28-3675~3676原典訳「天界の秘義」創世記Ⅲ

3675. `Et ivit Paddanem Aram': quod significet cognitiones illius veri, constat ex significatione `Paddanis Aram' quod sint cognitiones veri, de qua supra n. 3664.

3675. `Et:また、そして、ivit:行った、進んだ、(eoの三人称単数完了)Paddanem Aram'::パダンアラム、quod:こと、それ、そのこと、significet:意味する、cognitiones:知識、概念、illius:それの、彼の、veri,:真理、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、significatione:意味、`Paddanis Aram':パダンアラム、quod:こと、それ、そのこと、sint:ある、cognitiones:知識、概念、veri,:真理、de:~について、qua:それから、そのことから、supra:上に、上部に、n.:番号、3664.

3675.「パンダアラムへ行った」が、ここでも前のようにその真理の概念(知識を知ること)を意味することは、「パダンアラム」の意味が真理の概念(知識)であることから知られよう。そのことについては、上の3664番(に示された)。

3676. `Ad Labanem filium Bethuelis Aramaei': quod significet bonum collaterale, constat ex repraesentatione `Labanis' quod sit bonum communis stirpis collaterale, de qua etiam supra n. 3665; et ex repraesentatione `Bethuelis' quod sit bonum gentium primae classis, de qua n. 2865, 3665, ex quo sicut ex communi stirpe bonum quod per `Labanem' repraesentatur; quod Bethuel cognominetur hic `Aramaeus,' est quia per `Aram' seu Syriam significantur cognitiones boni et veri, n. 1232, 1234, 3249, de quibus hic agitur. [2] Verum externum ex quo bonum, quod hic est `Jacob,' non aliud est quam cognitiones, nam hae sunt vera quae omnium {1}primo hauriuntur, et quoque pro veris {2}habentur ab illis qui in initio regenerationis sunt: sed cognitiones non sunt vera in se, sed ex Divinis quae in illis sunt, quae cum {3}elucent, tunc primum fiunt vera; sunt interea modo sicut vasa communia, per quae et in quibus vera recipi possunt, sicut sint illa de quibus prius n. 3665 f.; et sicut sunt omnia scientifica quae primum discuntur.

3676. `Ad:~に向かって、~へ、Labanem:ラバン、filium:息子、Bethuelis:ベトエル、Aramaei'::アラム、quod:こと、それ、そのこと、significet:意味する、bonum:善、collaterale,:傍系の、隣接した、付随的な、constat:知られる、明らかである、ex:~から、~により、repraesentatione:象徴、表象、`Labanis':ラバン、quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、bonum:善、communis:一般に、全般的な、普遍的な、stirpis:家系、血統、根源、起源、根幹、collaterale,:傍系の、隣接した、付随的な、de:~について、qua:それから、そのことから、etiam:~もまた、更に、supra:上に、上部に、n.:番号、3665; et:また、そして、ex:~から、~により、repraesentatione:象徴、表象、`Bethuelis':ベトエル、quod:こと、それ、そのこと、sit:ある、bonum:善、gentium:異邦人、諸民族、primae:第一の、最初の、classis,:部類、種類、de:~について、qua:それから、そのことから、n.:番号、2865, 3665, ex:~から、~により、quo:それから、そのことから、sicut:~の如く、~のように、ex:~から、~により、communi:一般に、全般的に、共通の、stirpe:家系、血統、根源、起源、根幹、bonum:善、quod:こと、それ、そのこと、per:~を通して、~によって、`Labanem':ラバン、repraesentatur;:象徴される、表象される、quod:こと、それ、そのこと、Bethuel:ベトエル、cognominetur:名付ける、添え名をつける、hic:ここに、この場に、`Aramaeus,':アラム、est:ある、quia:なぜなら、ので、per:~を通して、~によって、`Aram':アラム、seu:即ち、或いは、Syriam:シリア、significantur:意味される、cognitiones:知識、概念、boni:善、et:~と、および、veri,:真理、n.:番号、1232, 1234, 3249, de:~について、quibus:それらから、そのことらから、hic:ここに、この場に、agitur.:述べられる、取り扱われる、
[2] Verum:真理、externum:外部の、外なる、ex:~から、~により、quo:それから、そのことから、bonum,:善、quod:こと、それ、そのこと、hic:ここに、この場に、est:ある、`Jacob,':ヤコブ、non:否、aliud:他のもの、異なった、est:ある、quam:~を除いて、~の外は、cognitiones,:知識、概念、nam:なぜなら、というのも、hae:これらは、sunt:ある、vera:諸々の真理、quae:それらは、そのことらは、omnium:凡ての、全体の、{1} primo:最初に、始めに、第一の、最初の、hauriuntur,:学ばれる、取り入れられる、et:また、そして、quoque:~もまた、同じく、同様に、pro:~として、~のために、veris:諸々の真理、{2} habentur,:持たれる、ab:~から、~により、illis:それらから、彼らから、qui:その者達、in:~の中、~において、initio:根源、始め、初期、始めに、regenerationis:再生、sunt::ある、sed:しかし、cognitiones:知識、概念、non:否、sunt:ある、vera:諸々の真理、in se,:本質的に、本来、sed:しかし、ex:~から、~により、Divinis:神的な、quae:それらは、そのことらは、in:~の中、~において、illis:それらから、彼らから、sunt,:ある、quae:それらは、そのことらは、cum:その時、その場合、{3}elucent,:見えてくる、現れる、顕著である、tunc:その時、やがて、primum:先ず、初めて、最初に、fiunt:為される、行なわれる、vera;:諸々の真理、sunt:ある、interea:その間に、そうこうするうちに、しかしながら、それにもかかわらず、modo:だけ、単に、sicut:~の如く、~のように、vasa:道具、容器、用具、入れ物、communia,:一般に、全般的に、per:~を通して、~によって、quae:それらを、そのことらを、et:~と、および、in:~の中、~において、quibus:それらから、そのことらから、vera:諸々の真理、recipi:受け入れられること、possunt,:出来る、可能である、sicut:~の如く、~のように、sint:ある、illa:それらは、de:~について、quibus:それらから、そのことらから、prius:以前に、前に、n.:番号、3665 f.;:終わり、et:また、そして、sicut:~の如く、~のように、sunt:ある、omnia:凡ての、全体の、scientifica:科学的な、事実に基づく、quae:それらは、そのことらは、primum:先ず、初めて、最初に、discuntur.:学ばれる、習われる、知られる、

3676.「アラムのベトエルの息子ラバンに向け」が、傍系の善を意味することは、「ラバン」の表象が傍系の血統の全般的な善であることから知られよう。そのこともまた上の3665番(に示された)。また「ベトエル」の表象が最初の部類の異邦人達の善であることから知られよう。そのことについては2865, 3665番(に示された)。そこから「ラバン」によって表象される共通の起源からの如き善がある。ここでベトエルに「アラム」の添え名が付けられているのは、「アラム」、即ちシリアによって善と真理の概念(知識)が意味されるからである。1232, 1234, 3249番(を参照)、そのことについてここで述べられている。
[2]外なる真理からの善がここの「ヤコブ」であり、それは概念(知識)以外の他のものではない。なぜなら、それは最初に学ばれる凡ての真理であるからであり、また同様に再生の初期に居る者達によりそれらが真理として持たれるからである。しかし概念(知識)は本質的に真理ではなく、それらの中にある神的なものから(真理である)。それら(の神的なもの)が現われる時、やがて初めて真理に為される。それまではそれら(真理)がある如く、それらによって、またそれらの中に真理が受け入れられることが出来る全般的な容器のようなものだけのものであり、また最初に学ばれる凡ての科学的な(事実に基づく)もののようものである。