27-3638~3641意訳「天界の秘義」創世記Ⅲ

3638.それ故、他生における凡ての社会がどれほど多くあっても、全天界に霊太陽の形で現れておられる主に向かってそれぞれに不変の位置を保つ。そして驚くべきこと、また殆んど誰からも理解されることがないので信じられることが出来ないことだが、そこの至る所にある社会はどんな社会でも、またその社会をどんな方向に転じても、また向きを変えても、例えば右側に見える社会は常にその社会の右側に見え、左側に見える社会は常に左側にある。例え彼が方向に関して顔と身体を変えてもそれぞれ同じ位置を保つことである。このこともまた私に身体の方向転換を通して観察することが頻繁に与えられた。それ故、天界の形は主に関してそれぞれの社会が最大の人間に一定不変に関係するようなものであること、また凡ての天使達は主の許に居るだけでなく、主の中に居ること、或いは同じことであるが、彼らの許に主が居られること、また彼らの中に主が居られることが明らかである。さもなければそれはそのように起こらない。

3639.凡ての者達はそこでその位置を持つ。それ故、そこからの方角に従って人間の身体に関して、即ちどの位置の中でも右側、左側、前方、後方の位置を持ち、そのようにまた舞台(面)に従って位置を持つ。例えは頭の舞台(面)におけるその部分、例えば額、こめかみ、目、耳のように位置を持ち、身体の舞台(面)においては肩、胸、腹、腰、ひざ、足、足の裏における舞台(面)の位置を持ち、更に頭の上と足の裏の下にもまた位置を持ち、凡ての斜めの位置を持ち、後頭部から下方に背中においてまた位置を持つ。その位置そのものからどんな社会であるか知られ、またそれらの社会が人間の器官と四肢のそれらの領域に関わりがあることが決して誤りなく知られるだけでなく、更に情愛に関する彼らの嗜好と性質が知られる。

3640.極めて多くの地獄があり、それらもまた不変の位置を持ち、位置だけからそれらが一体どんなものか、またどんな種類のものであるか知られることが出来るほどである。それらの位置によって同様にそのことを有する。人間の下方に凡ての地獄ががあり、足の裏の下の凡ゆる方向の舞台(面)の中にある。そこから何かの地獄が頭の上と他の箇所にもまた散らばって現われるが、しかしそこに位置を持つのではなく、それは間違った信念から導かれた幻想であり、それが位置を騙し、また偽る。

3641.天界に居る凡ての者達も地獄に居る凡ての者達も、頭を上に、また足を下に立って現われるが、しかしそれでもなお、本質的に見られたなら、また天使的な視覚に従って見られたなら、異なった姿勢に見える。即ち天界に居る者達は頭をそこの霊太陽で在られる主に向け、またそのように共通の中心へ向ける。その中心から凡ての者達に姿勢と位置がある。しかし地獄的な者達は天使的な視覚の前で頭を下向きに、また足を上の方にして見られ、そのように反対の姿勢で見られ、傾斜したものの中でもまた見られる。というのは、天的な者達に上にあるものが地獄的な者達に下にあるからであり、また天的な者達に下にあるものが地獄的な者達に上にあるからである。
そこから天界と地獄とがどのようにして言わば一つのものを造ることが出来るか、或いは位置と姿勢において一緒に一つのものに関連付けることが出来るか多少明らかであろう。