37-4803~4806意訳「天界の秘義」創世記Ⅳ

4803.この世において全く知られていない記憶に値すべきことがある。即ち善い霊達と天使達の状態は継続して変えられ、また完成され、そしてそのように内的な領域に上げられ、その中に居り、そのようにより高い役目に上げられる。というのは、天界において継続する浄化があるからであり、そのようなことが新しい創造と言われるからである。しかしそれでもなお、その事柄を次のように有する。誰かの天使は完全に完成された者へ達することは永遠に出来ない。主だけが御自身の中で、また御自身により完成された凡ての完成がある。
口に相応する者達は継続して話すことを欲する。なぜなら、話すことにおいて最大の喜びを得ようとするからである。彼らが完成される時、仲間達、公共、天界、主に役立つことを除いて他のことを話さないことへ至らせられる。会話において自分自身を考慮することの、また自分の固有性から知恵を求めることの欲望が消えるほど、そのように話すことの楽しさが増やされる。

4804.友情の社会と言われる極めて多くの社会が他生にあり、それらの社会は身体の生命の中で親交の楽しさを他の凡ての楽しさに優先した者達、また交際した者達が善い者達か、或いは悪い者達であるかは何も気に掛けないで、単に楽しさだけを気に掛けた者達、そのように、善に居た者達でもなく真理に居た者達でもない者達により構成されている。
身体の生命の中でそのようにあった者達は他生においてもまたそのような者達である。彼らは自分達を交際の楽しさだけにより結びつける。そのような多くの社会が私の許にあったが、しかし遠く離れて認められた。特に頭上の少し右側に認められた。彼らが居たことが無気力と怠惰によって、また私が居た楽しさを取り去ることによって気付くことがもたらされた。というのは、彼らが居合わせることがそのような社会のそれらを持ち込むからである。なぜならば、彼らがそこへ来ると他の者の楽しいものを取り去るからであり、また驚くべきことにそれを自分自身に専有するからである。というのは、他の者達の許の霊達はその楽しいものをそらすからであり、また自分自身のために変えるからである。それ故、他の者達の楽しいものを自分自身に転用する。またそこから善の中に居る者達に厄介なものと有害なものがあるので、それ故、天的な社会の近くに来ないように主により遠ざけられる。それ故、もし人物が注目され、善が考慮されないなら友情は人間に霊的な生命に関して如何に多大な危害を加えるか知ることがもたらされた。確かに誰でも他の者に友人であることは出来るが、しかしそれでもなお、最も歓迎すべきは善に居る者でなければならない。

4805.更に内的な友情の社会もまたあり、それらは外なる楽しさを取り去らず、また自分自身に転用しないが、しかし内なる楽しいもの、即ち霊的な情愛からのその幸福なものを取り去る。彼らは低い地の近くの右側へ向かう正面に居り、また彼らの或る者はやや上部に居る。私は下に居る者達と何度か話した。またその時、上に居る者達が全般的に流入した。彼らは身体の生命の中で彼らの全般的な仲間付き合いの内部に居る者達を心から愛し、またお互いに兄弟のような親密さで歓迎したような者達であった。彼らは自分達だけが生きており、また光の中に居ることを信じた。そして彼らの仲間関係の外部に居る者達は個々に生きていないように、また光の中に居ないように信じた。彼らはそのような者達であったので、主の天界は彼らからの僅かな者達だけからあることを信じた。しかし彼らに主の天界は無限であること、また凡ての民と凡ゆる言語の人々、および愛と信仰の善の中に居る凡ての者達からあること、また身体の凡ての領域、その外的なものと内的なものの間で関係付ける者達が天界の中に居ること、しかしもし、彼らが彼らの生命に相応するものを必要以上に得ようとしたなら、天界を持つことが出来ないことを彼らに言うことが与えられた。特に彼らが彼らの仲間関係の外部に居る者達を地獄へ断罪したなら、同時にその時、彼らの仲間関係が内的な友情の仲間関係になり、言われたように、他の者達が彼らに近付く時、他の者達の霊的な情愛の幸福を奪うような仲間関係になる。というのは、他の者達を選ばれていない如く、また生きていない如く見るからであり、その思考が伝達されたなら不快なものを引き起こすからであり、それが彼らに他生において秩序の法則に従って帰るからである。

4806.続、最大の人間との相応については次の章の終わりに述べよう。