27-3646~3649意訳「天界の秘義」創世記Ⅲ

3646.人間によっての如く、獣によっても流入と相応に関してそのことを同様に有する。即ち霊的な世界から獣の許に流入があり、また自然的な世界から流れ込むものがあり、それらによって獣は保持され、また生きる。しかし活動そのものはそれを霊魂の形とそこからの身体の形に従って様々な方法で引き起こす。そのことはこの世の光の如くそのことを有する。この世の光は地上の様々な対象物へ類似の状態と類似の様式で流入するが、しかしそれでもなお、様々な形の間で異なって作用する。或る種のものの間で美しい色調を引き起こし、他のものの間で醜い色調を引き起こす。そのように獣に霊的な光が流入する時、人間と全く異なって受け入れられ、またそれ故に、人間の霊魂に流入する時と比べて獣を異なって活動させる。
[2]というのは、人間の霊魂は高い段階にあるからであり、またより完成した状態にあるからであり、また上方に向かって見ることが出来るようなものであるからであり、そのように天界と主に向かって見ることが出来るようなものであるからである。それ故に、主は人間の霊魂を御自身に結びつけることが出来、また永遠の生命を与えることが出来る。しかし獣は下向きに見ることを除いて異なって出来ないようなものであり、従って地上のものに向かってだけ見ることが出来、またそのように地上のものだけに接合されること出来る。それ故に、獣は身体と一緒に存在を終える。人間の生命がどのようなものであるか、また獣の生命がどのようなものであるかは目的が示す。人間は霊的な目的と天的な目的を持つことが出来、またそれらを認めること、承認すること、信じること、およびそれらに働きかけられることが出来る。しかし獣は自然的な目的を除いて他の目的を持つことが出来ない。従って人間は天界の中にあり、また天界を構成する目的と用の神的なスフェア(霊気)の中に居ることが出来る。しかし獣は地上の目的と用を除いて他のスフェア(霊気)の中に居ることが出来ない。目的は愛を除いて他のものではない。なぜなら、愛されるものが目的として持たれるからである。
[3]非常に多くの人間は自分の生命と獣の生命の間で区別することを知らない。なぜなら、獣と同様に外なるものの中に居るからであり、また彼らに地上のもの、形体的なもの、および世俗的なものだけが関心事であり、また心にあるからであり、またそのような者達は自分達自身もまた生命に関して獣と同じであることを信じるからであり、また死後、獣が滅びる如く自分達も滅びに行くことを信じるからである。なぜなら、彼らは霊的なものと天的なものを何も欲しないので知らないからである。そこから自分達を獣に例える狂気と内なる区別を認めない狂気が私達の世代にある。しかし天的なものと霊的なものを信じる者達、或いは霊的な光が流入し、また作用することを受ける者達は全く反対のことを認め、そのようにまた自分がどれほど獣の上に居るかを認める。しかし獣の生命については神的な主の慈悲により別に述べられなければならない。

3647.人間がそれらをどのように有するかもまた示された。誰かが身体の生命の中で地上のものだけを目的として持ち、また目的として他のものを持たなかった者達が他生に来た時、彼らを見ることと認めることが与えられた。彼らは何かの知識によって善と真理に従って教えられた者達ではなかった。彼らは船乗りと農夫の大衆からの者達であった。彼らは他の霊達の如くには永遠の生命を得ることが出来ないことを私が信じるほど生命を持たなかったことが認められたようにもまた見られた。彼らは機械の如く殆んど生命のない者達であったが、しかし天使達は彼らの世話を注意深く行ない、またその能力によって彼らを人間の如く保ち、彼らに善と真理の生命を吹き込んだ。それ故、彼らは益々、同様な霊魂の生命により人間的な生命の中へ導かれた。

3648.植物界の主体の中にもまた天界を通して主からの流入がある。例えば凡ての種類の樹木とそれらの結実の中へ、また様々な種類の草とそれらの繁殖の中へ流入がある。もしそれらの最初の形である種子の中へ主からの霊的なものが継続して内部に作用するのでなければ、これほど驚くべき方法と継承で決して成長せず、また繁殖せず、むしろその形は何かの生命を受け入れないようなものである。それはその種類とその像を繁殖させることの継続的な努力の中に主からの流入により永遠と無限の像を本来持つことから、そのように永遠に生きるために、また全世界を満たすためにもまた永遠と無限の像を持つことから明らかである。それはどの種子の中にも内在する。
[2]しかし、人間はこれほどの驚くべきものの凡てのものを自然そのものに帰し、何も霊的な世界からの流入を信じない。なぜなら、人間はそれを心で否定するからである。それでももし、主からの流入によって生じるのでなければ、即ち実体が永続する存在でなければ、或いは同じことであるが、産出が継続された創造でなければ何も存続することが出来ないことを知らなければならない。それ故、全自然界は主の王国の表象の舞台である。そのことは3483番に認められよう。しかしそれらについてもまた、そしてそれらと巨大人との相応についても神的な主の慈悲により他の箇所に言われなければならない。

3649.巨大人について、またそれとの相応について、次の章の終わりに続けて述べられよう。