19-8762~8763意訳「天界の秘義」出埃及記Ⅱ
8762.「あなたはヤコブの家にこのように言うことで言い、またイスラエルの子孫達に伝えなければならない」が、外なる霊的な教会からの者達と内なる霊的な教会からの者達の救いを意味することは、「言うこと」と「伝えること」の意味がここでは救いであることから知られよう。なぜなら、今言われ、また伝えられることはエホバからモーセを通して言われるからであり、それらは救いを含むからである。また「ヤコブの家とイスラエルの子孫達」の意味が外なる教会と内なる教会であることから知られよう。そのことについては3305, 4286番に示された。
外なる教会と内なる教会が何であるかは前に数々の箇所で言われた。即ち古代教会にあった外なるものの凡ては内なるものを表象したものであったこと、また教会の内なるものは外なるものによって表象されたことが言われた。例として、神的な礼拝を主の王国の霊的なものと天的なものを表象した生贄と儀式、および法令の中に置いた者達は外なるものの中に居たが、しかし神的な礼拝を表象された天的なものと霊的なものに置いた者達は内なるものの中に居た。今日も同様である。神的な礼拝を神殿(教会)を訪れること、説教を聞くこと、聖餐に出席すること、またそれらを敬虔に行うことに置き、更にそれらのことについて教えられたので、また命じられたので神殿(教会)を訪れることを除いて考えない者達は外なる教会からの者達である。しかしそのようなことも果たされなければならないことも同時に信じるが、しかし礼拝の本質的な部分は信仰の生命(生活)、即ち隣人への仁愛と主への愛であることを信じる者達は内なる教会からの者達である。従って信仰への服従からだけで隣人に善を行い、また主を崇拝する者達も外なる教会からの者達であるが、しかし愛から隣人に善を行い、また主を崇拝する者達は内なる教会からの者達である。そのように他のことにおいて同様である。
[2]しかし教会からの各々の者達の許にその両方が在らねばならない。即ち外なるものと内なるものが在らねばならない。もし両方がなければ彼の許に霊的な生命はない。なぜなら、内なるものは霊魂の如くあるからであり、また外なるものは霊魂の身体の如くあるからである。しかし外なる教会からの者達は外なるものの中に明確に居るが内なるものの中に不明確に居る。しかし内なる教会からの者達は内なるものの中に明確に居るが、外なるものの中に不明確に居る。だが聞き給え、外なるものの中に居り、また同時に内なるものの中に居ない者達は教会からの者達ではない。自分の教会の教義の事柄に従って生命(生活)の善の中に居る凡ての者達は両方の中に居るが、しかし礼拝の中におり、また同時に教会の教義の事柄に従って生命(生活)の善の中に居ない者達は内なるものなしに外なるものの中に居る。
僅かな者達がそれを知り、僅かな者達しかそれを知らないのは、凡ての礼拝とそこからの凡ての救いを信仰の中に置き、また仁愛の中に何も置かないからである。そこから永遠の救いについて考える者達は、それを敬虔な生命(生活)の中に置き、また仁愛の生命(生活)の中に何も置かない。それらのことについては8252- 8257番に認められよう。
8763.「あなた達は私がエジプト人達に行なったことを見た」が、害した悪い者達に生じた凡てのことの想起を意味することは、「あなた達は見た」の意味が想起であることから、また「エジプト」の表象が害する悪い者達であることから知られよう。そのことについては7097, 7107, 7110, 7126, 7142, 7317番に示された。それ故、「あなた達は私がエジプト人達に行なったことを見た」によって、害した者達に生じた凡てのことの想起が意味される。