28-3654-2意訳「天界の秘義」創世記Ⅲ

[3]同書において、
「彼は諸民族にしるしを持ち上げ、またイスラエルの追い払われた者達を集め、またユダの散らされた者達を地の種々の四方から集めるであろう。その時、エフライムへの敵意は去り、またユダの敵達を滅ぼされるであろう。エフライムはユダに嫉妬せず、またユダはエフライムを悩まさないであろう。...エホバはエジプトの海の岬を呪い、また御自身の息の強烈なものと一緒に川の上に手を振るであろう。...その時、アシュルからの残された者達であるエホバ御自身の残りの民の細道があるであろう。」11. 12, 13, 15, 16、ここの文字通りの意味においては、捕囚からイスラエル人とユダヤ人を連れ戻すことについて述べられているが、しかし内意においては全般的には新しい教会について、また個別的には再生される者達、即ち教会になる者達各々の許の教会について述べられている。「イスラエルの追い払われた者達」はそれらの真理として、「ユダの散らされた者達」はそれらの善として記述されている。「エフライム」は、もはや反抗しないであろうそれらの理解のものとして、「エジプト」は科学的な(事実に基づいた)ものとして、またアシュルはそこからの歪められた推論として、「追い払われ、散らされた残りの者達と残された者達」は残っている真理と善として記述されている。「エフライム」が理解のものであることは他の箇所に明らかであり、「エジプト」が科学的な(事実に基づいた)ものであることは、1164, 1165, 1186, 1462, 2588, 3325番に認められよう。それ故、「アシュル」は推論である。119, 1186番を参照、またそれ故、「残りのもの」は内的な人間の中に隠された主からの善と真理である。468, 530, 560, 561, 660, 661, 798, 1050, 1738, 1906, 2284番を参照、
[4]同書において、
「ヤコブの家よ、イスラエルの名で呼ばれた者達よ、これを聞け、彼らはユダの水から出た。...なぜなら、彼らは神聖な大きな町から呼ばれ、またイスラエルの神の上に信頼するからである。」48. 1, 2、ここの「ユダの水」は主への愛の善からの真理として記述されている。それ故、その真理は霊的な善と言われ、また霊的な教会を造る仁愛の善そのものである。その内なるものが「イスラエル」であり、またその外なるものが「ヤコブ」である。それ故、「イスラエルの名で呼ばれたヤコブの家」が何を意味するか、また「ユダの水から出た」が何を意味するか明らかである。
[5]同書において、
「私はヤコブから子孫を生み出し、またユダから私の山々の相続人を生み出そう。また私の選民達がそれを所有し、また私のしもべ達がそこに住むであろう。」65.9、ここで「ユダからの山々の相続人達」は、最高の意味において主として記述されており、表象の意味において主御自身への愛の中に居る者達として記述されている。従って両方の意味で愛の善の中に居る者達として記述されている。「山々」がそれらの善であることは上の3652番に示された。
[6]モーセの書において、
「ユダはライオンの子、私の息子よ、あなたは獲物によって育った。雄のライオンの如く、また老いたライオンの如く横たわって自分をたわませる。誰が彼を呼び起こすであろうか?」創世記、49.9、ここでは「ユダ」によって最高の意味において主が意味されていること、また表象の意味において主御自身への愛の善の中に居る者達が意味されていることは明瞭に明らかである。ダビデの書において、
「イスラエルがエジプトから出て行った時、ヤコブの家が異邦人の民から出て行った時、ユダはエホバ御自身の聖所に為され、イスラエルはエホバ御自身の支配と為された。」詩篇、114. 1, 2、ここでもまた「ユダ」は主への愛である天的な善として、また「イスラエル」は天的な真理、或いは霊的な善として記述されている。
[7]エレミヤ書において、
「エホバは言われた。見よ、日が来る。そして私はダビデの正しい芽を起すであろう。また彼は王となって支配し、また彼は繁栄させられ、また彼は地において正しい審判と正義を行なうであろう。彼の日々においてユダは救われ、またイスラエルは平和に住み、また彼らがエホバ御自身を呼ぶ彼のその名は、私達のエホバは正義であると呼ぶであろう。」23.55, 6、33.15, 16、ここでは主の降臨に付いて記述されている。「ユダ」は主への愛の中にいる者達として、「イスラエル」はその善の真理の中に居る者達として記述されている。「ユダ」によってユダが意味されず、「イスラエル」によってイスラエルが意味されないことが知られることが出来よう。なぜなら、ユダは救われておらず、またイスラエルもその後、同様に救われていないからである。同書において、
「私はユダの捕囚を連れ戻そう。そして彼らを前のように築くであろう。」33.7、同書において、
「それらの日々に、またその時に、エホバは言われた。イスラエルの子孫達は行くであろう。自分達とユダの子孫達と一緒に行くであろう。彼らは行くことで、また嘆くことで進むであろう。そして自分の神エホバを捜し求め、またシオンを捜し求めるであろう。その道で彼らの顔」50. 4, 5、同書において、
「その時、彼らはエルサレムをエホバの王座と呼ぶであろう。そして凡ての民族がエホバの御名のためにそこのエルサレムに集められるであろう。その後、その悪い心の強情の後に進まないであろう。それらの日々に、ユダの家はイスラエルの家に行き、また彼らは一緒に北の地からこの地の上に来るであろう。」3. 17, 18、