夫婦愛
夫婦の愛の起源は主であり、主からの善と真理の結合です。主からの善である配偶者に対する愛、即ち配偶者を幸福にしたいと言う愛が人間の中で夫婦愛として受け入れられ、それに主からの真理である夫婦の誓い、夫婦の約束、また結婚の律法(姦淫してはならない)が結合される時に結婚を生じます。それ故、結婚は結婚式をしたから結婚があるのではなく、生涯を通して善と真理の結合に応じて少しずつ結婚が為されます。
現代では多くの夫婦が離婚し、また離婚しなくても夫婦の愛が冷え切っています。その原因は夫婦の愛があっても夫婦の誓い、夫婦の約束、そして結婚の律法が守られないからです。なぜなら、それらの誓いや約束が守られなければ夫婦の愛と夫婦の真理の結合がなく夫婦の愛が形を持って存在出来ないからです。特に結婚の律法が内的にも外的にも守られないことによって結婚が破壊されます。それ故、律法を否定する者達に夫婦の愛は全くありません。
現代では殆どの人が律法を軽んじ、また夫婦の誓いや約束を軽んじ、それを教えなければならない牧者さえもが律法を守ることでは救われないことを教えています。それ故、誰も夫婦愛を持つことが出来ず、また神と連結されません。しかし1%守ればそれだけ、また2%守ればそれだけ夫婦愛を持つことができ、それだけ神と連結されます。
律法を100%守れる人は居らず、また100%守ることを命じられているのでもないのに100%守らなければ律法は意味が無いと殆んどの人が信じています。しかし律法は力を尽くして守ることが命じられているのであって、力を尽くして守れば1%から2%へまた最後には99%まで守れるようになるのであって、その過程で夫婦愛も隣人愛も与えられるものです。
本来の夫婦の愛はお互い相手に対し最大に悪を為すことを恐れ、また最大に役立つことを喜ぶ愛であり、この愛は凡ての律法を成就させ、また凡ての善い働きを成就させ、最大の幸福をもたらします。そしてこの愛は主の愛に最も似た愛なので最大の無垢であり最も美しい愛です。
この愛を持って律法を守り、善い働きを行うなら結婚の幸福の中に居ることが出来ます。しかし、結婚生活において律法が守られなければ、また善い働きが行われなければ、自己愛の様々な悪が結婚の中に忍び込んでそれを汚し忌わしいものに、また不幸なものに変えます。
現代人の結婚の不幸は律法と善い働きを軽んじた結果であって、それは現代の宗教を写したようなものです。
律法と善い働きがなければ夫婦の間だけでなくどんな人間関係であっても破綻し、また主との関係も破綻します。
律法に反した考えと行いは地獄を造るので、従って姦淫は結婚を地獄にします。
姦淫を欲する夫は妻が醜く見え、また他の女性が美しく見える幻の中で、妻をないがしろにして妻に悪を為すことを恐れず、また妻に役立つことを喜ばないようになり夫婦の愛を滅ぼし結婚生活を地獄にします。
しかし、心でも姦淫を避ける夫は妻が美しく見え、また他の女性の美しさは妻の美しさには及ばなく見える幻の中で、妻を大切にし妻に悪が及ぶことを恐れ、また妻に役立つことを喜びそのように夫婦愛を更に完全なものにして結婚の幸福の中に居ることが出来ます。そして身体の死後も続くこの幻の中で、姦淫を欲する者は結婚の幸福に居ることが出来ず地獄で姦淫の中に留まります。しかし心でも姦淫を避ける者は天国で永遠に結婚の中に留まるので、夫婦の愛は永遠です。配偶者を幸福にしたいと言う主からの善、即ち愛と夫婦の誓い、約束、律法、そして善い働きの結合が夫婦の愛を育てます。


夫婦の愛の如く見える愛
誰かの許に或る種の夫婦の愛の外観が与えられているが、しかしそれでもなお、もし善と真理への愛の中に居ないなら、夫婦の愛があるのではない。夫婦の愛の如く見えている愛があるが、しかしそれは世俗愛、或いは自己愛の理由からある。即ち家で仕えられるため、平和な家庭であるため、平穏な家庭であるために、十分に健康でなくなった時、また年老いた時、家で世話されるため、愛する子供達の配慮のためである。或る者は配偶者に対する恐怖、評判に対する恐怖、罰に対する恐怖により強いられたものである。或る者は彼が引き起こす好色の愛であり、それは結婚の最初の時、夫婦の愛の如く見える。というのはその時、若干の無垢を模倣し、幼児達の如く戯れるからであり、天的なものからの何かの如き楽しさを認めるからである。しかし、時の経過によって、夫婦の愛の中にいる者達の如く、更に強く結合されないで分離される。
夫婦の愛は配偶者達の許でもまた異なっており、一人の許に多くあること、或いは少なくあることが出来、もう一人の許に殆んどないか、或いは何もないことがある。またそれは異なるので、一人は天界であることが出来、もう一人は地獄であることがある。情愛とその受容がそれらを決める。(天界の秘義2742)


夫婦の愛がなくても自己愛の様々な理由で結婚され結婚生活が維持されますが、そこには結婚の幸福はなく結婚の幸福が何であるかを知ることすら出来ません。
自己愛による結婚生活は時の経過と共に冷淡になり不幸になりますが、夫婦愛による結婚生活は時の経過と共に更に強く結合され幸福になります。
夫婦の関係は他の人間関係よりも更に慎重な配慮が必要であって、外面的な律法だけでなく内面的にも律法が守られなければ夫婦の愛は傷つけられ、その結合が疎外されます。律法の恩恵を被らなければ夫婦の愛は育ちません。


本来の夫婦の愛
本来の夫婦の愛は二人の配偶者達の間を除いて有り得ない。即ち一人の夫と一人の妻の間を除いて有り得ない。同時に、多くの配偶者達との間には決してない。その理由は、夫婦の愛は共同の愛、また相互の愛であり、なお加えて、一人の生命がもう一人の生命にあり、またそれが逆にもあるようなものだからである。そのように言わば一人の者であることであるからである。このような結合は二人の者達の間に与えられるが、しかし多くの者達の間には与えられない。多くの者達はその愛を引き裂く。(天界の秘義2740)


本来の夫婦の愛は主の善と真理との結合からあり、それは一つの意志と一つの理解の結合のようなものです。もし多くの人の意志が一つの理解に結合するなら理解はパンクして機能しません。また一人の意志が多くの理解に結合するなら、それは結婚の関係ではなく主従関係です。
一人の意志と一人の理解の結合が結婚を生じ、夫が妻の意志を愛し妻が夫の理解を愛することで二人が一人の人間の如く結合され、その結合に最大の永遠の幸福があります。この結合が真の結婚であって、妻の意志が善であればあるほど、また夫の理解が真理であればあるほど純粋で無垢で幸福なものです。それ故、この結合は結婚の中に夫婦の愛と律法、および善い働きがなければありません。


夫婦の愛は美しい
本来の夫婦の愛は天界の像であり、またそれが他生において表象される時、どのような事情の下にも目で見られること、また心で認められることが出来ないほど最も美しいものによって為される。それが白く輝く雲に囲まれた言い表せない美しい乙女によって表象される。そのようにそれは本質と形の中の美そのものであると言われることが出来る。他生においては夫婦の愛から凡ての美があることを言われた。その情愛と思考が、言わば輝いているルビーと赤めのうの中でダイヤモンドで飾られた金によって表象され、またそれらが楽しみと一緒に心の最内部に働きかける。しかし、それらは若干の好色が起ると直ぐに消える。(天界の秘義2735)


本来の夫婦の愛は配偶者が相互に相手を幸福にしようとするものなので、夫婦愛のある夫婦の間ではほぼ完璧に律法が守られ、また善い働きが行われます。そしてこの愛は主の愛に最も似た愛なので最大の無垢であり最も美しい愛です。この愛の中に居る限り妻は年齢に関係なくいつも最大に美しくあります。例え他の人から見れば単なる婆さんであっても夫からは美しく見えます。そしてこの不思議な主からの幻の中で結婚の幸福の中に居ることが出来ます。
しかし、好色が起ると直ぐに妻以外の女性が美しく見え、同時に妻が醜く見えるようになり、そしてこの悪魔からの幻の中で結婚が息苦しくなり、また律法は束縛するものとして、善い働きは強制するものとして感じられ結婚の幸福から去ります。そこから冷淡、不和、離婚へと進み結婚を破綻させます。
結婚が破綻する理由は様々ですが、根本的な理由は配偶者以外の者に対する好色です。