについては、それによって息子達と娘達を産んだこと、そのことはこのような教会の受胎と出産(子)であるが、このことよりも多くのことは述べられていないので、更にまた詳しく論じるべきではない。一体どんな出産(子)か、即ち一体どんな息子達と娘達であるかは教会から知られることが出来よう。なぜなら、教会があるままに、そのように出産(子)があるからである。
「メトセラとラメク」と呼ばれた二つのその教会は洪水の直ぐ前に消滅した。

6-649~651原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-649~651原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

649. Hic vero 'numeri seu mensurae arcae' nihil aliud significant quam reliquias quae fuerant apud hominem hujus Ecclesiae, cum reformaretur, et quidem quod paucae; quod constat ab eo quod in numeris illis dominentur 'quinque,' qui in Verbo significant aliquid seu parum; ut apud Esaiam,
Relinquentur in eo racemationes, sicut decussio oleae, duae tres baccae in capite rami supremi, quatuor quinque in ramis fructiferae, xvii 6;
ubi 'duo tria et quinque' pro paucis: apud eundem,
Mille unum coram increpatione unius, coram increpatione quinque fugietis, donec reliqui sitis sicut malus super capite montis, xxx 17;
ubi etiam pro paucis. Minimum etiam mulctae, super restitutionem, fuit 'quinta pars,' Lev. 16, 24 [A.V. v 16, vi 5]; xxii 14 ; Num. v 7; et minimum additamenti, cum redimerent bestiam, domum, agrum, decimas, erat 'quinta pars,' Lev. xxvii 13, 15, 19, 31.
 

649. Hic:ここに、この場に、vero:しかし、'numeri:数、番号、seu:即ち、或いは、mensurae:寸法、長さ、arcae':箱舟、nihil:無、何も~ない、aliud:他のもの、別のもの、significant:意味する、quam:~を除いて、~の外は、reliquias:残りのもの、残存物、quae:それらは、そのことらは、fuerant:あった、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、hujus:この、Ecclesiae,:教会、cum:その時、その場合、reformaretur,:改心された、et quidem:その上、実際に、quod:こと、それ、そのこと、paucae;:少数の、僅かの、quod:こと、それ、そのこと、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、eo:これから、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、numeris:数、番号、illis:それらから、dominentur:支配的である、優勢である、'quinque,':5、qui:それは、そのことは、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、significant:意味する、aliquid:幾らか、多少、seu:即ち、或いは、parum;:少量、僅か、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Relinquentur:残される、そのままにされる、(三人称複数未来)in:~の中、~の間に、eo:それから、racemationes,:(葡萄の)取り残し、(葡萄の)房、sicut:~の如く、~のように、decussio oleae,:オリーブの打ち落し、duae:2、tres:3、baccae:ベリー、小果実、in:~の中、~において、capite:頭、先端、rami:諸々の枝、supremi,:最も高い、一番上の、quatuor:4、quinque:5、in:~の中、~において、ramis:諸々の枝、fructiferae,:実のなる、よく実を結ぶ、xvii 6; ubi:そこで、その場所、'duo:2、tria:3、et:~と、および、quinque':5、pro:~として、~のために、paucis::少数の、僅かの、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Mille:千、無数、unum:1、coram:公然と、その場で、increpatione:非難、叱責、叱ること、unius,:一つの、coram:公然と、その場で、increpatione:非難、叱責、叱ること、quinque:5、fugietis,:逃げる、(二人称複数未来)donec:~まで、~の限りは、~の間は、reliqui:残ること、sitis:ある、(二人称複数現在)sicut:~の如く、~のように、malus:林檎(りんご)の木、旗ざお、super:~の上で、~の上に、capite:頭、先端、montis,:山、丘、xxx 17; ubi:そこで、その場所、etiam:~もまた、さらに、pro:~として、~のために、paucis.:少数の、僅かの、
Minimum:最小の、etiam:~もまた、さらに、mulctae,:罰金、賠償、super:~に際して、~に関して、restitutionem,:償い、倍賞、fuit:あった、'quinta pars,':5分の1、Lev.:レビ記、16, 24 [A.V. v 16, vi 5]; xxii 14 ; Num.:民数記、v 7; et:また、そして、minimum:最小の、additamenti,:付加、追加されたもの、cum:その時、その場合、redimerent:買い戻す、贖う、bestiam,:動物、獣、domum,:家、家屋、agrum,:野、原、decimas,:捧げもの、erat:あった、'quinta pars,':5分の1、Lev.:レビ記、xxvii 13, 15, 19, 31.
 

649.しかし、ここの「数、即ち箱舟の寸法」は、この教会の人間が改心された時に、(その人間の)許にあった残りのもの、更に(それが)僅か(であった)ことを除いて他のものを意味しない。このことはそれらの(寸法の)数の中で「5」が優勢であることから知られよう。聖言においてその(5の数は)幾らか、或いは僅かを意味する。例えば、イザヤ(書)において、
「オリーブの打ち落し(の時)の如く、最も高い枝の先端に二つ、三つ、よく実を結ぶ枝で四つ、五つの小さい実がその取り残しの間に残されるであろう。」17.6、ここで「二つ三つと五つ」は僅かなものとして(記述されている)。同(書)において、
「一人の者が公然と叱ることにより一千人の者達が(逃げ)、五人の者達が公然と叱ることによりあなた達は逃げるであろう。山頂の旗ざおの如くあなた達が残ることまで、」30.16,17、ここでもまた僅かなものとして(記述されている)。償いに関してもまた賠償は五分の一であった。レビ記、5.16,6.5、22.14、民数記、5.7、また獣、家、野、捧げものを贖う時の最小の賠償もまた五分の一であった。レビ記、27.13,15,19,31、
 

650. Quod 'longitudo' significet illarum sanctum, 'latitudo' illarum verum, et 'altitudo' illarum bonum, quae describuntur per numeros, non ita confirmari potest ex Verbo, quia praedicantur omnia et singula ex subjecto aut re, de qua agitur; sicut 'longitudo' applicate ad tempus significat perpetuum et aeternum, ut 'longitudo dierum,' Ps. xxiii 6; Ps. xxi 5 [A.V.4]; at applicate ad spatium significat sanctum quod inde sequitur: ita quoque se habet cum 'latitudine, et altitudine': trina dimensio omnium est in terrestribus, sed tales dimensiones non praedicari possunt de caelestibus et spiritualibus; cum praedicantur, abstracte a dimensionibus intelligitur perfectio major et minor, tum ejus quale et quantum; ut hic quale quod sint reliquiae, et earum quantum quod sint paucae.
 

650. Quod:こと、それ、そのこと、'longitudo':長さ、significet:意味する、illarum:それらの、sanctum,:神聖な、聖なる、'latitudo':幅、illarum:それらの、verum,:真理を、et:また、そして、'altitudo':高さ、illarum:それらの、bonum,:善を、quae:それらは、そのことらは、describuntur:記述される、述べられる、per:~を通して、~によって、numeros,:数、番号、non:否、ita:それほど、そんなに、confirmari:強くされること、確立されること、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、Verbo,:聖言、御言葉、quia:なぜなら、ので、praedicantur:言われる、属性付けられる、omnia:凡ての、全体の、et:~と、および、singula:別々の、個別の、ex:~から、~により、subjecto:主体、対象、aut:即ち、或いは、re,:事柄、物事、de:~について、qua:それから、そのことから、agitur;:述べられる、取り扱われる、sicut:例えば、~のように、'longitudo':長さ、applicate:特に言及して、特に当てはめて、ad:~に、~へ、tempus:時間、時、significat:意味する、perpetuum:永続する、連続した、et:~と、および、aeternum,:永遠、ut:~のように、~として、'longitudo:長さ、dierum,':日々、Ps.:詩篇、xxiii 6; Ps.:詩篇、xxi 5 [A.V.4]; at:しかし、それに対して、applicate:特に言及して、特に当てはめて、ad:~に、~へ、spatium:空間、場所、significat:意味する、sanctum:神聖な、聖なる、quod:こと、それ、そのこと、inde:それ故、そこから、sequitur::続いて起こる、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、se:それ自身を、habet:持つ、所有する、cum:~と一緒に、~によって、'latitudine,:幅、et:~と、および、altitudine'::高さ、trina:3、dimensio:測定値、寸法、omnium:凡ての、全体の、est:ある、in:~の中、~において、terrestribus,:現世の、地上の、sed:しかし、tales:このような、次のような、dimensiones:測定値、寸法、non:否、praedicari:言われること、語られること、possunt:出来る、可能である、de:~について、caelestibus:天的な、et:~と、および、spiritualibus;:霊的な、cum:その時、その場合、praedicantur,:言われる、語られる、abstracte:~に関係なく、~をかまわずに、a:~から、~により、dimensionibus:測定値、寸法、intelligitur:意味される、perfectio:完全であること、完成、major:より大きい、et:~と、および、minor,:より小さい、tum:その上、さらに、ejus:それの、彼の、quale:質、性質、et:~と、および、quantum;:どれほどの量、ut:~のために、こと、~するように、hic:ここに、この場に、quale:質、性質、quod:こと、それ、そのこと、sint:ある、reliquiae,:残りのもの、残存物、et:また、そして、earum:それらの、彼らの、quantum:どれほどの量、quod:こと、それ、そのこと、sint:ある、paucae.:少数の、僅かの、
 

650.数によって記述されている「長さ」はそれらの神聖なもの、「幅」はそれらの真理、および「高さ」はそれらの善を意味することは、聖言からそれほど確立されることは出来ない。なぜなら、(それらの)全体的なものと個別的なものは、それについて述べられている対象、即ち事柄により言われているからである。例えば、「長さ」は「日々の長さ」のように、特に時間に当てはめて永続するものと永遠のものを意味する。詩篇、23.6、21.4、これに対して、(「長さ」を)特に空間に当てはめると、そこから続いて起こる神聖なものを意味する。このように「幅」と「高さ」によってもまたそれを持つ。地上のものにおいては、凡てのものに三つの寸法があるが、しかしこのような寸法は天的なものと霊的なものについて言われることは出来ない。それら(の寸法)が言われる時は、寸法に関係なく完全であることの大小、更に質と量が意味される。ここでの質が残りのものであること、またそれらの量が僅かなものであること(が意味されている)。
 

651. Vers. 16. Fenestram facies arcae, et ad cubitum perficies illam superne; et januam arcae in latere ejus pones; infimas, secundanas et tertianas facies illam: Per 'fenestram, quae ad cubitum perficienda superne' significatur intellectuale: per 'januam a latere' significatur auditio: per 'infimas, secundanas et tertianas' significantur scientifica, rationalia et intellectualia.
 

651. Vers.:節、16. Fenestram:窓、facies:行なう、造る、(二人称単数未来)arcae,:箱舟、et:また、そして、ad:~に、~へ、cubitum:キュービット、perficies:完成する、仕上げる、(二人称単数未来)illam:それを、superne;:上から、上に、et:また、そして、januam:戸、扉、arcae:箱舟、in:~の中、~において、latere:側面、側、ejus:それの、彼の、pones;:取り付ける、設置する、(二人称単数未来)infimas,:最も下の、最下部、secundanas:第二階、et:~と、および、tertianas:三階、facies:行なう、造る、(二人称単数未来)illam::それを、
Per:~を通して、~によって、'fenestram,:窓、quae:それらは、そのことらは、ad:~に、~へ、cubitum:キュービット、perficienda:仕上げるべき、(未来受動分詞)superne':上から、上に、significatur:意味される、intellectuale::理解の、知的な、per:~を通して、~によって、'januam:戸、扉、a:~から、~のために、latere':側面、側、significatur:意味される、auditio::聞くこと、聴取、per:~を通して、~によって、'infimas,:最も下の、最下部、secundanas:第二階、et:~と、および、tertianas':三階、significantur:意味される、scientifica,:事実に基づく、科学的な、rationalia:理性のある、理性的な、et:~と、および、intellectualia.:理解の、知的な、
 

651.十六節、「あなたは箱舟に窓を造り、それを上から一キュービット(の所)に仕上げなければならない。また箱舟の戸をその側面に取り付けなければならない。あなたはそれ(箱舟)を一階、二階、および三階に造らなければならない。」
上から一キュービット(の所)に仕上げなければならない「窓」によって知的なものが意味され、側面のための「戸」によって聞くこと(が意味され)、「一階、二階、および三階」によって科学的なもの、理性的なもの、および知的なもの(が意味される)。

5-528~531意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-528~531意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

528.二十九節、「そして、彼はその息子の名をノアと呼んだ。そしてラメクが言うことに、彼はエホバが呪った大地からの、私達の手の働きと私達の手の苦悩から私達を励ますであろう。」
「ノア」によって古代教会が意味され、「エホバが呪った大地からの、私達の手の働きと私達の手の苦悩から私達を励ますこと」によってその歪められた教義が、そのことから回復されることが意味される。
 

529.「ノア」によって古代教会が意味される。即ち洪水後の三つの教会の源の教会であることが意味されることは、後に続く箇所により知られよう。そこでノアについて多くのことが述べられる。
 

530.この章の名前によって、言われたように諸々の教会、即ち同じことであるが諸々の教義が意味される。なぜなら教義があるから、また教会と呼ばれるからである。従って「ノア」によって古代教会、即ち最古代教会から存続している教義が意味される。諸教会、即ち諸々の教義がそれら自身をどのように保つかは、前に言われたのである。即ちそれらがその後、信仰の善と真理について何も存続しないまでも衰えることが言われたのである。またその時、聖言において教会が荒らされたと言われている。しかしそれでもなお、常に生き残った人達が保たれる。即ち、例え少数の者達であっても信仰の善と真理を持続する者達の許に残りのものの何かが保たれる。もし、その者達の許に信仰の善と真理が保たれなければ、決して人類と天界の連結はなかっただろう。
[2]人間の許の個人的なものの中の残りのものについては、それが少量であればあるほど、彼の理性的なものと科学的なものも少なく照らされる。なぜなら、善と真理の光は残りのものから、即ち残りのものを通して主から流れ込むからである。もし、人間の許に何も残りのものがなければ、彼は人間でなかっただろう。しかし獣より甚だしく卑賤なものであっただろう。残りのものが少量であればあるほど、彼はより少なく人間であり、また残りのものが多ければ多いほど、彼はより多く人間である。生き残った人達は、残りのものを天的な一種の栄光の如く持つ。それが少なければ少ないほど、そこからの輝きも少なく、それが多ければ多いほど、そこからの輝きが多い。
最古代教会から残った僅かなものがノアと言われた教会を構成した者達の許にあった。しかし、その残りのものは認識の残りではなかったが、しかし誠実の残り、更に最古代教会からの教義の残りであった。それ故その時、主により初めて新しい教会が起された。その教会は最古代の諸教会とは全く異なった性質の教会であったので、古代教会と呼ばれるべきである。古代教会は洪水前の終わりの時代と洪水後の最初の時代においてあった。その教会については主の神的な慈悲により後に続く箇所で述べよう。
 

531.「エホバが呪った大地からの、私達の手の働きと私達の手の苦悩から私達を励ますこと」よって、歪められた教義がどのように回復されたかが意味されることは、主の神的な慈悲により後に続く箇所からもまた知られよう。「働き」によって何かの真理を労苦と苦痛がなければ認めることが出来なかったことが意味され、
「エホバが呪った大地からの手の苦悩」によって、何も善を行なうことが出来ないことが意味される。従って「ラメク」、即ち荒された教会が記述されている。
「私達の手の働きと労苦」は自分自身により、即ち自己により何が真理と善を行なうことか探求することを余儀なくされる時である。それ故、それが為されることが「エホバが呪った大地」、即ち間違った信念と悪以外何もないことである。しかし、「エホバが呪う」ことが何を意味するかは245番に認められる。
これに対して、「励ますこと」は息子に、即ちノアに関係があった。それ故に新しい再生が意味され、従って新しい古代教会が意味される。その教会によって、即ち「ノア」の教会によって、そこから休息もまた意味される。また休息の慰めにより最古代教会についての如く、主が休まれた第七の日が意味される。それは84-88番に認められる。

6-648原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-648原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

648. Quod numeri et mensurae in Verbo caelestia et spiritualia significent, constare manifeste potest ex mensuratione Novae Hierosolymae et Templi apud Johannem et Ezechielem; cuivis constare potest quod per 'Novam Hierosolymam' et per 'Novum Templum' significetur regnum Domini in caelis et in terris, et quod regnum Domini in caelis et in terris non sub mensuras terrestres cadat, et usque dimensiones quoad longitudinem, latitudinem et altitudinem in numeris designantur; inde concludi ab unoquovis potest quod per numeros et mensuras significentur sancta, sicut apud Johannem,
Datus mihi est calamus similis baculo, et adstitit angelus, dixit mihi, Surge, et metire templum Dei, et altare, et adorantes in eo, Apoc. xi 1:
et de Nova Hierosolyma,
Hierosolymae caelestis murus magnus et altus, habens portas duodecim, et super portis angelos duodecim, et nomina scripta quae sunt duodecim tribuum filiorum Israelis; ab oriente portae tres, a septentrione portae tres, a meridie portae tres, ab occasibus portae tres. Murus civitatis habebat fundamenta duodecim, et in iis duodecim nomina apostolorum Agni. Qui mecum loquebatur calamum habebat aureum, ut metiretur civitatem, et portas ejus et murum ejus. Civitas jacet quadrangularis, et longitudo ejus tanta est quanta etiam latitudo; mensus itaque est civitatem calamo in stadiis duodecies mille, longitudo et latitudo et altitudo ejus aequalia erant: Mensus... est murum ejus centum quadraginta quatuor cubitorum, quae est mensura hominis, hoc est angeli, Apoc. xxi {x} 12-17;
[2] hic ubivis numerus duodecim occurrit, qui numerus sanctissimus est, quia significat sancta fidei, ut supra ad vers. 3 hujus capitis dictum, et ad cap. xxix et xxx Geneseos, ex Divina Domini Misericordia, ostendetur; quare etiam additur quod illa mensura sit 'mensura hominis, hoc est angeli.' Similiter se habet cum Templo Novo et Hierosolyma Nova apud Ezechielem, quae quoque secundum mensuras describuntur, cap. xi 3, 5, 7, 9, 11, 13, 14, 22, 25, 30, 36, 42, 47; xli 1 ad f; xiii 5-15; Zach. ii 5, 6 [A.V. 1, 2]; ubi quoque numeri in se spectati nihil significant, sed sanctum caeleste et spirituale a numeris abstractum. Omnes quoque numeri dimensionum arcae, Exod. xxv 10; propitiatorii, mensae aureae, habitaculi, altaris, similiter, Exod. xxv {x} 17, 23; xxvi; et xxvii 1; et omnes numeri et dimensiones Templi, 1 Reg. vi 2, 3; praeter plura.
 

648. Quod:こと、それ、そのこと、numeri:数、番号、et:~と、および、mensurae:寸法、長さ、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、caelestia:天的な、et:~と、および、spiritualia:霊的な、significent,:意味する、constare:知られること、明らかであること、manifeste:明瞭に、明らかに、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、mensuratione:寸法、長さ、Novae:新しい、Hierosolymae:エルサレム、et:~と、および、Templi:神殿、apud:~のもとに、~において、Johannem:ヨハネ、et:~と、および、Ezechielem;:エゼキエル、cuivis:各々の、誰でも、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'Novam:新しい、Hierosolymam':エルサレム、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'Novum:新しい、Templum':神殿、significetur:意味される、regnum:王国、Domini:主の、in:~の中、~において、caelis:諸天界、et:~と、および、in:~の中、~において、terris,:地、地上、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、regnum:王国、Domini:主の、in:~の中、~において、caelis:諸天界、et:~と、および、in:~の中、~において、terris:地、地上、non:否、sub:~の下へ、~のもとへ、mensuras:寸法、長さ、terrestres:現世の、地上の、cadat,:当てはまる、適用出来る、et:また、そして、usque:それでもなお、やはり、dimensiones:測定値、寸法、サイズ、:範囲、領域、quoad:~に関して、~に関する限り、longitudinem,:長さ、latitudinem:幅、et:~と、および、altitudinem:高さ、in:~の中、~において、numeris:数、番号、designantur;:明記される、規定される、inde:それ故、そこから、concludi:推論されること、結論されること、ab:~から、~により、unoquovis:各々の、potest:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、numeros:数、番号、et:~と、および、mensuras:寸法、長さ、significentur:意味される、sancta,:神聖な、聖なる、sicut:~の如く、~のように、apud:~のもとに、~において、Johannem,:ヨハネ、
Datus:与えられた、mihi:私に、est:ある、calamus:葦、ヨシ、similis:同様な、等しい、baculo,:杖、棒、et:また、そして、adstitit:そばに立った、angelus,:天使が、dixit:言った、mihi,:私に、Surge,:立ち上がれ、(命令形)et:また、そして、metire:測れ、(命令形)templum:神殿、Dei,:神の、et:~と、および、altare,:祭壇、et:~と、および、adorantes:礼拝している、in:~の中、~において、eo,:それから、Apoc.:黙示録、xi 1: et:また、そして、de:~について、Nova:新しい、Hierosolyma,:エルサレム、
Hierosolymae:エルサレム、caelestis:天的な、murus:城壁、壁、magnus:大きな、高い、et:~と、および、altus,:高い、高くそびえる、habens:持っている、portas:門、戸、duodecim,:12、et:また、そして、super:~の上で、~の上に、portis:門、戸、angelos:天使達を、duodecim,:12、et:また、そして、nomina:名前、名称、scripta:書かれたもの、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、duodecim:12、tribuum:諸部族の、諸地区の、filiorum:息子達の、Israelis;:イスラエル、ab:~から、~に対して、oriente:東、portae:門、戸、tres,:3、a:~から、~に対して、septentrione:北、portae:門、戸、tres,:3、a:~から、~に対して、meridie:南、portae:門、戸、tres,:3、ab:~から、~に対して、occasibus:西、portae:門、戸、tres.:3、
Murus:城壁、壁、civitatis:大きな町、都市、habebat:持った、所有した、fundamenta:土台、基礎、duodecim,:12、et:また、そして、in:~の中、~において、iis:それらから、duodecim:12、nomina:名前、名称、apostolorum:使徒達、Agni.:神の小羊、
Qui:その者、mecum:私と一緒に、(=cum me)loquebatur:話した、語った、calamum:葦、ヨシ、habebat:持った、所有した、aureum,:金で造られた、金の、ut:~のために、こと、~するように、metiretur:測った、測定した、civitatem,:大きな町、都市、et:また、そして、portas:門、戸、ejus:それの、彼の、et:~と、および、murum:城壁、壁、ejus.:それの、彼の、
Civitas:大きな町、都市、jacet:置かれている、ある、quadrangularis,:四角の、四角形の、et:また、そして、longitudo:長さ、ejus:それの、彼の、tanta:tantum~quantum~、~だけ~である、est:ある、quanta etiam:~もまた、さらに、latitudo;:幅、mensus itaque:そして従って、またそのように、est:測った、civitatem:大きな町、都市、calamo:葦、ヨシ、in:~の中、~において、stadiis:スタディオン、(1スタディオン=約185メートル、ギリシアの長さの単位)、duodecies:12回、12倍に、mille,:千、無数、longitudo:長さ、et:~と、および、latitudo:幅、et:~と、および、altitudo:高さ、ejus:それの、彼の、aequalia:等しい、同等の、erant::あった、Mensus... est:測った、murum:城壁、壁、ejus:それの、彼の、centum:100、quadraginta:40、quatuor:4、cubitorum,:キュービット、(1キュービット=約45cm)quae:それは、そのことは、est:ある、mensura:寸法、長さ、hominis,:人間の、hoc est:即ち、angeli,:天使の、Apoc.:黙示録、 xxi {x} 12-17;
[2] hic:ここに、この場に、ubivis:至る所に、~の場所に、numerus:数、番号、duodecim:12、occurrit,:現れる、出て来る、qui:それは、そのことは、numerus:数、番号、sanctissimus:最も神聖な、est,:ある、quia:なぜなら、ので、significat:意味する、sancta:神聖な、聖なる、fidei,:信仰の、ut:~のように、~として、supra:上に、越えて、ad:~に、~において、vers.:節、3 hujus:この、capitis:章、dictum,:言われた、et:また、そして、ad:~に、~において、cap.:章、xxix et:~と、および、xxx Geneseos,:創世記、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、ostendetur;:示される、(三人称単数未来)quare:それ故に、etiam:~もまた、さらに、additur:加えられる、添えられる、quod:こと、それ、そのこと、illa:それらは、mensura:寸法、長さ、sit:ある、'mensura:寸法、長さ、hominis,:人間の、hoc est:即ち、angeli'.:天使の、
Similiter:同様に、似ている、se:それ自身を、habet:持つ、所有する、cum:~と一緒に、~と、Templo:神殿、Novo:新しい、et:~と、および、Hierosolyma:エルサレム、Nova:新しい、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、quae:それらは、そのことらは、quoque:~もまた、同じく、secundum:~に従って、~に沿って、mensuras:寸法、長さ、describuntur,:記述される、述べられる、cap.:章、xi(xl) 3, 5, 7, 9, 11, 13, 14, 22, 25, 30, 36, 42, 47; xli 1 ad:~に、~へ、~まで、f;:終わり、(finisの略)xiii(xlii) 5-15; Zach.:ゼカリヤ、ii 5, 6 [A.V. 1, 2]; ubi:そこで、その場所、quoque:~もまた、同じく、numeri:数、番号、in:~の中、~において、se:それ自身から、spectati:見られた、眺められた、nihil:無、何も~ない、significant,:意味する、sed:しかし、sanctum:神聖な、聖なる、caeleste:天的な、et:~と、および、spirituale:霊的な、a:~から、~により、numeris:数、番号、abstractum.:抽象的な、観念的な、
Omnes:凡ての、全体の、quoque:~もまた、同じく、numeri:数、番号、dimensionum:測定値、寸法、サイズ、arcae,:(契約の)箱、Exod.:出埃及記、xxv 10; propitiatorii,:贖罪所の、mensae:テーブル、食卓、aureae,:金で造られた、金の、habitaculi,:幕屋、住まい、altaris,:祭壇、similiter,:同様に、似ている、Exod.:出埃及記、xxv {x} 17, 23; xxvi; et:また、そして、xxvii 1; et:また、そして、omnes:凡ての、全体の、numeri:数、番号、et:~と、および、dimensiones:測定値、寸法、サイズ、:範囲、領域、Templi,:神殿、1 Reg.:列王記Ⅰ、vi 2, 3; praeter:他に、更に、plura.:より多くの、多数の、
 

648.聖言において数と寸法が天的なものと霊的なものを意味することは、ヨハネとエゼキエル(の書)における新しいエルサレムと神殿の寸法から明瞭に知られることが出来よう。各々の者は「新しいエルサレム」と「新しい神殿」によって諸天界と地上における主の王国が意味されること、また諸天界と地上の主の王国は地上的な寸法に適用出来ないことを知られることが出来よう。またそれでもなお、数における長さ、幅、高さに関する寸法が明記されている。それ故、ヨハネ(の書)における如く、各々の者は数と寸法によって神聖なものが意味されることを推論される(推論する)ことが出来よう。
「私に棒のような葦が与えられ、また天使がそばに立って私に言った。あなたは立ち上がって、そして神の神殿と祭壇とその中で礼拝している者達を測れ、」黙示録、11.1、また新しいエルサレムについては、
「天のエルサレムの城壁は大きくて高く、また十二の門があり、門の上に十二人の天使達(が居り)、またイスラエルの息子達の十二の諸部族の名が書かれたもの(があった)。
東に対して三つの門、北に対して三つの門、南に対して三つの門、西に対して三つの門(があった)。都市の城壁は十二の土台があり、またそれらの(土台の)中に神の子羊の十二人の使徒達の名(があった)。
私と一緒に話した者は、都市とその門とその城壁を測るために、金で造られた葦を持った(持っていた)。
都市は四角形であり、またその長さ(奥行き)だけ幅がある。そしてそのように彼が葦で都市を測った(ら)その長さ(奥行き)と幅と高さは等しく一万二千スタディオン(1スタディオン=約185メートル、ギリシアの長さの単位)であった。
彼がその城壁を測った(ら)144キュービット(1キュービット=約45cm)(であった)。これは人間の寸法、即ち天使の(寸法で)ある。」黙示録、21.12-17、
[2]ここ(上記の聖言)の至る所に12の数が出て来る。その数は、この章の上の3節において言われたように、また主の神的な慈悲により創世記の29と30章において示される(ように)、信仰の神聖なものを意味するので、最も神聖な数である。それ故更に、それらは「人間、即ち天使の寸法」であることが加えられている。
同様に、これらのことをエゼキエル(書)における新しい神殿と新しいエルサレムも一緒に持つ。それらの(箇所)でもまた寸法に従って記述されている。(第)40章、3,5,7,9,11,13,14,22,25,30,36,42,47、(第)41(章)1(節から)終わりまで、(第)42(章)5-15、ゼカリヤ(書)、(第)2(章)1,2、そこでの数もまたその(数)自体の中に見られたものは何も意味しないが、しかし数から抽象された天的なものと霊的なものの神聖なものを(意味する)。
契約の箱、出埃及記、25.10、贖罪所、金のテーブル、幕屋、祭壇、(その他)同様なもの、出埃及記、25.17,23、26.(全部)、また27.1、の寸法の凡ての数字もまた(天的なものと霊的なものの神聖なものを意味する)。また列王記Ⅰ、6.2,3、の神殿の凡ての数と寸法(も)、更に多くのものも(同様に意味する)。

5-523~527意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-523~527意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
523.二十五節、「そして、メトセラは187年生きた。そしてラメクを産んだ。」
「メトセラ」によって第八の教会が意味され、「ラメク」によって第九の教会が意味される。
524.この教会がどのようなものであったかは、特に何も述べられていないが、しかし、その認識力が全般的で不明瞭なものに為されたことは、「ノア」と呼ばれる教会の記述から知られよう。こうして認識力の完全性が衰えたために、同時に、認識力の完全性と一緒に知恵と知性も衰えた。
525.二十六、二十七節、「そして、メトセラはそのラメクを産んだ後、782年生きて、また息子達と娘達を産んだ。そして、メトセラの凡ての日々は969年であった。また彼は死んだ。」
これらの節は、他の節で説明されたことと同様な意味を持つ。
 
 
526.二十八節、「そして、ラメクは182年生きた。また息子を産んだ。」
「ラメク」によって、ここで第九の教会が意味され、その教会の中で真理と善の認識が殆んど何もないほど全般的で不明瞭なものになった。このように教会が荒らされた。「息子」によって新しい教会の始まりが意味される。
527.「ラメク」によって、その教会の中で真理と善の認識が殆んど何もないほどに全般的で不明瞭なものになった教会が意味される。このように教会が荒らされたことが意味されることは、先行する章から、また続く節から知られることが出来よう。即ち、直ぐ後に続く節においてそれが記述されている。
「ラメク」は先行している第四章において、ここの節と殆んど同様なことを意味した。即ち荒廃を意味した。その荒廃については先行している第4章の18,19,23,24節で認められよう。またその者を産んだ者もまた、ほぼ同様に呼ばれている。正確にはメトサエルと呼ばれている。このように殆んど同様な名前によって意味したことで、「メトサエル」と「メトセラ」によって何らかの死をもたらす者を意味し、「ラメク」によって破壊された者を意味した。

6-646~647原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-646~647原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

646. Vers. 15. Et sic facies illam; trecenti cubiti longitudo arcae, quinquaginta cubiti latitudo ejus, et triginta cubiti altitudo ejus. Per 'numeros' hic ut prius significantur reliquiae quod paucae: 'longitudo' est illarum sanctum, 'latitudo' est verum, 'altitudo' est bonum.
 

646. Vers.:節、15. Et:また、そして、sic:そのように、次のように、facies:行なう、造る、(二人称単数未来)illam;:それを、trecenti:300、cubiti:ひじ、キュービット、(1キュービット=約45cm)longitudo:長さ、arcae,:箱舟、quinquaginta:50、cubiti:キュービット、latitudo:幅、ejus,:それの、彼の、et:また、そして、triginta:30、cubiti:キュービット、altitudo:高さ、ejus.:それの、彼の、
Per:~を通して、~によって、'numeros':数、番号、hic:この、これは、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、significantur:意味される、reliquiae:残りのもの、残存物、quod:それは、そのことは、paucae::少数の、僅かの、'longitudo':長さ、est:ある、illarum:それらの、sanctum,:神聖な、聖なる、'latitudo':幅、est:ある、verum,:真理、'altitudo':高さ、est:ある、bonum.:善、
 

646. 十五節、「そして、あなたはそれ(箱舟)を次のように造らなければならない。箱舟の長さは300キュービット、(1キュービット=約45cm)その幅は50キュービット、その高さは30キュービットに造らなければならない。」
前に(言われた)ように、ここの「数」は僅かな残りのものが意味される。「長さ」はそれらの神聖さであり、「幅」は真理であり、「高さ」は善である。
 

647. Quod haec talia significent, non potest non unicuique peregrinum et remotissimum apparere, ut quod numeri 'trecenti, et quinquaginta, et triginta' significent reliquias et quidem paucas; tum quod 'longitudo, latitudo et altitudo' significent sanctum, verum et bonum: sed praeter quae dicta et ostensa supra sunt de numeris, ad vers. 3 hujus capitis, quod ibi 'centum et viginti' significent reliquias fidei, etiam constare unicuique potest ex eo quod qui in sensu interna sunt, ut spiritus boni et angeli, extra omnia illa sint quae terrestria: corporea et mere mundana, ita extra omnia quae sunt numerorum et mensurarum, et tamen illis datur a Domino percipere Verbum plene: et quidem prorsus abstracte a talibus; et quia hoc verum, inde manifeste
constare potest quod caelestia et spiritualia involvant; quae ita remota sunt a sensu litterae ut ne quidem apparere possit quod talia sint; sicut sunt caelestia et spiritualia omnia et singula; exinde quoque scire potest homo quam vesanum sit velle explorare illa quae sunt fidei per sensualia et scientifica, et non prius credere quam sic illa capiat.
 

647. Quod:こと、それ、そのこと、haec:これらは、talia:このような、前述のような、significent,:意味する、non:否、potest:出来る、可能である、non:否、unicuique:それぞれの、各々の、peregrinum:不慣れな、未知の、奇妙な、et:~と、および、remotissimum:かけ離れた、無関係な、apparere,:現れること、見えること、ut:~のように、例えば、quod:こと、それ、そのこと、numeri:数、番号、'trecenti,:300、et:また、そして、quinquaginta,:50、et:また、そして、triginta':30、significent:意味する、reliquias:残りのもの、残存物、et quidem:その上、実際に、paucas;:少数の、僅かの、tum:その上、さらに、quod:こと、それ、そのこと、'longitudo,:長さ、latitudo:幅、et:~と、および、altitudo':高さ、significent:意味する、sanctum,:神聖な、聖なる、verum:真理、et:~と、および、bonum::善、sed:しかし、praeter:他に、以外に、quae:それらは、そのことらは、dicta:言われた、et:また、そして、ostensa:示された、説明された、supra:上に、以前に、すでに、sunt:ある、de:~について、numeris,:数、番号、ad:~に、~において、vers.:節、3 hujus:この、capitis,:章、quod:こと、それ、そのこと、ibi:そこに、そこで、'centum:100、et:~と、および、viginti':20、significent:意味する、reliquias:残りのもの、残存物、fidei,:信仰の、etiam:~もまた、さらに、constare:知られること、明らかであること、unicuique:それぞれの、各々の、potest:出来る、可能である、ex:~から、~により、eo:その者から、quod:こと、それ、そのこと、qui:その者達、in:~の中、~において、sensu interna:内意、sunt,:ある、ut:~のように、~として、spiritus:霊達、boni:善の、et:~と、および、angeli,:天使達、extra:~の範囲外に、~を超えて、omnia:凡ての、全体の、illa:それらを、sint:ある、quae:それらは、そのことらは、terrestria::現世の、地上の、corporea:地的な、形体的な、et:~と、および、mere:全く、~に過ぎない、mundana,:世俗的な、この世の、ita:このように、従って、extra:~の範囲外に、~を超えて、omnia:凡ての、全体の、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、numerorum:数、番号、et:~と、および、mensurarum,:寸法、長さ、et:また、そして、tamen:しかし、それにもかかわらず、illis:彼らに、datur:与えられる、a:~から、~により、Domino:主から、percipere:理解すること、認識すること、Verbum:聖言、御言葉、plene::完全に、十分に、et quidem:その上、実際に、prorsus:全く、完全に、abstracte:~に関係なく、~をかまわずに、a:~から、~により、talibus;:このような、次のような、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、hoc:この、これは、verum,:真理、真実、inde:それ故、そこから、manifeste:明瞭に、明らかに、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、caelestia:天的な、et:~と、および、spiritualia:霊的な、involvant;:包む、含む、quae:それらは、そのことらは、ita:ita~ut~、以下のように、そのように、remota:かけ離れた、無関係な、sunt:ある、a:~から、~により、sensu:意味、litterae:文字通りの意味、ut ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、apparere:現れること、見えること、possit:出来る、可能である、quod:こと、それ、そのこと、talia:このような、前述のような、sint;:ある、sicut sunt:このようにある、caelestia:天的な、et:~と、および、spiritualia:霊的な、omnia:凡ての、全体の、et:~と、および、singula;:別々の、個別の、exinde:それ故に、従って、quoque:~もまた、同じく、scire:知ること、知っていること、potest:出来る、可能である、homo:人間は、quam:何と、どんなに、vesanum:気の狂った、理性を失った、sit:ある、velle:欲すること、explorare:調べること、探索すること、illa:それらを、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、fidei:信仰の、per:~を通して、~によって、sensualia:感覚的な、感覚の、et:~と、および、scientifica,:事実に基づく、科学的な、et:また、そして、non:否、prius:prius quam、~より前に、~より後に、credere:信じること、quam sic:そのように、次のように、illa:それらを、capiat.:理解する、把握する、
 

647.これらの(数、長さ、幅、高さ)がこのようなことを意味することを、各々の者は奇妙なこと、また無関係なものに見えないことが出来ない(見えるだろう)。例えば、300、また50、また30の数が、実際に僅かな残りのものを意味すること、更に、「長さ、幅、および高さ」が、神聖さ、真理、および善を意味すること。しかし、この章の3節において数についてこれら以外に「120」が信仰の残りのものを意味することが上に言われ、また示された(ことから)、更に善の霊達と天使達のように内意の中に居る者達から各々の者は知られることが出来よう。彼らは現世のもの、形体的なもの、および全く世俗的なものの凡てのものを超えている。従って彼らは数と寸法の凡てのものを超えているが、またそれにもかかわらず主から彼らに聖言を十分に理解することが与えられる。実際、(彼らは)このような(数や寸法)に全く関係なく(聖言を理解する)。そしてこのことは真実なので、そこから(数や寸法に)天的なものと霊的なものを含むことが明瞭に知られることが出来よう。(聖言の内意は)このようなものがあることを彼(人間)は、決して見ることが出来ないほど文字通りの意味からはかけ離れたものである。天的なものと霊的なものの全体的なものも個別的なものもこのようにある。それ故に、人間は感覚的なものと科学的なものによって、信仰の(ものを)探索することを欲することは、またそれらをそのように(感覚と科学で)理解するより前に信じないことは、どんなにか理性を失ったことであるか知ることが出来よう。

ベトンを心に塗れ

「ベトン(瀝青)をその内側と外側に塗れ」によって、欲望の洪水からの保護が意味されることは、前に言われたことから知られよう。というのは、この教会の人間はその理解に関して、前以て改心されなければならなかったからである。それ故に、凡ての改心の働きを損なう欲望の氾濫から保護された。(天界の秘義645)
 
 
人間は主の保護がなければ欲望の洪水、即ち欲望の誘惑を受ける時たやすく屈します。
主は法律によって、また道徳によって、そして律法によって人間を悪の欲望の洪水から保護していますが、もし人間がこれらのものを放棄するなら、全く悪の欲望の洪水に飲まれてしまうでしょう。
しかし、法律と道徳によっては外的に守られるだけで、内的には守られません。主の律法を主と隣人に悪を為すことを恐れて守る者のみが内的にも守られます。このように主により悪の欲望の洪水から守られなければ、真理の理解は不可能です。なぜなら、どんな真理でも自分の欲望に都合よく解釈するからです。
聖書を遠い昔の物語として読むだけであるなら、聖書の恩恵をそれほど受けることは出来ませんが、今の自分自身の心に当てはめて読むなら多大な恩恵を受けることが出来ます。聖書のここの箇所も悪の欲望の洪水を防ぐ方法が語られており、人間が主の御言葉に従って心にベトンを塗るなら悪の洪水から守られます。即ち日常生活において心の隙間から、日々様々な悪い欲望や悪い考えが流入しており、もしそれを放置するなら、隙間が破れとなり悪の洪水に飲まれます。しかし、悪い欲望と悪い考えが流入したことを認めた時、即座に主に祈り悔い改めれば心の隙間はふさがれ、それ以上の悪の流入を防ぐことが出来ます。これがベトンを塗ることだと思います。

5-520~522意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-520~522意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

520.二十三、二十四節、「そして、エノクの凡ての日々は365年であった。そして、エノクは神と一緒に歩き、また神が彼を取ったので、その後、彼は居なくなった」。
「エノクの凡ての日々は365年であっただろうこと」は、小数の教義を意味し、「彼が神と一緒に歩いたこと」は、前のように信仰についての教義である。「神が彼を取られたので、この後、彼は居なくなったこと」は、神がその教義は子孫の用のために保持されたことを意味する。
 
 
521.「神が彼を取られたので、この後、彼は居なかった。」ことは、その教義は子孫の用のために保持されたことを意味する。従ってその教義はエノクと一緒に最古代教会の認識力を持ち、それらの事柄を言われたように、教義の中に入れた。このことはその時代に許されなかった。なぜなら、認識により知ることは、教義により学ぶことと比べて全く異なるものであるからである。認識の中に居る者達は形造られた教義の手段によって知ることでそれを知る必要はない。例えば、照らしの故に、正しく考えることを知っている者は、人為的なものにより考えることを学ぶ必要はない。もし、学ぶなら彼らの許で学者の労苦の中で当惑する者達の如く、彼の良く考えることの能力はそこから滅びたであろう。
認識により知る者達は、主により内なる道により善と真理が何かを知ることが与えられる。これに対して、教義により知る者達は、外なる道、即ち身体の感覚を通して知ることが与えられる。それらは光と闇の間の如き相違がある。これは天的な人間の認識が決して述べられることが出来ないことに似ている。なぜなら、彼らは状態と状況に従って、凡ゆる多様性と一緒に最も細かなものと最も個別的なものの中に居るからである。しかし、最古代教会の認識力は滅びるであろうことが予見されたので、また将来、学んだ教義によって真理と善が何かを知ることが予見されたので、即ち闇を通して光へ行くことが予見されたので、それ故に、ここに「神が彼を取った」こと、即ち子孫の用のために保持したことが言われている。
 
 
522.エノクと言われた者達の認識力がどのようなものかが提示され、私にもまた知ることが与えられた。それは何も区別されたものがなく全般的なもののある種の不明瞭なものであった。なぜならその時、心が考慮することを教義の事柄の中でその心の外に向けるからである。

6-644~645原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-644~645原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

644. Quod per 'mansiones' significentur binae partes hominis, quae sunt voluntatis et intellectus, constat ex illis quae dicta sunt, quod binae illae partes, voluntas et intellectus, sint inter se distinctissimae, et quod ideo, ut dictum, cerebrum humanum in binas partes, quae vocantur hemisphaeria, divisum sit; ad sinistrum ejus hemisphaerium pertinent intellectualia, ad dextrum voluntaria; haec communissima est distinctio. Praeterea tam voluntas quam intellectus in innumerabiles partes distinguuntur, nam tot divisiones intellectualium et tot voluntariorum hominis sunt ut nusquam quoad genera universalia, minus quoad species, exprimi aut enumerari possint: homo est sicut quoddam exiguissimum caelum, qui correspondet mundo spirituum et caelo, ubi omnia genera et omnes species intellectualium et voluntariorum, ex Domino, ita ordinatissime distincta sunt ut ne quidem omnium minimum sit quod non distinctum; de quibus, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus. In caelo divisiones illae appellantur societates, in Verbo 'habitacula,' a Domino 'mansiones,' Joh. xiv 2; hic autem 'mansiones' quia praedicantur de arca, per quam significantur homo Ecclesiae.
 

644. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'mansiones':住居、住まい、階、significentur:意味される、binae:二つの、partes:部、部分、hominis,:人間の、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis:意志、et:~と、および、intellectus,:理解、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、illis:これらから、quae:それらは、そのことらは、dicta sunt,:言われた、(完了)quod:こと、それ、そのこと、binae:二つの、illae:それらは、partes,:部、部分、voluntas:意志、et:~と、および、intellectus,:理解、sint:ある、inter se:相互の間で、相互に、distinctissimae,:最も区別された、最も分離された、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、ideo,:それ故に、そのために、ut:~のように、~として、dictum,:言われた、cerebrum:脳、humanum:人間の、人間的な、in:~の中へ、~へ、binas:二つの、partes,:部、部分、quae:それらは、そのことらは、vocantur:呼ばれる、hemisphaeria,:半球体、divisum sit;:分かたれた、分割された、(完了)ad:~について、~によって、sinistrum:左、左側、ejus:それの、彼の、hemisphaerium:半球体、pertinent:関係する、関わる、intellectualia,:理解の、ad:~について、~によって、dextrum:右、右側、voluntaria;:意志、haec:この、これは、communissima:最も全般的な、最も一般的な、est:ある、distinctio.:区別、分離、
Praeterea:更に、他に、tam:+quam、~と同様に、~も~も、voluntas:意志、quam intellectus:理解、in:~の中へ、~に、innumerabiles:無数の、数え切れない、partes:部、部分、distinguuntur,:区別される、nam:なぜなら、というのも、tot:このように多くの、これほど多くの、divisiones:分割、分配、区分、intellectualium:理解の、et:~と、および、tot voluntariorum:意志の、hominis:人間の、sunt:ある、ut nusquam:どこにもない、決して~ない、quoad:~に関して、~に関する限り、genera:種類、類型、型、universalia,:全般的な、一般的な、minus:なお更、まして、quoad:~に関して、~に関する限り、species,:外見、種、種類、exprimi:表現されること、描写されること、述べられること、aut:即ち、或いは、enumerari:列挙されること、数えられること、possint::出来る、可能である、homo:人間、est:ある、sicut:~の如く、~のように、言わば、例えば、丁度~のように、~と同様に、quoddam:ある種の、何らかの、exiguissimum:最小の、caelum,:天界、qui:その者、correspondet:相応する、一致する、mundo:(この)世、世界、spirituum:霊達の、et:~と、および、caelo,:天界に、ubi:そこで、その場所、omnia:凡ての、全体の、genera:種類、類型、型、et:~と、および、omnes:凡ての、全体の、species:外見、種、種類、intellectualium:理解の、et:~と、および、voluntariorum,:意志の、ex:~から、~により、Domino,:主から、ita:talis~ut~、~のような~、ordinatissime:最も秩序づけられた、最も配列された、distincta sunt:区別された、分離された、ut ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、omnium:凡ての、全体の、minimum:最小の、sit:ある、quod:こと、それ、そのこと、non:否、distinctum;:区別された、分離された、de:~について、quibus,:それらから、そのことらから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus.:次の、後に続く、
In:~の中、~において、caelo:天界から、divisiones:分割、分配、区分、illae:それらは、appellantur:呼ばれる、societates,:仲間関係、社会、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、'habitacula,':住みか、住まい、a:~から、~により、Domino:主から、'mansiones,':住居、住まい、階、Joh.:ヨハネ、xiv 2; hic:ここに、この場に、autem:しかし、これに反し、'mansiones':住居、住まい、階、quia:なぜなら、ので、praedicantur:言われる、語られる、de:~について、arca,:箱舟、per:~を通して、~によって、quam:それを、そのことを、significantur:意味される、homo:人間、Ecclesiae.:教会、
 

644.「住まい」によって人間の意志と理解の二つの部分が意味されることは、意志と理解の二つの部分は相互に最も区別されたものであることから、それ故にまた言われたように、人間の脳が半球体と言われる二つの部分に分割された(分割されている)ことから知られよう。その左の半球体については理解の(ものに)関係し、右の(半球体)については意志の(ものに関係し)、これは最も全般的な区別である。
更に、意志も理解も無数の部分に区別される。なぜなら、人間の(に)理解の多くの区分と意志の多くの区分があり、全般的な類型に関して、まして種類に関して述べられること、即ち数えられることは決して出来ないからである。丁度、人間は或る種の最小の天界のようにあって、霊達の世界と天界に相応する。そこでは、理解と意志の(ものの)凡ての類型と凡ての種類は、凡てのものの区別されていない最小のものが決してないように区別され最も秩序付けられたものである。これらのことについては主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。
天界においてそれらの区分は社会と呼ばれ、聖言においては「住みか」(と呼ばれ)、主により「住まい」と(呼ばれている)。ヨハネ、14.2、これに反し、ここの「住まい」は箱舟について言われているので、それによって教会の人間が意味される。
 

645. Quod per 'bituminare eam intus et extus bitumine' significetur conservatio a cupiditatum inundatione, constat ab illis quae prius dicta sunt: homo enim hujus Ecclesiae reformandus prius erat quoad ejus intellectualia; quare conservatus est ab inundatione cupiditatum, quae omne reformationis opus destruerent. In textu originali non quidem legitur quod bitumine bituminaretur; sed adhibetur vox quae denotat protectionem, derivata ab expiare aut propitiare, quare simile involvit; expiatio seu propitiatio Domini est protectio ab inundatione mali.
 

645. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'bituminare:ベトンを塗ること、eam:それを、intus:内部に、内面に、内側に、et:~と、および、extus:外部に、外面に、外側に、bitumine':ベトンを塗れ、(命令形?)significetur:意味される、conservatio:保護、保持、a:~から、~により、cupiditatum:欲望、inundatione,:洪水、氾濫、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、dicta sunt::言われた、homo:人間、enim:なぜならば、~というのは、hujus:この、これの、Ecclesiae:教会、reformandus:改心されるべき、prius:以前に、前に、:前以て、erat:あった、quoad:~に関して、~に関する限り、ejus:それの、彼の、intellectualia;:理解の、quare:それ故に、conservatus est:保護された、(三人称単数完了受動)ab:~から、~により、inundatione:洪水、氾濫、cupiditatum,:欲望、quae:それらは、そのことらは、omne:凡ての、全体の、reformationis:改心、opus:働き、行い、destruerent.:損なった、滅ぼした、
In:~の中、~において、textu:本文、原文、originali:原型の、もとの、non:否、quidem:確かに、少なくとも、legitur:読まれる、朗読される、quod:こと、それ、そのこと、bitumine:ベトンを塗れ、(命令形?)bituminaretur;:ベトンが塗られる、sed:しかし、adhibetur:利用される、適用される、vox:言葉、言語、quae:それらは、そのことらは、denotat:明示する、指し示す、protectionem,:保護、防御、derivata:導かれた、引き出された、ab:~から、~により、expiare:償うこと、贖うこと、aut:即ち、或いは、propitiare,:和解すること、なだめること、quare:それ故に、simile:同様な、等しい、involvit;:包んだ、含んだ、expiatio:贖罪、seu:即ち、或いは、propitiatio:慈悲、Domini:主の、est:ある、protectio:保護、防御、ab:~から、~により、inundatione:洪水、氾濫、mali.:悪の、
 

645.「ベトン(瀝青)をその内側と外側に塗れ」によって、欲望の洪水からの保護が意味されることは、前に言われたことから知られよう。というのは、この教会の人間はその理解に関して、前以て改心されなければならなかったからである。それ故に、凡ての改心の働きを損なう欲望の氾濫から保護された。
元の原文においては、確かにベトン(瀝青)を塗れ、ベトン(瀝青)が塗られることは読まれない(言われていない)。しかし、贖うこと、即ち宥めることから導かれた保護を指し示す言葉が使われている。それ故に、それ(ベトン)も同様な(意味を)含んだ(含んでいる)。主の贖罪、即ち慈悲は悪の洪水からの保護である。

5-518~519意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-518~519意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

518.二十二節、「そして、エノクはそのメトセラを産んだ後、300年神と一緒に歩いた。また息子達と娘達を産んだ。」
「神と一緒に歩くこと」は信仰についての教義を意味し、「彼が息子達と娘達を産んだこと」は真理と善についての教義を意味する。
 

519.その時代、最古代教会とその後に続く教会の認識力により、その認識力が規範として仕えたために、またそこから善と真理が何かが知られなければならないために教義を作った者達が居た。このような者達が「エノク」と呼ばれ、このことが「そして、彼は神と一緒に歩いた。」の言葉によって意味されている。更に、彼らはこのようにその教義を呼んだのであり、その教義もまた、エノクの名によって意味されたのである。このことが組み立てることである。これは「歩くこと」の言葉の意味から、またエホバと一緒ではなく、「神と一緒に」歩いたことが言われていることからもまた知られよう。「神と一緒に歩くこと」は信仰の教義に従って教えることと生きることであり、これに対して、「エホバと一緒に歩くこと」は愛の生命を生きることである。歩くことは、律法の内に歩くこと、法律の内に歩くこと、真理の内に歩くことの如く、生きることを意味している通常の決まり文句である。歩くことは、特に真理の道を目指す故に、それは信仰の真理、即ち信仰の教義である。」聖言において歩くことが何を意味するかは、続きの箇所で多少知られることが出来よう。
[2]ミカ書において、
「人間よ、彼はあなたに善が何かを、またエホバがあなたについて何を要求しているかを知らせた。それは正しい審判と慈悲の愛を行なうこと、またあなたの神と一緒に歩くことであなた自身を低くすることではないか?」6.8、ここで「神と一緒に歩くこと」もまた、知らされたことに従って生きることを意味する。しかしここでは「神と一緒に」と言われるが、しかし、エノクについては別の言葉が言われ、それもまた神と一緒にによりを意味する(注:エノクの名前の意味は信仰の教義、或いは信仰の異端であり、信仰の教義の場合は神と一緒に歩く、であるが、異端の場合は神と一緒に歩くのではない。399,518,519番)。言葉はこのように二通りに解釈できる。ダビデの書において、
「あなたは、...私の足を神の目の前で生きている者達の光の中で歩くために躓きから救った。」詩篇、56.13、ここで「神の目の前で歩くこと」は信仰の真理の中で歩くことであり、それは生きている者達の光である。同様に、イザヤ書において、
「暗闇の中を歩いている民は偉大な光を見る。」9.1、主はモーセの書において、
「私はあなた達の真ん中を歩くであろう。またあなた達にとって私は神になるであろう。そして私にとってあなた達は民になるであろう。」レビ、26.12、これは彼らが律法の教えに従って生きたことのために言われた。
[3]エレミヤ書において、
「彼らはそれらを太陽に、また月に、また諸天の群れに晒すであろう。彼らはそれらを愛し、またそれらに仕え、それらの後に歩き、またそれらを探し求めた。」8.2、ここでは愛のものと信仰のものとの間に明瞭に区別されている。「愛することと仕えること」は愛のものであり、「歩くことと捜し求めること」は信仰のものである。しかし、聖言において「エホバと一緒に歩くこと」、即ち「エホバの目の前で」は愛の生命を生きることを意味する。

6-643原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-643原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

643. Quod itaque ipsam significationem vocum attinet, ut quod 'ligna gopher' significent concupiscentias, et quod 'mansiones' utramque partem hominis, constare potest a Verbo: lignum gopher est lignum abundans sulphure, sicut abies et ejus generis plura; ex sulphure praedicatur quod significet concupiscentias, quia facile arripit ignem. Antiquissimi compararunt et assimilarunt illa quae sunt apud hominem, auro, argento, aeri, ferro, lapidi, ligno: caeleste ejus intimum 'auro,' caeleste inferius 'aeri,' et quod infimum seu corporeum inde 'ligno': at spirituale intimum compararunt et assimilarunt 'argento,' spirituale inferius 'ferro,' et infimum ejus 'lapidi'; quae cum nominantur in Verbo, per illa in sensu interno talia significantur, ut apud Esaiam,
Pro aere adducam aurum, et pro ferro adducam argentum, et pro lignis aes, et pro lapidibus ferrum; ponamque censum tuum pacem et exactores tuos justitiam, lx 17;
ibi agitur de regno Domini, ubi non talia metalla; sed sunt caelestia et spiritualia, quae quod significentur, etiam ex eo clare constat, quia de 'pace et justitia' dicitur; ibi 'aurum, aes et lignum' sibi correspondent, et significant caelestia, seu voluntaria, ut dictum; et 'argentum, ferrum et lapis' sibi correspondent, et significant spiritualia seu intellectualia: [2] apud Ezechielem,
Praedabuntur opes tuas, depraedabuntur merces tuas;... lapides tuos et ligna tua, xxvi 12;
quod per 'opes et merces' non significentur opes et merces mundanae, constat manifeste, sed caelestes et spirituales; ita quoque per lapides et ligna, ubi 'lapides' sunt illa quae sunt intellectus, et 'ligna' illa quae voluntatis: apud Habakkuk,
Lapis e pariete clamat, et trabs e ligno respondet,
ii 11;
'lapis' pro infimo intellectus, et 'lignum' pro infimo voluntatis, quod respondet cum aliquod depromitur ex scientifico sensuali: apud eundem,
Vae dicenti ligno, Expergiscere; et Suscitare, lapidi silenti, hic docebit; hic ecce fixus auro et argento, et nullus spiritus in medio ejus; at Jehovah in templo sanctitatis Suae, ii 19, [20];
hic quoque 'lignum' pro cupiditate, 'lapis' pro intellectuale infimo, quare de eo praedicatur 'silere et docere'; 'quod spiritus non in medio ejus' significat' quod nihil caeleste et spirituale repraesentet; sicut templum ubi lapis et lignum, et ea alligata auro et argento, apud eos qui nihil cogitant de illis quae repraesentant: [3] apud Jeremiam,
Aquas nostras pro argento bibimus, ligna nostra pro pretio veniunt, Thren. v {x}4;
ubi 'aquae et argentum' significant ea quae sunt intellectus, 'ligna' quae sunt voluntatis: apud eundem,
Dicentes ligno, Pater meus tu; et lapidi, Tu genuisti nos, [Jer.] ii 27;
ibi 'lignum' pro cupiditate quae voluntatis, ex qua conceptus, et 'lapis' pro scientifico sensuali, ex quo genitus. Inde apud Prophetas passim, 'servire ligno et lapidi' pro sculptilibus ex ligno et lapide, per quae significatur quod serviverint cupiditatibus et phantasiis; etiam 'moechari cum ligno et lapide,' ut Jer. iii 9: apud Hosheam,
Populus lignum suum interrogat, et baculus ejus indicat ei, quia spiritus scortationum seduxit, iv 12;
pro quod interroget sculptile ligneum, seu cupiditates: apud Esaiam,
Paratum ab heri tophet,... rogus ejus ignis et ligna multum, flatus Jehovae sicut flumen sulphuris ardentis, xxx 33;
hic 'ignis, sulphur et ligna' pro foedis cupiditatibus. [4] 'Lignum' in genere significat illa quae sunt infima voluntatis; 'ligna pretiosa,' ut cedrinum et similia, quae bona, sicut cedrina ligna in templo; et lignum cedrinum adhibitum in mundatione leprae, Lev. xiv 4, 6, 7, et lignum projectum in aquas amaras ad Marah, ex quo aquae dulces factae, Exod. xv 25; de quibus, ex Divina Domini Misericordia, in illis locis. 'Ligna vero non pretiosa' et quae facta in sculptilia, ut et ad rogum adhibita, et talia, significant cupiditates; sicut hic ligna gopher ex sulphure; ut apud Esaiam,
Dies ultionis Jehovae;... convertentur flumina ejus in picem, et pulvis ejus in sulphur, et erit terra ejus in picem ardentem, xxxiv [8,] 9;
'pix' pro diris phantasiis, 'sulphur' pro foedis cupiditatibus.
 

643. Quod:quod attinet,、 ~については、~に関しては、itaque:そして従って、またそのように、(=et ita) ipsam:そのもの、それ自身、significationem:意味、vocum:言葉、言語、attinet, ut:~のために、こと、~するように、quod:こと、それ、そのこと、'ligna:木材、材木、gopher':ゴフェル、significent:意味する、concupiscentias,:強い欲望、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、'mansiones':住居、住まい、階、utramque:両方に、両側に、partem:部、部分、hominis,:人間の、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、a:~から、~により、Verbo::聖言、御言葉、lignum:木材、木、gopher:ゴフェル、est:ある、lignum:木材、木、abundans:多い、富んでいる、sulphure,:硫黄、sicut:~の如く、~のように、abies:樅の木、et:~と、および、ejus:それの、彼の、generis:種類、plura;:より多くの、多数の、ex:~から、~により、sulphure:硫黄、praedicatur:言われる、quod:こと、それ、そのこと、significet:意味する、concupiscentias,:強い欲望、quia:なぜなら、ので、facile:容易に、たやすく、arripit:火が燃え付く、ignem.:火、激情、
Antiquissimi:最古代、compararunt:例えた、比較した、et:~と、および、assimilarunt:対比した、なぞらえた、illa:それらを、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、apud:~のもとに、~において、hominem,:人間を、auro,:金、argento,:銀、aeri,:銅、ferro,:鉄、lapidi,:石、ligno::木材、木、caeleste:天的な、ejus:それの、彼の、intimum:最内部の、最奥の、'auro,':金、caeleste:天的な、inferius:更に低い、更に下の、'aeri,':銅、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、infimum:最も下の、最下部、seu:即ち、或いは、corporeum:地的な、形体的な、inde:それ故、続いて、'ligno'::木材、木、at spirituale:霊的な、intimum:最内部の、最奥の、compararunt:例えた、比較した、et:~と、および、assimilarunt:対比した、なぞらえた、'argento,':銀、spirituale:霊的な、inferius:更に低い、更に下の、'ferro,':鉄、et:また、そして、infimum:最も下の、最下部、ejus:それの、彼の、'lapidi';:石、quae:それらは、そのことらは、cum:その時、その場合、nominantur:呼ばれる、in:~の中、~において、Verbo,:聖言、御言葉、per:~を通して、~によって、illa:それらを、in:~の中、~において、sensu interno:内意、talia:このような、次のような、significantur,:意味される、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Pro:~の代わりに、aere:銅から、adducam:ひき起こす、もたらす、(接続法一人称単数現在)aurum,:金を、et:また、そして、pro:~の代わりに、ferro:鉄から、adducam:ひき起こす、もたらす、(接続法一人称単数現在)argentum,:銀、et:また、そして、pro:~の代わりに、lignis:木材、材木、aes,:銅、et:また、そして、pro:~の代わりに、lapidibus:石、ferrum;:鉄を、ponamque:そして置く、また立てる、(接続法一人称単数現在ponam+que)censum:財産、収入、tuum:あなたの、pacem:平和、加護、静穏、et:~と、および、exactores:管理者、取立人、tuos:あなたの、justitiam,:正義、公正、lx 17; ibi:そこに、そこで、agitur:述べられる、取り扱われる、de:~について、regno:王国から、Domini,:主の、ubi:そこで、その場所、non:否、talia:このような、次のような、metalla;:金属、鉱物、sed:しかし、sunt:ある、caelestia:天的な、et:~と、および、spiritualia,:霊的な、quae:それらは、そのことらは、quod:こと、それ、そのこと、significentur,:意味される、etiam:~もまた、さらに、ex:~から、~により、eo:これから、clare:明らかに、明瞭に、constat,:知られる、明らかである、quia:なぜなら、ので、de:~について、'pace:平和、平安、et:~と、および、justitia':正義、公正、dicitur;:言われる、ibi:そこに、そこで、'aurum,:金、aes:銅、et:~と、および、lignum':木材、木、sibi:それ自身に、correspondent,:相応する、一致する、et:また、そして、significant:意味する、caelestia,:天的な、seu:即ち、或いは、voluntaria,:意志の、ut:~のように、~として、dictum;:言われた、et:また、そして、'argentum,:銀、ferrum:鉄、et:~と、および、lapis':石、sibi:それ自身に、correspondent,:相応する、一致する、et:また、そして、significant:意味する、spiritualia:霊的な、seu:即ち、或いは、intellectualia::理解の、
[2] apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
Praedabuntur:略奪される、(三人称複数未来受動)opes:財産、富、tuas,:あなたの、depraedabuntur:略奪される、奪われる、(三人称複数未来受動)merces:賃金、商品、tuas;:あなたの、... lapides:石、tuos:あなたの、et:~と、および、ligna:木材、材木、tua,:あなたの、xxvi 12; quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'opes:財産、富、et:~と、および、merces':賃金、商品、non:否、significentur:意味される、opes:財産、富、et:~と、および、merces:賃金、商品、mundanae,:世俗的な、この世の、constat:知られる、明らかである、manifeste,:明瞭に、明らかに、sed:しかし、caelestes:天的な、et:~と、および、spirituales;:霊的な、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、per:~を通して、~によって、lapides:石、et:~と、および、ligna,:木材、木、ubi:そこで、その場所、'lapides':石、sunt:ある、illa:それらは、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解、et:また、そして、'ligna':木材、木、illa:それらは、quae:それらは、そのことらは、voluntatis::意志、apud:~のもとに、~において、Habakkuk,:ハバクク、
Lapis:石、e:~から、~により、pariete:壁、内壁、clamat,:叫ぶ、呼ぶ、et:また、そして、trabs:梁(はり)、e:~から、~により、ligno:木材、木、respondet,:答える、ii 11; 'lapis':石、pro:~として、~のために、infimo:最も下の、最下部の、intellectus,:理解、et:また、そして、'lignum':木材、材木、pro:~として、~のために、infimo:最も下の、最下部の、voluntatis,:意志、quod:こと、それ、そのこと、respondet:答える、cum:その時、その場合、aliquod:何か、若干の、depromitur:表現する、表示する、表に出す、:取り出す、持ち出す、引き出す、ex:~から、~により、scientifico:科学的な、事実に基づく、sensuali::感覚的な、感覚の、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Vae:ああ悲しいかな、災いなるかな、dicenti:言っている、ligno,:木材、材木、Expergiscere;:目覚めよ、奮い立て、(命令形)et:また、そして、Suscitare,:築くこと、呼び起こすこと、lapidi:石、silenti,:黙っている、hic:この、これは、docebit;:教える、(三人称単数未来)hic:この、これは、ecce:ほら、見よ、fixus:固定された、結び付けられた、auro:金、et:~と、および、argento,:銀、et:また、そして、nullus:何も~ない、決して~でない、spiritus:霊、息、in:~の中、~において、medio:中間、真ん中、間、ejus;:それの、彼の、at:しかし、それに対して、Jehovah:エホバ、in:~の中、~において、templo:神殿、神域、sanctitatis:神聖さ、敬虔、Suae,:御自身、ii 19, [20]; hic:ここに、この場に、quoque:~もまた、同じく、'lignum':木材、木、pro:~として、~のために、cupiditate,:欲望、'lapis':石、pro:~として、~のために、intellectuale:理解の、infimo,:最も下の、最下部の、quare:それ故に、de:~について、eo:これから、praedicatur:属性付けられる、述べられる、'silere:黙ること、et:~と、および、docere';:教えること、'quod:こと、それ、そのこと、spiritus:霊、息、non:否、in:~の中、~において、medio:中間、真ん中、間、ejus':それの、彼の、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、nihil:無、何も~ない、caeleste:天的な、et:~と、および、spirituale:霊的な、repraesentet;:象徴する、表象する、sicut:~の如く、丁度~のように、templum:神殿、神域、ubi:そこで、その場所、lapis:石、et:~と、および、lignum,:木材、木、et:また、そして、ea:それらは、alligata:付けられた、付着された、auro:金、et:~と、および、argento,:銀、apud:~のもとに、~において、eos:彼らを、qui:その者達、nihil:無、何も~ない、cogitant:考える、de:~について、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、repraesentant::象徴する、表象する、
[3] apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Aquas:諸々の水、nostras:私達の、pro:~として、~によって、argento:銀、銀貨、bibimus,:飲んだ、(一人称複数完了)ligna:木材、木、nostra:私達の、pro:~として、~によって、pretio:代価、代償、veniunt,:来た、生じた、Thren.:哀歌、v {x}4; ubi:そこで、その場所、'aquae:諸々の水、et:~と、および、argentum':銀、銀貨、significant:意味する、ea:それらは、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解、'ligna':木材、木、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis::意志、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Dicentes:言っている、ligno,:木材、木、Pater:父なる神、meus:私の、tu;:あなたは、et:また、そして、lapidi,:石、Tu:あなたは、genuisti:産んだ、(二人称単数完了)nos,:私を、[Jer.]:エレミヤ、ii 27; ibi:そこに、そこで、'lignum':木材、木、pro:~として、~のために、cupiditate:欲望、quae:それらは、そのことらは、voluntatis,:意志、ex:~から、~により、qua:それから、そのことから、conceptus, :妊娠する、はらむ、知覚する、考える、(心に)いだく、思いつく、 :取り入れる、受ける、吸い込む、(火が)つく、ことばに表わす、表現する、et:また、そして、'lapis':石、pro:~として、~のために、scientifico:科学的な、事実に基づく、sensuali,:感覚的な、感覚の、ex:~から、~により、quo:それから、そのことから、genitus.:生殖、出産、
Inde:それ故、そこから、apud:~のもとに、~において、Prophetas:預言者達、passim,:至る所で、しばしば、'servire:仕えること、服従すること、ligno:木材、木、et:~と、および、lapidi':石、pro:~として、~のために、sculptilibus:彫像、偶像、ex:~から、~により、ligno:木材、木、et:~と、および、lapide,:石、per:~を通して、~によって、quae:それらは、そのことらは、significatur:意味される、quod:こと、それ、そのこと、serviverint:仕える、服従する、cupiditatibus:欲望、et:~と、および、phantasiis;:空想、幻想、etiam:~もまた、さらに、'moechari:姦淫すること、cum:~と一緒に、~と、ligno:木材、木、et:~と、および、lapide,':石、ut:~のように、例えば、Jer.:エレミヤ、iii 9: apud:~のもとに、~において、Hosheam,:ホセア、
Populus:人々、民、lignum:木材、木、suum:自分自身を、それ自身を、interrogat,:尋ねる、相談する、et:また、そして、baculus:杖、棒、ejus:それの、彼の、indicat:知らせる、告知する、ei,:彼に、quia:なぜなら、ので、spiritus:霊、scortationum:淫行、seduxit,:惑わした、誘惑した、iv 12; pro:~として、~の前で、quod:こと、それ、そのこと、interroget:尋ねる、相談する、sculptile:彫像、偶像、ligneum,:木材、木、seu:即ち、或いは、cupiditates::諸々の欲望、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Paratum:用意のできた、準備された、ab:~から、~により、heri:昨日、tophet,:トペテ、(ベンヒンノムの谷にある高所の焼き場)... rogus:火葬用の薪の山、ejus:それの、彼の、ignis:火、炎、et:~と、および、ligna:木材、木、multum,:多量の、多くの、flatus:息、呼吸、吹くこと、Jehovae:エホバ、sicut:~の如く、~のように、flumen:川、sulphuris:硫黄、ardentis,:燃える(ような)、燃えて熱い、xxx 33; hic:ここに、この場に、'ignis,:火、炎、sulphur:硫黄、et:~と、および、ligna':木材、木、pro:~として、~のために、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus.:欲望、
[4] 'Lignum':木材、木、in genere:一般的に、significat:意味する、illa:それらは、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、infima:最も下の、最下部の、voluntatis;:意志、'ligna:木材、木、pretiosa,':高価な、貴重な、価値のある、ut:~のように、~として、cedrinum:杉の、et:~と、および、similia,:同様な、等しい、quae:それらは、そのことらは、bona,:諸々の善は、sicut:例えば、~のように、cedrina:杉の、ligna:木材、木、in:~の中、~において、templo;:神殿、et:また、そして、lignum:木材、木、cedrinum:杉の、adhibitum:利用された、適用された、in:~の中、~において、mundatione:清め、浄化、leprae,:らい病、Lev.:レビ、xiv 4, 6, 7, et:また、そして、lignum:木材、木、projectum:投げ込まれた、in:~の中へ、~へ、aquas:諸々の水、amaras:苦い(味)、ad:近くに、~において、Marah,:マラ、ex:~から、~により、quo:それから、そのことから、aquae:諸々の水、dulces:甘い、うまい、factae,:為された、行われた、Exod.:出埃及記、xv 25; de:~について、quibus,:それらから、そのことらから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、illis:それらから、locis.:くだり、箇所、
'Ligna:木材、木、vero:とは言え、しかし、non:否、pretiosa':高価な、貴重な、価値のある、et:また、そして、quae:それらは、そのことらは、facta:為された、行われた、in:~に、~として、sculptilia,:彫像、偶像、ut et:そのようにまた、ad rogum:火葬用の薪の山、adhibita,:利用された、適用された、et:また、そして、talia,:このような、次のような、significant:意味する、cupiditates;:諸々の欲望、sicut:~の如く、~のように、言わば、例えば、丁度~のように、~と同様に、hic:ここに、この場に、ligna:木材、木、gopher:ゴフェル、ex:~から、~により、sulphure;:硫黄、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Dies:日、ultionis:復讐、報復、Jehovae;:エホバ、... convertentur:回心された、変えられた、flumina:川、ejus:それの、彼の、in:~の中へ、~へ、picem,:松脂、瀝青、et:また、そして、pulvis:塵、埃、ejus:それの、彼の、in:~の中へ、~へ、sulphur,:硫黄、et:また、そして、erit:あろう、(三人称単数未来)terra:地上、地、ejus:それの、彼の、in:~の中へ、~へ、picem:松脂、瀝青、ardentem,:燃える(ような)、燃えて熱い、xxxiv [8,] 9; 'pix':松脂、瀝青、pro:~として、~のために、diris:恐ろしい、恐るべき、phantasiis,:諸々の空想、諸々の幻想、'sulphur':硫黄、pro:~として、~のために、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus.:諸々の欲望、
 

643.そしてそのように、言葉の意味そのものについては、「ゴフェルの木材」は強欲を意味し、また「住まい」が人間の(意志と理解の)両方の部分を(意味する)ことは、聖言から知られることが出来よう。ゴフェルの木材は樅の木とその多くの種類の如く硫黄の多い木材であり、(その)硫黄により容易に火が燃え付くので強欲を意味することが言われる。
最古代人達は人間の許にあるものを金、銀、銅、鉄、石、木材に例え、またなぞらえた。彼(人間)の天的な最内部のものを「金」に、(それ)より低い天的なものを「銅」に、また最も低いもの、即ち形体的なものを続いて「木材」に(例えた)。これに対して、霊的な最内部のものを「銀」に、(それ)より低い霊的なものを「鉄」に、またその最下部のものを「石」に例えた。これらのものが聖言の中で呼ばれる時、それらによって内意の中でこのようなものが意味される。例えばイザヤ(書)において、
「私は銅の代わりに金をもたらし、また鉄の代わりに銀をもたらし、また木材の代わりに銅をもたらし、また石の代わりに鉄をもたらそう。また私はあなたの財産を平安に置き、またあなたの取立人達を公正に立てよう。」60.17、ここでは主の王国について述べられており、ここでこのような金属が(述べられているのでは)ない。しかし、天的なものと霊的なものが意味されていることは、「平安と公正」について言われているので明瞭に知られよう。ここの「金、銅、および木材」はそれ(平安)に相応し、また言われたように天的なもの、即ち意志のものを意味する。また「銀、鉄、および石」はそれ(公正)に相応し、また霊的なもの、即ち理解のものを意味する。
[2]エゼキエル(書)において、
「あなたの財産は略奪され、あなたの商品は奪われ、...あなたの石とあなたの木材は(奪われるであろう)。」26.12、(ここの)「財産と商品」によって世俗的な財産と商品が意味されず、天的な(財産と商品)、および霊的な(財産と商品が意味される)ことは明瞭に知られよう。従って石と木材によってもまた(この世の石と木材は意味されない)。ここの「石」は理解であり、また「木材」は意志である。ハバクク(書)において、
「石は壁から叫び、また梁は木材から答える。」2.11、(ここで)「石」は理解の最下部のものとして、また「木材」は意志の最下部のものとして(記述されている)。感覚的な科学的なものから何かを引き出す時、これが答える。同(書)において、
「災いなるかな、木材に目覚めよと言っている者、また(木材を)呼び起こすことを(言っている者)、黙っている石に、これが教えるであろう(と言っている者)、見よ、それは金と銀で固定され(金と銀をかぶせられ)、またその中に何も霊(息)がない。しかしエホバは御自身の神聖な神殿の中に(居られる)。」2.19,20、ここの「木材」もまた欲望として、「石」は理解の最下部のものとして(記述されている)。それ故に、これについて「黙ることと教えること」が述べられている。「その中に霊(息)がないこと」は、丁度、神殿の石と木材が、また金と銀を付着されたそれらが表象することについて、何も考えない者達の許の(神殿の)ように天的なものと霊的なものを何も表象しないことを意味する。
[3]エレミヤ(書)において、
「私達は銀貨によって私達の水を飲み、私達の木材(薪)を代価によって生じた(得た)。」哀歌.4、ここで「水と銀貨」は理解の(ものを)意味し、「木材(薪)」は意志の(ものを意味する)。同(書)において、
「木にあなたは私の父なる神(であり)、また石にあなたは私を産んだと言っている。」エレミヤ、2.27、ここで「木」は意志の欲望として(記述されており)、それにより妊娠(があり)、また「石」は感覚的な科学的なものを(意味し)、それにより出産(がある)。
それ故、預言者達の許に木材と石からの偶像としての「木と石に仕えること」が、至る所で(言われている)。これらのものによって欲望と幻想に仕えることが意味される。更に、エレミヤ、3.9、のように「木、および石と姦淫すること」(が言われている)。ホセア(書)において、
「民はその木に相談し、またその棒が彼(民)に知らせる。なぜなら、淫行の霊が惑わしたからである。」4.12、木の偶像の前で相談することは、即ち諸々の欲望(に相談することである)。イザヤ(書)において、
「トペテ(の焼き場)は昨日から用意され、...その火葬用の薪の山は多量の火と木材(である)。エホバの息が硫黄の燃えるような川の如く(ある)。」30.33、ここの「硫黄の火と木材」は不潔な欲望として(記述されている)。
[4]「木材」は一般的に意志の最下部のものを意味し、杉、および杉と同様な「高価な木」は、諸々の善を(意味する)。例えば神殿の中の杉材、またライ病の清めに利用された杉の木、レビ、14.4,6,7、またマラにおいて苦い水に投げ込まれた木、それにより水が甘くされた。出埃及記、15.25、これらについては、主の神的な慈悲によりそれらの箇所において(述べよう)。
「しかし、高価でない木」、また彫像に為された(木)、そのようにまた、火葬用の薪に利用された木は、諸々の欲望を意味する。ここのゴフェルの木材も硫黄により同様に(意味される)。例えば、イザヤ(書)において、
「エホバの報復の日、...その川は瀝青に、またその塵は硫黄に変えられるであろう。またその地は瀝青の燃えるようなもがあるであろう。」34.9、「瀝青」は恐るべき諸々の幻想として、「硫黄」は不潔な諸々の欲望として(記述されている)。

5-513~517意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-513~517意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

513.十八節、「そして、ヤレドは162年生きた。そしてエノクを産んだ。」
「ヤレド」によって言われたように第六の教会が意味され、「エノク」によって第七の教会が意味される。
 

514.ヤレドと言われた教会については何も述べられていないが、しかしどのような教会であったかは、先行する「マハラレル」の教会から、また続く箇所の「エノク」の教会から知られることが出来よう。ヤレドの教会はマハラレルの教会とエノクの教会の中間にある。
 

515.十九、二十節、「そして、ヤレドはそのエノクを産んだ後、800年生きた。また息子達と娘達を産んだ。そして、ヤレドの凡ての日々は962年であった。そして彼は死んだ。」
これらの節もまた前の節と同様にこれらの言葉を持ち、なお加えて、これらの言葉については前に述べられた。
彼らの年齢がこれほど多くなかっただろうことは、例えばヤレドは962歳、またメトセラは969歳であった。更に、主の神的な慈悲により次の章の3節に、そこで「彼らの日々は120年であろう」と言われることから誰でもまた知られることが出来よう。それ故に、年の数字は人間の誰かの命の年齢を意味しないが、しかし教会の時代と状態を意味する。
 

516.二十一節、「そして、エノクは65年生きた。そしてメトセラを産んだ。」
「エノク」によって、言われたように第七の教会が意味され、また「メトセラ」によって第八の教会が意味される。
 

517.「エノク」の教会がどのようなものであったかが、直ぐ後に続く箇所で述べられる。

6-641~642原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-641~642原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

641. Quia hic homo Ecclesiae reformandus esset quoad illam partem hominis quae intellectus vocatur, prius quam reformari posset quoad alteram quae voluntas appellatur, hic describitur quomodo illa quae sunt voluntatis separata sint ab illis quae sunt intellectus, et quasi contecta et reservata, ne quicquam eam tangeret; nam si excitarentur ea quae voluntatis, hoc est, quae cupiditatis essent, periisset; ut, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus constabit. Binae illae partes, intellectus et voluntas, ita distinctae sunt apud hominem ut nihil distinctius, quod mihi manifeste scire datum, etiam per id quod intellectualia spirituum et angelorum influant in sinistram partem capitis seu cerebri, at voluntaria in dextram, similiter quoad faciem; cum angelici spiritus influunt, tunc molliter sicut lenissimae aurae influunt; at cum spiritus mali, tunc est quasi inundatio, in sinistram cerebri partem cum phantasiis et persuasionibus diris, in dextram cum cupiditatibus; influxus eorum est quasi inundatio phantasiarum et cupiditatum.
 

641. Quia:なぜなら、ので、hic:ここに、この場に、homo:人間、Ecclesiae:教会、reformandus:改心されるべき、esset:あった、quoad:~に関して、~に関する限り、illam:それを、partem:部、部分、hominis:人間の、quae:それらは、そのことらは、intellectus:理解、vocatur,:呼ばれる、prius quam:~より前に、~より後に、reformari:改心すること、posset:出来た、可能であった、quoad:~に関して、~に関する限り、alteram:他の方の、もう一つの、quae:それらは、そのことらは、voluntas:意志、appellatur,:呼ばれる、hic:ここに、この場に、describitur:記述される、述べられる、quomodo:どのように、どうして、illa:それは、quae:それは、そのことは、sunt:ある、voluntatis:意志、separata:分離された、分けられた、sint:ある、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解、et:また、そして、quasi:~のように、~との理由で、contecta:保護された、隠された、et:また、そして、reservata,:保持された、保管された、ne:~しないように、否、quicquam:誰でも、誰であろうと、eam:それを、tangeret;:触れる、触る、nam:なぜなら、というのも、si:もし~なら、たとえ~でも、excitarentur:燃え立たされた、呼び起こされた、ea:それは、quae:それは、そのことは、voluntatis,:意志、hoc est,:即ち、quae:それらは、そのことらは、cupiditatis:欲望、essent,:あった、periisset;:死んだ、滅びた、ut,:願わくば、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus:次の、後に続く、constabit.:知られる、明らかである、(三人称単数未来)
Binae:二つの、illae:それらは、partes,:部、部分、intellectus:理解、et:~と、および、voluntas,:意志、ita:talis~ut~、~のような~、distinctae:区別された、分離された、sunt:ある、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、ut nihil:無、何も~ない、distinctius,:より区別された、より分離された、quod:こと、それ、そのこと、mihi:私に、manifeste:明瞭に、明らかに、scire:知ること、datum,:与えられた、etiam:~もまた、さらに、per:~を通して、~によって、id:それを、quod:こと、それ、そのこと、intellectualia:理解の、spirituum:霊達の、et:~と、および、angelorum:天使達の、influant:流れ込む、流入する、in:~の中へ、~へ、sinistram:左、左側、partem:部、部分、capitis:頭、seu:即ち、或いは、cerebri,:脳、at:しかし、それに対して、voluntaria:意志の、in:~の中へ、~へ、dextram,:右、右側、similiter:同様に、似ている、quoad:~に関して、~に関する限り、faciem;:顔を、cum:その時、その場合、angelici:天使的な、spiritus:霊達が、influunt,:流れ込む、流入する、tunc:その時、やがて、molliter:静かに、穏やかに、sicut:~の如く、丁度~のように、lenissimae:最も穏やかな、aurae:風、微風、influunt;:流れ込む、流入する、at:しかし、それに対して、cum:その時、その場合、spiritus:霊達、mali,:悪の、tunc:その時、やがて、est:ある、quasi:~のように、~と同様に、inundatio,:洪水、氾濫、in:~の中へ、~へ、sinistram:左、左側、cerebri:脳、partem:部、部分、cum:~と一緒に、~と、phantasiis:諸々の空想、諸々の幻想、et:~と、および、persuasionibus:諸々の確信、諸々の信念、diris,:恐ろしい、恐るべき、in:~の中へ、~へ、dextram:右、右側、cum:~と一緒に、~と、cupiditatibus;:諸々の欲望、influxus:流れ込まれた、流入された、eorum:それらの、彼らの、est:ある、quasi:~のように、~と同様に、inundatio:洪水、氾濫、phantasiarum:諸々の空想、諸々の幻想、et:~と、および、cupiditatum.:諸々の欲望、
 

641.この教会の人間は、意志と呼ばれる(部分に)関して改心することが出来る前に、理解と呼ばれる部分に関して改心されなければならなかったので、ここでどうして意志の(ものが)理解の(もの)から分離されたか、また誰もその(分離された意志に)触れないように隠され、また保管されたかが記述されている。なぜならもし、その意志、即ちその欲望が呼び起こされたなら、彼(人間)は滅びたからである。願わくば、主の神的な慈悲により後に続く(箇所)においてそれが知られる(ように)。
理解と意志の二つの部分は、(それ以上)区別されたものが何もないように(ほど)、区別されたものであることが、私に明瞭に知ることが与えられた。更に、霊達と天使達の理解の(ものは)頭、即ち脳の左側に流入し、これに対して意志の(ものは)右側に(流入する)ことによって、同様に顔に関して(流入することによって知ることが与えられた)。天的な霊達が流入する場合は、その時、静かに最も穏やかな微風のように流れ込む。これに対して、悪の霊達が(流入する)場合は、その時、洪水のように左側の脳へ諸々の幻想と恐るべき諸々の信念と一緒に(流れ込み)、右側の(脳)へ諸々の欲望と一緒に(流れ込む)。それらの流入されたものは諸々の幻想と諸々の欲望の洪水のようである。
 

642. Ex his constare potest quid involvit prima haec arcae descriptio quod constructa sit ex 'lignis gopher,' quid 'mansiones,' tum quod 'bitumine foris et intus bituminaretur'; nempe quod altera illa pars quae voluntatis, conservaretur ab {x}inundatione; et solam aperiretur illa pars quae est intellectus, quae describitur, vers. 16, per 'fenestram, januam, infimas, secundanas et tertianas.' Haec forte incredibilia sunt quia in nullus ideam adhuc venerunt, et quia non talem conceptum habuerunt de Verbo Domini, usque tamen verissima sunt: sed haec minima et communissima arcana sunt, quae homo nescit; si ei singularia dicerentur ne quidem unum caperet.
 

642. Ex:~から、~により、his:これらから、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quid:何か?、どんな?、involvit:包んだ、含んだ、prima:第一の、最初の、haec:この、これは、arcae:箱舟、descriptio:記述、叙述、quod:こと、それ、そのこと、constructa sit:組み立てられた、ex:~から、~により、'lignis:木材、材木、gopher,':ゴフェル、quid:何か?、どんな?、'mansiones,':住居、住まい、階、tum:その上、さらに、quod:こと、それ、そのこと、'bitumine:瀝青、ベトン、foris:外に、外側に、et:~と、および、intus:内部に、内面に、内側に、bituminaretur';:ベトンが塗られた、nempe:正確には、即ち、quod:こと、それ、そのこと、altera:第二の、もう一つの、illa:それは、pars:部、部分、quae:それは、そのことは、voluntatis,:意志、conservaretur:保持された、保護された、ab:~から、~により、{x}inundatione;:洪水、氾濫、et:また、そして、solam:だけ、のみ、aperiretur:開かれた、illa:それは、pars:部、部分、quae:それらは、そのことらは、est:ある、intellectus,:理解、quae:それらは、そのことらは、describitur,:述べられる、記述される、vers.:節、16, per:~を通して、~によって、'fenestram,:窓、januam,:戸、扉、infimas,:最も下の、最下部、secundanas:第二階、et:~と、および、tertianas.':三階、
Haec:これらは、forte:おそらく、ことによると、incredibilia:信じられない、信じがたい、sunt:ある、quia:なぜなら、ので、in:~の中、~において、nullus:何も~ない、決して~でない、ideam:同じ、同様のもの、adhuc:今まで、今なお、今でも、venerunt,:現れる、取り上げられる、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、non:否、talem:このような、次のような、conceptum:思いつき、着想、habuerunt:持った、所有した、de:~について、Verbo:聖言、御言葉、Domini,:主の、usque:それでもなお、やはり、tamen:しかし、それにもかかわらず、verissima:最も真実の、sunt::ある、sed:しかし、haec:これらは、minima:最小の、et:また、そして、communissima:最も全般的に、最も一般的な、arcana:秘義、奥義、sunt,:ある、quae:それらは、そのことらは、homo:人間、nescit;:知らない、気付かない、si:もし~なら、たとえ~でも、ei:彼に、singularia:個々の、別々の、dicerentur:言われた、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、unum:1、caperet.:理解した、認めた、
 

642.これらから、箱舟のこの最初の記述(である)「ゴフェルの木材」により造られたことが何か、「住まい」が何か、更に「外側と内側がベトン(瀝青)で塗られた」ことが何を含んだ(含んでいる)か知られることが出来よう。即ち、(それは)そのもう一つの部分の意志が(欲望の)洪水から保護されたこと(である)。またその理解の部分だけが開かれた(ことが)「窓」「戸」「一階、二階、および三階」によって記述されている。16節、
これらのことは恐らく信じられないことである。なぜなら、今まで同様なものは決して取り上げられなかったからであり、また主の聖言についてこのような着想はなかったからである。しかしそれでもなお、これらのことは最も真実なことである。しかし、これらのことは最小の、また最も全般的な秘義である(が)、人間は知らない。もし、彼(人間)に個々の(秘義が)言われたなら、(その)一つでさえ決して理解しないであろう。

5-510~512意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-510~512意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

510.十五節、「また、マハラレルは65年生きた。そしてヤレドを産んだ。」
「マハラレル」によって、言われたように第五の教会が意味され、「ヤレド」によって第六の教会が意味される。
 

511.教会の認識力が衰え、また認識力がより個々のもの、即ちより区別されたものから、益々全般的なもの、即ち不明瞭なものに為されたので、従って彼らの愛の生命、即ち彼らの用の生命もまた衰えた。なぜなら、愛の生命、即ち用の生命が、生命を持つほど認識力を持つからである。善から真理を知ることは天的な認識である。これに対し、「マハラレル」と言われた教会を構成した者達の生命は、実のところ用からの楽しいものに対し、真理からの楽しみを優先するような者達であった。このことは他生における彼らと一緒の、同様な者達に関しての観察によって知ることがもたらされた。
 

512.十六、十七節、「そして、マハラレルはそのヤレドを産んだ後、830年生きた。また息子達と娘達を産んだ。そして、マハラレルの凡ての日々は895年であった。そして彼は死んだ。」
これらの節は前の節と、それらの言葉を同様に持ち、なお加えて、前に述べられたことと同様な意味である。

6-640原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-640原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

640. Quod per 'ligna gopher' significentur concupiscentiae et per 'mansiones' binae partes ejus hominis, quae sunt voluntati et intellectus, nemo adhuc novit: nec quomodo illa significantur, scire quisquam potest, nisi prius dicatur quomodo se res habuit cum illa Ecclesia. Antiquissima Ecclesia, ut saepius dictum, ex amore novit quicquid esset fidei, seu quod idem est, ex voluntate boni habuit intellectum veri; sed posteri eorum ex hereditario quoque traxerunt, quod dominarentur apud eos cupiditates quae sunt voluntatis, quibus etiam immerserunt doctrinalia fidei, inde Nephilim facti: cum itaque Dominus praevidit, si homo in tali natura maneret, quod in aeternum periret, ideo provisum a Domino ut voluntarium separaretur ab intellectuali, et formaretur homo, non ut prius, per voluntatem boni, sed per intellectum veri donaretur ei charitas, quae quasi voluntas boni apparet. Haec nova Ecclesia, quae 'Noahus' vocatur, talis facta est, et sic fuit ex prorsus alia indole quam Ecclesia Antiquissima. Praeter hanc Ecclesiam etiam aliae fuerunt tunc temporis, ut illa quae Enosh dicta, de qua prius ad cap. iv 25, 26; tum etiam, quarum non talis mentio et descriptio exstat: hic modo describitur Ecclesia Noah, quia alia et prorsus diversa indole fuit ab Antiquissima.
 

640. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'ligna:木材、材木、gopher':ゴフェル、significentur:意味される、concupiscentiae:諸々の強い欲望、et:また、そして、per:~を通して、~によって、'mansiones':住居、住まい、階、binae:二つの、partes:部、部分、ejus:それの、彼の、hominis,:人間の、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntati:意志、et:~と、および、intellectus,:理解、nemo:誰も~ない、adhuc:今まで、今なお、novit::知る、気付いた、nec:否、quomodo:どのように、どうして、illa:これらが、significantur,:意味される、scire:知ること、知っていること、quisquam:誰も、誰か?potest,:出来る、可能である、nisi:~以外、もし~でなければ、prius:前以て、更に早くに、dicatur:言われる、quomodo:どのように、どうして、se:それ自身を、res:事柄、物事、habuit:持った、所有した、cum:~と一緒に、~と、illa:それから、Ecclesia.:教会、
Antiquissima:最古代、Ecclesia,:教会、ut:~のように、~として、saepius:しばしば、dictum,:言われた、ex:~から、~により、amore:愛から、novit:知る、気付いた、quicquid:何でも、何であろうと、esset:あった、fidei,:信仰の、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、idem:同じ、同様のもの、est,:ある、ex:~から、~により、voluntate:意志、boni:善の、habuit:持った、所有した、intellectum:理解、veri;:真理の、sed:しかし、posteri:子孫、末裔、eorum:それらの、彼らの、ex:~から、~により、hereditario:遺伝、quoque:~もまた、同じく、traxerunt,:得た、引き出した、quod:こと、それ、そのこと、dominarentur:支配した、apud:~のもとに、~において、eos:彼らを、cupiditates:諸々の欲望、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis,:意志、quibus:それらに、そのことらに、etiam:~もまた、さらに、immerserunt:浸した、沈めた、doctrinalia:教義、(の事柄) fidei,:信仰の、inde:それ故、そこから、Nephilim:ネフィリムfacti::為された、行われた、cum:その時、その場合、itaque:従って、それ故に、(=et ita)Dominus:主は、praevidit,:前もって見た、予見した、si:もし~なら、たとえ~でも、homo:人間、in:~の中、~において、tali:このような、次のような、natura:性質、性格、maneret,:留まった、残った、quod:こと、それ、そのこと、in:~の中へ、~へ、aeternum:永遠、periret,:死んだ、滅びた、ideo:それ故に、そのために、provisum:備えられた、予見された、a:~から、~により、Domino:主から、ut:~のために、こと、~するように、voluntarium:意志の、separaretur:分離された、分けられた、ab:~から、~により、intellectuali,:理解、et:また、そして、formaretur:形成された、形作られた、homo,:人間、non:否、ut:~のように、~として、prius,:以前に、前に、per:~を通して、~によって、voluntatem:意志、boni,:善の、sed:しかし、per:~を通して、~によって、intellectum:理解、veri:真理の、donaretur:与えられた、授けられた、ei:彼に、charitas,:仁愛、愛情、quae:それらは、そのことらは、quasi:~のように、~と同様に、voluntas:意志、boni:善の、apparet.:現れる、見える、
Haec:この、これは、nova:新しい、Ecclesia,:教会、quae:それらは、そのことらは、'Noahus':ノア、vocatur,:呼ばれる、talis:このような、次のような、facta est,:為された、行われた、et:また、そして、sic:そのように、こうして、fuit:あった、ex:~から、~で、prorsus:全く、完全に、alia:他のもの、異なった、indole:性質、生来の性格、quam:~よりも、~と比べて、Ecclesia:教会、Antiquissima.:最古代、
Praeter:他に、以外に、hanc:この、これを、Ecclesiam:教会、etiam:~もまた、さらに、aliae:他のもの、別のもの、fuerunt:あった、tunc:その時、その当時、temporis,:時代、時、ut:~のように、例えば、illa:それは、quae:それは、そのことは、Enosh:エノス、dicta,:言われた、de:~について、qua:それから、そのことから、prius:以前に、前に、ad:~へ、~において、cap.:章、iv 25, 26; tum:その上、さらに、etiam,:~もまた、さらに、quarum:それらの、そのことらの、non:否、talis:このような、次のような、mentio:言及、陳述、et:~と、および、descriptio:記述、叙述、exstat::公表する、示す、hic:ここに、この場に、modo:だけ、単に、describitur:記述される、述べられる、Ecclesia:教会、Noah,:ノア、quia:なぜなら、ので、alia:別のもの、異なった、et:~と、および、prorsus:全く、完全に、diversa:反対の、異なった、indole:性質、生来の性格、fuit:あった、ab:~から、~に対して、Antiquissima.:最古代、
 

640.「ゴフェルの木材」によって諸々の強欲が意味され、また「住まい」によってその人間の意志と理解の二つの部分が(意味される)ことは、今まで誰も知らなかった。もし、その教会と一緒にその事柄を(その教会が)どのように持ったかが、前以て言われなければ、これらのものがどのように意味されるか誰も知ることが出来ない。
しばしば言われたように、最古代教会は信仰のことは何であろうと愛から知った。即ち同じことであるが、善の意志から真理の理解を持った。しかし、彼らの子孫は遺伝により意志の諸々の欲望もまた得て、更にそれらに信仰の教義の事柄を沈めた。それ故、(彼らは)ネフィリムに為された。それ故にその時、主は、もし人間がこのような性質に留まったなら、彼(人間)は永遠に滅んだであろうことを予見された。それ故に、主により理解から意志のものが分離されるように備えられた。また以前のように善の意志によってではなく真理の理解によって彼(人間)に善の意志が現れるように仁愛が与えられるように人間が形作られた(造り直された)。
「ノア」と呼ばれるこの教会はこのようなものに為され、またそのように最古代教会と比べて全く異なった性質であった。
その当時の時代、この教会以外に他の(教会)もまたあった。例えばそれは、前の(第)四章、25節においてエノスと言われた。更にその上、それらの(教会の)そのような言及と記述は公表していない(が)、ここに、ノアの教会だけが記述されている。なぜなら、最古代(教会)に対して別の全く異なった性質であったからである。

5-506~509意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-506~509意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

506.十二節、「そして、ケナンは70年生きた。そしてマハラレルを産んだ。」
「ケナン」によって第四の教会が意味され、また「マハラレル」によって第五の教会が意味される。
 

507.「ケナン」と言われた教会は、最初の三つの教会の中にあるように数え上げられるべきではない。なぜなら、先祖達の許の認識とは相違があったからであり、その時、認識が全般的なものになることが始まったからである。またこの教会は果実の仁(種)、即ち種子に比較して、その種子に近い膜の最初の部分、また柔らかな部分の如くあった。この状態は無論、述べられないが、しかしそれでもなお、後に続く箇所の「エノク」と「ノア」と呼ばれたそれらの教会の記述から認められよう。
 

508.十三、十四節、「そして、ケナンはそのマハラレルを産んだ後、840年生きた。また息子達と娘達を産んだ。そして、ケナンの凡ての日々は910年であった。そして彼は死んだ。」
「日々と年々の数字」は、前に言われたような意味を持ち、「息子達と娘達」は、ここでも前のように「真理と善」を意味し、それらを彼らは認識したが、しかし全般的に認識した。「彼が死んだ」ことは、同様にそのような認識のあることが終わったことを意味する。
 

509.ここでは、単にそれらの凡ての教会は教会の状態に応じて、それぞれに認識を持つことを注意して見なければならない。

6-638~639原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-638~639原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

638. Vers. 14. Fac tibi arcam lignorum gopher mansiones facies arcam, et bituminabis eam intus et extus bitumine. Per 'arcam' significatur homo hujus Ecclesiae: per 'ligna gopher' ejus concupiscentiae: per 'mansiones' significantur binae partes hominis, quae sunt voluntatis et intellectus: per 'bituminare eam intus et extus' significatur conservatio a cupiditatum inundatione.
 

638. Vers.:節、14. Fac:行え、造れ、(命令形)tibi:あなたに、arcam:箱舟、lignorum:木材、材木、gopher:ゴフェル、mansiones:住居、住まい、階、facies:行なう、造る、(二人称単数未来)arcam,:箱舟、et:また、そして、bituminabis:瀝青、ベトン、eam:それを、intus:内部に、内面に、内側に、et:~と、および、extus:外部に、外面に、外側に、bitumine.:ベトンを塗れ、(命令形?)
Per:~を通して、~によって、'arcam':箱舟、significatur:意味される、homo:人間、hujus:この、これの、Ecclesiae::教会、per:~を通して、~によって、'ligna:木材、材木、gopher':ゴフェル、ejus:それの、彼の、concupiscentiae::諸々の強い欲望、per:~を通して、~によって、'mansiones':諸々の住居、諸々の住まい、諸々の階、significantur:意味される、binae:2、partes:部、部分、hominis,:人間の、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis:意志、et:~と、および、intellectus::理解、per:~を通して、~によって、'bituminare:ベトンを塗ること、eam:それを、intus:内部に、内面に、内側に、et:~と、および、extus':外部に、外面に、外側に、significatur:意味される、conservatio:保護、保持、a:~から、~により、cupiditatum:欲望、inundatione.:洪水、氾濫、
 

638. 十四節、「あなたはゴフェルの木材の箱舟をあなたのために造れ、あなたは箱舟を住まいに造らなければならない。またベトン(瀝青)をその内側と外側に塗れ。」
「箱舟」によってこの教会の人間が意味され、「ゴフェルの木材」によって、その(人間の)諸々の強欲が(意味され)、「諸々の住まい」によって、意志と理解である人間の二つの部分(が意味され)、「ベトン(瀝青)をその内側と外側に塗ること」によって、欲望の洪水からの保護が意味される。
 

639. Quod per 'arcam' significetur homo hujus Ecclesiae, seu Ecclesia Noahus dicta, constare satis potest a descriptione ejus in sequentibus; tum ex eo quod Verbum Domini ubivis involvat spiritualia et caelestia, hoc est, quod Verbum Domini sit spirituale et caeleste: si arca, cum ejus bituminatione, dimensione, et constructione, ut et diluvium, non plus quam sonat littera, significarent, nihil prorsus spirituale et caeleste foret, sed modo aliquid historicum, quod pluri usui non foret humano generi quam simile quid, quod describitur a profanis: at quia Verbum Domini ubivis in sinu seu recessu sua continet et involvit spiritualia et caelestia, constat clare quod per 'arcam,' et per omnia quae de arca dicitur, significentur arcana nondum detecta: [2] similiter quoque alibi, ut per 'arculam,' in qua Moses reconditus, et quae posita in ulva juxta litus fluminis, Exod. ii 3; et adhuc sublimius per 'arcam sanctam' in deserto, quae exstructa secundum typum ostensum Mosi in monte Sinai; in qua nisi omnis et singula fuissent repraesentativa Domini et Ipsius regni, non aliud fuisset quam quoddam idolum, et cultus idololatricus; similiter templum Salomonis, quod nusquam sanctum fuit ex se, seu ex auro argento, cedro et lapide ibi, sed ex singulis quae repraesentabantur per illa; similiter hic, nisi arca et ejus constructio cultus singulis significarent aliquod arcanum Ecclesiae, Verbum non foret Verbum Domini, sed mortua quaedam littera, sicut apud aliquem profanum scriptorem. Quod 'arca' significet hominem Ecclesiae, seu Ecclesiam quae 'Noahus' dicta, inde constat.
 

639. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'arcam':箱舟、significetur:意味される、homo:人間、hujus:この、これの、Ecclesiae,:教会、seu:即ち、或いは、Ecclesia:教会、Noahus:ノア、dicta,:言われた、constare:知られること、明らかであること、satis:十分に、確かに、potest:出来る、可能である、a:~から、~により、descriptione:記述、叙述、ejus:それの、彼の、in:~の中、~において、sequentibus;:次の、後に続く、tum:その上、さらに、ex:~から、~により、eo:これから、quod:こと、それ、そのこと、Verbum:聖言、御言葉、Domini:主の、ubivis:どこであろうと、至る所に、involvat:包む、含む、spiritualia:霊的な、et:~と、および、caelestia,:天的な、hoc est,:即ち、quod:こと、それ、そのこと、Verbum:聖言、御言葉、Domini:主の、sit:ある、spirituale:霊的な、et:~と、および、caeleste::天的な、si:もし~なら、たとえ~でも、arca,:箱舟、cum:~と一緒に、~と、ejus:それの、彼の、bituminatione,:ベトンによる処理、dimensione,:測定値、寸法、et:また、そして、constructione,:構造、様式、ut et:そのようにまた、diluvium,:洪水、non:否、plus quam:~よりも、除いて、sonat:意味する、表す、littera,:文字、文字通りの意味、significarent,:意味した、nihil:無、何も~ない、prorsus:全く、完全に、spirituale:霊的な、et:~と、および、caeleste:天的な、foret,:あった、sed:しかし、modo:だけ、単に、aliquid:何か、若干の、historicum,:歴史的な、歴史の、quod:こと、それ、そのこと、pluri:より多くの、より高い、usui:用、役立ち、用益、non:否、foret:あった、humano generi:人類に、quam:~を除いて、~の外は、simile:同様な、等しい、quid,:何か?、どんな?、quod:こと、それ、そのこと、describitur:述べられる、記述される、a:~から、~により、profanis::世俗的な、冒涜的な、at:しかし、それに対して、quia:なぜなら、ので、Verbum:聖言、御言葉、Domini:主の、ubivis:どこであろうと、至る所に、in:~の中、~において、sinu:内部に、内側に、seu:即ち、或いは、recessu:奥まった所、奥底、sua:それ自身から、continet:保持する、含む、et:また、そして、involvit:包む、含む、spiritualia:霊的な、et:~と、および、caelestia,:天的な、constat:知られる、明らかである、clare:明らかに、明瞭に、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'arcam,':箱舟 et:また、そして、per:~を通して、~によって、omnia:凡ての、全体の、quae:それらは、そのことらは、de:~について、arca:箱舟、dicitur,:言われる、significentur:意味される、arcana:秘義、奥義、nondum:まだ~ない、detecta::明かされた、示された、
[2] similiter:同様に、似ている、quoque:~もまた、同じく、alibi,:他の箇所に、ut:~のように、例えば、per:~を通して、~によって、'arculam,':かごの箱、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、Moses:モーセ、reconditus,:隠された、et:また、そして、quae:それは、そのことは、posita:置かれた、in:~の中、~において、ulva:スゲ、カヤ、juxta:接して、すぐ近くに、litus:岸、浜、fluminis,:川、流れ、Exod.:出埃及記、ii 3; et:また、そして、adhuc:更に、その上更に、sublimius:より崇高な、より高貴な、per:~を通して、~によって、'arcam:箱、sanctam':神聖な、聖なる、in:~の中、~において、deserto,:砂漠、荒野、quae:それは、そのことは、exstructa:造られた、建てられた、secundum:~に従って、~に沿って、typum:表象、型、ostensum:示された、説明された、Mosi:モーセ、in:~の中、~において、monte:山、丘、Sinai;:シナイ、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、nisi:~以外、もし~でなければ、omnis:凡ての、全体の、et:~と、および、singula:別々の、個別の、fuissent:あった、repraesentativa:表象の、象徴する、Domini:主の、et:~と、および、Ipsius:主御自身の、regni,:王国、non:否、aliud:他のもの、別のもの、fuisset:あった、quam:~を除いて、~の外は、quoddam:ある種の、何らかの、idolum,:偶像、et:また、そして、cultus:礼拝、崇拝、idololatricus;:偶像崇拝をする、偶像崇拝的な、similiter:同様に、似ている、templum:神殿、Salomonis,:ソロモン、quod:こと、それ、そのこと、nusquam:どこにもない、決して~ない、sanctum:神聖な、聖なる、fuit:あった、ex:~から、~により、se,:それ自身から、seu:即ち、或いは、ex:~から、~により、auro:金、argento,:銀、cedro:杉、ヒマラヤ杉、et:~と、および、lapide:宝石、石、ibi,:そこに、そこで、sed:しかし、ex:~から、~により、singulis:別々の、個別の、quae:それらは、そのことらは、repraesentabantur:表象された、象徴された、per:~を通して、~によって、illa;:それらを、similiter:同様に、似ている、hic,:ここに、この場に、nisi:~以外、もし~でなければ、arca:箱舟、et:~と、および、ejus:それの、彼の、constructio:構造、様式、cultus:こぎれいな、きちんとした、singulis:別々の、個別の、significarent:意味した、aliquod:何か、若干の、arcanum:秘義、奥義、Ecclesiae,:教会、Verbum:聖言、御言葉、non:否、foret:あった、Verbum:聖言、御言葉、Domini,:主の、sed:しかし、mortua:死んだ、生命のない、quaedam:何か、一種の、何らかの、littera,:文字、文字通りの意味、sicut:~の如く、丁度~のように、apud:~のもとに、~において、aliquem:誰か、ある者、profanum:世俗的な、冒涜的な、scriptorem.:書く人、著述家、
Quod:こと、それ、そのこと、'arca':箱舟、significet:意味する、hominem:人間を、Ecclesiae,:教会、seu:即ち、或いは、 Ecclesiam:教会、quae:それらは、そのことらは、'Noahus':ノア、dicta,:言われた、inde:それ故、そこから、constat.:知られる、明らかである、
 

639.「箱舟」によってこの教会の人間、即ちノアと呼ばれた教会が意味されることは後に続く(箇所)におけるその記述から十分に知られることが出来よう。更に主の聖言がどこであろうと霊的なものと天的なものを含むことから、即ち主の聖言は霊的なものと天的なものであることからも(知られよう)。もし、箱舟がそのベトンによる処理と共に、寸法と構造、そのようにまた洪水が文字通りの意味を除いて意味しないなら、霊的なものと天的なものは、全く何もなかったであろう。しかし若干の歴史的なものだけがあって、それは世俗的なものにより記述されている何かのものと同様なものを除いて人類にとって更に高い用益はない。これに対して、主の聖言はどこであろうと内部において、即ちその奥まった所において霊的なものと天的なものを保持し、また含むので、「箱舟」について、また箱舟について言われる凡てのものによって、まだ明かされていない秘義が意味されることを明らかに知られよう。
[2]同様なことは(聖言の)他の箇所にもまた(ある)。例えばモーセがその中に隠されたかごの箱によって(知られよう)。そしてそれは川岸に接したカヤの中に置かれた。出埃及記、2.3、また更に崇高なものは、砂漠における「神聖な箱」によって(知られよう)。それはシナイ山でモーセに示された型に従って造られた。もし、その全体的なものと個別的なものの中に、主と主御自身の王国の表象のものがあったのでなければ、何らかの偶像と偶像崇拝的な礼拝を除いて他のものはなかった。同様にソロモンの神殿もそれ自体からは決して神聖なものではなかった。即ちそこの金銀、杉、石から(は神聖なものではなかった)。しかし、それらによって表象された個々のものにより(神聖なものであった)。ここの(節で)も同様に、もし箱舟とそのきちんとした構造が、教会の何かの秘義を別々に意味したのでなければ、聖言は主の聖言ではなかっただろう。しかし丁度、或る世俗的な著述家の許で(書かれる)ような、生命のない何かの文字(であっただろう)。
それ故、「箱舟」が「ノア」と言われる教会の人間を意味することが知られよう。

主に導かれなければ人間は自滅する

もし、主御自身の神的な慈悲によりこの世に主が来られなかったなら、全人類はこの地上で滅んだであろう。なぜならその時、教会は最悪の中にあって、殆んど善と真理が残っていなかったからである。その理由は、本質的に見られた人間は獣より遥かに卑賤な者であるからである。もし、人間が自分自身にそのままにされたなら、自分自身と凡ての者達の破滅の中へ突進する。なぜなら、自分自身と凡ての者の破壊を除いて他のものを何も求めないからである。人間の秩序は一人の者は他の者を自分自身の如く愛することであったが、しかし今や、各々の者は他の者達よりも自分自身を愛し、従って他の凡ての者達を憎む。これに対して、獣は全く異なっている。獣の秩序はその生きることに従っている。このように完全に秩序に従ってその秩序の中に居る。これに反し人間は、完全に秩序に反している。それ故にもし、主が人間を憐れまれなければ、また人間を天使達を通して主御自身に連結されなければ、人間は一分も生きることが出来ない。このことを人間は知らない。(天界の秘義637)
 

人間が自分自身にそのままにされたなら、即ち法律の罰も社会的な非難も一切考慮しなくてもよい状態にされたなら、主の律法が心に刻まれている人を除いて、誘惑を受けると例外なく殺人と性犯罪と強奪に突進して魂を滅ぼします。
主はこのような人類を憐れみ、律法によって隣人愛へと導いておられますが、律法をはねつける者には道徳によって社会的な非難を受ける恐れによって外的な隣人愛へ導かれ、社会的な非難を恐れない者には法律の刑罰によって強制的に隣人に害を為さないように導いておられます。主がこのように導かれない限り人類は自滅します。
法律、道徳、律法は人間の財産、身体、生命、魂を犯罪者や不道徳な者、そして悪の霊達から守ってくれるものです。

5-504~505意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-504~505意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

504.十、十一節、「そして、エノスはそのケナンを産んだ後、815年生きた。また息子達と娘達を産んだ。そして、エノスの凡ての日々は905年であった。そして彼は死んだ。」
ここでも同様に「日々と年々の数字」、更に「息子達と娘達」「彼が死んだ」ことに関しても同様なことを意味する。
 
 
505.エノスは言われたように第三の教会であり、最古代教会の一つであったが、しかし天的なものが更に少ない教会であった。それ故に、認識力も「セツ」の教会よりも更に少なかった。またこの教会はそれほど天的なものでなく、なお加えて「人間」と言われた先祖の教会の如く認識力もそれほどなかった。
これらの三つの教会が最古代教会を構成した。これらの教会は、後に続いた教会に比較すれば果実の仁(種)、即ち種子のようなものであった。これに反し後に続いた教会はそれらの教会に比較すれば、果実の膜質(皮)の性質に似ている。

6-637原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-637原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

637. Quod 'perdam eos cum terra' significet quod genus humanum periret cum Ecclesia, res se ita habet: si Ecclesia Domini prorsus exstingueretur in tellure, genus humanum nequaquam potuisset esse, sed omnes cum singulis perirent; se habet Ecclesia sicut cor, ut prius dictum; quamdiu cor vivit, circumjacentia viscera et membra possunt vivere; at ut primum cor moritur, omnia et singula quoque moriuntur: Ecclesia Domini in tellure est sicut cor, inde genus humanum, etiam illud quod extra Ecclesiam est, vitam habent; causa ignotissima unicuivis est; sed ut aliquid sciatur, se habet universum genus humanum in tellure, sicut corpus cum ejus partibus, in quo Ecclesia est instar cordis; et nisi Ecclesia foret, cum qua, sicut cum quodam corde, uniretur Dominus per caelum et mundum spirituum, foret disjunctio; et cum disjunctio humani generis a Domino, ilico periret: quae causa est quod a prima creatione hominis semper aliqua Ecclesia fuerit; et, quoties Ecclesia perire incepit, quod usque remanserit apud quosdam. [2] Haec quoque causa fuit Adventus Domini in mundum; nisi ex Divina Ipsius Misericordia venisset, universum genus humanum in hac tellure periisset; nam tunc Ecclesia in extremis fuit et vix aliquid bonum et verum superstes. Quod genus humanum nusquam vivere possit nisi conjunctum sit cum Domino per caelum et mundum spirituum, causa est quia homo in se spectatus multo vilius est brutis; si relinqueretur sibi, rueret in sui et omnium perniciem, nam nihil aliud quam sui et omnium destructionem cupit, ordo ejus foret ut unus alterum amaret sicut semet, sed nunc unusquisque semet amat prae aliis, ita omnes alios odit; at bruta animalia prorsus aliter; eorum ordo est, secundum quem vivunt; ita vivunt prorsus secundum ordinem in quo sunt, homo autem prorsus contra ordinem; quare nisi Dominus ejus misereretur et conjungeret eum Sibi per angelos, nusquam potuisset unum minutum vivere: hoc homo ignorat.
 

637. Quod:こと、それ、そのこと、'perdam:滅ぼそう、(接続法一人称単数現在)eos:彼らを、cum:~と一緒に、~と、terra':地、地上、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、genus humanum:人類、periret:死んだ、滅びた、cum:~と一緒に、~と、Ecclesia,:教会、res:事柄、物事、se:それ自身を、ita:このように、従って、habet::持つ、所有する、si:もし~なら、たとえ~でも、Ecclesia:教会、Domini:主の、prorsus:全く、完全に、exstingueretur:消された、絶滅された、in:~の中、~において、tellure,:地、地球、地上、genus humanum:人類、nequaquam:決して~でない、potuisset:出来た、可能であった、esse,:あること、存在すること、sed:しかし、そればかりか、omnes:凡ての、全体の、cum:~と一緒に、~と、singulis:別々の、個別の、perirent;:死んだ、滅びた、se:それ自身を、habet:持つ、所有する、Ecclesia:教会、sicut:~の如く、~のように、cor,:心臓、心、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum;:言われた、quamdiu:~の間、~の限り、cor:心臓、心、vivit,:生きる、circumjacentia:周囲の、隣接した、viscera:内臓、et:~と、および、membra:肢、四肢、possunt:出来る、可能である、vivere;:生きること、at:しかし、それに対して、ut primum:~すると直ぐに、~や否や、cor:心臓、心、moritur,:死ぬ、omnia:凡ての、全体の、et:~と、および、singula:別々の、個別の、quoque:~もまた、同じく、moriuntur::死ぬ、
Ecclesia:教会、Domini:主の、in:~の中、~において、tellure:地、地球、地上、est:ある、sicut:~の如く、~のように、cor,:心臓、心、inde:それ故、そこから、genus humanum,:人類、etiam:~もまた、さらに、illud:それを、quod:こと、それ、そのこと、extra:外で、外に、Ecclesiam:教会、est,:ある、vitam:生命を、habent;:持つ、保つ、causa:原因、理由、ignotissima:最も知らない、unicuivis:各々の、誰でも、est;:ある、sed:しかし、ut:~のために、こと、~するように、aliquid:何か、若干の、sciatur,:知られる、知られている、se:それ自身を、habet:持つ、所有する、universum:凡ての、全体の、genus humanum:人類、in:~の中、~において、tellure,:地、地球、地上、sicut:丁度~のように、~と同様に、corpus:体、身体、cum:~と一緒に、~と、ejus:それの、彼の、partibus,:身体の一部、部分、in:~の中、~において、quo:それから、そのことから、Ecclesia:教会、est:ある、instar:似て、~のように、cordis;:心臓、心、et:また、そして、nisi:~以外、もし~でなければ、Ecclesia:教会、foret,:あった、cum:~と一緒に、~と、qua,:それから、そのことから、sicut:丁度~のように、~と同様に、cum:~と一緒に、~と、quodam:言わば、幾分か、corde,:心臓、心、uniretur:一つにされる、結合される、Dominus:主は、per:~を通して、~によって、caelum:天界を、et:~と、および、mundum:(この)世、世界、spirituum,:霊達の、foret:あった、disjunctio;:分離、et:また、そして、cum:その時、~するや否や、disjunctio:分離、humani generis:人類、a:~から、~により、Domino,:主から、ilico:その場で、直ちに、periret::死んだ、滅びた、quae:それは、そのことは、causa:原因、理由、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、a:~から、~により、prima:第一、始め、creatione:創造、hominis:人間の、semper:常に、永久に、aliqua:何か、若干の、Ecclesia:教会、fuerit;:あった、et,:また、そして、quoties:何回、何度、Ecclesia:教会、perire:死ぬこと、滅びること、incepit,:起こった、quod:こと、それ、そのこと、usque:それでもなお、やはり、remanserit:残った、留まった、apud:~のもとに、~において、quosdam.:誰か、何か、
[2] Haec:この、これは、quoque:~もまた、同じく、causa:原因、理由、fuit:あった、Adventus:降臨、Domini:主の、in:~の中へ、~へ、mundum;:(この)世、世界、nisi:~以外、もし~でなければ、ex:~から、~により、Divina:神的な、Ipsius:主御自身の、Misericordia:慈悲、憐れみ、venisset,:来た、行った、universum:凡ての、全体の、genus humanum:人類、in:~の中、~において、hac:これから、tellure:地、地上、periisset;:死んだ、滅びた、nam:なぜなら、というのも、tunc:その時、やがて、Ecclesia:教会、in:~の中、~において、extremis:最低の、最悪の、fuit:あった、et:~と、および、vix aliquid:殆ど~ない、まず~ない、bonum:善、et:~と、および、verum:真理、superstes.:~の後まで残っている、
Quod:こと、それ、そのこと、genus humanum:人類、nusquam:どこにもない、決して~ない、vivere:生きること、possit:出来る、可能である、nisi:~以外、もし~でなければ、conjunctum sit:連結された、結合された、(接続法三人称単数受動)cum:~と一緒に、~と、Domino:主から、per:~を通して、~によって、caelum:天界、et:~と、および、mundum:(この)世、世界、spirituum,:霊達の、causa est quia:その理由は、homo:人間は、in se:本質的に、本来、spectatus:見られた、眺められた、multo:遥かに、断然、vilius:より卑賤な、est:ある、brutis;:獣、si:もし~なら、たとえ~でも、relinqueretur:残された、そのままにされた、sibi,:自分自身に、rueret:突進する、突撃する、in:~の中へ、~へ、sui:自分自身の、et:~と、および、omnium:凡ての、全体の、perniciem,:破滅、零落、nam:なぜなら、というのも、nihil:無、何も~ない、aliud:他のもの、別のもの、quam:~を除いて、~の外は、sui:自分自身の、et:~と、および、omnium:凡ての、全体の、destructionem:破壊、取り壊すこと、cupit,:求める、欲する、ordo:秩序、順序、ejus:それの、彼の、foret:あった、ut:~のために、こと、~するように、unus:1、alterum:他の方の、もう一つの、amaret:愛した、sicut:~の如く、~のように、semet,:自分自身、sed:しかし、nunc:今や、現在、unusquisque:各々の、各自の、semet:自分自身、amat:愛する、prae:~より上の、~よりも、aliis,:他の者達、ita:このように、従って、omnes:凡ての、全体の、alios:他のもの、別のもの、odit;:憎む、嫌う、at:しかし、それに対して、bruta animalia:獣、prorsus:全く、完全に、aliter;:他の方法で、異なって、eorum:それらの、彼らの、ordo:秩序、順序、est,:ある、secundum:~に従って、~に沿って、quem:それを、そのことを、vivunt;:生きる、ita:このように、従って、vivunt:生きる、prorsus:全く、完全に、secundum:~に従って、~に沿って、ordinem:秩序、順序、in:~の中、~において、quo:それから、そのことから、sunt,:ある、homo:人間は、autem:しかし、これに反し、prorsus:全く、完全に、contra:~に対して、~に反対して、ordinem;:秩序、順序、quare:それ故に、nisi:~以外、もし~でなければ、Dominus:主が、ejus:それの、彼の、misereretur:憐れむ、et:~と、および、conjungeret:連結した、結合した、eum:彼を、Sibi:主御自身に、per:~を通して、~によって、angelos,:天使達を、nusquam:どこにもない、決して~ない、potuisset:出来た、可能であった、unum:1、minutum:分、一分、vivere::生きること、hoc:この、これを、homo:人間は、ignorat.:知らない、気付かない、
 

637.「私は彼らを地と一緒に滅ぼそう」は、教会と一緒に人類が滅ぶことを意味することは、彼(人類)がその事をそのように持つ(ことである)。もし、主の教会が地上で完全に絶滅されたなら、決して人類は存在することが出来なかったであろう、そればかりか凡ての者達が個々の者達と一緒に死んだであろう。前に言われたように、教会は心臓の如くその(地)を持つ、心臓が生きる限り周囲の内臓と四肢も生きることが出来る。これに対して、心臓が死ぬや否や、全体的にも個別的にも死ぬ。主の教会は地における心臓の如くあって、そこから人類は、更に教会の外に居る(者も)生命を保つ。誰も(その)理由を全く知らないのであるが、しかし若干の(理由が)知られるために(述べておこう)。地上の全人類は、丁度、身体が身体の一部分と一緒にそれ自身(心臓)を持つように、その(全人類の)中に教会が心臓のようにある。また主は、丁度、言わば(身体が)心臓と一緒に(連結される)ように、天界と霊達の世界を通して(教会と)連結される(ので)、もし教会がそれ(全人類)と一緒にあるのでなければ、(主と全人類の)分離があっただろう。また主から分離するや否や直ちに人類は滅びたであろう。その理由は、人間の創造の始めから常に何らかの教会があったからであり、また教会は何度か滅びることが起こったが、それでもなお、誰かの許にそれ(教会)が残ったからである。
[2]このことが、この世への主の降臨の理由でもまたあった。もし、主御自身の神的な慈悲により(この世に)彼(主)が来られなかったなら、全人類はこの地上で滅んだであろう。なぜならその時、教会は最悪の中にあって、殆んど善と真理が残っていなかったからである。その理由は、本質的に見られた人間は獣より遥かに卑賤な者であるからである。もし、彼(人間)が自分自身にそのままにされたなら、自分自身と凡ての者達の破滅の中へ突進する。なぜなら、自分自身と凡ての者の破壊を除いて他のものを何も求めないからである。彼(人間)の秩序は一人の者は他の者を自分自身の如く愛することであったが、しかし今や、各々の者は他の者達よりも自分自身を愛し、従って他の凡ての者達を憎む。これに対して、獣は全く異なって(いる)。彼ら(獣)の秩序はその生きることに従っている。このように完全に秩序に従ってその(秩序の)中に居る。これに反し人間は、完全に秩序に反して(いる)。それ故にもし、主が彼(人間)を憐れまれなければ、また彼(人間)を天使達を通して主御自身に連結されなければ、彼(人間)は一分も生きることが出来ない。このことを人間は知らない。

5-502~503意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-502~503意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

502.「人間、セツ、およびエノス」の三つの教会が最古代教会を構成したが、それでもなお、完全性の相違を持って構成した。丁度、果実、或いは種子について、また脳について言われたように、そのように最初の教会の認識からの認識力に関して、後に続く教会においてしばしば減らされ、またより全般的なものに為された。認識が完全であることは、明確に認識することの能力の中にあり、それがそのように明確でない時、しかしより全般的なものである時は減らされる。その時、明瞭な認識に代わって不明瞭な認識が後に続き、またそのように認識が消え始める。
 

503.最古代教会の認識力は善と真理が何かを認識したことの中だけに成り立ったのではなく、善を行なうことの幸福なものと楽しいものの中に成り立っていた。善を行なうことの幸福なものと楽しいものなしに認識力は生命のあるものではなく、幸福なものと楽しいものから認識力が生きる。最古代教会の愛とそこからの信仰の生命がどのようなものであったかは、もし用の中にあるのでなければ、即ち善と真理の中に用があるのでなければない。用から用によって、また用に従って主により生命が与えられる。無用のものに決して生命は存在することが出来ない。なぜなら、何であろうと無用なものがあるとそれは投げ捨てられるからである。その用の中に主の似姿がある。それ故に、実行された認識力の中にもまた主の像がある。認識力は善と真理が何かを知ることであり、従って信仰の善と真理が何かを知ることである。愛の中に居る者は知ることの楽しみを与えられるが、しかし善と真理を行なうことに楽しみを与えられる、即ち用に楽しみがあることを知る。

6-635~636原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-635~636原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

635. Quod in fine dierum Ecclesiae antediluvianae perierit omnis intellectus veri et voluntas boni, significatur per illa quae dicta sunt in versu priore, et in hoc; apud antediluvianos qui diris persuasionibus et foedis cupiditatibus imbuti erant, ita ut ne quidem aliquod vestigium appareret; sed apud hos qui 'Noahus' appellantur, permanserunt reliquiae, quae tamen non potuerunt sistere aliquod intellectus ac voluntatis, sed modo rationale verum et naturale bonum nam qualis homo, talis reliquiarum operatio; per reliquias potuerunt illi regenerari, nec persuasiones obstabant et absorbebant operatione Domini per reliquias: persuasiones seu principia falsi radicata impediunt omnem operationem, quae nisi prius exstirpentur, nusquam potest homo regenerari; de quibus, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus.
 

635. Quod:こと、それ、そのこと、in:~の中、~において、fine:終わり、終結、dierum:日々の、Ecclesiae:教会、antediluvianae:(ノアの)洪水以前の、perierit:死んだ、滅びた、omnis:凡ての、全体の、intellectus:知性、理解、veri:真理の、et:~と、および、voluntas:意志、boni,:善の、significatur:意味される、per:~を通して、~によって、illa:それらを、quae:それらは、そのことらは、dicta:言われた、sunt:ある、in:~の中、~において、versu:節、priore,:より前の、より先の、et:また、そして、in:~の中、~において、hoc;:ここに、この場に、apud:~のもとに、~において、antediluvianos:(ノアの)洪水以前の、qui:その者達、diris:恐ろしい、恐るべき、persuasionibus:確信、信念、et:~と、および、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus:欲望、imbuti erant,:浸された、吹き込まれた、(三人称複数過去完了受動)ita:それほど、そんなに、ut:~のために、こと、~するように、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、aliquod:何か、若干の、vestigium:跡、足跡、appareret;:現れた、見えた、sed:しかし、apud:~のもとに、~において、hos:この者達、qui:その者達、'Noahus':ノア、appellantur,:呼ばれる、permanserunt:留まった、残った、reliquiae,:残りのもの、残存物、quae:それらは、そのことらは、tamen:しかし、それにもかかわらず、non:否、potuerunt:出来た、可能であった、sistere:示すこと、もたらすこと、aliquod:何か、若干の、intellectus:知性、理解、ac:~と、なお加えて、voluntatis,:意志、sed:しかし、modo:だけ、単に、rationale:理性的な、verum:真理、et:~と、および、naturale:自然的な、bonum:善、nam:なぜなら、というのも、qualis:qualis~talis~、~のままに、そのように~、homo,:人間は、talis reliquiarum:残りのもの、残存物、operatio;:働き、活動、per:~を通して、~によって、reliquias:残りのもの、残存物、potuerunt:出来た、可能であった、illi:彼らは、regenerari,:再生されること、nec:否、persuasiones:確信、信念、obstabant:邪魔をした、妨げた、et:また、そして、absorbebant:のみ込む、吸い込む、operatione:働き、活動、Domini:主の、per:~を通して、~によって、reliquias::残りのもの、残存物、persuasiones:確信、信念、seu:即ち、或いは、principia falsi:間違った原理(信念)、radicata:根付かれた、impediunt:妨げる、妨害する、omnem:凡ての、全体の、operationem,:働き、活動、quae:それらは、そのことらは、nisi:~以外、もし~でなければ、prius:前以て、前に、exstirpentur,:根絶される、絶滅される、(接続法三人称複数未完了)nusquam:どこにもない、決して~ない、potest:出来る、可能である、homo:人間は、regenerari;:再生されること、de:~について、quibus,:それらから、そのことらから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus.:次の、後に続く、
 

635.ノアの洪水前の教会の日々の終わりに、凡ての真理の理解と善の意志が滅びたことは、前の節とこの(節)において言われたことによって意味される。ノアの洪水前の者達の許の恐るべき信念と不潔な欲望に浸された者達は、何かの痕跡ですら見えないほどに(滅ぼされた)。しかし、ノアと呼ばれた者達の許に残りのものが留まったが、それでも何かの理解と意志の(ものを)もたらすことは出来なかった。しかし単に理性的な真理と自然的な善(だけをもたらすことが出来た)。なぜなら、人間が(ある)ままに、そのように残りのものの働きが(あるからである)。彼らは残りのものによって再生することが出来た。(また)残りのものによって主の働きを諸々の信念が妨害せず、また(諸々の信念が)吸い取らなかった。根付かれた(根付いた)諸々の信念、即ち諸々の間違った信念は、もし前以て根絶されなければ(主の)凡ゆる働きを妨げ、決して人間は再生されることが出来ない。このことについては、主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。
 

636. Quod 'perdam eos cum terra' significet quod genus humanum cum Ecclesia periret, constat ex eo quod hic dicatur 'cum terra'; 'terra' enim in lato sensu significat amorem, ut prius dictum, ita caelestia Ecclesiae; hic quia nullus amor, nec quicquam caeleste, remansit, significat amorem sui, et quod contrarium caelesti Ecclesiae est; sed usque homo Ecclesiae fuit quia doctrinalia fidei habuit: nam, sicut dictum, terra est continens humi, et humus continens agri, sicut amor est continens fidei, et fides continens cognitionum fidei.
 

636. Quod:こと、それ、そのこと、'perdam:滅ぼそう、(接続法一人称単数現在)eos:彼らを、cum:~と一緒に、~と、terra':地、地上、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、genus humanum:人類、cum:~と一緒に、~と、Ecclesia:教会、periret,:死んだ、滅びた、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、eo:これから、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、dicatur:言われる、' cum:~と一緒に、~と、terra';:地、地上、'terra':地、地上、enim:なぜならば、~というのは、in:~の中、~において、lato:広い、幅広い、sensu:感覚、意味、significat:意味する、amorem,:愛を、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum,:言われた、ita:このように、従って、caelestia:天的な、Ecclesiae;:教会、hic:ここに、この場に、quia:なぜなら、ので、nullus:何も~ない、決して~でない、amor,:愛が、nec:否、quicquam:何か、何も、caeleste,:天的な、remansit,:残った、留まった、significat:意味する、amorem sui,:自己愛、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、contrarium:反対の、相反する、caelesti:天的な、Ecclesiae:教会、est;:ある、sed:しかし、usque:それでもなお、やはり、homo:人間は、Ecclesiae:教会、fuit:あった、quia:なぜなら、ので、doctrinalia:教義、(の事柄)fidei:信仰の、habuit::持った、保った、nam,:なぜなら、というのも、sicut:~の如く、~のように、dictum,:言われた、terra:地、地上、est:ある、continens:含んでいる、囲んでいる、humi,:大地、地面、et:また、そして、humus:大地、地面、continens agri,:野、原、sicut:~の如く、~のように、amor:愛が、est:ある、continens:含んでいる、囲んでいる、fidei,:信仰の、et:また、そして、fides:信仰、continens:含んでいる、囲んでいる、cognitionum:知識、概念、fidei.:信仰の、
 

636.「地と一緒に彼らを滅ぼそう」は教会と一緒に人類が滅ぶことを意味することは、ここに「地と一緒に」と言われていることから知られよう。というのは、前に言われたように「地」は広い意味において愛を意味するからであり、そのように天的な教会を(意味するからである)。ここには何も愛がなく、何も天的なものがなかったので、それ(地)は自己愛を意味し、それが残った。そしてそれは天的な教会に反対のものである。しかしそれでもなお、信仰の教義の事柄を保ったので、教会の人間は居た。なぜなら、言われたように愛が信仰を含んでいるものである如く、また信仰が信仰の知識を含んでいるもので(ある如く)、地(地上)は大地を含んでいるものであり、また大地は野を含んでいるものであるからである。

5-499~501意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-499~501意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 

499.七、八節、「また、セツはそのエノスを産んだ後、807年生きた。また息子達と娘達を産んだ。また、セツの凡ての日々は912年であった。そして彼は死んだ。」
「日々と年々の数字」は、ここでも前のように時間と状態を意味し、「息子達と娘達」はここでも前のように(諸々の真理と諸々の善を)意味し、「彼が死んだ」ことも同様に、(そのような認識が存在しなくなったことを意味する。)
 

500.九節、「また、エノスは90年生きた。そしてケナンを産んだ。」
言われたように「エノス」によって、セツの教会よりもいっそう不完全な天的な第三の教会が意味されるが、それでもなお、諸々の最古代教会の一つであった。「ケナン」によって第四の教会が意味され、それは前の教会の後に続いた教会であった。
 
 
501.諸教会は時代の進行によってそれらの諸教会に続いている諸教会が産まれ、またそれらの一つの教会が他の教会から産まれたと言われる。それらの諸教会は、それらの後に続く教会を、果実によって、即ちそれらの種子によって、果実が種子を持つ如く持った。それらの中心、即ち果実の最内部に種子があり、同様にそれによって果実が産まれる。或いは種子の最内部に種子があり、同様にそれによって種子が産まれる。果実と種子からそれらが連続によって次々と生じるもののようにそれらが生きる。無論、中心から外辺に向かって遠く離れたものであればあるほど、益々果実の本質、或いは種子の本質が少なくなり、遂に皮膚、即ち外皮だけがあるところまで中心から離れる。果実、即ち種子はそれらによって存在が終結する。
或いは脳の中の如く、その最内部の中に皮質の要素と言われた緻密な有機体があり、それらから霊魂の働きが生じる。それらからより純粋な被膜が次々と生じ、更により密集したものが生じ、最後に髄膜と呼ばれる全般的なものが生じる。それらはいっそう全般的なものの中で、また最後に頭蓋である最も全般的なものの中で終結する。

6-634原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-634原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

634. Sed perquam difficile est ad captum dicere, quid intellectus veri et voluntas boni in proprio sensu, ex causa quod omne quod cogitat homo, putet esse intellectus, quia ita id appellat; et omne quod cupit, putet esse voluntatis, quia ita id appellat: eoque difficilius est dicere ad captum quia plerique hodie quoque ignorant quod intellectuale sit distinctum a voluntario; nam cum cogitant quid, dicunt se velle, et cum volunt quid, dicunt se cogitare, ita quoque ex causa quod ita appellent: praeterea causa est quod difficile comprehendi possit, quia in corporeis solum sunt, seu vita eorum in extremis: [2] ex his causis ignorant quoque quod interius quoddam, et adhuc interius, immo intimum detur apud unumquemvis hominem; et quod corporeum ejus et sensuale sit extremum; cupiditates et res memoriae sint interiora; affectiones et rationalia sint adhuc interiora; et voluntas boni ac intellectus veri sint intima; et haec ita distincta inter se ut nihil usquam distinctius; corporeus homo omnia haec unum facit, et confundit; quae causa est quod credat, cum moritur corporeum ejus etiam omnia moritura esse, cum tamen tunc primum incipit vivere et quidem per interiora sua ordine succedentia; nisi interiora ejus ita distincta essent, et sibi succederent, nusquam potuissent homines in altera vita esse spiritus, esse spiritus angelici, esse angeli, qui distinguuntur ita secundum interiora; inde tres caeli inter se distinctissimi. Ex his nunc aliquantum constare potest quid intellectu veri et voluntas boni in proprio sensu, et quod solum praedicari queant de homine caelesti, seu de angelis tertii caeli.
 

634. Sed:しかし、perquam:極めて、非常に、difficile:困難な、面倒な、est:ある、ad:~に、~に至るまで、captum:理解、把握、dicere,:言うこと、quid:何か?、どんな?、intellectus:理解、知性、veri:真理の、et:~と、および、voluntas:意志、boni:善の、in proprio sensu,:正しい意味で、ex:~から、~により、causa:原因、理由、quod:こと、それ、そのこと、omne:凡ての、全体の、quod:こと、それ、そのこと、cogitat:考える、homo,:人間は、putet:思う、信じる、(接続法三人称単数現在)esse:あること、存在すること、intellectus,:理解、知性、quia:なぜなら、ので、ita:このように、従って、id:これが、appellat;:現れる、見える、et:また、そして、omne:凡ての、全体の、quod:こと、それ、そのこと、cupit,:求める、欲する、putet:思う、信じる、(接続法三人称単数現在)esse:あること、存在すること、voluntatis,:意志、quia:なぜなら、ので、ita:このように、従って、id:これを、appellat::呼ぶ、名付ける、eoque:そしてそれ故に、またそのために、(eo+que)difficilius:困難な、面倒な、est:ある、dicere:言うこと、ad:~に、~に至るまで、captum:理解、把握、quia:なぜなら、ので、plerique:大部分の、極めて多くの、hodie:今日、現在、quoque:~もまた、同じく、ignorant:知らない、気付かない、quod:こと、それ、そのこと、intellectuale:理解の、理解する能力の、sit:ある、distinctum:区別された、分離された、a:~から、~により、voluntario;:意志、nam:なぜなら、というのも、cum:その時、その場合、cogitant:考える、quid,:何か?、どんな?、dicunt:言う、se:それ自身を、velle,:欲すること、et:また、そして、cum:その時、その場合、volunt:欲する、quid,:何か?、どんな?、dicunt:言う、se:それ自身を、cogitare,:考えること、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、ex:~から、~により、causa:原因、理由、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、appellent::呼ぶ、名付ける、praeterea:加えて、更に、causa:原因、理由、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、difficile:困難な、面倒な、comprehendi:認められること、理解されること、possit,:出来る、可能である、quia:なぜなら、ので、in:~の中、~において、corporeis:地的な、形体的な、solum:だけ、のみ、sunt,:ある、seu:即ち、或いは、vita:生命、eorum:それらの、彼らの、in:~の中、~において、extremis::最外部、最低、
[2] ex:~から、~により、his:これらから、causis:原因、理由、ignorant:知らない、気付かない、quoque:~もまた、同じく、quod:こと、それ、そのこと、interius:内部の、内なる、quoddam,:ある種の、何らかの、et:また、そして、adhuc:依然として、更に、interius,:内部の、内なる、immo:というよりは、それどころか、intimum:最奥の、最内部の、detur:存在する、apud:~のもとに、~において、unumquemvis:各々の、hominem;:人間を、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、corporeum:地的な、形体的な、ejus:それの、彼の、et:~と、および、sensuale:感覚的な、感覚の、sit:ある、extremum;:最外部、最低、cupiditates:諸々の欲望、et:~と、および、res:物、事柄、memoriae:記憶、記憶力、sint:ある、interiora;:内部の、内なる、affectiones:諸々の情愛、et:~と、および、rationalia:諸々の理性、sint:ある、adhuc:今後、更に、interiora;:内部の、内なる、et:また、そして、voluntas:意志、boni:善の、ac:~と、なお加えて、intellectus:知性、理解、veri:真理の、sint:ある、intima;:最奥、最内部、et:また、そして、haec:これらは、ita:talis~ut~、~のような~、distincta:区別された、分離された、inter se:相互の間で、相互に、ut nihil:無、何も~ない、usquam:これまで、かつて、distinctius;:より区別された、より分離された、corporeus:地的な、形体的な、homo:人間は、omnia:凡ての、全体の、haec:これらを、unum:1、facit,:行なう、為す、et:また、そして、confundit;:混同する、混ぜる、quae:それは、そのことは、causa:原因、理由、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、credat,:信じる、cum:その時、その場合、moritur:死ぬ、corporeum:肉体的な、形体的な、ejus:それの、彼の、etiam:~もまた、さらに、omnia:凡ての、全体の、moritura esse,:死ぬこと、消滅すること、(不定法未来)cum:その時、その場合、tamen:しかし、それにもかかわらず、tunc:その時、やがて、primum:最初に、先ず、初めて、incipit:始める、開始する、vivere:生きること、et quidem:その上、実際に、per:~を通して、~によって、interiora:内部の、内なる、sua:それら自身を、ordine:秩序、順序、succedentia;:継でいる、継承している、(現在分詞複数対格)nisi:~以外、もし~でなければ、interiora:内部の、内なる、ejus:それの、彼の、ita:このように、従って、distincta essent,:区別された、分離された、(接続法三人称複数過去完了受動)et:また、そして、sibi:自分自身に、succederent,:継いだ、継承した、nusquam:どこにもない、決して~ない、potuissent:出来た、可能であった、homines:人間達は、in:~の中、~において、altera vita:他生、esse:あること、存在すること、spiritus,:霊達、esse:あること、存在すること、spiritus:霊達、angelici,:天使的な、esse:あること、存在すること、angeli,:天使達が、qui:その者達、distinguuntur:区別される、分離される、ita:このように、従って、secundum:~に従って、~に沿って、interiora;:内部の、内なる、inde:それ故、そこから、tres:3、caeli:諸天界が、inter se:相互の間で、相互に、distinctissimi.:最も区別された、
Ex:~から、~により、his:これらから、nunc aliquantum:やや、幾分、多少、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、quid:何か?、どんな?、intellectu:知性、理解、veri:真理の、et:~と、および、voluntas:意志、boni:善の、in proprio sensu,:正しい意味で、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、solum:だけ、のみ、praedicari:言われること、queant:出来る、de:~について、homine:人間から、caelesti,:天的な、seu:即ち、或いは、de:~について、angelis:天使達から、tertii:第三の、三番目の、caeli.:天界の、
 

634.しかし、人間は、彼が考える凡てのことは理解であることを信じ、また彼が欲する凡てのものは意志であることを信じる。なぜなら、それがそのように見えるからである。この理由から真理の理解と善の意志が正しい意味で何かを理解に至るまで言うことは、極めて困難である。そしてそれ故に、今日の大部分の者達もまた理解の(もの)が意志から分離されたものであることを知らないので、なぜなら、何かを考える時、それを欲することを言い、また何かを欲する時、それを考えることを言うからである。従ってこのように呼ぶことの原因からもまた、理解に至るまでも言うことが困難である。更に、理解されることが困難な理由は、彼らは形体的なものの中にのみ居る、即ち彼らの生命は最外部の中にあるからである。
[2]これらの理由により、彼らは何らかの内なるもの、また更に、各々の人間の許の内なるもの、というよりは最内部のものが存在することもまた知らない。また彼の形体的なものと感覚的なものは最外部のものであること(も知らず、また)諸々の欲望と記憶の事柄は内なるものであり、諸々の情愛と諸々の理性は更に内なるものであり、また善の意志と真理の理解は最内部のものである(ことも知らない)。またこれらのものはこれまで区別されたことがないほどに相互に区別されたもの(であることも知らない)。形体的な人間はこれらの凡てのものを一つのものに為して混同する。その理由は彼の肉体的なものが死ぬ時、更に凡てのものが消滅するであろうことを彼が信じるからである。しかしその時、初めて彼は生きることを始め、実際に秩序によりその内なるものの継承しているものによって(生き始める)。もし彼の内なるものがこのように区別されたものでなければ、また自分自身に継承したのでなければ、決して人間達は他生において霊達であること、天使的な霊達であること、天使達であることは出来なかっただろう。この者達はこのように内なるものによって区別される。このことから相互の間で最も区別された三つの諸天界が(ある)。
これらのことから、正しい意味で真理の理解と善の意志が何かが多少知られることが出来よう。またこのことは天的な人間について、即ち第三の天界の天使達についてだけ言われることが出来る(ことも多少知られよう)。

主は100%律法を守れと言われたのではなく力を尽くして守れと言われた。

主は100%律法を守れと言われたのではなく力を尽くして守れと言われた。
 
 
その状況は、人間の許に真理の理解と善の意志は決してなく、最古代教会に居た者達の許にですらなかった。しかし彼らが天的な者達に為される時、彼らの許に善の意志と真理の理解があるように見える。しかしそれは主だけのものであり、彼らはそのことを知り、承認し、および認識する。更に天使達の許でも同様である。ここまでもこのようにあることを知り、承認し、および認識しない者は全く何も真理の理解と善の意志を持たないのである。
人間の許に誰であれ、また天使の許に誰であれ、例え最も天的な者であっても、その固有性は間違った信念と悪以外ではない。なぜなら、諸天界も主の前で清くないこと、また凡ての善と凡ての真理は主だけのものであることが熟知されているからである。しかし、人間と天使は完全にされることが出来るほど、主の神的な慈悲により完全にされ、真理の理解と善の意志を彼のものの如く所有するが、しかしそれを持つことは単なる外観である。各々の人間は完全にされることが出来、またそれ故に、各々の者の人生の行動での実現に従って、しかし先祖達の遺伝の悪からのその植え付けられたものに適合して、主の慈悲のこの贈り物を受け取ることが出来る。(天界の秘義633)
 
 

人間が真理を理解し語り、また善の意志を持って行うこと、それどころか人間が生きていること自体、単なる外観に過ぎず、真実は主御一人が真理を語り善を行い生きて居られのであって、このことを理解し承認しなければ決して真理を理解し善を意志することが出来ません。しかし人間は自分自身で真理を理解し善を行い生きているとしか感じないので、そして人間はこれほど強力な外観の中に居るので、外観上自分自身の力で真理を理解し語り、また自分自身の力で善を意志し行わなければ、即ち自分自身の力で悔い改めて律法を守るのでなければ、しかし真実は主が自分の中でそのようにされていることを承認して主を見上げるのでなければ、決して自分自身の悪から離れることは出来ません。しかしどんな天使も人間も100%悪から離れることは出来ないので、100%離れなければ救われないと信じることは間違いです。どんな毒物であっても薄めれば無害になるのであって、必ずしも100%取り除く必要はなく、また取り除くことも出来ません。人間の悪も主と隣人に無害であれば一応可です。もし悪の100%の除去が救いの条件なら誰一人救われる者はいないでしょう。主があなた方の義が律法学者やファリサイ人の義に勝らなければ決して天国へ入れないと言われたのは、律法を人に見せるために守るのでは救われないことを言われたのであって、決して100%守れと言われたのではありません。しかし主と隣人に悪を為すことを恐れて、即ち主と隣人を愛するために力を尽くして律法を守れと言われたのであって100%守ることを命じたのではありません。

5-496~498意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-496~498意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

496.六節、「また、セツは105年生きた。そしてエノスを産んだ。」
「セツ」は言われたように第二の教会であり、最古代の先祖よりも不完全に天的な教会であった。それでも諸々の最古代教会の一つであった。「彼が105年生きたこと」は前に言われたように、時間と状態を意味し、「彼がエノスを産んだこと」は、彼らからエノスと言われた他の教会が伝わったことを意味する。
 

497.「セツ」が第二の教会であり、最古代の先祖よりも不完全に天的な教会であったが、それでもなお諸々の最古代教会の一つであったことは、前にセツについて3節に言われたことから知られよう。前に遺伝の悪の積み重ねの原因により、人間達が本質的なものに関して徐々に、また時代の推移によって衰えることもまた言われたように、諸教会も一緒にその事柄を持つ。
 

498.彼が「エノス」を産んだことは、彼らからエノスと言われた他の教会が伝わったことを意味する。更にこのことから、この章における名前は教会以外の他のものを何も意味しないことが知られよう。

6-629~633原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-629~633原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

629. Vers. 13. Et dixit Deus Noaho, Finis omnis carnis venit coram Me, quia impleta est terra violentia a faciebus eorum; et ecce, Ego perdens eos cum terra. 'Quod dixerit Deus' significat quod ita fuerit: 'finis omnis carnis venit coram Me' significat quod humanum genus non posset non perire: 'quia impleta est terra violentia' significat quod amplius nulla voluntas boni: 'ecce, Ego perdam eos cum terra' significat quod genus humanum cum Ecclesia periret.
 

629. Vers.:節、13. Et:また、そして、dixit:言った、Deus:神は、Noaho,:ノア、Finis:終わり、終結、omnis:凡ての、全体の、carnis:肉、肉体、venit:来た、行った、coram:目の前で、面と向かって、Me,:私の、quia:なぜなら、ので、impleta:満たされた、一杯にされた、est:ある、terra:地、地上、violentia:暴力、暴行、a:~から、~により、faciebus:顔、性質、様相、eorum;:それらの、彼らの、et:また、かくて、ecce,:見よ、ほら、Ego:私は、perdens:滅ぼしている、eos:彼らを、cum:~と一緒に、~と、terra.:地、地上、'Quod:こと、それ、そのこと、dixerit:言った、Deus':神は、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、fuerit::あった、'finis:終わり、終結、omnis:凡ての、全体の、carnis:肉、肉体、venit:来た、行った、coram:目の前で、面と向かって、Me':私から、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、humanum genus:人類、non:否、posset:出来た、可能であった、non:否、perire::死ぬこと、滅びること、'quia:なぜなら、ので、impleta:満たされた、一杯にされた、est:ある、terra:地、地上、violentia':暴力、暴行、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、amplius:これからは、もはや、nulla:何も~ない、決して~でない、voluntas:意志、boni::善の、'ecce,:見よ、ほら、Ego:私は、perdam:滅ぼそう、(接続法一人称単数現在)eos:彼らを、cum:~と一緒に、~と、terra':地、地上、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、genus humanum:人類、cum:~と一緒に、~と、Ecclesia:教会、periret.:死んだ、滅びた、
 

629.十三節、「そして、神はノアに言われた。私の前で凡ての肉の終わりが来た。なぜなら、地は彼らの様相により暴行で満たされたからである。かくて見よ、私は地と一緒に彼らを滅ぼす。」
「神は言われた」はそのようになったことを意味し、「私の前で凡ての肉の終わりが来た。」は、人類は滅びないことが出来なかったことを意味し、「なぜなら、地は暴行で満たされたからである。」は、もはや何も善の意志がないことを意味し、「見よ、私は地と一緒に彼らを滅ぼそう。」は、人類は教会と一緒に滅びたことを意味する。
 

630. Quod 'dixit Deus' significet quod ita fuerit, constat ex eo quod apud Jehovam non sit nisi quam Esse.
 

630. Quod:こと、それ、そのこと、'dixit:言った、Deus':神は、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、fuerit,:あった、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、eo:これから、quod:こと、それ、そのこと、apud:~のもとに、~において、Jehovam:エホバ、non:否、sit:ある、nisi quam:除いて、~以外に、Esse.:神の存在、
 

630.「神は言われた」は、そのようになったことを意味することは、エホバの許に神の存在を除いて存在しないことから知られよう(注:エホバは神の存在であることは、エホバは凡てのものの根源の存在であることを意味し、その根源の存在は神の愛である。神の愛と知恵4,14番参照)
 

631. Quod 'finis omnis carnis venit coram Me' significet quod genus humanum non posset non perire, constat ab ipsis verbis, tum a significatione 'carnis,' quod sit omnis homo in genere, et corporeus homo in specie, de quo prius.
 

631. Quod:こと、それ、そのこと、'finis:終わり、終結、omnis:凡ての、全体の、carnis:肉、肉体、venit:来た、行った、coram:目の前で、面と向かって、Me':私から、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、genus humanum:人類、non:否、posset:出来た、可能であった、non:否、perire,:死ぬこと、滅びること、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、ipsis:そのもの、それ自身、verbis,:言葉、語、tum:その上、さらに、a:~から、~により、significatione:意味、'carnis,':肉、肉体、quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、omnis:凡ての、全体の、homo:人間は、in genere,:一般的に、全般的に、et:また、そして、corporeus:地的な、形体的な、homo:人間は、in specie,:特に、詳細に、de:~について、quo:その者、prius.:以前に、前に、
 

631.「私の前で凡ての肉の終わりが来た。」は、人類は滅びないことが出来なかったことを意味することは、その言葉そのものから、更に「肉」の意味から、凡ての人間は全般的にそれ(肉)であること、また特に形体的な人間が(肉であることから)知られよう。その(形体的な人間)については前に(述べられた)。
 

632. Quod 'impleta est terra violentia' significet quod amplius nulla voluntas boni, constat ab illis quae de significatione 'violentiae' prius ad vers. 11 dicta et ostensa sunt: in praecedente versu dictum est de intellectu veri, hic dicitur de voluntate boni, quod utrumque perierit apud hominem Ecclesiae.
 

632. Quod:こと、それ、そのこと、'impleta:満たされた、一杯にされた、est:ある、terra:地、地上、violentia':暴力、暴行、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、amplius:これ以上、もはや、nulla:何も~ない、決して~でない、voluntas:意志、boni,:善の、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、de:~について、significatione:意味、'violentiae':暴力、暴行、prius:以前に、前に、ad:~に、~へ、vers.:節、11 dicta:言われた、et:~と、および、ostensa:示された、説明された、sunt::ある、in:~の中、~において、praecedente:先行しているもの、versu:節、dictum:言われた、est:ある、de:~について、intellectu:理解、知性、veri,:真理の、hic:ここに、この場に、dicitur:言われる、de:~について、voluntate:意志、boni,:善の、quod:こと、それ、そのこと、utrumque:両方とも、perierit:死んだ、滅びた、apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、Ecclesiae.:教会、
 

632.「地は暴行で満たされた」は、もはや何も善の意志がないことを意味することは、前の11節に言われ、また示された「暴行」の意味から知られよう。先行している節では真理の理解について言われたのであり、ここの(節)では善の意志について言われており、両方とも教会の人間の許に滅びた。
 

633. Res se ita habet quod apud nullum hominem sit aliquis intellectus veri ac voluntas boni, ne quidem apud illos qui fuerunt ex Antiquissima Ecclesia; sed cum caelestes fiunt, apparet sicut voluntas boni et intellectus veri esset apud eos, sed est solius Domini, quod etiam sciunt, agnoscunt et percipiunt; sicut etiam apud angelos; usque adeo ut qui non scit, agnoscit et percipit quod ita sit, nihil prorsus intellectus veri et voluntatis boni habeat. Apud hominem quemcumque, et apud angelum quemcumque, etiamsi caelestissimum, proprium ejus non est nisi falsum et malum; nam notum est quod caeli non sint puri coram Domino; et quod omne bonum et omne verum sit solius Domini; sed sicut homo et angelus potest perfici, ita, ex Divina Domini Misericordia, perficitur, et recipit sicut intellectam veri et voluntatem boni, sed quod habeat, est solum apparentia: perfici potest unusquisque homo, et consequenter recipere donum hoc misericordiae Domini, secundum cujusvis vitae actualitates {x}convenienter ejus implantato a parentibus malo hereditario.
 

633. Res:状況、事柄、se:それ自身を、ita:このように、次のように、habet:持つ、所有する、quod:こと、それ、そのこと、apud:~のもとに、~において、nullum:何も~ない、決して~でない、hominem:人間を、sit:ある、aliquis:誰か、ある者、intellectus:理解、知性、veri:真理の、ac:~と、なお加えて、voluntas:意志、boni,:善の、ne quidem:決して~ない、~ですら~ない、apud:~のもとに、~において、illos:彼らを、qui:その者達、fuerunt:あった、ex:~から、~に、Antiquissima:最古代、Ecclesia;:教会、sed:しかし、cum:その時、その場合、caelestes:天的な、fiunt,:為される、行なわれる、apparet:現れる、見える、sicut:~の如く、~のように、voluntas:意志、boni:善の、et:~と、および、intellectus:理解、知性、veri:真理の、esset:あった、apud:~のもとに、~において、eos,:彼らを、sed:しかし、est:ある、solius:だけ、のみ、Domini,:主の、quod:こと、それ、そのこと、etiam:~もまた、さらに、sciunt,:知る、知っている、agnoscunt:認める、承認する、et:~と、および、percipiunt;:理解する、認識する、sicut:~と同様に、丁度~のように、etiam:~もまた、さらに、apud:~のもとに、~において、angelos;:天使達を、usque adeo ut:そこまでも、これほどまでに、qui:その者、non:否、scit,:知る、知っている、agnoscit:認める、承認する、et:~と、および、percipit:理解する、認識する、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、sit,:ある、nihil:無、何も~ない、prorsus:全く、完全に、intellectus:理解、知性、veri:真理の、et:~と、および、voluntatis:意志、boni:善の、habeat.:持つ、所有する、
Apud:~のもとに、~において、hominem:人間を、quemcumque,:誰であれ、誰でも、et:また、そして、apud:~のもとに、~において、angelum:天使を、quemcumque,:誰であれ、誰でも、etiamsi:たとえ~でも、たとえ~であっても、caelestissimum,:最も天的な、proprium:固有性、自己、ejus:それの、彼の、non:否、est:ある、nisi:以外に、除いて、falsum:間違った原理(信念)、et:~と、および、malum;:悪、nam:なぜなら、というのも、notum:よく知られた、熟知された、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、caeli:諸天界、non:否、sint:ある、puri:純粋、清い、coram:目の前で、面と向かって、Domino;:主から、et:また、そして、quod:こと、それ、そのこと、omne:凡ての、全体の、bonum:善、et:~と、および、omne:凡ての、全体の、verum:真理、sit:ある、solius:だけ、のみ、Domini;:主の、sed:しかし、sicut:sicut~ita、~のように、~ほど、homo:人間は、et:~と、および、angelus:天使は、potest:出来る、可能である、perfici,:完成されること、完全にされること、ita,:このように、従って、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、perficitur,:完成される、完全にされる、et:また、そして、recipit:受け入れる、所有する、sicut:~の如く、~のように、intellectam:理解、知性、veri:真理の、et:~と、および、voluntatem:意志、boni,:善の、sed:しかし、quod:こと、それ、そのこと、habeat,:持つ、所有する、est:ある、solum:だけ、単なる、apparentia::外観、見かけ、perfici:完成されること、完全にされること、potest:出来る、可能である、unusquisque:各々の、各自の、homo,:人間は、et:また、そして、consequenter:それ故に、従って、recipere:受け入れること、受け取ること、donum:贈り物、与えられた物、hoc:これを、misericordiae:慈悲、憐れみ、Domini,:主の、secundum:~に従って、~に沿って、cujusvis:各々の、誰でも、vitae:生命、人生、actualitates:実行に移すこと、行動での実現、現実化、{x}convenienter:一致して、適合して、ejus:それの、彼の、implantato:植え付けられた、a:~から、~により、parentibus:両親達、先祖達、malo:悪から、hereditario.:遺伝の、相続の、
 

633.その状況は、人間の許に真理の理解と善の意志は決してなく、最古代教会に居た者達の許にですらなかった。しかし彼らが天的な者達に為される時、彼らの許に善の意志と真理の理解があるように見える。しかしそれは主だけのものであり、彼らはそのことを知り、承認し、および認識する。更に天使達の許でも同様である。ここまでもこのようにあることを知り、承認し、および認識しない者は全く何も真理の理解と善の意志を持たないのである。
人間の許に誰であれ、また天使の許に誰であれ、例え最も天的な者であっても、その固有性は間違った信念と悪以外ではない。なぜなら、諸天界も主の前で清くないこと、また凡ての善と凡ての真理は主だけの(もので)あることが熟知されているからである。しかし、人間と天使は完全にされることが出来るほど、主の神的な慈悲により完全にされ、真理の理解と善の意志を(彼のもの)の如く所有するが、しかしそれを持つことは単なる外観である。各々の人間は完全にされることが出来、またそれ故に、各々の者の人生の行動での実現に従って、(しかし、)先祖達の遺伝の悪からのその植え付けられたものに適合して、主の慈悲のこの贈り物を受け取ること(が出来る)。

その道を腐敗させた

ここの節の内意は、凡ての人間は誰であれ教会のあった地において「その道を腐敗させた」ことであり、そのように真理を理解することがないようになったことである。なぜなら、凡ての人間が形体的な者に為されたからである。前の節における者達だけが形体的な者達に為されたのではなく、更に「ノア」と呼ばれた者達もまた形体的な者に為されたのであった。この者達については後に続く節で特に述べられる。なぜなら、彼らは再生されることの前にはこのような者達であったからである。これらの状態が先行する。なぜなら彼らの再生が後に続く節で述べられているからである。また教会のものが殆んど残っていなかったので、この場合「神」が言われ「エホバ」は言われていない。
この節においては真理が何もなかったことが意味され、次の節においては善が何もなかったことが意味されている。それらは「ノア」と呼ばれる者達の許の残りのものの中、更に、彼らが知っていた教義のことがらの中だけにあった。なぜなら、残りのものなしに再生は与えられないからである。しかし、真理の理解があったのではない。真理の理解はそこにもし、善の意志がなければ決して与えられない。そこに善の意志がなければ、そこで真理の理解もなく、また意志のままに、そのように理解がある。最古代人達の許には、主への愛があったので善の意志があり、またそこから真理の理解もあったが、しかし、この理解は意志と一緒に滅んだ。しかし、ノアと呼ばれる者達の許に或る種の理性、また自然的な善が残った。それ故に、再生されることもまた出来たのであった。(天界の秘義628)
 

凡ての人間には罪があるので、即ち憎しみ、淫乱、貪欲、自尊心、貪りがあるので、これらの罪が悔い改められなければ、例え聖書を読んでも聖書の御言葉を自分の罪の悪い欲望に都合よく解釈するので、また聖書の字義はどんな悪も正当化出来るので、聖書が歪められて理解されます。そしてこの歪められた理解によって道を歩むとき、道が腐敗されます。
今の時代も丁度この時代と同じで、主への愛と隣人への愛に満ちた「十戒の律法」が罪に定めるものとして忌み嫌われ、また悔い改めも軽んじられています。

5-494~495意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-494~495意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

494.「彼が死んだこと」は、そのような認識が存在しなくなったことを意味することは、「死ぬこと」の言葉の意味から知られよう。それはヨハネの書における如く、どのようなものも存在することを終える凡てのものを意味する。
「サルデスの中の天使に書け、これらのことを七つの霊と七つの星を持つ方が言われる。私はあなたの働きを知った。そのため、あなたは生きていることを言うが、しかしあなたは死んだ者である。あなたは目覚めている者であれ、また死にかけている残りの者達を強固にせよ、というのは、私はあなたの働きが神の目の前で完成されたのを見なかったからである。」黙示録、3.1,2、エレミヤ書において、
「私はあなたを産んだあなたの母親を捨てよう。あなた達が産まれたのではない他の地に捨てよう。そしてそこであなた達は死ぬ。」22.26、ここで「母親」は教会として記述されている。というのは、言われたように、特に遺伝の悪が増大されることの理由から、なぜなら、後に続く各々の両親が新しい悪を付け加えるからであるが、人間が衰え、また堕落し、そして古い時代の高潔がなくなることのその事柄を教会も一緒に持つからである。凡ての実際の悪は、先祖達の許に悪の性質の形を付加し、またしばしばそれを行った時、付加された遺伝のものが生来のものに為される。そして子供達に、そしてそのように子孫達に移植される。このように遺伝の悪が子孫達の中に果てしなく増やされる。このことを各々の者は、両親達と祖父達の悪い性質が全く同様に彼らの子供達にあることから知ることが出来よう。
[2]何かの遺伝の悪は存在することはないと見なす者達、更に何かの遺伝の悪はアダムから植え付けられたものであることを断言する者達の見解は、313番に認められるように完全に最も誤ったものである。しかし、各々の者は自分自身の実際の罪によって遺伝の悪を作り、なお加えてその先祖達から得られた遺伝の悪にそれを加え、そしてそのように、それを積み重ね、凡ての子孫の中にそれが残留するであろう。主により再生される者達において以外、それは和らげられない。これらの遺伝の悪が凡ての教会が堕落する主要な原因であり、従って最古代教会の堕落の主要な原因でもまたあった。
 

495.どうして最古代教会が衰えたかは、もし認識が何かが知られるのでなければ知られることが出来ない。なぜなら、その教会は今日決して存在しないような種類の認識力があったからである。
その教会の認識は天使達の如く主により善と真理が何かを理解することの中に知られる。社会的な仲間関係の善と真理が何かはそれほどでもないが、しかし主への愛と信仰の善と真理が何かを理解する。生活から確信された信仰の承認により、それがどのようなものであるか、またそれがあるかどうか知ることが出来る。

6-628原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-628原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

628. Sensus internus hic est quod omnis homo quicumque fuit in terra ubi Ecclesia, 'corruperit viam suam,' sic ut non intelligere verum, quia omnis homo corporeus factus; non solum illi de quibus in versu priore, sed etiam illi qui 'Noahus' dicuntur, de quibus hi' et in versu sequente in specie agitur; nam antequam regenerati, tales fuerunt; haec praecedunt quia de regeneratione eorum in sequentibus agitur: et quia parum Ecclesiae remansit, nunc dicitur 'Deus,' non Jehovah. In hoc versu significatur quod nihil verum fuerit; in nunc sequente, quod nihil bonum; modo in reliquiis, quae apud hos qui 'Noahus' vocantur, nam absque reliquiis, non datur regeneratio tum in doctrinalibus quae sciverunt: sed non fuit intellectus veri, qui nusquam datur nisi ubi voluntas boni; ubi non voluntas ibi nec intellectus, et qualis voluntas talis intellectus; apud antiquissimos fuit voluntas boni quia amor in Dominum, et inde intellectus veri; sed hic intellectus prorsus cum voluntate periit. Verum quoddam rationale, et bonum naturale, remansit apud hos qui vocantur Noahus, quare etiam potuerunt regenerari.
 

628. Sensus internus:内意、hic:ここに、この場に、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、omnis:凡ての、全体の、homo:人間は、quicumque:誰であれ、誰でも、fuit:あった、in:~の中、~において、terra:地、地上、ubi:そこで、その場所、Ecclesia,:教会、'corruperit:堕落した、腐敗した、viam:道、道筋、suam,':自分自身を、それ自身を、sic:そのように、こうして、ut:~のように、~として、non:否、intelligere:理解すること、verum,:真理を、quia:なぜなら、ので、omnis:凡ての、全体の、homo:人間は、corporeus:地的な、形体的な、factus;:為された、行われた、non:否、solum:だけ、のみ、illi:彼らは、de:~について、quibus:その者達、in:~の中、~において、versu:節、priore,:より前の、より先の、sed:しかし、etiam:~もまた、さらに、illi:彼らは、qui:その者達、'Noahus':ノア、dicuntur,:言われた、de:~について、quibus:その者達、hi':この者達、et:また、そして、in:~の中、~において、versu:節、sequente:次の、後に続く、in specie:特に、取分け、agitur;:述べられる、取り扱われる、nam:なぜなら、というのも、antequam:前に、より先に、regenerati,:再生されること、tales:このような、次のような、fuerunt;:あった、haec:これが、praecedunt:先行する、先んずる、quia:なぜなら、ので、de:~について、regeneratione:再生、eorum:それらの、彼らの、in:~の中、~において、sequentibus:次の、後に続く、agitur::述べられる、取り扱われる、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、parum:先ず~ない、殆ど~でない、Ecclesiae:教会、remansit,:残った、留まった、nunc:今、この場合、dicitur:言われる、'Deus,':神は、non:否、Jehovah.:エホバ、
In:~の中、~において、hoc:これから、versu:節、significatur:意味される、quod:こと、それ、そのこと、nihil:無、何も~ない、verum:真理、fuerit;:あった、in:~の中、~において、nunc:今、この場合、sequente,:次の、後に続く、quod:こと、それ、そのこと、nihil:無、何も~ない、bonum;:善、modo:だけ、単に、in:~の中、~において、reliquiis,:残りの人達、残りのもの、quae:それらは、そのことらは、apud:~のもとに、~において、hos:この者達、qui:その者達、'Noahus':ノア、vocantur,:呼ばれる、nam:なぜなら、というのも、absque:~なしに、~を除いて、reliquiis,:残りの人達、残りのもの、non:否、datur:あたえられる、regeneratio:再生、tum:その上、さらに、in:~の中、~において、doctrinalibus:教義、(の事柄) quae:それらは、そのことらは、sciverunt::知った、sed:しかし、non:否、fuit:あった、intellectus:理解、知性、veri,:真理の、qui:それは、そのことは、nusquam:どこにもない、決して~ない、datur:与えられる、nisi:~以外、もし~でなければ、ubi:そこで、その場所、voluntas:意志、boni;:善の、ubi:そこで、その場所、non:否、voluntas:意志、ibi:そこに、そこで、nec:否、intellectus,:理解、知性、et:また、そして、qualis:qualis~talis~、~のままに、そのように~、voluntas:意志、talis intellectus;:理解、知性、apud:~のもとに、~において、antiquissimos:最古代、fuit:あった、voluntas:意志、boni:善の、quia:なぜなら、ので、amor:愛が、in:~の中へ、~へ、Dominum,:主へ、et:また、そして、inde:それ故、そこから、intellectus:理解、知性、veri;:真理の、sed:しかし、hic:この、これは、intellectus:理解、知性、prorsus:全く、完全に、cum:~と一緒に、~と、voluntate:意志、periit.:死んだ、滅びた、
Verum:しかし、しかしながら、quoddam:ある種の、何らかの、rationale,:理性、合理性、et:また、そして、bonum:善、naturale,:自然的な、remansit:残った、留まった、apud:~のもとに、~において、hos:この者達、qui:その者達、vocantur:呼ばれた、Noahus,:ノア、quare:それ故に、etiam:~もまた、さらに、potuerunt:出来た、可能であった、regenerari.:再生されること、
 

628.ここの(節)の内意は、凡ての人間は誰であれ教会のあった地において「その道を腐敗させた」ことであり、そのように真理を理解することがないように(なったことである)。なぜなら、凡ての人間が形体的な者に為されたからである。前の節における者達だけ(が形体的な者達に為されたの)ではなく、更に「ノア」と呼ばれた者達もまた(形体的な者に為されたのであった)。この者達については後に続く(節)で特に述べられる。なぜなら、彼らは再生されることの前にはこのような者達であったからである。これら(の状態)が先行する。なぜなら彼らの再生が後に続く(節で)述べられているからである。また教会の(ものが)殆んど残っていなかったので、この場合「神」が言われ「エホバ」(は言われていない)。
この節においては真理が何もなかったことが意味され、次の(節)においては善が何もなかったことが(意味されている)。(それらは)「ノア」と呼ばれる者達の許の残りのものの中、更に、彼らが知っていた教義のことがらの中だけに(あった)。なぜなら、残りのものなしに再生は与えられないからである。しかし、真理の理解があったのではない。それ(真理の理解)はそこにもし、善の意志がなければ決して与えられない。そこに(善の)意志がなければ、そこで(真理の)理解もなく、また意志のままに、そのように理解がある。最古代人達の許には、主への愛があったので善の意志があり、またそこから真理の理解もあったが、しかし、この理解は意志と一緒に滅んだ。しかし、ノアと呼ばれる者達の許に或る種の理性、また自然的な善が残った。それ故に、再生されることもまた出来た(のであった)。

5-492~493意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-492~493意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

492.五節、「そして、人間の生きた凡ての日々は930年であった。そして彼は死んだ。」
「日々と年」によって、前のように時間と状態が意味され、「彼が死んだこと」はそのような認識が存在しなくなったことを意味する。
 

493.「日々と年々」によって時間と状態が意味されることは、更に詳しく論じられるべきではない。ここでは、この世の中は自然の最外部の中にあるので、時間と長さ(寸法)が存在しないことが出来ず、それらに数字が付けられることだけが言われるべきである。しかし、聖言において、時間と長さ(寸法)に数字が付けられる箇所のたびごとの日々と年々の数字によって、更に長さ(寸法)の数字によって、時間と長さ(寸法)に関係なく数字の意味に従って何かのことが意味される。丁度、六日が労苦であり、また第七日が神聖なものであるように意味される。それらについては上に(示された)。ヨベルの年は第四十九年目毎に叫ばれ、また第五十年毎に祝われること、イスラエルの部族は主の使徒達と同数の十二であったこと、七十人の長老達が、主の弟子達と同じ数の如く居たこと、また他に極めて多くのものがある。そこにある数字はそれらに付けられた数字に関係なく何か特有なことを意味する。そしてそれらの数字が分かたれる時、数字によって意味される状態がある。

6-627原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-627原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

627. 'Quia corrupit omnis caro viam suam super terra': quod significet corporeum hominis perdidisse omnem intellectum veri, constat a significatione 'carnis,' de qua prius ad vers. 3, quod sit in genere omnis homo, in specie corporeus, seu omne corporeum; et ex significatione 'viae' quod sit intellectus veri, seu ipsa veritas: quod 'via' praedicetur de intellectu veri, seu de veritate, constare potest ab illis quae allata sunt prius passim, et praeterea ab his quae sequuntur; apud Mosen,
Dixit Jehovah, Surge, descende cito hinc, quia corrupit se populus tuus,... recesserunt subito de via, quam praecepi eis, fecerunt sibi fusile, Deut. ix 12, 16;
ibi a praeceptis, quae sunt veritates: [2] apud Jeremiam,
Cujus oculi aperti sunt super omnes vias filiorum hominis, ad dandum viro juxta vias ejus, et juxta fructum operum ejus, xxxii 19;
'viae' sunt vita secundum praecepta, 'fructus operum' est vita ex charitate; ita 'via' praedicatur de veris, quae sunt praeceptorum et mandatorum; sicut etiam 'filius hominis, et 'vir,' ut supra ostensum: similiter, Jer. vii 3; xvii 10: apud Hosheam,
Visitabo super eum vias ejus, et opera ejus reddam ei, iv 9:
apud Zachariam,
Revertimini a viis vestris malis, et operibus vestris malis:...sicut cogitavit Jehovah Zebaoth facere nobis juxta vias nostras, et juxta opera nostra, i 4, 6;
similiter, sed contraria prioribus, quia viae malae, et opera mala: apud Jeremiam,
Dabo iis cor unum, et viam unam, xxxii 39;
'cor' pro bonis, et 'via' pro veris: apud Davidem,
Viam mandatorum Tuorum fac me intelligere.... Viam mendacii remove a me; et legem Tuam gratiose largire mihi. Viam veritatis elegi.... Viam praeceptorum Tuorum curram, Ps. cxix 26, 27, 29, 30, 32, 35;
ubi 'via mandatorum et praeceptorum' dicitur via veritatis; cui contraria 3 'via mendacii': apud eundem,
Vias Tuas Jehovah notas fac mihi, tramites Tuos doce me, duc viam meam in veritate Tua, et doce me, Ps. xxv 4, 5;
similiter manifeste pro veritate: apud Esaiam,
Cum quo consiliatus est Jehovah, et instruxit Ipsum, et docuit Ipsum semitam judicii, et docuit Ipsum scientiam, et viam intelligentiarum nosse fecit Ipsi?" xl 14;
manifeste pro intellectu veri: apud Jeremiam,
Sic dixit Jehovah, State super viis, et videte, et quaerite de semitis saeculi, quae sit via bona, et ite in illa, vi 16;
similiter pro intellectu veri: apud Esaiam,
Ducam caecos in via non noverunt, in semitis non noverunt, ducam eos, xlii 16;
de veris praedicantur 'et via, et semita, et trames, et platea, et vicus,' quia ducunt ad verum; ut etiam apud Jeremiam,
Impingere fecerunt eos in viis eorum, tramitibus saeculi, ad eundum semitas, viam non stratam, xviii 15:
similiter in Libro Judicum,
In diebus Jaelis cessarunt tramites, et euntes semitas, iverunt tramites tortuosos; cessarunt vici in Israel, v 6, [7].
 

627. 'Quia:なぜなら、ので、corrupit:堕落した、腐敗した、omnis:凡ての、全体の、caro:肉、肉体、viam:道を、suam:自分自身を、それ自身を、super:~の上で、~の上に、terra'::地、地上、quod:こと、それ、そのこと、significet:意味する、corporeum:地的な、形体的な、hominis:人間の、perdidisse:滅ぼしたこと、omnem:凡ての、全体の、intellectum:理解、知性、veri,:真理の、constat:知られる、明らかである、a:~から、~により、significatione:意味、'carnis,':肉、肉体、de:~について、qua:それから、そのことから、prius:以前に、前に、ad:~に、~へ、vers.:節、3, quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、in genere:一般的に、全般的に、omnis:凡ての、全体の、homo,:人間は、in specie:特に、詳細に、corporeus,:地的な、形体的な、seu:即ち、或いは、omne:凡ての、全体の、corporeum;:地的な、形体的な、et:また、そして、ex:~から、~により、significatione:意味、'viae':道、道筋、quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、intellectus:理解、知性、veri,:真理の、seu:即ち、或いは、ipsa:そのもの、それ自身、veritas::真理、真実、quod:こと、それ、そのこと、'via':道、道筋、praedicetur:属性付けられる、述べられる、de:~について、intellectu:理解、知性、veri,:真理の、seu:即ち、或いは、de:~について、veritate,:真理、真実、constare:知られること、明らかであること、potest:出来る、可能である、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、allata:述べられた、説明された、sunt:ある、prius:以前に、前に、passim,:至る所で、しばしば、et:また、そして、praeterea:加えて、更に、他に、ab:~から、~により、his:これらから、quae:それらは、そのことらは、sequuntur;:続く、続いて来る、apud:~のもとに、~において、Mosen,:モーセ、
Dixit:言った、Jehovah,:エホバ、Surge,:立ち上がれ、(命令形)descende:降りよ、下れ、(命令形)cito:速く、すぐに、hinc,:ここから、こちら側に、quia:なぜなら、ので、corrupit:堕落した、腐敗した、se:自分自身を、それ自身を、populus:人々、民、tuus,:あなたの、... recesserunt:はずれた、逸脱した、subito:突然に、不意に、de:~について、~から、via,:道、道筋、quam:それを、そのことを、praecepi:命じた、(一人称単数完了)eis,:彼らに、fecerunt:行なった、作った、sibi:彼ら自身に、fusile,:鋳型でつくられた、鋳造の、Deut.:申命記、ix 12, 16; ibi:そこに、そこで、a:~から、~により、praeceptis,:教え、戒め、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、veritates::真理、真実、
[2] apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Cujus:それの、そのことの、oculi:目、aperti sunt:開かれた、解放された、super:~の上で、~の上に、omnes:凡ての、全体の、vias:道、道筋、filiorum:息子達の、hominis,:人間の、ad:~に、~のために、dandum:恩恵を与えることを、viro:男、夫、人、juxta:もとづいて、~に従って、vias:道、道筋、ejus,:それの、彼の、et:また、そして、juxta:もとづいて、~に従って、fructum:果実、実、operum:諸々の働き、諸々の活動、ejus,:それの、彼の、xxxii 19; 'viae':諸々の道、諸々の道筋、sunt:ある、vita:生命、生活、secundum:~に従って、~に沿って、praecepta,:諸々の教え、諸々の戒め、'fructus:果実、実、operum':諸々の働き、諸々の活動、est:ある、vita:生命、ex:~から、~により、charitate;:仁愛、ita:このように、従って、'via':道、道筋、praedicatur:属性付けられる、述べられる、de:~について、veris,:諸々の真理から、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、praeceptorum:諸々の教え、諸々の戒め、et:~と、および、mandatorum;:諸々の神の掟、諸々の律法、sicut:sicut~etiam、~と同じく、etiam 'filius:息子、hominis,:人間の、et:~と、および、'vir,':男、夫、人、ut:~のように、~として、supra:以前に、既に、ostensum::示された、説明された、similiter,:同様に、似ている、Jer.:エレミヤ、vii 3; xvii 10: apud:~のもとに、~において、Hosheam,:ホセア、
Visitabo:罰する、復讐する、(一人称単数未来)super:~の上で、~の上に、eum:彼を、vias:諸々の道、諸々の道筋、ejus,:それの、彼の、et:また、そして、opera:諸々の働き、諸々の活動、ejus:それの、彼の、reddam:与える、報いる、(接続法一人称単数現在)ei,:彼に、iv 9: apud:~のもとに、~において、Zachariam,:ゼカリヤ、
Revertimini:戻る、立ち返る、(二人称複数現在受動)a:~から、~により、viis:諸々の道、諸々の道筋、vestris:あなた達の、malis,:諸々の悪、et:また、そして、operibus:諸々の働き、諸々の活動、vestris:あなた達の、malis::諸々の悪、...sicut:~の如く、丁度~のように、cogitavit:考えた、Jehovah:エホバ、Zebaoth:万軍の、(エホバの称号)facere:行なうこと、為すこと、nobis:私達に、juxta:もとづいて、~に従って、vias:諸々の道、諸々の道筋、nostras,:私達を、et:また、そして、juxta:もとづいて、~に従って、opera:諸々の働き、諸々の活動、nostra,:私達の、i 4, 6; similiter,:同様に、似ている、sed:しかし、contraria:反対、相反、prioribus,:より前の、より先の、quia:なぜなら、ので、viae:諸々の道、諸々の道筋、malae,:悪いもの、悪い、et:また、そして、opera:諸々の働き、諸々の活動、mala::悪いもの、悪い、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Dabo:与える、(一人称単数未来)iis:彼らに、cor:心臓、心、unum,:1、et:また、そして、viam:道、道筋、unam,:1、xxxii 39; 'cor':心臓、心、pro:~として、~のために、bonis,:善、et:また、そして、'via':道、道筋、pro:~として、~のために、veris::真理、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Viam:道、道筋、mandatorum:神の掟、律法、Tuorum:あなたの、fac:行え、為せ、(命令形)me:私を、intelligere.:理解すること、... Viam:道、道筋、mendacii:偽り、偽物、remove:遠ざけよ、取り除け(命令形)a:~から、~により、me;:私から、et:また、そして、legem:法律、法令、Tuam:あなたの、gratiose:情け深く、慈悲深く、親切に、largire:与えよ、授けよ、許せ、(命令形)mihi.:私に、
Viam:道、道筋、veritatis:真理、真実、elegi.:選んだ、選択した、... Viam:道、道筋、praeceptorum:教え、戒め、Tuorum:あなたの、curram,:走る,急ぐ、(接続法一人称単数現在)Ps.:詩篇、cxix 26, 27, 29, 30, 32, 35; ubi:そこで、その場所、'via:道、道筋、mandatorum:神の掟、律法、et:~と、および、praeceptorum':教え、戒め、dicitur:言われる、via:道、道筋、veritatis;:真理、真実、cui:それに、そのことに、contraria:反対、相反、[3]'via:道、道筋、mendacii'::偽り、偽物、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Vias:諸々の道、諸々の道筋、Tuas:あなたの、Jehovah:エホバ、(呼格)notas:指し示す、知らせる、(二人称単数現在)fac:行え、為せ、(命令形)mihi,:私に、tramites、諸々の小道、諸々の水路、Tuos:あなたの、doce:教えよ、(命令形)me,:私を、duc:導け、(命令形)viam:道、道筋、meam:私を、in:~の中、~において、veritate:真理、真実、Tua,:あなたの、et:また、そして、doce:教えよ、(命令形)me,:私を、Ps.:詩篇、xxv 4, 5; similiter:同様に、似ている、manifeste:明瞭に、明らかに、pro:~として、~のために、veritate::真理、真実、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Cum:~と一緒に、~と、quo:誰?、何?、consiliatus est:相談した、協議した、Jehovah,:エホバ、et:また、そして、instruxit:与えた、教えた、Ipsum,:御自身、et:また、そして、docuit:教えた、Ipsum:御自身、semitam:細道、道、judicii,:審判、裁判、et:また、そして、docuit:教えた、Ipsum:御自身、scientiam,:知識、科学、et:また、そして、viam:道、道筋、intelligentiarum:英知、知性、nosse:知ること、(noscoの不定法完了novisseの短縮形)fecit:行なった、為した、Ipsi?":御自身、xl 14; manifeste:明瞭に、明らかに、pro:~として、~のために、intellectu:英知、知性、veri::真理の、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Sic:そのように、こうして、dixit:言った、Jehovah,:エホバ、State:立て、(複数命令形)super:~の上で、~の上に、viis,:諸々の道、諸々の道筋、et:また、そして、videte,:見よ、(複数命令形)et:また、そして、quaerite:尋ねよ、(複数命令形)de:~について、semitis:細道、道、saeculi,:今の世、現代、quae:それらは、そのことらは、sit:ある、via:道、道筋、bona,:善いもの、善い、et:また、そして、ite:行け、進め、(eoの複数命令形)in:~の中へ、~によって、illa,:それらを、vi 16; similiter:同様に、似ている、pro:~として、~のために、intellectu:理解、知性、veri::真理の、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Ducam:導く、(接続法一人称単数現在)caecos:盲目の、無分別な、in:~の中、~に、via:道、道筋、non:否、noverunt,:知る、気付く、in:~の中、~に、semitis:諸々の細道、諸々の道、non:否、noverunt,:知る、気付く、ducam:導く、(接続法一人称単数現在)eos,:彼らを、xlii 16; de:~について、veris:諸々の真理から、praedicantur:属性付けられる、述べられる、'et:また、そして、via,:道、道筋、et:また、そして、semita,:細道、道、et:また、そして、trames,:小道、水路、et:また、そして、platea,:通り、街路、et:また、そして、vicus,':通り、街、quia:なぜなら、ので、ducunt:導く、ad:~に、~へ、verum;:真理へ、ut:~として、例えば、etiam:~もまた、さらに、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Impingere:つまずくこと、よろめくこと、fecerunt:行なった、為した、eos:彼らを、in:~の中、~において、viis:諸々の道、諸々の道筋、eorum,:それらの、彼らの、tramitibus:諸々の小道、諸々の水路、saeculi,:今の世、現代、ad:~に、~ために、eundum:行くことヘ、semitas,:諸々の細道、諸々の道、viam:道、道筋、non:否、stratam,:大道、舗道、xviii 15: similiter:同様に、似ている、in:~の中、~において、Libro:書、Judicum,:士師記、
In:~の中、~において、diebus:日々、Jaelis:ヤエル、(ケニ人ヘベルの妻)cessarunt:終わった、止まった、使われなかった、tramites,:諸々の小道、諸々の水路、et:また、そして、euntes:行っている、進んでいる、semitas,:諸々の細道、諸々の道、iverunt:行った、tramites:諸々の小道、諸々の水路、tortuosos;:曲がった、曲がりくねった、ねじれた、cessarunt:終わった、止まった、使われなかった、vici:諸々の通り、諸々の街、in:~の中、~において、Israel,:イスラエル、v 6, [7].
 

627.「凡ての肉は地の上でその道を腐敗させたので」は、人間の形体的なものが真理の凡ての理解を滅ぼしたことを意味することは、前の3節において、全般的には凡ての人間が(肉で)あること、特に形体的な者、或いは凡ての形体的な者(が肉であることが言われた)「肉」の意味から、また「道」の意味が真理の理解、即ち真理そのものの(理解で)あることから知られよう。「道」は真理の理解、即ち真理に属性付けられることは、前の至る所で述べられたことから、また更に、続く(箇所)から知られることが出来よう。
「エホバは言われた。あなたの民は堕落したので、あなたはすぐに立ち上がってここから下れ、...彼らは彼ら自身に鋳造の(像を)作って私が彼らに命じた道から突然に逸脱した。」申命記、9.12,16、ここでは、(彼らが)諸々の真理の教え(戒め)から(逸脱したことが記述されている)。
[2]エレミヤ(書)において、
「人間の息子達の凡ての道の上にその目が開かれた。男にその道に従って、またその働きの実に従って恩恵を与えるため(である)。」32.19、(ここの)「諸々の道」は諸々の戒め(諸々の教え)に従った生活であり、「諸々の働きの実」は仁愛からの生命である。このように「道」は諸々の真理に属性付けられ、それらは諸々の教えと諸々の律法である。同じく「人間の息子と男」は、以前に示されたように、エレミヤ、7.3、17.10、も同様に(記述されている)。ホセア(書)において、
「私は彼の諸々の道を彼の上で罰するであろう、またその諸々の働きを(彼の上に)報いよう。」4.9、ゼカリヤ(書)において、
「あなた達の諸々の悪の諸々の道から、またあなた達の諸々の悪の諸々の働きから立ち返れ、...万軍のエホバが私達の諸々の道にもとづいて、また私達の諸々の働きにもとづいて私達に行なうことを考えた如く、」1.4,6、(ここでも)同様(であるが)、しかし前とは反対(である)。なぜなら、悪い道、また悪い働き(であるからである)。エレミヤ(書)において、
「私は彼らに一つの心と一つの道を与えよう。」エレミヤ、32.39、「心」は善として、また「道」は真理として(記述されている)。ダビデ(の書)において、
「あなたの掟の道を私に理解することを為させ給え、...私から偽りの道を取り除き、また私にあなたの律法を慈悲深く与え給え、彼は真理の道を選んだ、...あなたの戒め(教え)の道を私は急ごう。」119.26,
27,29,31,32,35、ここで「掟と戒めの道」は真理の道と言われている。この(道)に「偽りの道」は反対(である)。
[3]同(書)において、
「エホバよ、あなたの諸々の道をあなたが私に指し示し給え、あなたの諸々の小道を私に教え給え、あなたの真理で私の道を導き、また私を教え給え、」25.4,5、(ここでも)同様に(道は)真理として(記述されている)。イザヤ(書)において、
「エホバは誰と相談したのか? また(誰が)エホバ御自身を教えたのか? また(誰が)エホバ御自身に審判の道を教えたのか? また(誰が)エホバ御自身に知識を教えたのか? また(誰が)エホバ御自身に英知の道を知ることを為したのか?」40.14、(これは)明瞭に真理の英知として(記述されている)。エレミヤ(書)において、
「エホバはこのように言われた。あなた達は諸々の道の上に立って見よ、また今の世の善い道である細道について尋ねよ、そしてその(細道)によって行け。」6.16、(ここでも)同様に(道は)真理の理解として(記述されている)。イザヤ(書)において、
「私は無分別な者達を彼らが知らない道に導こう、私は彼らを彼らが知らない細道に導こう。」42.16、「道、細道、小道、街路、通り」は諸々の真理に属性付けられる。なぜなら、それらが真理へ導くからである。例えば、エレミヤ(書)において、
「今の世の諸々の小道に、大道でない道を諸々の細道を行くために、それらはそれらの道において彼らを躓くことを為した(躓かせた)。」18.15、同様に士師記において、
「ヤベル(ヘベルの妻)の日々に、諸々の小道は使われず、また諸々の細道を行っている者達は曲がりくねった諸々の小道を行った。イスラエルの中の諸々の通りは使われなかった。」5.6,7、

5-490~491意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-490~491意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

490.「娘」は善として、何度も聖言の中に記述されている。例えば、ダビデの書において、
「あなたの高貴な者達の間に王達の娘達が居り、しかもなお、王女が右側に立つ、無論、オフィルの最良の金の中で立っている。...ツロの娘は捧げものの中で立ち、王の娘は凡ての栄光を内側に持ち、その衣装は金の刺繍により作られている。あなたの父祖達の代わりにあなたの息子達が居るであろう。」詩篇、45.9-16、ここでは「娘」によって善、および愛の美しいものと信仰の美しいものが記述されている。それ故、諸々の教会は「娘達」と呼ばれ、その上、善により、「シオンの娘とエルサレムの娘」のように呼ばれる。イザヤ、37.22、また他の箇所にたびたび呼ばれている。更に「民の娘達」イザヤ、22.4、「タルシュの娘」イザヤ、23.10、「シドンの娘」同じ箇所の12節、「野の中の娘達」エゼキエル、26.6,8、と呼ばれている。
 

491.この章の4, 7, 10, 13, 16, 19, 26, 30, 節の中の息子達と娘達によっても同様に意味される。しかし教会のままに、そのように息子達と娘達が意味される。即ち教会のままに、そのような善と真理が意味される。この章の真理と善を彼らは区別して認識したのである。なぜなら、他の教会と後に続いた教会の最も重要で、また源である最古代教会について述べられているからである。

6-624~626原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-624~626原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

624. Quod hic de statu non Ecclesiae agatur, constat inde quod hic et in sequentibus hujus capitis dicatur 'Deus,' in praecedentibus autem 'Jehovah'; quando non Ecclesia, dicitur Deus, at quando Ecclesia, dicitur Jehovah, sicut in capite, primo Geneseos quando non Ecclesia, dictam est Deus, in sequente autem quando Ecclesia, dictum Jehovah Deus: Jehovah est sanctissimum, et non nisi quam Ecclesiae; at Deus non ita, 'quia nulla non gens habuit deos, quare nomen Deus non ita sanctum: nemini Jehovam nominare licuit, nisi cui verae fidei cognitio, at Deum cuicumque.
 

624. Quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、de:~について、statu:状態、性質、non:否、Ecclesiae:教会、agatur,:述べられる、取り扱われる、constat:知られる、明らかである、inde:それ故、そこから、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、et:~と、および、in:~の中、~において、sequentibus:続く、続いて来る、hujus:この、これの、capitis:章、dicatur:言われる、'Deus,':神が、in:~の中、~において、praecedentibus:先行、優位、autem:しかし、これに反し、'Jehovah';:エホバ、quando:時に、~の時、non:否、Ecclesia,:教会、dicitur:言われる、Deus,:神が、at:しかし、それに対して、quando:時に、~の時、Ecclesia,:教会、dicitur:言われる、Jehovah,:エホバ、sicut:例えば、丁度~のように、in:~の中、~において、capite,:章、primo:第一の、最初の、Geneseos:創世記、quando:時に、~の時、non:否、Ecclesia,:教会、dictam:言われた、est:ある、Deus,:神が、in:~の中、~において、sequente:次の、後に続く、autem:しかし、これに反し、quando:時に、~の時、Ecclesia,:教会、dictum:言われた、Jehovah:エホバ、Deus::神が、Jehovah:エホバ、est:ある、sanctissimum,:最も神聖な、et:また、そして、non:否、nisi quam:除いて、~以外に、Ecclesiae;:教会、at:しかし、それに対して、Deus:神は、non:否、ita,:それほど、そんなに、ita:このように、結果として、quia:なぜなら、ので、nulla:何も~ない、決して~でない、non:否、gens:人々、民、habuit:持った、所有した、deos,:神々、quare:それ故に、nomen:名前、名称、Deus:神は、non:否、ita:このように、そのような具合に、sanctum::神聖な、聖なる、nemini:誰も~ない、Jehovam:エホバ、nominare:呼ぶこと、名付けること、licuit,:~することが自由であった、許されていた、nisi:~以外、もし~でなければ、cui:その者に、verae:真理の、真実の、fidei:信仰の、cognitio,:知識、概念、at:しかし、それに対して、Deum:神は、cuicumque.:誰であれ、誰でも、
 

624.ここの(節)で教会のない状態が述べられていることは、この章のここの(節)と続く(節)において「神」が言われ、これに反し、先行(する節)においては「エホバ」が(言われている)ことから知られよう。教会がない時には神が言われるが、これに対して教会が(ある)時にはエホバが言われる。例えば、創世記第一章において教会がない時は神が言われたが、後に続く(章で)教会が(ある)時は、神エホバと言われた。エホバ(の御名)は最も神聖なものであり、(主の)教会以外に(使われ)ないが、しかし神はそれほど(神聖なものでは)ない。なぜなら、結果として神々を持たなかった民は、決して居なかったからである。それ故に神の名はそのような具合に神聖なものではない。誰であれ信仰の真理の概念がない者は、エホバの(御名を)呼ぶことは許されていなかった(許されない)。これに対して神(の名)は誰でも(呼ぶことが許されている)。
 

625. Vers. 12. Et vidit Deus terram, et ecce corrupta fuit, quia corrupit omnis caro viam suam super terra. 'Quod viderit Deus terram' significat quod Deus nosset hominem: 'quod corrupta' significat quod nihil nisi falsum: 'quia corrupit omnis caro viam suam super terra' significat quod corporeum hominis perdiderit omnem intellectum veri.
 

625. Vers.:節、12. Et:また、そして、vidit:見た、認めた、Deus:神は、terram,:地、地上、et:また、しかるに、ecce:ほら、見よ、corrupta:堕落した、腐敗した、fuit,:あった、quia:なぜなら、ので、corrupit:堕落した、腐敗した、omnis:凡ての、全体の、caro:肉、肉体、viam:道を、suam:自分自身を、それ自身を、super:~の上で、~の上に、terra.:地、地上、
'Quod:こと、それ、そのこと、viderit:見た、認めた、Deus:神は、terram':地、地上、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、Deus:神は、nosset:知る、知った、hominem::人間を、'quod:こと、それ、そのこと、corrupta':堕落した、腐敗した、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、nihil:無、何も~ない、nisi:~以外、もし~でなければ、falsum::間違った原理(信念)、'quia:なぜなら、ので、corrupit:堕落した、腐敗した、omnis:凡ての、全体の、caro:肉、肉体、viam:道を、suam:自分自身を、それ自身を、super:~の上で、~の上に、terra':地、地上、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、corporeum:地的な、形体的な、hominis:人間の、perdiderit:殺した、滅ぼした、omnem:凡ての、全体の、intellectum:知性、理解、veri.:真理の、
 

625. 十二節、「そして、神は地を見られた。しかるに見よ、凡ての肉は地の上でその道を腐敗させたので、それは堕落していた。」
「神が地を見られたこと」は、神が人間を知られたこと(であり)、「堕落したこと」は間違った信念以外何もないことを意味し、「凡ての肉が地の上でその道を腐敗させたので」は、人間の形体的なものが真理の凡ての理解を滅ぼしたことを意味する。
 

626. Quod 'vidit Deus terram' significet quod Deus nosset hominem, constare unicuique potest; Deus enim, qui novit omnia et singula ab aeterno, non opus habet ut videat num talis sit; videre est humanum quid, quare, ut dictum ad vers. 6, et alibi, secundum ea quae apparent in homine, locutum; immo adeo ut etiam oculis dicatur videre.
 

626. Quod:こと、それ、そのこと、'vidit:見た、認めた、Deus:神は、terram':地、地上、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、Deus:神は、nosset:知る、知った、hominem,:人間を、constare:知られること、明らかであること、unicuique:それぞれの、各々の、potest;:出来る、可能である、Deus:神は、enim,:なぜならば、~というのは、qui:その方、novit:知る、気付く、omnia:凡ての、全体の、et:~と、および、singula:別々の、個別の、ab:~から、~により、aeterno,:永遠、non:否、opus habet:必要である、ut:~のために、こと、~するように、videat:見る、認める、num:~か、~かどうか、talis:このような、次のような、sit;:ある、videre:見ること、認めること、est:ある、humanum:人間の、人間的な、quid,:何か?、どんな?、quare,:それ故に、ut:~のように、~として、dictum:言われた、ad:~に、~において、vers.:節、6, et:~と、および、alibi,:他の箇所に、secundum:~に従って、~に沿って、ea:それらを、quae:それらは、そのことらは、apparent:現れる、見える、in:~の中、~において、homine,:人間から、locutum;:話した、語った、immo:というよりは、それどころか、adeo ut:これほど、etiam:~もまた、さらに、oculis:目、dicatur:言われる、videre.:見ること、認めること、
 

626.「神が地を見られた」は、神が人間を知られたことを意味することは、各々の者に知られることが出来よう。というのは、神は永遠から(人間の)全体的なものも個別的なものも知っておられ、そのようにあるかどうか見る必要はないからである。「見ること」は何か人間的なことである。それ故に、6節と他の箇所に言われたように人間において現れることに従って語られている。それどころか、更に目で見ることが言われているほどである。

5-489意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-489意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

489.「息子達と娘達」によって真理と善が意味されること、その上、「息子達」によって真理が、また「娘達」によって善が意味されることをどのように理解したかは、預言者達の書において非常に多くの個所から知られることが出来よう。というのは、聖言において教会の受胎と出産は、古代に息子達と娘達と呼ばれたからである。例えば、イザヤ書において、
「諸民族はあなたの光に向かって歩むであろう。また王達はあなたの輝きの起源に向かって歩むであろう。あなたの目を周りに上げよ、そして見よ、彼らは凡て集められてあなたのために来る。あなたの息子達が遠くから来る。またあなたの娘達があなたのかたわらで育てられる。その時、あなたは見て、豊かになるであろう。そしてあなたの心は驚き、それを広げるであろう。」60.3-5、ここでは、「息子達」は真理として、また「娘達」は善として記述されている。ダビデの書において、
「私を救い出し給え、また私をよそ者の息子達の手から救い給え、その者達の口はでたらめを語る。...私の息子達はその少年期において植え付けられた植物の如く卓越した者達に為され、私の娘達は神殿の美しさから切り出された天使達の如く卓越した者達に為された。」144.11,12、「よそ者の息子達」は偽りの真理として、即ち間違った原理として、「私達の息子達」は真理の教義として、「娘達」は善の教義として記述されている。イザヤ書において、
「私は北に、与えよと言おう。また南に、引き止めないようにと言おう。遠くから私の息子達を連れて来い、また地の端から私の娘たちを連れて来い。...彼は盲目の民、また耳が聞こえない民を連れ出している。かくして彼らは目があり、また耳があるであろう。」43.6,8、ここで「息子達」は真理として、「娘達」は善として、「盲目の者達」は真理を認めるであろう者達として、「耳が聞こえない者達」は真理に従う者達として記述されている。エレミヤ書において、
「私達の未熟さにより羞恥心が私達の父祖の労苦を食い尽くした。彼らの羊の群れ、彼らの牛の群れ、彼らの息子達、また彼らの娘達を食い尽くした。」3.24、ここで「息子達と娘達」は真理と善として記述されている。
[2]子供達と息子達は真理として記述されていることは、イザヤ書において明らかである。
「ヤコブはもはや恥じない、またその顔も青ざめない。なぜなら、彼がその子供達を見なければならない時、私の名を彼らが聖別したその真ん中で私の手の働きを見なければならない時、またヤコブの神聖な方を彼らが聖別したのを見なければならない時、そしてイスラエルの神を彼らが恐れたのを見なければならない時、霊によってさ迷う者達は認識を知るからである。」29.22-24、「ヤコブの神聖な方、イスラエルの神」は主として、「子供達」は善と真理の認識がある再生された者達として、同様に説明されている。同書において、
「産まなかった不妊の者は歌え、なぜなら、夫のある妻の息子達よりも夫に見捨てられた妻の息子達が多いからである。」54.1「夫に見捨てられた妻の息子達」は初期の教会、即ち民族の教会の真理として、「夫のある妻の息子達」はユダヤ教会の真理として記述されている。エレミヤ書において、
「私の天幕は荒され、私の凡ての天幕の綱は引きちぎられ、私の息子達は私を去った、彼らはもう居ない。」10.20、「息子達」は真理として記述されている。同書において、
「その息子達は昔の如くなるであろう。また彼らの群れは私の目の前に置かれるであろう。」30.20、「息子達は」古代教会の真理として記述されている。ゼカリヤ書において、
「シオンよ、私はあなたの息子達を鼓舞するであろう。ヤワンよ、あなたの息子達も一緒に鼓舞するであろう。そしてあなたを力強い剣の如く据えよう。」9.13、「息子達は」信仰の愛の真理として記述されている。

6-622~623原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-622~623原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

622. Quod 'corrumpere' de persuasionibus, constat apud Esaiam,
Non facient malum, et non corrumpent in toto monte sanctitatis Meae, quia plena erit terra scientia a cum Jehovah, xi 9;
et similiter, cap. lxv 25, ubi 'malum facere' spectat voluntatem seu cupiditates, 'corrumpere' intellectum seu persuasiones falsi: apud eundem,
Vae genti peccatrici, populo gravi iniquitate, semini malefacientium, filiis corruptoribus, i 4;
ibi, ut alibi, 'gentes et semen malefacientium' pro malis quae sunt voluntatis seu cupiditatum; 'populus et filii corruptores' pro falsis quae sunt intellectus seu persuasionum: apud Ezechielem,
Corrupta es prae iis in omnibus viis tuis, xvi 47;
ibi 'corrumpere' de iis quae sunt intellectus, rationis seu cogitationis, 'via' enim est vox significans veritatem: apud Davidem,
Corruptum fecerunt, et abominabile fecerunt opus, Ps. xiv 1;
ubi 'corruptum' pro diris persuasionibus, et 'abominabile' pro foedis cupiditatibus, quae in opere, seu a quibus opus: apud Danielem,
Post septimanas sexaginta et duas excidetur Messias, et non Illi; et civitatem et sanctuarium corrumpet populus ducis venturi, et finis ejus cum inundatione, ix 26;
similiter 'corrumpere' pro persuasionibus falsi, de quibus praedicatur 'inundatio.'
 

622. Quod:こと、それ、そのこと、'corrumpere':堕落すること、de:~について、persuasionibus,:確信、信念、constat:知られる、明らかである、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Non:否、facient:行なう、為す、(三人称複数未来)malum,:悪を、et:また、そして、non:否、corrumpent:堕落する、(三人称複数未来)in:~の中、~において、toto:全体の、凡ての、monte:山、丘、sanctitatis:神聖さ、敬虔、Meae,:私の、quia:なぜなら、ので、plena erit:満たされる、(三人称単数未来完了受動)terra:地、地上、scientia:知識、科学、a:~から、~により、cum:~と一緒に、~の下に、Jehovah,:エホバ、xi 9; et:また、そして、similiter,:同様に、似ている、cap.:章、lxv 25, ubi:そこで、その場所、'malum:悪を、facere':行うこと、spectat:見る、関係する、voluntatem:意志、seu:即ち、或いは、cupiditates,:諸々の欲望、'corrumpere':堕落すること、intellectum:理解、知性、seu:即ち、或いは、persuasiones:確信、信念、falsi::間違った原理(信念)の、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Vae:ああ悲しいかな、災いなるかな、genti:人々、民、peccatrici,:罪深い、罪みある、populo:人々、民、gravi:重い、重苦しい、iniquitate,:不正、咎、semini:子、子孫、malefacientium,:悪を為している、filiis:息子達、corruptoribus,:腐敗させるもの、堕落するもの、i 4; ibi,:そこに、そこで、ut:~のように、~として、alibi,:他の箇所に、'gentes:人々、民、et:~と、および、semen:子、子孫、malefacientium':悪を為している、pro:~として、~のために、malis:悪、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis:意志、seu:即ち、或いは、cupiditatum;:欲望、'populus:人々、民、et:~と、および、filii:息子達、corruptores':腐敗させるもの、堕落するもの、pro:~として、~のために、falsis:間違った原理(信念)、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus:理解、知性、seu:即ち、或いは、persuasionum::確信、信念、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,
Corrupta:堕落された、es:ある、(sumの二人称単数現在)prae:~よりも、iis:彼らから、in:~の中、~において、omnibus:凡ての、全体の、viis:道、道筋、tuis,:あなた、xvi 47; ibi:そこに、そこで、'corrumpere':堕落すること、de:~について、iis:彼らから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解、知性、rationis:理性、seu:即ち、或いは、cogitationis,:思考、'via':道、道筋、enim:なぜならば、~というのは、est:ある、vox:言葉、言語、significans:意味している、veritatem::真理、真実、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Corruptum:堕落された、fecerunt,:行なった、為した、et:また、そして、abominabile:憎むべき、忌まわしい、fecerunt:行なった、為した、opus,:働き、行い、Ps.:詩篇、xiv 1; ubi:そこで、その場所、'corruptum':堕落した、腐敗した、pro:~として、~のために、diris:恐ろしい、恐るべき、persuasionibus,:確信、信念、et:また、そして、'abominabile':憎むべき、忌まわしい、pro:~として、~のために、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus,:諸々の欲望、quae:それらは、そのことらは、in:~の中、~において、opere,:行うこと、seu:即ち、或いは、a:~から、~に関して、quibus:その者達、opus::働き、行い、apud:~のもとに、~において、Danielem,:ダニエル、
Post:~の後に、~の後ろに、septimanas:週、sexaginta:60、et:~と、および、duas:2、excidetur:切り離なされる、取り除かれる、(三人称単数未来受動)Messias,:メシア、et:また、そして、non:否、Illi;:彼に、(メシアに)et:また、そして、civitatem:大きな町、都市、et:~と、および、sanctuarium:聖所、神殿、corrumpet:堕落する、破壊する、(三人称単数未来)populus:人々、民、ducis:引き出す、生ぜしめる、導く、案内する、(二人称単数現在)venturi,:来るだろう、来るべき、(未来形)et:また、そして、finis:目的、意図、:目的、意図、最外部、:終わり、終結、結末、ejus:それの、彼の、cum:~と一緒に、~と、inundatione,:洪水、氾濫、ix 26; similiter:同様に、似ている、'corrumpere':堕落すること、pro:~として、~のために、persuasionibus:確信、信念、falsi,:間違った原理(信念)の、de:~について、quibus:その者達、praedicatur:言われる、属性付けられる、'inundatio.':洪水、氾濫、
 

622.「堕落すること」が信念について(言われる)ことは、イザヤ(書)において知られよう。
「彼らは悪を為さず、また私の神聖な凡ての山において堕落しないであろう。なぜなら、エホバからの知識で地が満たされるであろうからである。」11.9、また、同様に65章25(節)、そこで「悪を行うこと」は意志、即ち諸々の欲望に関係し、「堕落すること」は、理解、即ち間違った原理の信念に(関係する)。同(書)において、
「災いなるかな、罪ある人々、咎で重苦しい民、悪を為している者達の子孫、堕落する者達の息子達。」1.4、ここでも他の箇所のように「人々と悪を為している者達の子孫」は意志、即ち欲望の悪として、「民と堕落する者達の息子達」は理解、即ち信念の間違った原理として(記述されている)。エゼキエル(書)において、
「あなたは、あなたの凡ての道において彼らよりも堕落した者である。」16.47、ここで「堕落すること」は理解、理性、或いは思考について(意味している)。というのは「道」は真理を意味している言葉だからである。ダビデ(の書)において、
「彼らは堕落された者になった。また彼らは忌まわしい行いを為した。」詩篇、14.1、ここで、「堕落された者」は恐るべき信念として、また「忌まわしい」は行うことの中の、即ちその者達の行いに関する不潔な欲望として(記述されている)。ダニエル(書)において、
「62週の後にメシアが取り除かれるであろう。また彼(メシア)に(何も)ないであろう。そしてあなたが案内して来るだろう民が大きな町と神殿を破壊(堕落)するであろう。そしてその終わりが洪水と一緒に(あるであろう)。」9.26、(ここでも)同様に、「破壊(堕落)すること」は間違った原理の信念として(記述されている)。その者達について「洪水」が言われている。
 

623. Quod 'terra impleta violentia' dicatur ex foedis cupiditatibus, et quam maxime ex cupiditatibus quae sunt amoris sui, se' insolentis fastus, constat ex Verbo: 'violentia' vocatur cum violentiam inferunt sanctis, illa profanando, sicut tu antediluviani, qui doctrinalia fidei immerserunt cupiditatibus quibuscumque: ut apud Ezechielem,
Avertam facies Meas ab iis, et profanabunt absconditum Meum, veniantque in illud effractores, et profanabunt illud; fac catenam, quia terra est plena judicio sanguinum, et urbs plena est violentia, vii 22-24;
describuntur violenti, quinam, quod tales ut dictum: apud eundem,
Panem suum in sollicitudine edent, et aquas suas in desolatione bibent, ut devastetur terra ejus a plenitudine sua, prae violenti omnium habitantium in ea, xii 19;
'panis quem cum sollicitudine edent' sunt caelestia, 'aquae quas in desolatione bibent' sunt spiritualia, quibus 'violentiam intulerunt,' seu quae profanarunt: [2] apud Esaiam,
Telae eorum non erunt in vestem, nec tegentur in operibus suis; opera eorum opera iniquitatis, et facinus violentiae in volis eorum, lix 6;
ubi 'telae et vestes' praedicantur de iis quae sunt intellectus se' cogitationis, 'iniquitas et violentia' de iis quae sunt voluntatis seu operum: apud Jonam,
Convertantur quisque a via sua mala, et a violentia, quae in volis eorum, iii 8;
ubi 'via mala' praedicatur de falsis quae sunt intellectus, et 'violentia de malis quae sunt voluntatis: apud Jeremiam,
Veniet in anno auditio et violentia in terra, li 46;
'auditio' pro iis quae sunt intellectus, 'violentia' quae sunt voluntatis apud Esaiam,
Non violentiam fecit, et non dolus in ore ejus, liii 9;
ubi 'violentia' de iis quae sunt voluntatis, 'dolus in ore' de iis qua sunt intellectus.
 

623. Quod:こと、それ、そのこと、'terra:地、地上、impleta:満たされた、一杯にされた、violentia':暴力、暴行、dicatur:言われる、ex:~から、~の結果として、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus,:諸々の欲望、et:また、そして、quam maxime:特に、とりわけ、ex:~から、~の結果として、cupiditatibus:諸々の欲望、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、amoris sui,:自己愛、seu:即ち、或いは、insolentis:傲慢な、不遜な、fastus,:高慢、尊大、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、Verbo::聖言、御言葉、'violentia':暴力、暴行、vocatur:呼ばれる、cum:その時、その場合、violentiam:暴力、暴行、inferunt:もたらす、加える、sanctis,:神聖な、聖なる、illa:それらを、profanando,:冒涜することで、sicut:例えば、丁度~のように、tu(ut:~のように、~として、?)antediluviani,:(ノアの)洪水以前の、qui:その者達、doctrinalia:教義、(の事柄) fidei:信仰の、immerserunt:浸した、沈めた、cupiditatibus:諸々の欲望、quibuscumque::誰であれ、何であれ、ut:~のように、~として、apud:~のもとに、~において、Ezechielem,:エゼキエル、
Avertam:そらす、引き離す、遠ざける、(接続法一人称単数現在)facies:顔、Meas:私の、ab:~から、~により、iis,:彼らから、et:また、同時に、profanabunt:冒涜する、けがす、(三人称複数未来)absconditum:隠された、秘密の、Meum,:私の、veniantque:そして行く、また来る、(接続法三人称複数現在、veniant+que)in:~の中へ、~へ、illud:それへ、effractores,:侵入者達、押し込み強盗達、こじ開ける者達、et:また、そして、profanabunt:冒涜する、けがす、(三人称複数未来)illud;:それを、fac:行え、作れ、(命令形)catenam,:鎖、足かせ、quia:なぜなら、ので、terra:地上、地、est:ある、plena:満たされている、一杯の、judicio:審判、裁判、sanguinum,:血、血液、et:また、そして、urbs:大きな町、都市、plena:満たされている、いっぱいの、est:ある、violentia,:暴力、暴行、vii 22-24; describuntur:記述される、述べられる、violenti,:暴力、暴行、quinam,:一体誰、一体どんな、quod:こと、それ、そのこと、tales:このような、次のような、ut:~のように、~として、dictum::言われた、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Panem:パン、食物、suum:それ自身を、in:~の中、~において、sollicitudine:不安、心配、edent,:食べる、(三人称複数未来)et:また、そして、aquas:諸々の水、suas:それら自身を、in:~の中、~において、desolatione:荒地、廃墟、荒野、bibent,:飲む、(三人称複数未来)ut:~のために、こと、~するように、devastetur:荒らされる、terra:地、地上、ejus:それの、彼の、a:~から、~により、plenitudine:充満、十分、sua,:それ自身から、prae:~のために、~の故に、violenti:乱暴な、破壊的な、(violentis:暴力、暴行、?)omnium:凡ての、全体の、habitantium:住んでいる、in:~の中、~において、ea,:それから、xii 19; 'panis:パン、食物、quem:それを、そのことを、cum:~と一緒に、~と、sollicitudine:不安、心配、edent':食べる、(三人称複数未来)sunt:ある、caelestia,:天的な、'aquae:諸々の水、quas:それらを、そのことらを、in:~の中、~において、desolatione:荒地、廃墟、荒野、bibent':飲む、(三人称複数未来)sunt:ある、spiritualia,:霊的な、quibus:その者達、'violentiam:暴力、暴行、intulerunt,':もたらす、加える、seu:即ち、或いは、quae:それらは、そのことらは、profanarunt::冒涜した、けがした、
[2] apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Telae:織物、布、eorum:それらの、彼らの、non:否、erunt:あろう、(三人称複数未来)in:~の中へ、~に、vestem,:衣服、衣装、nec:否、tegentur:覆われる、着せられる、(三人称複数未来受動)in:~の中、~において、operibus:働き、活動、suis;:それら自身から、opera:働き、活動、eorum:それらの、彼らの、opera:働き、活動、iniquitatis,:不正、咎、et:また、そして、facinus:悪行、不法行為、violentiae:暴力、暴行、in:~の中、~において、volis:手のひら、eorum,:それらの、彼らの、lix 6; ubi:そこで、その場所、'telae:織物、布、et:~と、および、vestes':衣服、衣装、praedicantur:言われる、属性付けられる、de:~について、~に関して、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus:理解、知性、seu:即ち、或いは、cogitationis,:思考、'iniquitas:不正、咎、et:~と、および、violentia':暴力、暴行、de:~について、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis:意志、seu:即ち、或いは、operum::働き、活動、apud:~のもとに、~において、Jonam,:ヨナ、
Convertantur:回心される、変えられる、(三人称複数現在受動)quisque:各人、各々の者、a:~から、~により、via:道、道筋、sua:自分自身から、それ自身から、mala,:悪いもの、悪い、et:また、そして、a:~から、~により、violentia,:暴力、暴行、quae:それらは、そのことらは、in:~の中、~において、volis:手のひら、eorum,:それらの、彼らの、iii 8; ubi:そこで、その場所、'via:道、道筋、mala':悪いもの、悪い、praedicatur:言われる、属性付けられる、de:~について、falsis:諸々の間違った原理(信念)から、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解、知性、et:また、そして、'violentia':暴力、暴行、de:~について、malis:悪から、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis::意志、apud:~のもとに、~において、Jeremiam,:エレミヤ、
Veniet:来る、行く、(三人称単数未来)in:~の中、~の内に、anno:年、auditio:うわさ、風聞、et:~と、および、violentia:暴力、暴行、in:~の中、~の間に、terra,:地、地上、li 46; 'auditio':うわさ、風聞、pro:~として、~のために、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus,:理解、知性、'violentia':暴力、暴行、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis:意志、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Non:否、violentiam:暴力、暴行、fecit,:行なった、為した、et:また、そして、non:否、dolus:欺くこと、だますこと、in:~の中、~において、ore:口、ejus,:それの、彼の、liii 9; ubi:そこで、その場所、'violentia':暴力、暴行、de:~について、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis,:意志、'dolus:欺くこと、詐欺、欺瞞、ごまかし、策略、欺き、たくらみ、ペテン、だますこと、in:~の中、~において、ore':口、de:~について、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus.:理解、知性、
 

623.「地は暴行で満たされた」は諸々の欲望の結果として、また特に自己愛、即ち不遜な高慢の諸々の欲望の結果として言われることは、聖言から知られよう。例えば、ノアの洪水前の者達のように、信仰の教義の事柄を何であれ諸々の欲望に沈めて神聖なものに暴行を加える時、それらを冒涜することで「暴行」と呼ばれる。エゼキエル(書)において、
「私は私の顔を彼らから引き離そう。同時に彼らは私の秘密のものをけがし、また押し込み強盗達もそこへ来て、それをけがすかも知れない。足かせを作れ、なぜなら、地は血の審判に満たされており、また大きな町は暴力で満ちているからである。」7.22,23、(ここでは、)暴行者達が言われたような者達(である)ことが記述されている。同(書)において、
「そこに住んでいる凡ての者達の諸々の暴行の故に、その充満によりその地が荒らされるために、彼らは不安の中でそのパンを食べ、またその水を廃墟の中で飲むであろう。」12.19、「不安と一緒にそのパンを食べるであろう」は天的な(食物を食べることで)あり、「廃墟の中でその水を飲むであろう」は霊的な水を飲むことで」ある。その者達に「暴行を加えた」は、即ちそれらを冒涜した(ことである)。
[2]イザヤ(書)において、
「彼らの織物は衣服にならず、彼らの働きでは彼らは着せられないであろう。彼らの働きは不正な働き(であり)、また彼らの手の暴行の不法行為(である)。」59.6、ここで「織物と衣服」は、理解、即ち思考の(もの)に関して属性付けられ、「不正と暴行」は意志、即ち働きの(ものに関して属性付けられる)。ヨナ(書)において、
「各々の者はその悪の道から、またその手の暴行から回心(改心)されよ、」3.8、ここで「悪い道」は理解の諸々の間違った信念に属性付けられ、また「暴行」は意志の悪に(属性付けられる)。エレミヤ(書)において、
「地の間に一年の内に風聞と暴行が来るであろう。」51.46、「風聞」は理解の(もの)として、「暴行」は意志の(ものとして記述されている)。イザヤ(書)において、
「彼は暴行を行なわず、またその口で欺くこともしなかった。」53.9、ここで「暴行」は意志の(もの)について、「口で欺くこと」は理解の(ものについて記述している)。

5-488意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-488意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

488.「日々」が一般に状態を意味すること、また「年々」が詳細な状態を意味することは、言われたように聖言からもまた知られることが出来よう。例えば、エゼキエル書において、
「あなたはあなたの日々が近付くことを為し、またあなたの年々に至るまで進んだ。」22.4、ここでは、忌まわしいことを行ない、また罪の桝目を満たす者達について言われている。従ってここでこのような者達の状態について一般的なものが「日々」によって、詳細なものが「年々」によって言われている。
「あなたは王の日々の上に日々を加えるであろう、その年々が世代と世代の如く為されるであろう。」詩篇、61.6、主と主御自身の王国について、ここでもまた「日々と年々」が主御自身の王国の状態として記述されている。同書において、
「私は古代からの日々を考え、幾世代の年々を考えた。」77.5、ここで「古代からの日々」は最古代教会の状態であり、「幾世代の年々」は古代教会の状態である。イザヤ書において、
「報復の日が私の心の中にあり、そして私の贖われた者達の年が来た。」63.4、最後の時として、ここで「報復の日」が地獄行きの宣告の状態として、また「贖われた者達の年」が幸福な状態として記述されている。同様に同書において、
「エホバの楽しみの年を声高に叫ぶために、また悲しんでいる者達を励ますために私達の神に誰もが日を、」61.2、ここでもまた日が、そのようにまた年のことが言われている。そしてそれらは状態を意味する。エレミヤ書において、
「昔の如く、私達の日々を元どおりに為し給え。」哀歌、5.21、ここでは明瞭に状態として記述されている。
[2]ヨエル書において、
「エホバの日が差し迫って来た。暗闇と暗黒の日が差し迫って来た。暗雲と暗さの日が差し迫って来た。...このようなことは今の世において行なわれなかった。またこの後も世代と世代の年々へまでも繰り返さないであろう。」2.1,2、ここで「日」は暗闇、暗黒、暗雲、暗さの状態として、個別的なものにおいては誰かの状態として、また一般的には凡ての者の状態として記述されている。ゼカリヤ書において、
「私は一日でその地の咎を取り除くであろう。その日、...あなた達は呼ぶであろう。葡萄の木の下において、またいちじくの木の下において男がその仲間に向かって呼ぶであろう。」3.9,10、また、他の箇所に、
「エホバに熟知された一つの日があるであろう。昼ではなく、夜でもなく、夕の時に光があるであろう。」14.7、ここでは、状態が明瞭に述べられている。なぜなら、「昼ではなく、夜でもなく夕の時に光がある日があるであろう」と言われているからである。更にまた、十戒の中の言葉からも明らかである。
「あなたの父とあなたの母を尊べ、...地の上であなたの日々が延ばされるために、またあなたに良くあるために、」申命記、5.16、25.15、ここで「日々を延ばすこと」は長生きを意味しないが、しかし恵まれた状態を意味する。
[3]文字通りの意味において、「日々」が時間を意味することよりも異なって認めることが出来ない。しかし内意においては状態を意味する。天使達は聖言の内意の中に居り、時間が何か知らない。なぜなら、彼らに太陽と月が時間を区別していないからである。従って彼らは日々と年々が何か知らず、それらを状態とその推移としてだけ知っている。それ故に、聖言の内意の中に居る天使達の目の前では、エゼキエル書においての文字通りの意味の中にあるような物質、空間、および時間のものは、何であろうと見えなくなるのである。
「差し迫った日がある。またエホバの日は近い。人々の時は暗雲の日になろう。」30.3、ヨエル書において、
「ああ、その日に、エホバの日が差し迫ったので、また丁度、荒廃のように差し迫ったので、」1.15、ここで「暗雲の日」は暗雲、即ち間違った信念として、「人々の日」は人々、即ち悪意として、「エホバの日」は荒廃として記述されている。
時間の観念が取り除かれる時、その時間からあった事柄の状態の観念が残る。同様に、「日々と年々」によっても、それを持つことはこの章において頻繁に述べられている。

6-619~621原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-619~621原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

619. Vers. 11. Et corrupta fuit terra coram Deo, et impleta fuit terra violentia. Per 'terram' significatur gens illa, de qua prius; quae 'corrupta' dicitur ex diris persuasionibus, et 'impleta violentia' ex foedis cupiditatibus: 'Deus' hic et in sequentibus hujus capitis dicitur, quia nulla nunc Ecclesia.
 

619. Vers.:節、11. Et:また、ところで、corrupta:堕落した、腐敗した、fuit:あった、terra:地、地上、coram:目の前で、面と向かって、Deo,:神、et:また、そして、impleta:満たされた、一杯にされた、fuit:あった、terra:地、地上、violentia.:暴力、暴行、
Per:~を通して、~によって、'terram':地、地上、significatur:意味される、gens:子孫、民、illa,:これは、de:~について、qua:それから、そのことから、prius;:以前に、前に、quae:それは、そのことは、'corrupta':堕落した、腐敗した、dicitur:言われる、ex:~から、~により、 diris:恐ろしい、恐るべき、persuasionibus,:確信、信念、et:また、そして、'impleta:満たされた、一杯にされた、violentia':暴力、暴行、ex:~から、~により、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus::諸々の欲望、'Deus':神は、hic:ここに、この場に、et:~と、および、in:~の中、~において、sequentibus:次の、後に続く、hujus:この、これの、capitis:章、dicitur,:言われる、quia:なぜなら、ので、nulla:何も~ない、決して~でない、nunc:今、この場合、Ecclesia.:教会、
 

619.十一節、「ところで、地は神の前で堕落し、また地は暴行で満たされていた。」
「地」によって、前に(言われたように)その子孫が意味される。その(子孫)は恐るべき信念により堕落し、また不潔な欲望により暴行に満たされたと言われている。この(章)とこの章の次の(章)においては「神」と言われている。なぜなら、ここの場合、何も教会がないからである。
 

620. Quod per 'terram' significetur gens illa, de qua prius, constat ex illis quae de significatione terrae et humi ostensa sunt. Terra est vox, quae in Verbo saepissime nominatur, et per illam significatur terra ubi vera Ecclesia Domini, sicut terra Canaan; terra quoque ubi non Ecclesia, ut terra Aegypti, et gentium, ita pro gente quae ibi habitat; et quia pro gente, etiam pro unoquovis tali qui ibi: 'terra' dicitur ex amore caelesti, ut terra Canaan; 'terrae gentium' ex amoribus spurcis; sed 'humus' ex fide quae inseminatur; nam, ut ostensum, terra est continens humi, et humus est continens agri, sicut amor est continens fidei, et fides est continens cognitionum fidei quae inseminantur: hic 'terra' sumitur pro gente, in qua omne amoris caelestis et Ecclesiae periit; ex subjecto noscitur quid praedicatur.
 

620. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'terram':地、地上、significetur:意味される、gens:子孫、民、illa,:それは、de:~について、qua:それから、そのことから、prius,:以前に、前に、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、de:~について、significatione:意味、terrae:地、地上、et:~と、および、humi:大地、地面、ostensa:示された、説明された、sunt.:ある、
Terra:地、地上、est:ある、vox,:言葉、言語、quae:それらは、そのことらは、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、saepissime:頻繁に、nominatur,:呼ばれる、名付けられる、et:また、そして、per:~を通して、~によって、illam:それを、significatur:意味される、terra:地、地上、ubi:そこで、その場所、vera:真理、真実、Ecclesia:教会、Domini,:主の、sicut:例えば、丁度~のように、terra:地、地上、Canaan;:カナン、terra:地、地上、quoque:~もまた、同じく、ubi:そこで、その場所、non:否、Ecclesia,:教会、ut:~のように、~として、terra:地、地上、Aegypti,:エジプト、et:また、そして、gentium,:異教徒、異邦人、ita:このように、従って、pro:~として、~のために、gente:人々、国民、quae:それらは、そのことらは、ibi:そこに、そこで、habitat;:住む、居住する、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、pro:~として、~のために、gente,:人々、国民、etiam:~もまた、さらに、pro:~として、~のために、unoquovis:各々の、それぞれの、tali:このような、このような性質の、qui:その者、ibi::そこに、そこで、'terra':地、地上、dicitur:言われる、ex:~から、~により、amore:愛から、caelesti,:天的な、ut:~のように、~として、terra:地、地上、Canaan;:カナン、'terrae:地、地上、gentium':異教徒、異邦人、ex:~から、~により、amoribus:愛から、spurcis;:不潔な、汚らわしい、sed:しかし、'humus':大地、地面、ex:~から、~により、fide:信仰から、quae:それらは、そのことらは、inseminatur;:種を蒔かれる、nam,:なぜなら、というのも、ut:~のように、~として、ostensum,:示された、説明された、terra:地、地上、est:ある、continens:含まれている、取り囲まれている、humi,:大地、地面、et:また、そして、humus:大地、地面、est:ある、continens:含まれている、取り囲まれている、agri,:野、原、sicut:例えば、丁度~のように、amor:愛、est:ある、continens:含まれている、取り囲まれている、fidei,:信仰に、et:また、そして、fides:信仰、est:ある、continens:含まれている、取り囲まれている、cognitionum:知識、概念、fidei:信仰の、quae:それらは、そのことらは、inseminantur::種を蒔かれる、hic:ここに、この場に、'terra':地、地上、sumitur:定められる、pro:~として、~のために、gente,:人々、国民、in:~の中、~において、qua:それから、そのことから、omne:凡ての、全体の、amoris:愛の、caelestis:天的な、et:~と、および、Ecclesiae:教会、periit;:死んだ、滅びた、ex:~から、~により、subjecto:主体、主題、noscitur:知られる、quid:何か?、どんな?、praedicatur.:言われる、語られる、
 

620.「地」によってその子孫が意味されることは、前に(言われた)地と大地の意味について示されたことから知られよう。
地の言葉は聖言において頻繁に呼ばれ(言われ)、またそれによって、丁度、カナンの地のように主の真実の教会が意味されている。地はそこ(聖言)でエジプトと異邦人の地のように教会のない(地)もまた(意味している)。このように(地は)そこに住む人々として(記述されている)。また人々として、更にそのような性質の各々の者として(記述されている)ので、そこ(聖言)でその者(が意味される)。カナンの地のように「地」は天的な愛により(「地」)と言われ、「異邦人の地」は不潔な愛により(「異邦人の地」と言われるが、)しかし、「大地」は信仰により(信仰の)種を蒔かれる(ことにより「大地」と言われる)。なぜなら、示されたように地は大地に取り囲まれているからであり、また大地は野に取り囲まれているからである。丁度、愛が信仰に取り囲まれているように(取り囲まれているからである)。また信仰は信仰の知識に取り囲まれており、それら(信仰の知識)が種を蒔かれる(ことである)。ここの「地」はその中で天的な凡ての愛と教会の(凡ての愛が)滅びた子孫(人々)として定められている。何が言われているかは、主題から知られる。
 

621. Quod terra 'corrupta' dicatur ex diris persuasionibus, et 'impleta violentia' ex foedis cupiditatibus, constat ex significatione vocis 'corrumpere,' et vocis 'violentia'; in Verbo nusquam una vox pro altera sumitur, sed constanter illa adhibetur quae proprie rem de qua, exprimit; et quidem ita ut ex solis vocibus quae adhibentur, pateat ilico quid in sensu interno; sicut hic vox corrumpere et violentia; 'corrumpere' praedicatur de iis quae sunt intellectus cum desolatus, 'violentia' de iis quae sunt voluntatis cum vastata, ita 'corrumpere' de persuasionibus, et 'violentia' de cupiditatibus.
 

621. Quod:こと、それ、そのこと、terra:地、地上、'corrupta':堕落した、腐敗した、dicatur:言われる、ex:~から、~により、diris:恐ろしい、恐るべき、persuasionibus,:確信、信念、et:また、そして、'impleta:満たされた、一杯にされた、violentia':暴力、暴行、ex:~から、~により、foedis:不潔な、不快な、cupiditatibus,:諸々の欲望、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、significatione:意味、vocis:言葉、言語、'corrumpere,':堕落すること、et:また、そして、vocis:言葉、言語、'violentia';:暴力、暴行、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、nusquam:どこにもない、決して~ない、una:1、vox:言葉、言語、pro:~として、~~の代わりに、altera:他の方の、もう一つの、sumitur,:使用される、定められる、sed:しかし、constanter:不断に、一定不変に、illa:それが、adhibetur:扱われる、適用される、quae:それは、そのことは、proprie:厳密に、正確に、適切に、正しく、rem:物事、事柄、de:~について、qua,:それから、そのことから、exprimit;:表現する、述べる、et quidem:その上、実際に、ita:このように、従って、ut:~のように、~でも、ex:~から、~により、solis:だけ、のみ、vocibus:言葉、言語、quae:それらは、そのことらは、adhibentur,:扱われる、適用される、pateat:明らかである、ilico:その場で、直ちに、quid:何か?、どんな?、in:~の中、~において、sensu interno;:内意、sicut:例えば、丁度~のように、hic:ここに、この場に、vox:言葉、言語、corrumpere:堕落すること、et:~と、および、violentia;:暴力、暴行、'corrumpere':堕落すること、praedicatur:言われる、属性付けられる、de:~について、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、intellectus:理解、知性、cum:その時、その場合、desolatus,:見捨てられた、荒された、'violentia':暴力、暴行、de:~について、iis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、voluntatis:意志、cum:その時、その場合、vastata,:荒された、ita:このように、従って、'corrumpere':堕落すること、de:~について、persuasionibus,:確信、信念、et:また、そして、'violentia':暴力、暴行、de:~について、cupiditatibus.:諸々の欲望、
 

621.地が恐るべき信念により堕落したこと、また不潔な諸々の欲望により暴行に満たされたことは、「堕落すること」の言葉、また「暴行」の言葉の意味から知られよう。聖言においては一つの言葉が他の(言葉の)代わりに、決して使用されなが、しかし一定不変にそれ(言葉)が適用され、そのことについて物事を正確に表現する。このように実際、扱われている言葉だけからでも内意において、どんなかが直ちに明らかになる。例えばここの堕落することと暴行の言葉は、「堕落すること」は理解が荒らされた時に言われ、「暴行」は意志が荒らされた時(に言われる)。このように「堕落すること」は信念について、また暴行は諸々の欲望について(言われている)。

5-486~487意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-486~487意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

486.四節、「そして、人間の日々はそのセツを産んだ後、800年であった。また彼は息子達と娘達を産んだ。」
「日々」によって時間と状態を意味し、「年々」によって詳細な時間と状態を意味し、「息子達と娘達」によって彼らが認識した真理と善が意味される。
 

487.「日々」によって一般的に時間と状態が意味されることは、第1章において示されたのである。そこで「創造の日々」はそれ以外のものを何も意味しない。聖言においては凡ての時間は「日々」と呼ばれることはこの節、また5,8,11,14,17,20,23,27,31節に明瞭な如く最も普通のことである。それ故に、一般的に時間の状態もまた「日々」によって意味される。そして「年々」が加えられる時、年々の時間によって状態の性質が意味され、従って詳細な状態が意味される。
[2]最古代人達は教会の様々な状態を意味した数字を持った。例えば、3,7,10,12の数字を持ち、そしてこれらの数字と他の数字を組み合わせた多くの数字を持った。そしてこのようにして最古代人達は教会の状態を認めた。それ故に、これらの数字は秘義を含む。それらの秘義を多くの者達に説明することは骨折りである。数字は教会の状態の算入されたものであった。更に、聖言において、特に預言の書において至る所で同様な言葉、或いは数字が記述されており、また更にユダヤ教会の儀式の中に時間と長さ(寸法)の数字がある。例えば生け贄に関して、穀物の捧げものに関して、奉納物、および他の供物に関して数字がある。それらはどこであろうと特に神聖なものを意味する。それ故に、この節の「800」、また次の節の「900」と「30」において特に神聖なものが意味される。また更に、後に続く箇所の数字において、これまで教示されることが出来たことよりも多くのことを詳細に含む。即ち、彼らの教会の状態の推移が、彼らの全般的な状態に特に当てはめて記述されている。
後に続く箇所において12に至るまでの単純な数字が何を意味するかが、主の神的な慈悲により説明されなければならない。もしそれらが前以て知られなければ、組み合わされた数字が何を意味するか理解されることが出来ない。

6-615~618原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-615~618原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

615. Describitur hic in communi, qualis homo hujus Ecclesiae, non quod ita adhuc fuit, in sequentibus enim agitur de ejus formatione, sed qualis potuit fieri; scilicet quod per cognitiones fidei donari potuisset charitate, et sic a charitate agere, et ex bono charitatis cognoscere quid verum; quare bonum charitatis seu 'justus' praecedit, et verum charitatis seu 'integer' sequitur. Charitas est, ut prius dictum amor erga proximum, et misericordia, estque inferior gradus amoris qui fuit Antiquissimae Ecclesiae, qui amor fuit in Dominum: ita nunc descendit et exterior factus; et appellandus charitas.
 

615. Describitur:述べられる、記述される、hic:ここに、この場に、in communi,:一般に、全般的に、qualis:どのような、どんな種類の、homo:人間、hujus:この、これの、Ecclesiae,:教会、non:否、quod:こと、それ、そのこと、ita:このように、従って、adhuc:今まで、今なお、今でも、fuit,:あった、in:~の中、~において、sequentibus:次の、後に続く、enim:なぜならば、~というのは、agitur:述べられる、取り扱われる、de:~について、ejus:それの、彼の、formatione,:形成すること、形成、組成、構成、sed:しかし、qualis:どのような、どんな種類の、potuit:出来た、可能であった、fieri;:~になること、為されること、scilicet:確かに、明らかに、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、cognitiones:知識、fidei:信仰の、donari:与えられること、potuisset:出来た、可能であった、charitate,:仁愛、愛情、et:また、そして、sic:そのように、こうして、a:~から、~により、charitate:仁愛、愛情、agere,:行動すること、行うこと、働くこと、作用すること、et:また、そして、ex:~から、~により、bono:善から、charitatis:仁愛、愛情、cognoscere:知ること、認めること、quid:何か?、どんな?、verum;:真理、quare:それ故に、bonum:善、charitatis:仁愛、愛情、seu:即ち、或いは、'justus':公正な、正しい、praecedit,:先行する、先んずる、et:また、そして、verum:真理、charitatis:仁愛、愛情、seu:即ち、或いは、'integer':健全な、けがれのない、sequitur.:続く、続いて来る、
Charitas:仁愛、愛情、est,:ある、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、dictum:言われた、amor erga proximum,:隣人への愛、et:また、そして、misericordia,:慈悲、憐れみ、estque:そして~がある、また~がある、inferior:さらに低い、さらに下の、gradus:段、段階、amoris:愛の、qui:それは、そのことは、fuit:あった、Antiquissimae:最古代、Ecclesiae,:教会、qui:それは、そのことは、amor:愛は、fuit:あった、in:~の中へ、~へ、Dominum::主へ、ita:このように、従って、nunc:今、現在、descendit:下る、沈む、et:また、そして、exterior:より外部の、より外の、factus;:為された、行われた、
 

615.この教会の人間がどのようなものであるかが、ここで一般的に記述されている。今まで、彼がそのような(者で)あったのではない。というのは、後に続く(箇所)において彼の形成について述べられているが、しかし彼がどのような者に為されることが出来るか(が述べられているからである)。確かに、信仰の知識によって仁愛が与えられることが出来ること、またそのように仁愛から行動すること(が出来ること)、また仁愛の善から真理が何かを認めること(が出来ることが述べられている)。それ故に、仁愛の善、即ち「正しい者」が先行し、また仁愛の真理、即ち「健全な者」が続く。
以前に言われたように隣人への愛、また(隣人への慈悲)が仁愛である。そしてそれは最古代教会にあった主への愛の段階の更に低いものであった。従ってそれ(愛)は今、沈み、またより外なるものに為された。
 

616. Vers. 10. Et genuit Noah tres filios, Shem, Ham, et Japheth 'Quod Noah genuerit tres filios' significat quod tria genera doctrinarum inde exsurgerent, quae significantur per Shem, Ham, et Japheth.
 

616. Vers.:節、10. Et:また、そして、genuit:産んだ、Noah:ノア、tres:3、filios,:息子達、Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth.:ヤペテ、
'Quod:こと、それ、そのこと、Noah:ノア、genuerit:産んだ、tres:3、filios':息子達、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、tria:3、genera:種類、型、doctrinarum:教え、教義、inde:それ故、そこから、exsurgerent,:生じた、広がった、quae:それらは、そのことらは、significantur:意味される、per:~を通して、~によって、Shem,:セム、Ham:ハム、et:~と、および、Japheth.:ヤペテ、
 

616.十節、「そして、ノアはセム、ハム、およびヤペテの三人の息子達を産んだ。」
「ノアが三人の息子達を産んだこと」は三つの教義の種類がそこから生じたことを意味し、それらはセム、ハム、およびヤペテによって意味される。
 

617. Quod 'Noah genuerit tres filios' significet quod tria genera doctrinarum inde exsurgerent, constat ex omnibus illis quae praecedunt, quod nomina nihil aliud significent quam Ecclesias, seu quod idem est, doctrinas; ita quoque hic; sed hic modo nominantur ob seriem seu nexum cum iis quae praecedunt, qui est quod praevisum a Domino quod homo hujus genii potuisset donari charitate, sed usque quod inde doctrinarum tria genera nascerentur, de quibus doctrinis in sequentibus, ex Divina Domini Misericordia, dicetur, ubi de Shemo, Hamo, et Japheto.
 

617. Quod:こと、それ、そのこと、'Noah:ノア、genuerit:産んだ、tres:3、filios':息子達、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、tria:3、genera:種類、型、doctrinarum:教え、教義、inde:それ故、そこから、exsurgerent,:生じた、広がった、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、omnibus:凡ての、全体の、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、praecedunt,:先行する、先んずる、quod:こと、それ、そのこと、nomina:名、名前、nihil:無、何も~ない、aliud:他のもの、別のもの、significent:意味する、quam:~を除いて、~の外は、Ecclesias,:教会、seu:即ち、或いは、quod:こと、それ、そのこと、idem:同じ、同様のもの、est,:ある、doctrinas;:教え、教義、ita:このように、従って、quoque:~もまた、同じく、hic;:ここに、この場に、sed:しかし、hic:ここに、この場に、modo:だけ、単に、nominantur:呼ばれる、名付けられる、ob:~の前に、~のために、seriem:ひと続き、続きもの、seu:即ち、或いは、nexum:結びつき、関連、cum:~と一緒に、~と、iis:それらから、彼らから、quae:それらは、そのことらは、praecedunt,:先行する、先んずる、qui:その者、est:ある、quod:こと、それ、そのこと、praevisum:前もって見たれた、予見された、a:~から、~により、Domino:主から、quod:こと、それ、そのこと、homo:人間は、hujus:この、これの、genii:性格、性質、potuisset:出来た、可能であった、donari:与えられること、もたらされること、charitate,:仁愛、愛情、sed:しかし、usque:それでもなお、やはり、quod:こと、それ、そのこと、inde:それ故、そこから、doctrinarum:教え、教義、tria:3、genera:種類、型、nascerentur,:生まれた、産まれた、de:~について、quibus:それらから、そのことらから、doctrinis:教え、教義、in:~の中、~において、sequentibus,:次の、後に続く、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、dicetur,:言われる、ubi:そこで、その場所、de:~について、Shemo,:セム、Hamo,:ハム、et:また、そして、Japheto.:ヤペテ、
 

617.「ノアが三人の息子達を産んだ」ことは、三つの教義の種類がそこから生じたことを意味することは、名前は教会、即ち同じことであるが教義を除いて他のものを意味しない(と言う)先行する凡ての(箇所)から知られよう。従ってここでもまた(同様に意味する)。しかしここでは、先行するものとのひと続きのために、即ち関連のために呼ばれているだけである。主により予見されたこの性質の人間は、仁愛を与えられることが出来たが、しかしそれでも、そこから教義の三つの種類が産まれた。それらの教義については主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。そこでセム、ハム、およびヤペテについて言われる。
 

618. Quod 'Noah justus et integer fuit,' quod 'ambulavit cum Deo,' et hic quod 'genuit tres filios,' in praeterito dicatur, et tamen spectant futura; sciendum quod talis sit sensus internus, ut nullam rationem temporum habeat; cui quoque favet lingua originalis, ubi quandoque vox una eademque ad quodcumque tempus explicabilis est, sicut nec distinguit inter voces; sic patent interiora evidentius. Lingua illa ex sensu interno hoc trahit, qui multiplicior est quam usquam aliquis credere possit; inde non se finiri per tempora et per distinctiones patitur.
 

618. Quod:こと、それ、そのこと、'Noah:ノア、justus:正しい、正義の、et:~と、および、integer:健全な、けがれのない、fuit,':あった、quod:こと、それ、そのこと、'ambulavit:歩いた、歩んだ、cum:~と一緒に、~と、Deo,':神から、et:また、そして、hic:ここに、この場に、quod:こと、それ、そのこと、'genuit:産んだ、tres:3、filios,':息子達、in:~の中、~において、praeterito:時の経過、dicatur,:言われる、et:また、同時に、tamen:しかし、それでも、spectant:見る、目指す、futura;:未来、将来、sciendum:知られるべき、(未来受動分詞)quod:こと、それ、そのこと、talis:talis~ut~、~のような~、sit:ある、sensus internus,:内意、ut nullam:何も~ない、決して~でない、rationem:理性、状態、temporum:時間、時代、habeat;:持つ、所有する、cui:それに、そのことに、quoque:~もまた、同じく、favet:一致する、ふさわしい、lingua:言語、言葉、originalis,:原初の、最初の、ubi:そこで、その場所、quandoque:時々、時折、vox:言葉、言語、una:1、eademque:そして同じ、また同様のもの、ad:~に、~へ、quodcumque:どんな~でも、何であれ、tempus:時間、時代、explicabilis:解釈できる、説明できる、est,:ある、sicut:~の如く、丁度~のように、nec:否、distinguit:区別する、分離する、inter:~の中に、~の間で、~の間に、voces;:言葉、言語、表現、発音、sic:そのように、只それだけで、patent:明らかである、見える、interiora:内部の、内なる、evidentius.:より明らかな、より明白な、
Lingua:言語、言葉、illa:それらは、ex:~から、~により、sensu interno:内意、hoc:この、これを、trahit,:得る、獲得する、quinon:否、multiplicior:より多数の、より種々の、est:ある、quam:~よりも、~と比べて、usquam:これまで、かつて、aliquis:誰か、ある者、credere:信じること、possit;:出来る、可能である、inde:それ故、そこから、non:否、se:それら自身を、finiri:限定されること、per:~を通して、~によって、tempora:時間、時代、et:~と、および、per:~を通して、~によって、distinctiones:区別、差異、patitur.:se pati(+不定法受動)、許す、させておく、
 

618.「ノアは正しく、健全な者であった」こと、「神と一緒に歩んだ」こと、またここで「三人の息子達を産んだ」ことは、時の経過の中で言われているが、それでも同時にこれらのものは未来を目指す。(聖言の)内意は、決して時間の状態を持たないようなものであることが知られなければならない。このことに語源の言葉もまた一致し、そこで時折、また同じ一つの言葉がどんな時間(時制)であれ解釈できるのである。丁度、発音の間で区別しないように(解釈できるのである)。只これだけで内なるものがより明らかに見えるのである。
これらの言葉は内意からこれ(時間の状態を持たないこと)を獲得し、これはこれまで誰かが信じることが出来ることよりも遥かに多くあるのである。それ故それ(内意)は時間(時制)によって、また(発音の)差異によって限定されることを許さない。

5-483~485意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-483~485意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

483.続くセツ、エノス、ケナン、マハラレル、ヤレド、エノク、メトセラ、ラメク、ノアの名前によって同じ数の教会が意味される。それらの最初の、また最も重要な教会は「人間」と言われた。これらの諸教会の最も重要なものは認識であった。それ故に、前述した諸教会の年(年齢)の相違は、特に認識の相違であった。
認識について、ここで述べることが許されている。全天界においては善と真理の認識以外に支配しない。またそれは述べられることが出来ないようなものであり、一つの社会は他の社会と等しい認識を持たないほど無数の相違を持っており、なお加えて、一つの認識と等しいもう一つの認識もない。そこでの認識は類型と種類が存在し、また類型は無数であり、また各々の類型の種類も同様に無数である。それらについては主の神的な慈悲により後に続く箇所において述べよう。
無数の類型と各々の類型に無数の種類がある時、また更に種類の中に無数の部分的なものが存在する(時)、今日の世界では天的なものと霊的なものについて、殆んど何も知っていないことを少しは知られることが出来よう。認識が何かが知られない時は、例えそれが言われてもそれがあることを信じない。そのように天的なものと霊的なものもまた信じない。
[2]最古代教会は主の天的な王国を表象し、更に認識の属性と特殊性の相違に関しても表象した。しかし、認識がその最も全般的なものの中で何であるかが、今日全く知られていないので、それ故に、例え認識の類型と種類が、これらの教会の類型と種類に言われても未知なものと見知らないもの以外に何も教示されない。彼らは家、氏族、および民族に区別されていたために、また家族と氏族の間で婚姻を結んだために、認識の類型と種類が結果として生じた。またそれは先祖達から引き出される生来の性質の延長に従って以外異なって生じることが出来なかった。それ故に、最古代教会から居た者達は天界の中にもまた一緒に住んでいる。
 
 
484.「セツ」と言われた教会は、直ぐ前の最古代教会と同様なものであったことは、「人間はその像に従ってその似姿に息子を産んだ。そしてその名をセツと呼んだ。」ことが言われていることから知られよう。「似姿」は信仰に関連し、また「像」は愛に関連する。なぜなら、それは愛とそこからの主への信仰に関して最古代教会の如くなかったからである。このことは直ぐ前に言われた「男と女に彼らを創造し、彼らに祝福を宣言し、また彼らの名を人間と呼んだ。」ことから知られよう。前に言われたように、これらにより第六日の霊的な人間が意味される。それ故に、その似姿は霊的な第六日の如くそれがあり、そのことは愛がそのように最も重要なものでなかったが、しかしそれでも信仰は愛に結合されていた。
 
 
485.ここでのセツによって、前の4章25節のセツによって記述された(教会)と比べて他の教会が意味されている。それは435番に認められよう。異なった教義の教会が同様な名で呼ばれたことは、前の章の17と18節においてエノクとラメクがあり、この(章)の21と30節に他の(教会が)同様にエノクとラメクと呼ばれた(呼ばれている)ことから知られよう。

6-613~614原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-613~614原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

613. Quod 'generationes' sint fidei, ex sensu litterae non patet, qui est historicas; sed hic quia solum interna sunt, significantur illa quae sunt fidei; ex serie quoque constat quod generationes hic non sint aliae; in Verbo aliquoties similiter, ut apud Esaiam,
Aedificent ex te vastitates saeculi, fundamenta generationis et generationis erigas, et vocabitur tibi sepiens rupturam, reducens semitas ad habitandum, lviii 12;
ubi omnia significant quae fidei sunt; 'vastitates saeculi' quae sunt caelestium fidei; 'fundamenta generationis et generationis' quae sunt spiritualium fidei, quae lapsa a temporibus antiquis, quae simul significantur: apud eundem,
Aedificabunt vastitates saeculi, desolationes priores erigent, et renovabunt urbes vastitatis, desolationes generationis et generationis, lxi 4;
similiter: apud eundem,
Non laborabunt in vacuum, et non generabunt ad perturbationem; nam semen benedictorum Jehovae illi, et cognati illorum cum illis, lxv 23;
ubi etiam 'generare' praedicatur de illis quae sunt fidei, 'laborare' de illis quae sunt amoris; de his praedicatur 'semen benedictorum Jehovae,' de illis 'prognati.'
 

613. Quod:こと、それ、そのこと、'generationes':子孫、世代、sint:ある、fidei,:信仰の、ex:~から、~により、sensu:意味、litterae:文字、文字通りの意味、non:否、patet,:明らかである、qui:それは、そのことは、est:ある、historicas;:歴史的な、歴史の、sed:しかし、hic:ここに、この場に、quia:なぜなら、ので、solum:だけ、のみ、interna:内部の、内なる、sunt,:ある、significantur:意味される、illa:それらは、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、fidei;:信仰の、ex:~から、~により、serie:ひと続き、続きもの、quoque:~もまた、同じく、constat:知られる、明らかである、quod:こと、それ、そのこと、generationes:子孫、世代、hic:ここに、この場に、non:否、sint:ある、aliae;:他のもの、別のもの、in:~の中、~において、Verbo:聖言、御言葉、aliquoties:数回、数度、similiter,:同様に、似ている、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Aedificent:建てる、築く、(接続法三人称複数現在)ex:~から、~により、te:あなたから、vastitates:荒廃、荒野、saeculi,:今の世、現代、fundamenta:土台、基礎、generationis:子孫、世代、et:~と、および、generationis:子孫、世代、erigas,:起す、立て直す、(接続法二人称単数現在)et:また、そして、vocabitur:呼ばれる、(三人称単数未来受動)tibi:あなたに、sepiens:守る、覆う、防御する、rupturam,:壊す、破壊する、(未来形)reducens:連れ戻す、連れ帰る、semitas:小道、道、ad:~に、~のために、habitandum,:住むことへ、lviii 12; ubi:そこで、その場所、omnia:凡ての、全体の、significant:意味する、quae:それらは、そのことらは、fidei:信仰の、sunt;:ある、'vastitates:荒廃、荒野、saeculi':今の世、現代、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、caelestium:天的な、fidei;:信仰の、'fundamenta:土台、基礎、generationis:子孫、世代、et:~と、および、generationis':子孫、世代、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、spiritualium:霊的な、fidei,:信仰の、quae:それらは、そのことらは、lapsa:堕落した、倒れた、a:~から、~において、temporibus:時、時代、antiquis,:古代の、quae:それらは、そのことらは、simul:一緒に、総合的な視野から、significantur::意味される、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Aedificabunt:建てる、築く、(三人称複数未来)vastitates:荒廃、荒野、saeculi,:今の世、現代、desolationes:荒れ果てた場所、廃墟、priores:先祖達、祖先、erigent,:起す、立て直す、(三人称複数未来)et:また、そして、renovabunt:元通りにする、回復する、(三人称複数未来)urbes:大きな町々、都市、vastitatis,:荒廃、荒野、desolationes:荒れ果てた場所、廃墟、generationis:子孫、世代、et:~と、および、generationis,:子孫、世代、lxi 4; similiter::同様に、似ている、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Non:否、laborabunt:落ちる、降る、ず(三人称複数未来)in:~の中へ、~へ、vacuum,:うつろな、実体のない、et:また、そして、non:否、generabunt:産む、生ずる、(三人称複数未来)ad:~に、~へ、perturbationem;:混乱、不安、nam:なぜなら、というのも、semen:子、種、benedictorum:祝福された、聖別された、Jehovae:エホバ、illi,:彼らに、et:また、そして、cognati:親類、親族、身内、illorum:彼らの、cum:~と一緒に、~と、illis,:彼らから、lxv 23; ubi:そこで、その場所、etiam:~もまた、さらに、'generare':生じること、praedicatur:言われる、属性付けられる、de:~について、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、fidei,:信仰の、'laborare':落ちること、de:~について、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、amoris;:愛の、
de:~について、his:これらから、praedicatur:言われる、属性付けられる、'semen:種子、種、benedictorum祝福された、聖別された、Jehovae,':エホバの、de:~について、illis:それらから、'prognati.':子達、子孫達、(cognati:親類、親族、身内、?)
 

613.「世代の者達」は信仰の(善と真理)であることは、歴史的な文字通りの意味からは明らかでない。しかし、ここ(の箇所)には内なる(意味)だけがあるので、信仰の(善と真理が)意味される。同様にひと続きのものからここの世代の者達が他の(意味)でないことが知られよう。聖言においても数回、同様に(意味されている)。例えばイザヤ(書)において、
「今の世の荒廃をあなたにより彼らが築き直すように、世代と世代の基礎をあなたが立て直すように、そしてあなたは壊そうとするものを守る者、住むために道へ連れ戻す者と呼ばれるであろう。」58.12、ここの凡てのものは信仰の(真理と善)を意味する。「今の世の荒廃」は信仰の天的なものの(真理と善)であり、「世代と世代の基礎」は信仰の霊的なものの(真理と善)である。それらのものは古代の時において倒れたものであり、それらは総合的な視野で意味されている。同(書)において、
「彼らは今の世の荒廃を築き直すであろう。先祖達の廃墟を立て直し、また荒野の大きな町々を元通りにし、世代と世代の廃墟を(元通りにするであろう)。」61.4、同様に(意味される)。同(書)において、
「彼らはうつろなものの中へ落ちないであろう、また不安を生じないであろう。なぜなら、エホバの祝福された者達の子が彼らに(居るからであり)、また彼らの親族が彼らと一緒に(居るからである)。」65.23、ここでもまた「生じること」は信仰の(善と真理)に属性付けられ、「落ちること」は愛の(善と真理)に(属性付けられる)。これら(愛の善と真理)については「エホバの祝福された者達の子」が属性付けられ、それら(信仰の善と真理)については「親族達」(が属性付けられる)。
 

614. Quod 'ambulare cum Deo' significet doctrinam fidei, videantur quae prius de Hanocho, cap. v 22, 24; de quo etiam dicitur quod 'ambulaverit cum Deo'; et ibi significavit doctrinam fidei conservatam in usum posteritatis; et quia haec posteritas est in cujus usum, hic nunc reassumitur.
 

614. Quod:こと、それ、そのこと、'ambulare:歩くこと、生きること、cum:~と一緒に、~と、Deo':神から、significet:意味する、doctrinam:教え、教義、fidei,:信仰の、videantur:見られる、認められる、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、de:~について、Hanocho,:エノク、cap.:章、v 22, 24; de:~について、quo:その者、etiam:~もまた、さらに、dicitur:言われる、quod:こと、それ、そのこと、'ambulaverit:歩いた、生きた、cum:~と一緒に、~と、Deo';:神から、et:また、そして、ibi:そこに、そこで、significavit:意味した、doctrinam:教え、教義、fidei:信仰の、conservatam:保持された、保たれた、in:~の中へ、~のために、usum:用、必要、posteritatis;:子孫、後代、et:また、そして、quia:なぜなら、ので、haec:ここに、この場に、posteritas:子孫、後代、est:ある、in:~の中へ、~として、cujus:それの、そのことの、usum,:用、必要、hic:ここに、この場に、nunc:今、このような事情の下に、reassumitur.:再び取り上げられる、
 

614.「神と一緒に歩むこと」が信仰の教義を意味することは、前の(第)5章22,24節でエノクについて(言われたことから)認められよう。その者(エノク)についてもまた「神と一緒に歩いた」ことが言われている。そしてそこで彼(エノク)は子孫の必要のために保持された信仰の教義を意味した。そしてここの子孫がその必要とした(子孫で)あるので、今ここで再び取り上げられているのである。

5-481~482意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

5-481~482意訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 
 
481.三節、「そして、人間は130年生きた。また彼はその像に従ってその似姿に息子を産んだ。そしてその名はセツと呼ばれる。」
「130年」によって新しい教会が起こるより前の教会が意味される。なぜなら、その教会は最古代にあった「その似姿へ、またその像に従って産まれた」ことが言われる教会にそれほど似ていなくはない教会であったからである。しかし「似姿」が信仰を目指し、また「像」が愛を目指すここの教会は「セツ」と言われる。
 

482.この章の中に出て来る年々と年々の数が、内意の中で何を意味するかは、まだ誰にもよく知られていないのである。文字通りの意味の中に居る者達は年々を暦の年々であることを信じる。しかし、ここの章から12章に至るまでの章には文字通りの意味の中に見えるような歴史的なものは何もないのである。しかし、それらの全体的なものと個別的なものは、丁度、名前と同様に数字もまた歴史的なもの以外のものを含む。
聖言の中の至る所で出て来る三から成る数字、更に七から成る数字もまた、至る所で何かの神聖なもの、或いは状態に関して極めて神聖な状態を意味している。三と七から成る時間は、更にまたそれら以外の意味も含む、即ち表象する。また、最小の時間の間隔において、同様に最大の時間の間隔においても同様なものを表象する。なぜなら、部分が全体の中にあるように、最小のものは最大のものの中にあるからである。なぜなら、部分から全体が一致して存在するようになるからであり、また最小ものから最大のものが一致して存在するようになるからであり、表象するものを同様に持っているからである。
[2]イザヤ書において、
「今や、エホバは言うことで告げた。雇われ人の年々の後、三年の間にモアブの栄光は卑賤なものに戻されるであろう。」16.14、同書において、
「主は私に言われた。今後一年で雇われ人の年々と同様に、ケダルの凡ての栄光は無くされるであろう。」21.16、ここでは、最小の年の隔たり、最大の年の隔たりも同様に意味されている。ハバクク書において、
「エホバよ、私はあなたの名声を聞いて恐れた。エホバよ、あなたの働きが年々の間において、それを甦らせ給え、年々の間においてあなたが知らせ、為し給え、」3.2、ここでは、「年々の間」は主の降臨として記述されている。更に少ない間の隔たりも、人間が再生される時のような主の降臨の凡てのものとして記述されており、また大きい間の隔たりにおいても、主の新しい教会の起きる時、同様に主の降臨として意味される。
これは更に「贖い人の年」と言われる。イザヤ書において、
「報復の日が私の心の中に(あり)、そして私の贖われた者達の年が来た。」63.4、丁度、サタンが縛られた「千年」黙示録、20.2,3,7、もまたそのように意味され、また最初の復活の「千年」黙示録、20.4-6、も、決して千年を意味しないが、それらの状態を意味する。なぜなら、前に示された「日」の如く「年」もまた状態として理解されるからであり、また年々の数によって状態が記述されているからである。
それ故、この章の中の年(年齢)もまた、状態を含むことが知られることが出来よう。なぜなら、各々の教会は遺伝の性質の相違と実行された性質の相違に従って、他の教会よりも他の認識の状態の中にあったからである。

6-610~612原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ

6-610~612原典訳「天界の秘義」創世記Ⅰ
 

610. Vers. 9. Hae nativitates Noahi; Noah vir justus et integer fuit in generationibus suis; cum Deo ambulavit sibi Noah. Per 'nativitates Noahi' significatur descriptio reformationis seu regenerationis novae Ecclesiae: 'quod Noah vir justus et integer in generationibus suis' significat quod talis esset ut charitate donari posset; 'justus' spectat bonum charitatis, 'integer' verum charitatis; 'generationes' sunt fidei: 'ambulare cum Deo' significat hic, ut prius ubi de Hanocho, doctrinam fidei.
 

610. Vers.:節、9. Hae:これら、下記の、nativitates:出生、誕生、起源、Noahi;:ノア、Noah:ノア、vir:男、人、justus:公正な、正しい、et:また、そして、integer:健全な、けがれのない、fuit:あった、in:~の中、~において、generationibus:子孫、世代、suis;:それら自身から、cum:~と一緒に、~と、DEO:神から、ambulavit:歩いた、生きた、sibi:自分自身に、Noah.:ノア、
Per:~を通して、~によって、'nativitates:出生、誕生、起源、Noahi':ノア、significatur:意味される、descriptio:記述、記録、reformationis:改心、改良、seu:即ち、或いは、regenerationis:再生、novae:新しい、Ecclesiae::教会、'quod:こと、それ、そのこと、Noah:ノア、vir:男、人、justus:公正な、正しい、et:また、そして、integer:健全な、けがれのない、in:~の中、~において、generationibus:子孫、世代、suis':それら自身から、significat:意味する、quod:こと、それ、そのこと、talis:talis~ut~、~のような~、esset:あった、ut charitate:仁愛、愛情、donari:与えられること、posset;:出来た、可能であった、'justus':公正な、正しい、spectat:関係する、目指す、bonum:善を、charitatis,:仁愛、愛情、'integer':健全な、けがれのない、verum:真理を、charitatis;:仁愛、愛情、'generationes':子孫、世代、sunt:ある、fidei::信仰の、'ambulare:歩くこと、生きること、cum:~と一緒に、~と、Deo':神から、significat:意味する、hic,:ここに、この場に、ut:~のように、~として、prius:以前に、前に、ubi:そこで、その場所、de:~について、Hanocho,:エノク、doctrinam:教え、教義、fidei.:信仰の、
 

610. 九節、「これらはノアの出生(である)。ノアはその世代の者達の中で正しく健全な人であった。ノアは自分自身に神と一緒に歩んだ。」
「ノアの出生」によって新しい教会の改心、即ち再生の記述が意味され、「ノアはその世代の者達の中で正しく健全な人であった」ことは、彼(ノア)は仁愛が与えられることが出来るような者であったことを意味する。「正しい」は仁愛の善に関係し、「健全な」は仁愛の真理に(関係し)、「世代」は信仰の(善と真理に関係し)、ここでの「神と一緒に歩むこと」も、前にエノクについて(述べられた)ように、信仰の教義を意味する。
 

611. Quod per 'nativitates Noahi' significetur descriptio reformationis seu regenerationis novae Ecclesiae, constat ab illis quae prius ad cap. ii 4 et ad cap. v 1 dicta sunt.
 

611. Quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、'nativitates:出生、誕生、起源、Noahi':ノア、significetur:意味される、descriptio:記述、記録、reformationis:改心、改良、seu:即ち、或いは、regenerationis:再生、novae:新しい、Ecclesiae,:教会、constat:知られる、明らかである、ab:~から、~により、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、prius:以前に、前に、ad:~に、~へ、cap.:章、ii 4 et:~と、および、ad:~に、~へ、cap.:章、v 1 dicta:言われた、sunt.:ある、
 

611.「ノアの出生」によって新しい教会の改心、即ち再生が意味されることは、前に(第)2章4節、と(第)5章1節に言われたことから知られることが出来よう。
 

612. Quod 'Noah vir justus et integer in generationibus suis' significet quod talis esset ut charitate donari posset, constat a significatione justi et integri, quod 'justus' spectet bonum charitatis, 'integer' verum charitatis; tum ab Ecclesiae illius essentiali, quod esset charitas, de qua, ex Divina Domini Misericordia, in sequentibus: quod 'justus' spectet bonum charitatis, et 'integer' verum charitatis, constat ex Verbo, ut apud Esaiam,
Me quovis die quaerent, et scientiam viarum Mearum desiderabunt, velut gens quae justitiam facit, et judicium Dei sui non derelinquit; interrogabunt Me judicia justitiae, appropinquationem Dei desiderabunt, lviii 2;
ubi 'judicium' pro illis quae sunt veri, et 'justitia' pro illis quae sunt boni: sollemnis quasi formula facta 'judicium et justitiam facere' pro verum et bonum, ut Esai. lvi 1; Jer. xxii 3, 13, 15; xxiii 5; xxxiii 15 Ezech. xxxiii 14, 16, 19. Dominus dixit,
Justi fulgebunt ut sol in regno Patris sui Matth. xiii 43;
pro illis qui charitate praediti: tum ubi de consummatione saeculi,
Exibunt angeli, et separabunt malos e medio justorum, ibid. vers. 49;
ubi etiam pro illis qui in bono charitatis sunt. [2] 'Integer' autem significat verum quod ex charitate; verum enim datur ex plurima alia origine, sed quae ex bono charitatis ex Domino, hoc dicitur 'integrum' et 'homo integer'; ut apud Davidem,
{x}Quis peregrinabitur in tentorio Tuo? quis habitabit in monte sanctitatis Tuae, ambulans integer, et faciens justitiam, et loquens veritatem in corde suo, Ps. xv 1, 2;
hic describitur integer: apud eundem,
Cum sancto sancte Te geris, cum viro integro integrum Te praebes, Ps. xviii 26 [A.V. 25];
ubi 'vir integer,' qui ex sancto, seu bono charitatis, talis est: apud eundem,
Jehovah non prohibebit bonum ambulantibus in integritate, Ps. lxxxiv 12 [A.V. 11].
 [3] Quod 'integer' sit qui verus ex bono, seu qui loquitur et facit verum ex charitate, constat ex eo quod pluries applicetur integro seu integritati vox 'ambulare,' et 'via,' tum 'rectum seu rectitudo,' quae voces sunt veri, ut apud Davidem,
Informabo in via integrum quousque veniet ad me; ambulabo mihi in integritate cordis mei in medio domus meae, Ps. ci 2:
et
Ambulans in via integri, hic ministrabit Mihi, ibid. vers. 6:
apud eundem,
Beati integri via, ambulantes in lege Jehovae, Ps. cxix 1:
apud eundem,
Integritas et rectitudo custodient Me, Ps. xxv 21:
apud eundem,
Observa integrum, et vide rectum, quia postremum viro pax, Ps. xxxvii 37.
Ex his constat quod 'justus' dicatur qui facit bonum, et 'integer' qui facit verum inde, quod etiam est 'facere justitiam et judicium'; 'sanctitas et justitia' est caeleste fidei, 'integritas et judicium' est spirituale inde.
 

612. Quod:こと、それ、そのこと、'Noah:ノア、vir:男、人、justus:公正な、正しい、et:また、そして、integer:健全な、けがれのない、in:~の中、~において、generationibus:子孫、世代、suis':それら自身から、significet:意味する、quod:こと、それ、そのこと、talis:talis~ut~、~のような~、esset:あった、ut charitate:仁愛、愛情、donari:与えられること、posset,:出来た、可能であった、constat:知られる、明らかである、a:~から、~により、significatione:意味、justi:公正な、正しい、et:~と、および、integri,:健全な、けがれのない、quod:こと、それ、そのこと、'justus':公正な、正しい、spectet:関係する、目指す、bonum:善を、charitatis,:仁愛、愛情、'integer':健全な、けがれのない、verum:真理を、charitatis;:仁愛、愛情、tum:その上、さらに、ab:~から、~により、Ecclesiae:教会、illius:それの、essentiali,:本質的な部分、quod:こと、それ、そのこと、esset:あった、charitas,:仁愛、愛情、de:~について、qua,:それから、そのことから、ex:~から、~により、Divina:神的な、Domini:主の、Misericordia,:慈悲、憐れみ、in:~の中、~において、sequentibus::次の、後に続く、quod:こと、それ、そのこと、'justus':公正な、正しい、spectet:関係する、目指す、bonum:善を、charitatis,:仁愛、愛情、et:また、そして、'integer':健全な、けがれのない、verum:真理を、charitatis,:仁愛、愛情、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、Verbo,:聖言、御言葉、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Esaiam,:イザヤ、
Me:私を、quovis:各々、~毎に、die:日、quaerent,:捜した、捜し求めた、et:また、そして、scientiam:知識、心得、viarum:道、やり方、方法、Mearum:私の、desiderabunt,:願った、失った、velut:例えば、丁度~のように、gens:人々、国民、quae:それらは、そのことらは、justitiam:正義、公正、facit,:行なう、為す、et:また、そして、judicium:審判、判断、Dei:神の、sui:自分自身の、non:否、derelinquit;:放棄する、後に残す、軽視する、無視する、見捨てる、見放す、interrogabunt:質問する、尋ねる、(三人称複数未来)Me:私を、judicia:審判、裁判、ustitiae,:正義、公正、appropinquationem:接近、近付くこと、Dei:神の、desiderabunt,:願う、望む、(三人称複数未来)lviii 2; ubi:そこで、その場所、'judicium':審判、裁判、pro:~として、~のために、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、veri,:真理の、et:また、そして、'justitia':正義、公正、pro:~として、~のために、illis:それらから、quae:それらは、そのことらは、sunt:ある、boni::善の、sollemnis:宗教上の、習慣的な、通常の、quasi:~のように、いわば、formula:定式、方式、facta:見なされた、提示された、'judicium:審判、裁判、et:~と、および、justitiam:正義、公正、facere':行うこと、pro:~として、~によって、verum:真理、(vero?)et:~と、および、bonum,:善、(bono?)ut:~のように、例えば、Esai.:イザヤ、lvi 1; Jer.:エレミヤ、xxii 3, 13, 15; xxiii 5; xxxiii 15 Ezech.:エゼキエル、xxxiii 14, 16, 19.
Dominus:主は、dixit,:言った、Justi:公正な、正しい、fulgebunt:輝く、きらめく、(三人称複数未来)ut:~のように、~として、sol:太陽、in:~の中、~において、regno:王国、Patris:父なる神、sui,:私自身の、Matth.:マタイ、xiii 43; pro:~として、~のために、illis:彼らから、qui:その者達、charitate:仁愛、愛情、praediti::賦与された、持っている、tum:その上、さらに、ubi:そこで、その場所、de:~について、consummatione:完了、完成、saeculi,:世代、時代、
Exibunt:出て行く、出発する、(三人称複数未来)angeli,:天使達、et:また、そして、separabunt:分ける、分離する、(三人称複数未来)malos:諸々の悪を、e:~から、~により、medio:中間の、真ん中の、間にある、justorum,:公正な、正しい、ibid.:同じ個所に、同書に、(ibidem〈ibi+dem〉)vers.:節、49; ubi:そこで、その場所、etiam:~もまた、さらに、pro:~として、~のために、illis:彼らから、qui:その者達、in:~の中、~において、bono:善から、charitatis:仁愛、愛情、sunt.:ある、
[2] 'Integer':健全な、けがれのない、autem:しかし、これに反し、significat:意味する、verum:真理を、quod:こと、それ、そのこと、ex:~から、~により、charitate;:仁愛、愛情、verum:真理は、enim:なぜならば、~というのは、datur:与えられる、ex:~から、~により、plurima:非常に多くの、最も多くの、alia:他のもの、別のもの、origine,:起源、源泉、sed:しかし、quae:それらは、そのことらは、ex:~から、~により、bono:善から、charitatis:仁愛、愛情、ex:~から、~により、Domino,:主から、hoc:ここに、この場に、dicitur:言われた、'integrum':健全な、けがれのない、et:~と、および、'homo:人間は、integer';:健全な、けがれのない、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ{x}Quis:誰が、誰が居るだろうか、peregrinabitur:外国に滞在する、外国に在留する、in:~の中、~において、tentorio:テント、天幕、Tuo?:あなた、quis:誰が、誰が居るだろうか、habitabit:住む、(三人称単数未来)in:~の中、~において、monte:山、丘、sanctitatis:神聖さ、敬虔、Tuae,:あなた、ambulans:歩いている、生きている、integer,:健全な、けがれのない、et:また、そして、faciens:行っている、justitiam,:正義、公正、et:また、そして、loquens:話している、語ったている、veritatem:真理、真実、in:~の中、~において、corde:心臓、suo,:自分自身から、Ps.:詩篇、xv 1, 2; hic:ここに、この場に、describitur:述べられる、記述される、integer::健全な、けがれのない、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Cum:~と一緒に、~と、sancto:神聖な、聖なる、sancte:神聖なものとして、敬虔に、Te:あなたを、geris,:持つ、示す、(二人称単数現在)cum:~と一緒に、~と、viro:男、人、integro:健全な、けがれのない、integrum:健全な、けがれのない、Te:あなたを、praebes,:示す、見せる、(二人称単数現在)Ps.:詩篇、xviii 26 [A.V. 25]; ubi:そこで、その場所、'vir:男、人、integer,':健全な、けがれのない、qui:その者、ex:~から、~により、sancto,:神聖な、聖なる、seu:即ち、或いは、bono:善から、charitatis,:仁愛、愛情、talis:このような、次のような、est::ある、apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Jehovah:エホバ、non:否、prohibebit:禁ずる、:遠ざける、そらす、防ぐ、妨げる、(三人称単数未来)bonum:善、ambulantibus:歩いている、生きている、in:~の中、~において、integritate,:正直、公正、健全、誠実、Ps.:詩篇、lxxxiv 12 [A.V. 11].
[3] Quod:こと、それ、そのこと、'integer':健全な、けがれのない、sit:ある、qui:その者、verus:真理の、真実の、ex:~から、~により、bono,:善から、seu:即ち、或いは、qui:その者、loquitur:話す、語る、et:また、そして、facit:行なう、為す、verum:真理を、ex:~から、~により、charitate,:仁愛、愛情、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、eo:これから、quod:こと、それ、そのこと、pluries:たびたび、しばしば、applicetur:適用される、使用される、integro:健全な、けがれのない、seu:即ち、或いは、integritati:正直、健全、vox:言葉、言語、'ambulare,':歩くこと、生きること、et:また、そして、'via,':道、道筋、tum:その上、さらに、'rectum:正しい、正義の、seu:即ち、或いは、rectitudo,':正直、誠実、quae:それらは、そのことらは、voces:言葉、言語、sunt:ある、veri,:真理、ut:~のように、例えば、apud:~のもとに、~において、Davidem,:ダビデ、
Informabo:教える、心に描く、(一人称単数未来)in via:途中で、integrum:健全な、けがれのない、quousque:~の間に、~まで、veniet:行く、来る、(三人称単数未来)ad:そばに、近くに、me;:私へ、ambulabo:歩く、生きる、(一人称単数未来)mihi:私に、in:~の中、~において、integritate:正直、健全、cordis:心臓、心、mei:私の、in:~の中、~において、medio:真ん中の、間にある、domus:家、故国、meae,:私の、Ps.:詩篇、ci 2: et:また、そして、
Ambulans:歩いている、生きている、in via:途中で、integri,:健全な、けがれのない、hic:この者は、ministrabit:仕える、奉仕する、(三人称単数未来)Mihi,:私に、ibid.:同書に、vers.:節、6:
apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Beati:祝福、幸福、integri:健全な、けがれのない、via,:道、ambulantes:歩いている、生きている、in:~の中、~において、lege:法律、律法、Jehovae,:エホバ、Ps.:詩篇、cxix 1: apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Integritas:正直、健全、t:~と、および、rectitudo:正直、誠実、custodient:~に従って行動する、遵守する、Me,:私を、Ps.:詩篇、xxv 21: apud:~のもとに、~において、eundem,:同(書)、
Observa:尊重せよ、認めよ、(命令形)integrum,:健全な、けがれのない、et:また、そして、vide:見よ、(命令形)rectum,:正しい、正義の、quia:なぜなら、ので、postremum:最後に、結局、viro:男、人、pax,:平和、平安、Ps.:詩篇、xxxvii 37.
Ex:~から、~により、his:これらから、constat:知られる、明らかである、quod:こと、それ、そのこと、'justus':公正な、正しい、dicatur:言われる、qui:その者、facit:行う、為す、bonum,:善を、et:また、そして、'integer':健全な、けがれのない、qui:その者、facit:行う、為す、verum:真理を、inde,:それ故、そこから、quod:こと、それ、そのこと、etiam:~もまた、さらに、est:ある、'facere:行うこと、justitiam:正義、公正、et:~と、および、judicium';:審判、裁判、'sanctitas:神聖、敬虔、et:~と、および、justitia':正義、公正、est:ある、caeleste:天的な、fidei,:信仰の、'integritas:正直、健全、et:~と、および、judicium':審判、裁判、est:ある、spirituale:霊的な、inde.:それ故、そこから、
 

612.「ノアはその世代の者達の中で正しく健全な人であった」ことは、彼(ノア)は仁愛を与えられることが出来るような者であったことを意味することは、正しいと健全なの意味から知られよう。「正しい」は仁愛の善に関係し、「健全な」は仁愛の真理に(関係する)。更に、その教会の本質的な部分が仁愛であったことからも(知られよう)。このことについては主の神的な慈悲により後に続く(箇所)において(述べよう)。「正しい」が仁愛の善に関係し、また「健全な」が仁愛の真理に(関係する)ことは聖言から知られよう。例えば、イザヤ(書)において、
「彼らは日毎に私を捜し、丁度、正義を行う人々のように、またその神の審判を見捨てないように、私の道の心得を願った。彼らは私の正義の審判を尋ね、神の近付くことを願うであろう。」58.2、ここで「審判」は真理の(もの)として、また「正義」は善の(もの)として(記述されている)。「審判と正義を行うこと」は、真理と善として習慣的な定式のように見なされた。例えば、イザヤ、56.1、エレミヤ、22.3,13,15、23.5、33.15、エゼキエル、33.14,16,19、
主は言われた、「正しい者達は、私の父なる神の王国において太陽のように輝くであろう。」マタイ、13.43、(ここで、「正しい者達」は、)仁愛が賦与された者達として(記述されている)。更に、ここで世代の完了について(も記述されている)。
「天使達は出て行き、正しい者達の間から諸々の悪を切り離すであろう。」同書、13.49、ここでもまた、(正しい者達は、)仁愛の善の中に居る者達として(記述されている)。
[2]これに反し「健全な」は仁愛からの真理を意味する。というのは、真理は非常に多くのものが(仁愛以外の)他の起源から与えられるからである。しかし、主からの仁愛の善からの(真理は)、ダビデ(の書)におけるように、そこで「健全な」と「健全な人間」と言われている。
「誰があなたの天幕に留まるであろうか? 誰があなたの神聖な山に住むであろうか?(その者は)正しく生き、また正義を遂行し、また自分の心の中で真実を語っている。」詩篇、15.1,2、ここでも「健全な者」が記述されている。同(書)において、
「あなたは神聖な者と一緒にあなたを神聖な者として示し、健全な人と一緒にあなたを健全な者(として)示す。」詩篇、18.25、ここで「健全な人」は神聖なもの、即ち仁愛の善からこのような者である。同(書)において、
「エホバは誠実の中で歩んでいる者達から善を遠ざけないであろう。」詩篇、84.11、
[3]「健全な者」は善からの真理の者、即ち仁愛から真理を話し、また行う者であることは、「歩むこと」と「道」の言葉が健全な者、即ち健全にたびたび適用されていることから、更に「正しい者、即ち正直」の言葉が真理(へたびたび適用されていることから)知られよう。例えばダビデ(の書)において、
「私は彼(健全な者)が私のそばに来るまで健全な者を(道の)途中で教えるであろう。私は私の心の健全の中で、私の故国(家)の真ん中で歩む(生きる)であろう。」詩篇、101.2、また同所6節に、
「健全な(道の)途中で歩んでいる者(健全な道を歩んでいる者)は、私に仕えるであろう。」(101.6)、同(書)において、
「健全な祝福の道が、エホバの律法の中を歩む者達にある。」詩篇、119.1、同(書)において、
「健全と正直を(生きる者は)、私に従って歩むであろう。」詩篇、25.21、同(書)において、
「健全な者を尊重せよ、また正しい者を見よ、なぜなら、(その)人の最後に平安(があるからである)。」37.37、
これらから「正しい者」は善を行う者、また「健全な者」はそこ(善)からの真理を行う者(である)と言われることが知られよう。更に「正義と審判」を行うことでもあること(が知られよう)。「神聖と正義」は信仰の天的なもの、「健全と審判」はそこからの霊的なものである。
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